10『目醒め』
久しぶりにだらだらと。
最後に交わした会話は今でも、それこそ昨日のことのように思い出せる。他愛のない話だった。最後の会話にしては、味気ないほどに。
夢の話だった。昨日見た夢の話について、ただ駄弁っただけ。相槌を返すだけで、それは駄弁るとも言わないかもしれない。
だから、味気ない。
あの言葉の意味を今でも考える。あの言葉を忘れていなかったから、見なくても問題のない夢を見ようと最初何年かは粘った。
いつしか夢に価値を見いださなくなって、もうそれからは夢などということに興味すら抱いていない。
だって、ただ演じれば、人格者を演じれば。
──茉稠めぐりを演じれば、それだけで近くにいられる気がするから。
「あのね、弟くん。ちょっとお話ししない?」
「……うん」
「ありがと! ね、昨日の夢の話なんだけど……」
「…………」
「弟くんが私のこと、助けてくれたんだー」
「……はい」
「だから今度は私の番だねぇ」
「…………」
「──夢で、待ってます」
どういう意味なんだよ、それは。
「どういう、意味なんですか」
眠り姫は問いかけに応えない。いつも通り、どうにも空虚に惠の声は響いた。二人しかいない病室のその一角にはシオンの花が寂しく白光に照らされている。
花を捧げた相手の顔、身体。十年という年月相応の成長さえしていても、眠った当時のあどけなさが残っていて、時間に置いていかれてしまったことが際立って痛感させられる。
年上の姉が自分より幼く感じてしまうのは、それはきっと自身の成長が大きいものだからではない。自分の愚かさや卑しさを比較したとき、姉の純粋さや無垢さをより強く感じるからだろう。
道化と眠り姫じゃ比にもならない。物語で語られるのは、いつだって美しい姫だ。
だが、茉稠めぐりにはこの役はそぐわない。彼女では役不足で、彼女では悲劇的すぎる。
こういう題目というのは、代わりが幾らでもいる愚かしく惨めな道化が相応しい。
「……姉ちゃんじゃなくて、俺だったら」
もし、出来損ないで必要とされていない自分が姉の代わりに昏睡していたのなら。
そんな意味のない仮定を、惠は今でもしてしまう。この病室に来たときにそれを必ず考えてしまうのだ。
もちろん出来損ないや必要とされていないの下りは冗談ではない。自分にとって茉稠惠はそういう人間で、いや茉稠惠に人間の心なんてものは。
人間の心がない、欠如している。つまり非情で残酷で冷酷。そこまではいかないものの、人間らしさには欠けているかもしれなかった。
よく、こういうのは幼少期の愛が足りなかったと言われる。愛情をよく受けなかったから歪んでしまっただとか、愛を知らないから倫理観に欠けるだとか。
どうだろう。全く受けなかったわけではないと思う。少なくとも感情はあるのだから。
しかし、笑い方はあまり上手くないかもしれない。ぎこちなく、不格好で、余所余所しく、そして見ていて不思議な気分になる。鏡のなかの道化はいつでも上手に笑ってみせるからだ。
だから非情さには欠ける、微妙な何かでしかない。卑しい貴族に見せて金を払わせる、そんな見せ物にすぎなかった。
「…………何だっけ、『静慟の心』?」
非情と言えば。眠り姫めぐりは幼い弟に色んな話を聞かせていたが、その一つに『非情な心の持ち主』についての話があったことを思い出した。
惠は、あの優しい温もりに満ちた声を頭で響かせる。微妙に不明瞭で、全て思い出せるかは分からない。
十年前、茉稠めぐりを最後に見たのは自宅。学校に行く前の、変哲なき早朝だった。
「笑わない少年は寂しがり屋。その子の弟はみんなに愛されてるのに、自分はほったらかし。みんなは少年を嫌ったけど、どうして嫌ったんだろう?」
「……わらわないから?」
「そうだねぇ。その子は『せいどうのこころ』をもってたから笑えなかったんだー」
「……せいどうのこころ」
「うん、そうだよ。笑わない少年は、本当は笑えなかったの。みんなは笑わない少年を嫌ったけど、笑えないようにしたのはみんなの方」
「…………」
「でも、一番悪いのは……」
「愛された弟じゃなく、無理して笑わなかった兄」
結末はどうだっただろうか。少なくとも、きっとこんな結末でないのは確かだ。
未だに茉稠めぐりが度々語った話の意味が分からない。惠本人としては、何かしらの教訓でも教えてもらっていたのだと考えることにしているが、どうにもしっくりこなかった。
とにかく、教訓譚というのが間違いであるにしても、この話が自分と茉稠めぐりの関係性を示しているものだと理解することぐらいはできる。
『静慟』という文字は、めぐりが昏睡して何年か後に見つけた手記に書いてあった。それまでどういう字が当てられるのかが不明で、ずっとひらがな表記だった言葉。
何故この話をしたのかは、やはり考えつくものではない。本人でなければ答えられないだろう。
だが、まさしく文字の通り茉稠惠は『静慟の心』をもっている。静かに慟哭する、そういうものになっていた。
「……あれから十年、笑ったまんま生きてきたよ、姉ちゃん」
好かれたいのなら笑えばいい。茉稠めぐりのように、微笑むだけでいい。知っていた。痛感していた。分かっていた。
「……嗤えよ、な」
自らを激しく嘲笑するように、そつのない笑顔で惠は言った。汚れた言葉は純粋と無垢を穢すこともできないで白い部屋を彷徨う。滲み一つない壁に何度も跳ね返り、惠の耳を繰り返し抜けた。
彼を嗤う声などない。罵る声も、非難する声も、何もない。
重く動く扉を抜け、去り際に眠り姫を見る。ゆっくりと閉じていく扉の先に、いつしか汚れた言葉を放った声も、救いようもなく薄らいで途絶えた。
──どんな意味だろうね。
「面会終了時間って何であんなに早いのかな?」
病室を出て少し先にある椅子で待っていた映海は惠を見るなりそう言った。惠の前にめぐりの病室に行き、そのあとは惠と二人きりにしたのだ。
その時間、僅か二十分。面会終了時間や明日のことも考えればこれが妥当な時間だった。しかし短いのには変わりない。映海には、あれを面会と言うには短い気がした。
病院にアナウンスが響く。人の呼び出しばかりだ。そのなかに惠たちの名前は含まれていない。呼び止められないのなら、帰るだけだった。
「管理上仕方ないんじゃないか? 休日ならよかったんだけどな。……帰るか」
今日が丁度、あれから十年経つ日。それが重要で、二日遅らせて行くのとは意味が異なる。今日行かなければいけないと、夢が暗示したのだから。
夢を見たのは偶然ではない。それだけは揺るぎない事実。そして得体の知れない何かを避けることはできない。
今日という一日で人生を『意味がない』と定義付けることも、『大切である』と信じることもできた。今までただ怠惰に過ごしてきたものを、何の気もなく過ごしてきたものを、こうして考えるだけの機会を与えた。
自分に巣喰っている、自分を蝕んでいる何か。それを自覚させる機会も与えた。
十年という節目を皮切りに、何かが変わろうとしている。抗う術はない。きっとないだろう。
「めぐりさんとはどんな話したの?」
考え込んでいる表情。それを見て映海は惠に質問をする。きっと彼を気遣ってのことだろう。
「話したって……。大したことは何も。いつもとそう変わらないかな」
それは映海の目から見てもあからさまな嘘だった。
「ね、惠。言ったこと忘れないでね?」
映海は念を押して言う。言ったこととは「駄目なときは頼る」というものだ。
今日、惠は初めて親友と約束をした。この約束を破ることは赦されない。惠が映海に背負わせてしまう業だけでも浅ましいものなのに、これ以上映海に押しつけてしまうのは業どころでは済まないのだ。
彼女に頼るという心の弱さを認めた以上、惠は映海に対して誠実でいなければならない。今までよりも、そしてこれからずっと先へ。
「……どうにも堪えられなくなったら、そのときはな」
微笑みはやめない。やめられない。感情をひた隠しにしでも微笑んでいよう。映海の前で泣くのは今じゃなくていい。本当に嬉しいときに泣き笑えばいい。今はまだ、笑っていよう。
「よしっ、じゃあ帰ろっ!」
元気に大声で宣言。映海は惠の背中をバシバシと、音を立てるほど強く叩く。惠を激励するため、というのはどちらかというと惠には知られたくない意味で、早く帰ろうというのを名目に置いたつもりだった。
名目に置いたつもり、だったが。
「ちょ……もう少し静かにな?」
さきほどよりも口角を上げている惠には、映海の魂胆などお見通しである。
その心中は、澱んだ暗い気持ちと淡い期待のようなもの、そして不可思議な運命と引き合う邂逅のようなものが混在していた。
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帰路を辿った。あの遠く、長く、無駄に電車で揺られるには最高の帰路を。
惠は帰りも『Train in Vain』を聞き、目を瞑る。揺られて、廻って、車内アナウンスが下車する駅の名前を繰り返し告げる頃、惠は目を開き、そして息を吐いた。
惠の今日一日が、昨日や一昨日と比較してどれだけ忙しく暇のない日かは言うまでもない。息が詰まるほど、惠は今日を謳歌した。
疲弊しきったのは顔の細かい部分を見ればすぐに分かるほどで、誰も見ていないからこそ笑顔をやめることができた。
窓ガラスに汚れて映る『茉稠惠』は、それはもう見るに堪えない。車内に誰もいないからこそできる表情で、素顔でいられたのは数駅だけだった。
やがて自宅最寄りの駅で重い腰を上げると、あとは街灯と街灯の間にある暗闇を繰り返し渡るだけになる。
だが、疲労困憊していて、特に頭部付近に至ってはちょっとした異常すらある惠には、道を行くだけでも苦しいものがあった。無論、それでも彼は帰路を辿る。
街灯の灯りが少しずつ集合住宅の灯りに薄らいでいく。惠は下ばかり向いて歩いていたが、自宅の灯りが見え始める頃から上を向いて歩いた。
病院から玄関までどうにか歩みを進めた惠。しかし鍵を取り出し解除すると、声一つあげずに暗い扉の先で倒れ込んでしまった。
意識は、ある。大丈夫、少しこのままで。十分ぐらい経ったら動こう。夕飯作って、風呂入って、勉強は……今日はやめよう。準備だけしたらもう寝てしまおう。ゆっくり、身体を休めよう。
「…………だから今は」
せめて今ぐらいは、このまま目を瞑って。
「……煩いな、鬱陶しい」
羽音が耳につく。耳障りな羽音。耳元を行ったりどこかへ行ったり、だが近くを飛んでいるのは確実だろう。
扉を開けたときにでも入ったのか。どうにか外に出て行ってもらわなきゃな。
そんなことを夢現、惠は考えていた。
風が吹く。柔らかな風が惠の髪を何度か撫でた。それと同時に何かが肌を撫でる感覚もした。
風で髪が棚引く。揺られ、煽られ、吹かれ、心地よさに心酔したあたりで、
「……ごっほごほ……えふっ……何だこの匂い!?」
唐突に惠は咳込みその場に丸まった。
すぐに口に手を当て嘔吐く。吐瀉物は出ず、すぐに吐き気は収まったが気持ち悪さがなくなることはなかった。
得も言い難い、独特で嘔吐を誘発する悪臭。鼻が曲がるという言葉を痛感するほどの不快感。それが鉄粉の匂いと混じり、生温い風とともに流れてくる。それが吐き気を催したのだ。
そんな悪臭が自宅からするなんて人事じゃない。しかしこれほどの不快な悪臭ならば、帰ってすぐ、玄関を開いた時点で気付かないはずがなかった。そしてあの時点での家の様子も変わりないと記憶している。
では一体、何処からこの不快臭は風に流され漂って──
「風なんて吹くわけがない……?」
惠は、そもそも風が吹いている時点でおかしいことに気付く。
ここは屋内だ。無論、惠は帰宅してからエアコンなどつけていないし、玄関にまで風は届かない。生温かい風が吹いてくるはずがないのだ。
ここでようやく身体を起こす惠。手を床について、重い身体を押し上げる。頭を振って纏わりつく不覚感を払おうとするがどうにも離れない。
酷く響く頭痛を我慢して惠は立ち上がるが、バランスを崩して尻餅をついてしまった。時間をかけたというのにまたやり直しかと思うと、食傷嫌いな惠はうんざりした。
だが、その苛立ちはすぐに消えた。尻が濡れる感覚がしたからだ。予想していないことが起きたため、すぐに思考はもっていかれる。
何が尻を濡らしたのか。ズボンを浸食していくそれを右手の人差し指で触れた。ゆっくり顔に近づけるが、暗くて何なのかは確認できない。だが匂いは嗅げた。
鉄粉の、いや、鉄の匂い。
惠ははたと気付く。匂いを嗅いで鉄の匂いを感じた瞬間から、手が震えていることに。小刻みに、また大きく。蠢動は、やがて手のみならず右腕や左手、両脚、延いては身体全体へと伝わった。
最初こそ何故震えているのかの理解はできていなかった惠だが、次第に自分を取り巻く環境がどうなっているのかを悟ることで、嫌でも気付いてしまう。いや、もしかすれば惠は初めから気付いていて、自らを欺いたのかもしれなかった。
風が大きく吹き荒ぶ。草木を撫で、葉の擦れる音が辺り一面から聞こえた。悪臭も漂うが、今は風向きが違う。惠の方には向かっていない。
ようやく目が暗闇に慣れ始める。
惠は目を疑った。自宅玄関の様子は伺えない。異常な状態だと分かってはいたが、予想以上の光景が惠の眼前には広がっていた。
風が吹き荒び、雲は大きく流され、月はその姿を現す。月明かりは容赦なく現実を照らしてみせた。
あの見慣れた我が家はそこにはない。ただ途方もなく広がる草原と、見覚えのある湖があるだけだ。
声はでるが、言葉にはならない。フラッシュバックが繰り返されるだけで、思考は恐怖と苦痛とに塗れて消えた。
「あ……嘘、だろ? おい、やめろ。やめてくれ……」
大空。落下。湖水。水没。
「ぐあっ……頭、が」
白髪。膝枕。白亜。気絶。朦朧。
「違う……違うあれは……あれは」
覚醒。談話。夜半。夕食。間隙。
「夢、なんだ。悪夢で、現実なんかじゃ」
暗闇。彼女。惨状。残血。斬切。微笑。
「どうして、どうしてだ? どうして、何で微笑んで……嫌だやめろ」
目が醒める。唐突に、激しい鈍痛と記憶とともに。たった一夜の夢を、九年越しの夢をなぞって思い出す。忘れられない。忘れたくてもできない夢の話。踏み込めない先、現ではない何処か。
「────リーシア?」
そこにいるはずの白髪の彼女の名を、惠は無意識のうちに後ろへと振り返りながら呼んだ。
その声は、彼女に届かない。
「──嘘だ」
冷たくなった彼女には、その男が呼ぶ声など。
「夢、だ。ありえない。こんなの、嫌だ、見せるな。違う、違うんだ、こんなの」
乾き始めた血液は草木や土壌に飲み干され、少量のみ液を保っている。
惠の身体に付着したのは、べたついた赤黒い血液。
何処から流れ出ているのかは、頭は理解していた。それを受け付けることも認めることもできなかったが、しかし現実は目を瞑っていても惨状を告げる。匂いが惨状を感じ取らせるのだ。ただ、惨い現実を。
それだけではない。風が吹けばリーシアの、あの美しい白髪が惠の肌を擽った。あのとき肌を撫でたのは彼女の髪だったのだ。
惠は忸怩たる思いで胸を満たし、冷たくなってしまった手をとった。触覚で感じ取れるあらゆる情報は、ただ一つの事実のみを示している。
乾いた血液。赤黒く変色した白亜のワンピースに、白い肌。裂けた腹部と、その中身。冷たく、そして蒼白くなった身体。苦悶の表情を薄ら残した微笑みを見て、惠はただ咽び泣くしかできなかった。
嗚咽、嘔吐。落涙、充血。頭痛、鈍痛。感情、破壊。理性、崩壊。
「どうして、こんなっ!! 死ぬべきは俺だろうが!? 何でリーシアなんだ!? もっと……くそっ! 別の結末じゃ駄目なのかよ……!! 誰がっ、誰があっ!?」
叫んでも気分が晴れることはない。白髪の魔女リーシアが生き返るわけでもない。ただ冷静さを欠いて叫び、怒り狂うことでしか自我を保てそうになかったから惠はそうしたのだ。
声は徐々に嗄れ始める。枯れて一滴も出なくなると、代わりに傷ついた喉から血が出始めた。それもお構いなしに泣き咽び怒り狂う道化。もはや笑える余地など一寸もない。醜いそれを観客は何と形容するだろう。
とにかく彼は鬼のような形相で、猛獣に変心していたのは確かだ。
理性という猛獣使いで抑えたはずが、晒してはいけない醜く穢らわしい獣に喰われた成れの果てである。
「うう……ああ……あ、あ、あああああああああああああああ!! これは夢だ! 夢なんだよ!! 救われない悪夢で、俺はこんなモノ望んじゃいない!! あの時間を返せっ……返してくれ……かの……じょを……元の生活に、帰してくれよ……なぁ……」
月灯りは非情な眼差しで惠を見下す。哀れで醜い獣を嘲笑し、それをとても愚かしいと、侮蔑と煩雑を以てもてなした。
悲痛な願い。届くはずがない。例え夢の話だとしても、リーシアの死は紛れもなく事実に相違なく、また現実に近しい。それは血液や臓器の匂い、冷たい身体から容易に感じ取れた。
では何故自分は無事なんだ? 惠は崩れた思考の隅の角に残った間隙で考える。
いや考えるまでもない。身体は全て覚えている。脳は記憶を思い出したのだ。
あのとき、茉稠惠は確かに死んだ。殺された。首を、鋭い刃物で刎ねられたのだ。
痛みなどはなく、苦痛を感じず死ねた点では、ある種それは幸せだったかもしれない。無論言うまでもなくそんなのは相対的なものにすぎない。
疑問があるとすれば、何故首を落とされたのに死を感じられたのかだ。首が切断されれば死すら感じず死ぬはずである。自身の死など知る術などないはず。だが違った。
首を切り落とされたとしても、数秒は意識があるというのは既に中世北欧で証明されている。例に漏れず惠もそうだった。
あのとき、確かに茉稠惠は首を刎ねられ死んだが、その後の数秒は意識を有していたのだ。だから、苦痛はなくとも恐怖だけは植え付けられていた。
そう、確かに死んだ。だからこそこうして頭部と身体が繋がっていることが酷く不思議でならない。何より、自分だけ甦ったことに怒りを煮え滾らせている。
甦りの理由は分からない。あのときのように「夢だから」の一言で済ませることができるのなら、惠は迷わずリーシアを生き返らせるだろう。
「ああああああああああああああああ!!」
人の死に、ここまで生々しく見る目も当てられない人の死に触れるなんて。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
夢だ。これは俺の夢だ。もう一つの現実であって、唯一生きていきたいと思わせてくれた大切な居場所。彼女が、リーシアがいる場所。
それを、よくも。奪ったもの全てを返せ。壊したもの全て戻せ。大切なあの時間全てを、どうか、どうか。
──望みを、願いを。救いようのない死すべき人間のように請え。
──惨めたらしく、その醜く愚かしい姿で縋れ。
──頭を垂れて、汚らしい犬のように地に擦りつけろ。
──土を舐め、容易く屠られる豚のように喰らえ。
「あ、ああ、ああああ」
──笑いたまえよ、君。君は観客を楽しませるだけの道化なのだろう。
──下らなくつまらない道化だが、情けを貰うだけの権利はある。
──欲しいのだろう。望む憧憬があるのだろう。
──さあ、望め。どうせ叶うことのないそれを言いたまえよ。
「…………ろ」
──聞こえない。願うときは相手に敬意をもって、自らの愚かさを晒して願うのだよ。
「……めろ」
──聞こえない。言葉がどれほど強い力を持っているか知っているだろう。少しでも欠ければ意味がないのだよ。
「醒め、ろ……っ」
──聞こえない。か細く虫螻のような声では言葉は言葉にすらならない。願う、望むという行為を懇願するのはのは人間だけだ。道化なら人間を演じて、人間臭く言いたまえよ。
「────醒めろおおおおぉぉぉっ!!」
────ああ、契約完了だ。
──せいぜい足掻きたまえよ、君。




