「機関に向けた試験」
「よしっ! 準備できた! 母さん、行ってきます!」
自身のお気に入りの上着を羽織った少年が元気よく、家から飛び出そうとしている。腰には安物だが剣を帯刀しており、自力で縫い付けたズボンのホルダーに鞘を通し、恰好だけを見れば一人前の剣士に見える。
彼の声で気付いたのか、彼の母親は部屋の奥から出てきた。
「どうしたの、バレリア。こんな時間からお出かけ?」
「違うって! 前からずっと話してたじゃん。今日は機関、【オーダーアース】の試験がある日だって!」
母親はその言葉で思い出したのか、ポンと手を叩く。
「そういえばそうだったわね~。シャウラちゃんと一緒に受けるんだって。あの時急に言われたから母さん、どうしようかなって」
陽気な口調の母親に、息子のバレリアは困った表情でいる。
「お小遣い少ないから自分で働いてお小遣いを稼ぐんだって。そーなの、バレリア!?」
「違うって! そうじゃないって、言ったよね? 俺!?」
息子には分からない。どうして以前ちゃんと話したことを覚えていないのだろうか。だが、同じようなことを幼なじみにも言われた記憶がある。
「とにかく俺、行ってくるから! 試験の結果が分かったら母さんにもちゃんと言うよ!」
「試験が終わったらどうするの?」
「だから、寮生活だって! 機関には寮があって、そこで生活するんだって!」
話を聞いていないのか、母さんは! そう思うバレリアなのだが、実はその言葉はそっくりそのまま彼に帰って来るのだ。
それはさておき、彼には少し急ぎの用事がある。
「俺、行くから!」
「待ちなさい! バレリア!」
母親は、神妙な面持ちで息子を見る。これから独り立ちする息子に何かエールを送るのか。普段、明るく、朗らかな母親が今日は真面目な顔をしていた。
息子としては真剣に向き合わないといけない。
「さっき、シャウラちゃんが来てたわよ」
「どーしてそれを早く言ってくれないかな! もう!」
バレリアは慌てて扉を開けて家から飛び出した。
家を出て真っ先に向かった先は、試験会場となる王都メルキアではなくバレリアにとって幼なじみの家だった。だが、結果空しく外出中。
「あまり遅くなりすぎたら機関の試験も間に合わなくなるって!」
その幼なじみの彼女も同じ志で機関【オーダーアース】の試験を受けるのだ。
機関【オーダーアース】。それはドラゴン討伐を目的とした組織。人間では太刀打ち出来ない強大な存在であるドラゴンを討伐し、人々に平穏を与える。そのために訓練された兵士たちの組織。
この世で最強の魔物扱いとされている。それがドラゴン。
魔法の力を自在に操ることの出来る人類に対し、この世界における未知の魔法の数々を操り、優れた知能を持つ存在。
人よりも強大な力を持つ存在が生きていれば、当然人々は力を持つ異形の存在を否定した。自分たちの安寧のためにドラゴンを危険な存在とし、討伐組織として機関を設立したのだ。
それが【オーダーアース】の始まり。
バレリア・オークライトはその機関に志願している少年である。ある目的のために。
「あーもう、どこに行っちゃたんだよ! シャウラ!?」
その機関に一緒入ろうと誓い合った一番の友達の姿が見当たらない。
今日、王都メルキアで行われる機関員の新人試験。これを受けに行く前に、バレリアとシャウラは別の人物の試験を受けなければならなかった。
「イレセア先生が最後に実力を見るって言ってたのに!」
家に行っても見つからなかった。
イレセア先生の試験を合格できなければ、機関に潜入するのを止められてしまう。バレリアとその幼なじみの目的は時に危険な目にあうかもしれない。
いや、しれないではなく間違いなくあう。そういう目的なのだ。
だからこそ実力を測って合格であればイレセア先生は送り出す、とのことだったのだが。
「どこ行ったんだよ、シャウラ! 先に行っちゃったのか!?
」
一向に見つからない。あまりに遅かったので、先に先生の所に行って試験を受けに行ったのかもしれない。なら、自分も後を追った方が良いのだろうか。
向かおうと判断したちょうどその時、約束のある場所の方角からこちらに気付いた幼なじみが小走りで近づいてきた。
――よかった。向こうも探していたみたいだ。
「シャウラ! 探したよ!」
「おはようございます、バレリア! 探したって、先に先生の所に行ってますって言いましたよ?」
少女の名は、シャウラ・ヘレルナー。バレリアの幼なじみで、全体的にふわりとしたケープやスカートに髪形、頭の天辺から二本の毛がちょこんと立っている。そして大きさの合っていない丸い眼鏡を掛けた少女だ。
シャウラは幼なじみであるバレリアに丁寧語で話す。彼女、シャウラは人見知りで誰にでも丁寧語で話す。
そういう性格であるため仕方ないが。
「そんな話あったっけ?」
「聞き逃したんですか? バレリアのお義母さんにはちゃんと話しましたよ?」
「母さん……言ってなかった」
あーあ、探して損したと言わんばかりのバレリア。そして、なぜか口を両手で抑えているシャウラ。
今、聞き捨てならない単語でもあったのだろうか。
「それよりもシャウラ。イレセア先生の試験、終わった?」
「はい! もちろんです! 百点満点でした!」
笑顔でブイサインを作るシャウラ。親友が百点満点をたたき出した。そのことがバレリアを燃えさせた。
「よっし! だったら俺も百点とってやるさ!」
「え?」
「だって、俺、最強だもんね!」
「そうですね……バレリア……」
元気よく宣言するバレリア。
反対に元気がなくなるシャウラ。
彼女の内面を表しているのか、頭の上の二本の毛が萎れる。シャウラの内面に合わせて動く二本の毛――バレリア曰く触覚。本人は嫌がっている――を見て、彼女の気分の変化を感じ取った。
「どうしたんだ? シャウラ?」
心配そうに見つめる。シャウラは頬を少し紅潮させるが、風邪ではないようだ。
「どうしたも何も、バレリアは調子に乗り過ぎて失敗……しそうで……」
ごにょごにょと聞き取れない声になるシャウラ。
明るくて快活。それがバレリアの長所なのだが、お調子者で鈍感。それが短所だと長年言われ続けていた。
それでも、シャウラの異変くらいなら感じ取れる。というよりも、なにかと言うとバレリアの前では真っ赤になるのだ。
「ほんとにどーしたんだよ? シャウラ?」
心配して、顔を覗き込む。
「あわわわわわっ!」
顔を近づけると、彼女は今度こそ真っ赤になった。夕焼けよりも紅く、太陽よりも熱を持っていそうだ。
「熱があるんじゃないのか? もしかして無理してるんじゃないか?」
バレリアは知っている。彼女が例え、イレセア先生に天才と呼ばれていても身体が丈夫でないことを。
だからこそ心配なのだ。バレリアが傍に寄るといつも真っ赤になる。
「ち、ち、違いますよ!」
違うと否定しているが、離れていても熱を感じ取れる。より一層パニックにすら陥いっているように見える親友を放っておけない。どうにか出来ないか。そう思い、彼女の顔をまじまじと見つめる。解決策は見つからず、彼女は逆にバレリアから離れようとする。風邪をうつさないように遠慮しているのか。
「だ、大丈夫れす! 自分で何とか出来ますから!」
思いっきり舌を噛んでいたが、もはや痛みすら気にならないほど『重症』のようだ。
「大丈夫って、機関の試験もあるのに」
「じ、自力で冷やしますから大丈夫ですっ! ≪水よ! 天から降り注ぎ、恵みをもたらせ≫」
大気中の魔力が、シャウラに集まって行く。
シャウラが周囲の魔力を集めているのだ。
魔力。それは大気中に存在する力。エネルギーと言い換えても問題はない。その魔力を扱うには、ゲートと呼ばれる魔力を吸収、放出するための器官を利用する。まず、入り口のゲートにより、大気中の魔力を吸収し、言霊を乗せることに一気に魔力を乗せて出口のゲートから魔力を放出する。これを詠唱魔法という。
身体の弱いシャウラが天才と称されるのはこの詠唱魔法の才があるからだった。
「ちょっと待――」
「水属性≪レインドロップ≫!」
術名を言い終える。変化はすぐに起きた。
溜め込んでいた魔力を出口のゲートを利用して一気に放出し、具現化。それが水となって二人の頭上から降り注いだのだ。
文字通り、バケツをひっくり返したかのような水が二人をびしょ濡れにしたのだ。
「どーして俺まで……」
「すみません……でも熱が下がりました……」
二人はびしょびしょになって水が滴る。だが、効果はあったようで二人は冷静になった。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫です! 大丈夫ですから行きましょう!」
再び心配して彼女に額を近づけようとしたが、彼女はそれを強く拒んだ。
顔を近づけたらまだ熱がありそうだったが、大丈夫ならとりあえずいいやと、びしょびしょながらもバレリアは元気よく拳を上げた。本人は大丈夫だと言っているのだし、時は待ってはくれないのだ。
「よっし! それじゃぁ先生の待つトートルの森へしゅっぱーつ!」
シャウラも同じように小さく控えめに拳を上げた。びしょ濡れだが。
トートルの森。メルキア王国及びメルキア同盟連合国の内の一つ、トートル領にある広大な森。
その特徴は緑で埋め尽くすほどの木々、何よりも広大な森を囲む高い崖にある。
巨大な穴。その下にあるのは緑一色で占められる程の森林。その光景は森一つが沈み込んだかのよう。
一度落ちれば助からないとトートル領で暮らしている者たちは皆がそう言う。崖から落ちれば助かったとしても二度と登れないと言われている高い崖と、崖の下の森では無数の魔物が破壊活動を行っているからだった。
地元の人間も、地元の人間であるバレリアやシャウラも普段は近づくことはない。
未開の地と言われてもおかしくない場所で、目的の人物、イレセア先生は待っていた。
「何をしていたんだい、バレリア? それに二人ともどうしてそんなに濡れてるんだい?」
朝の陽ざしで輝く美しい銀糸を後ろで纏め、その髪に負けず劣らずの美術品のように整った美しい容姿をした人物。いつものように優しい口調で話す。特に怒っているようでもなく、大した遅刻ではなかったようだ。
「それが色々あって、ちょっと遅れちゃって」
「この後機関の試験があるというのに?」
色々と言っても、シャウラを探していたのだがそこは詳しく説明しない。あまり詳しく説明しないと、二人がずぶ濡れになっていることに理由があると勘違いしそうだが。
「まあ、時間に余裕があるので問題はない。それよりも早速始めようか」
バレリアは早速、鞘から剣を抜く。
その剣は安物で管理も雑なのか、それとも使い古しているためか所々刃こぼれが目立つ。イレセア先生も同じように剣を抜くのかと思っていたバレリアだったが、先生は剣を取り出すことはない。実力を試すための試験ではなかったのか。
そう思っていたバレリアだったがイレセア先生は手を自身の剣の方へと近づけるのではなく、指を下の方へと向けた。
「試験はこの下にいる魔物の討伐。それで点数を決める」
笑顔で試験内容を告げる。
「うええ!? この下に!?」
「ええ。上ではなく、この下に。この下に降りて、帰ってきたら試験結果の発表」
何でもないように言っているが、ここから落ちれば助からないと誰もが言っている。
行きは何とかなる。そのための魔法がバレリアにある。だが帰りに関しては、誰も登れないと言われている高い崖を突破しなければならない。
山とまでは言わなくとも、ちょっとした丘よりも高い岩肌なのだ。
「シャウラはちゃんと帰って来た。君も出来ると信じるているよ」
どうやらシャウラも同じ試験を行ったようで、彼女は試験を突破している。あくまで誰も帰れないと謳っているだけで、空を飛べる風魔法などがあれば帰れなくもないが、その手の魔法は詠唱魔法。バレリアに詠唱魔法の才はなく、完全に使えない。ならばそれ以外の手段で帰らなければならない。
だが、この崖には気軽に上り下りできるほど親切な要素は一つもない。
「……出来ますか? バレリア?」
不安そうに尋ねるシャウラ。彼女の心配するのも無理はない。
バレリアは魔法を使う際の集中力が足りず、詠唱魔法は使えない。
その代わり、通常魔法と呼ばれる魔法を扱えるが、時に途切れることがある。
この通常魔法。通常と言う名を関する通り、誰でも同じくらいの魔法を扱うことが出来るのだ。ゲートを介して魔法を扱うのだが、通常魔法は、詠唱魔法とは性質が異なり入り口のゲートで取り込んだ魔法をそのまま出口のゲートで放出して使う。
詠唱魔法は一度入口のゲートで魔力を取り入れた後、言霊を乗せて練り込んでから出口のゲートから放出する。術者の集中力や創造力によって能力に差が出るのに対し、通常魔法は取り込んだ魔力をそのまま放出してしまうので、取り込んだ魔力分がその魔法の性能となってしまう。
要するに単純で簡単。
ただ、そんな単純で簡単な魔法をバレリアは集中力を切らしてゲートから魔力を取り込むことに失敗するのだ。
ある程度の訓練を積めば、誰でも克服できる。
だと言うのにも関わらず、彼はその克服が未だに出来ていない。
だから、シャウラは不安なのだ。バレリアが落下中に魔法を使えなければと思うと。
彼女が口に出さずとも彼女が何を心配しているかバレリアは理解できた。
自分の実力のなさを嘆いていると。
「大丈夫さ。でないと俺たちの目的、達成できないだろ?」
そう言って、彼は小さくて薄い石のようなものをポケットから取り出してシャウラに見せた。
「いざってなったら、こいつが助けてくれるから」
微笑む。心配させぬために。
次の瞬間、バレリアは崖から飛び降りていた。
「バレリア!」
「大丈夫、彼は帰って来る」
「イレセア先生……大丈夫だと思いますか?」
「ええ。問題ないと思っているよ」
「ですけど、バレリアはその特別な力を過信し過ぎです!」
「それよりも彼の状況を知りたい。魔法の準備を」
「……分かりました」
森に向かって落ちていくバレリア。
このまま落ちれば、試験は開幕してすぐに人生と共に終了することになるだろう。
地面へと急激に距離を縮めていく。
まずは第一関門、無事に着地すること。これに関しては問題ない……ハズなのだ。この状況を突破できる魔法があるにはある。それを使えばいいのだが、彼の場合、上手くいかないと失敗することがある。それでも使わない選択肢はない。使わなければ死ぬし。
バレリアは剣を下に向け、集中する。魔力を入り口のゲートから取り込み、そのまま出口のゲートから自身の剣へ。意識を研ぎ澄ます。同時に魔法の基礎を強く意識する。この状況で使うべき魔法の種類は風属性。剣が風を纏う。
「風属性≪龍風≫!」
剣から荒ぶる風が解き放たれ、その風がバレリアを吹き飛ばす。落下速度は一気に上昇速度へと変化した。
使用する属性と関連付けされた技名を口に出すことによって、初めて魔法は成立する。そうしなければ、思ったように魔法を扱うことが出来ず、思い描いたものとは違うものになってしまうか、さほど大した威力のない微弱なものになってしまう。
だから、属性と技名を宣言するのは基礎なのだ。ただ、技名に関しては個人のセンスに由来する。そのせいか彼は何でもかんでも技名に『龍』と付けている。
周りの木々の合間を掻い潜り見事に着地に成功した。
「しゅたっ! 着地成功!」
着地と同時に、手を地面につけ、もう片方の手を天に挙げて決めポーズ。決まった。
シャウラやイレセア先生には恥ずかしいとすら言われたが、バレリアはかっこいいと思っている。
大体、ヒーローはかっこよくするものだと相場が決まっている。と、二人に言った時相手にされなかったが。
「それで魔物だけど……」
このトートルの森の魔物の生態系は不明。
生存者の話も噂とごちゃ混ぜになってややこしくなるばかり。シャウラのように生存者がいるにはいるらしいが、それも噂かもしれないし真実かもしれない。反対に生存者などいないという話もある。とはいうものの現にシャウラは帰ってきているし、他にも帰ってきている人間ならいくらでもいる。それを次から次へと噂が噂を上書きして、そこに本当の話が紛れ込んで錯綜する。その結果、この森の正確な情報は不明。もはや何が本当の話なのか分からない。
ただ分かるのは、陽が上っているのにも関わらず、薄暗くて不気味な森の中だけだ。
「強い魔物がいてもおかしくないんだよなぁ」
魔物。それは破壊の本能しか持たぬ存在。最近の研究発表によると魔物はただただ破壊するためだけに存在していると言われているが、その行動目的は未だに不明のままだ。
生命を持たず、何かを食べることもなければ何か理由があるわけでもない。
ただ、破壊活動をする。
持てる能力を駆使して、人や建築物、ありとあらゆるモノに被害をもたらす。それはまさしく自然災害。
それだけなのだ。
魔物が死ぬと高密度の魔力となって霧散することから、高密度の魔力によって発生する存在ではないかという最新の研究結果が有力らしい。
とにかく、相手は見境なく破壊を行うだけの存在。
バレリアも何度か魔物相手をしたことがある。
この世界で暮らす人間ならば誰もが一度は魔物を相手にしなければならないほど遭遇頻度が高い。
だが、バレリアが戦ってきたのは下級魔物のみ。
一般人が戦うと危険とされる上級魔物や、一部の人間でしか倒せない最上級魔物とは戦ったことがない。
それらを警戒しつつも森の中をゆっくりと歩む。
「どこにいるんだろ……?」
森の中は、陽の射さない薄暗さと不気味さを持っている。
魔物の数は少なくないらしい。
なのに見つからないのは、出てきてほしくない時に出てきて反対に出てきてほしい時に出てこない探し物のようだ。
――不意に何かの気配。
勢いよく振り向き、剣を向ける。
「なんだシャウラとイレセア先生か」
魔物と勘違いしたバレリアは、ホッと一安心。
「って、なんで二人が!?」
おかしい。二人は崖の上にいるはずなのだ。
「って、これ、シャウラの魔法か」
オーバーに驚いていたバレリアだが、種が分かれば理由も分かる。
シャウラの魔法。光属性の魔法≪ミラージュアイ≫。
光を捻じ曲げ、対象となる空間を幻影という形で可視化する魔法。
今、シャウラ側ではバレリアと周囲の幻影が浮かび上がっているのだろう。
反対に、バレリアからはシャウラの周囲。つまりはシャウラとイレセア先生、それから周囲の環境が見えているのだ。
現に生い茂っている雑草が二人の周囲だけ無く、崖の上の岩肌が見えている。
この魔法によって試験の内容を見ているのだろう。
「でも魔物、出てこないんだよな。魔物が出なかったら試験、そのまま合格?」
腕を組んで能天気にそんなことを言ってみる。
≪ミラージュアイ≫はあくまでその空間を見ることが出来る魔法。
声を伝えるには風属性の声を伝えるためだけに存在する魔法を使わなければならない。
だから、バレリアの今の声は聞こえておらず独り言ということになる。
じっくり様子を観察しているように見えるイレセア先生に何やら慌てているシャウラ。
このまま魔物と戦わずにイレセア先生の試験に合格できれば、イレセア先生のお墨付きが貰えることだろう。
「いや、ダメだ!」
このままではいけない。
この試験はイレセア先生が安心して【オーダーアース】に送り出すために設けた試験。
試験に合格するためには実力を示し、安心させないといけない。
魔物と一切戦わずに合格しても、イレセア先生は何も安心できないだろう。
「ん? ところでシャウラは何してるんだろ?」
先ほどからずっと慌てているシャウラ。一体何を言いたいのだろうか。
「ん?」
ずしっ、ずしっ。
響くような足音が複数。
ゆっくりとバレリアは後ろを振り向く。
「熊?」
巨体に、全身を覆う体毛。
熊だ。
熊が立っている。
その熊が腕を振り下ろした。
「どわっ!?」
轟音が響くと同時に地面が抉れる。
熊が武器を持っていた。
それも巨大な斧。
熊の顔をよく見ると、白目を剥いている上に潰れたような異形の顔、生物のそれとは思えない雰囲気を放っている。
「えーっと……そうだ! ゴブリンベアー」
バレリアは記憶の中から、魔物の種類を思い出す。
ゴブリンの特徴と熊の特徴を持った魔物。ゴブリンベアー。
「確か、えーっと……ゴブリン種は武器を持っていて、特徴は……」
魔物を相手にバレリアは記憶を探っている。
ゴブリン種。
その特徴は武器を持っていること。
全体的に弱めになっていること。
――ただし、数が多い。
「……え?」
バレリアが思い出した時には少々遅かった。
同じように武器を持った熊が大量に現れたのだ。
「そーいえばゴブリンベアーって上級魔物だっけ……」
――ゴブリンベアー。
それの恐ろしき点は、熊の元来の強さでゴブリン種の弱さを克服し、武器を持つことで更なる強化。
熊の個体数の少なさを、ゴブリンの特徴がカバー。
ゴブリンとしての弱点も熊としての弱点も相互に打ち消しあっている上に群れで戦う。最悪である。
その強さから、ゴブリンベアーは上級魔物として扱われており、一般人は戦うなとされている。
「十、二十……どんだけいるんだろう?」
剣を構えるバレリア。
木の死角からもゴブリンベアーは現れ、ぞろぞろと集まって来る。
ゴブリン種特有の数の利で勝とうとする本能だ。
量も質も兼ね備えた敵。ただの数の暴力である。
獲物を見つけたせいか、ゴブリンベアーたちの眼光は鋭さと恐ろしさが増し、次々と森の木を邪魔だと言わんばかりに斧で倒していく。
木が斧で抉られる音が遠くからも響き渡り、かなりの数がバレリアに迫っていることが分かる。
「くそっ! でも俺だって試験に合格するんだ!」
負ければ死。そうでなくとも、目的のためには自分の力で敵を倒さなければならない。
上級魔物に分類されるものは人に対する被害も大きい。
今はトートルの森にある崖の下にいるわけだが、何かの拍子に人のいる場所に出てくるかもしれない。それに、すぐ近くにはバレリアやシャウラの住むトートル領もある。
何にせよ、ここで倒さなければならない。
――勝たないと!
剣に炎を纏わせる。
集中し、魔法を放つ。
「火属性≪牙龍点睛≫!」
放たれた炎が渦巻き、ゴブリンベアーの一体を飲み込まんと迫る。
「あれ?」
だが、ゴブリンベアーは自身の斧に水を纏わせ、炎の渦をかき消したのだ。
「水属性の魔法!」
水属性の魔法は火属性に強い。
だから彼の魔法は消えてしまったのだ。
火属性は強力な力を持つが、水属性に弱い。
反対に水属性の魔法は戦闘において強力とは言い難いが、火属性に強いという特徴を持つ。
相手は破壊だけを考える魔物。
だが、それでも破壊活動の一環として戦いを心得ているだけはあって、簡単には倒すことは出来ないらしい。
「どわっ!」
今度は別のゴブリンベアーが、斧に風属性の魔法を纏わせて攻撃してくる。
風属性は高いポテンシャルを持つが、地属性で止められる。
……のだが咄嗟に反応出来ず、魔法を出せない。
「うおおおおおわっ!?」
強い突風で吹き飛ばされる。
森の木々は揺れ、バレリアは茂みの上をごろごろと転がり、
「イタッ!?」
立っている木で停止する。
眼を回すバレリアだったが、すぐに立ち上がりすぐに後ずさり。
背中はすぐに木に当たり、退路がないことを主張していた。
「あはは……もしかして、俺、囲まれてる?」
ぶつかった木を、そしてバレリアを囲むようにゴブリンベアーは立っている。先ほどよりも数はかなり多い。助けも来ないピンチだ。泣き叫ぶよりも乾いた笑いしか出てこない。
だが、簡単に諦めるような人間ではないのだ。
「火属性≪双頭龍・火炎≫!」
左手を突き出す。
それだけで何も起きない。
「うっそーだぁー!?」
彼の弱点がここに来て出てきてしまった。
集中力が足りず、魔力を入り口のゲートから取り入れることが出来ない。
だから発炎はなく、何も起きない。
常人ならばどんな局面でも問題なく魔法を使える。
たとえ、それが緊急事態だったとしても、多少の訓練があれば魔法が不発になったりしない。
それが通常魔法というもの。
バレリアはそれが時に使えなくなる。
彼は……バレリア・オークライトは一種の落ちこぼれなのだ。
「これって、大ピンチ?」
バレリアは逃げつつも何とか猛攻を凌いでいたが、今度はゴブリンベアーたちが一斉に斧に炎を纏わせている中、乱れた呼吸で呑気に呟く。
「仕方ない。俺の最強の力を見せる時だ!」
少し早い気もしたが、もったいぶっている暇などなかった。
バレリアはポケットから小さくて薄い石を取り出す。
バレリアは散々最強を自称しているが、実力は知れている。
本人の努力は空しく落ちこぼれの存在。
そのことは本人も分かっている。時々忘れて大きな口を叩くが。
だが、最強という言葉だけは、お調子者補正を加味しても大きな口ではない。
彼には特別な力があった。その特別な力を加味すれば彼は間違いなく最強になるのだ。
集中する。
石から炎を放ち、ドラゴンの口から炎のブレスを吐き出すようなイメージを描く。
「燃え盛れ! ドラゴンの炎!」
石は光を放つ。
そして、燃え盛る。
光り輝く炎となって。
「剣に纏え、光の炎」
光り輝く炎はバレリアの剣を覆い、剣はバレリアの意思に従うかのように宙で浮き、旋回している。
魔法の発動を宣言していないのにも関わらず。
「これが俺の真の……」
剣を構えるバレリアだが、非情かな魔物は破壊衝動のみしか存在しないもの。
バレリアを待つということ自体しない。せっかくの真の力を解放して口上を言っている最中なのに。
雰囲気というものを知らないのだろう。正義が名乗りを上げている最中は邪魔をしてはいけないということも。
でも、バレリアは焦ることはない。
「ふっ!」
輝く炎を纏ったドラゴンの手を振るイメージで、左手を虚空で振るう。
それに合わせて、自身を中心に円状に光り輝く炎が飛んでいく。
光の炎は、ゴブリンベアーたちが持つ斧の炎を包み込み、代わりに光輝く炎を纏わせる。
炎が炎を燃やし、消し去ったのだ。
今度は、左手をギュッと閉じる。
光の炎がゴブリンベアーたちの斧が光り輝く炎が弾け、赤褐色に変色していく。斧は形を歪め、蒸発してしまった。
炎を燃やすなど、常識では考えられない現象。金属を溶かした上に蒸発させる程の高温。
正確には、発生した魔力そのものを燃やしているのだ。
人間や魔物が扱う魔法とは比べ物にならない。法則性も違う。
未知の魔法の数々を操り、人類が扱う魔法を遥かに超越したもの。ドラゴンの魔法。
ドラゴンの魔法を操っているのだ。
「恨まないでくれ……!」
宙で旋回していた剣は止まり、それを逆手持ちで取る。
「必殺! ≪ドラゴンブレス≫!」
属性の宣言すら必要ない。それは人間の魔法ではない証。
光り輝く炎に包まれた剣を地面に突き刺す。
次の瞬間、光の炎が地面から噴き出した。辺りを包み込んだ。
「ああ、また派手にやっちゃいました……」
シャウラの不安は、天まで続く光の炎の柱を見て大きくなっていた。
どうしてこんなに無駄なことをするのか、シャウラには理解できない。そんなことをしていれば集中力が途切れるというのに。
例えドラゴンの魔法を持ってしても、集中力の制限時間という壁が存在する。
それが切れると、ドラゴンの魔法を解放できなくなるのだ。
そして、解放できなくなれば次に解放するにはかなりの時間を要する。
「うぅ……そんなことをして帰れるんですか?」
ちょうど≪ミラージュアイ≫は解けてしまったが、その場にいない人物に問いかける。
返事はもちろん帰ってこない。
「大丈夫、まだバレリアがドラゴンの魔法を解放して四十秒しか経っていない」
四十秒。かなり不安な数字だ。
実はバレリアのドラゴンの魔法を解放できる時間は大体一分。
本来ならばもっと長い時間、ドラゴンの魔法を開放できるはずだが時間がそれ以上延びない。
しかも、最短時間は二秒。初めてドラゴンの魔法を使った時ではなく、調子に乗って下級魔物の最弱クラスにして最小の魔物、ラビットオークに対して使い、調子に乗ったために集中力を切らしてすぐに炎が消えたのだ。
結局、ラビットオークは蹴って倒したが。
「大丈夫って、バレリアにはドラゴンの魔法を使うしか帰って来る方法がないんですよ!?」
「二十秒もあれば帰って来れるさ。心配しなくても大丈夫だよ」
などと言っている間に空からバレリアが降りてくる。
光の炎が翼の形となり、背中で燃えている。
「バレリア!」
シャウラには、その姿が光の羽の生えた天使に見えた。
「はっ!?」
我に返ったシャウラはすぐに顔をバレリアに見られないように横に向ける。
いけない。今、衝動に駆られて抱き付こうとした。
両手を広げようとしていて、もう少し気付くのが遅かったら手遅れになっていた。
「ど、どうしたんだよ、シャウラぁ~!」
そんなことを知らないバレリアには親友にそっぽを向かれたようにしか見えない。半泣きだ。
すぐにでも弁明したいところだが、真っ赤になった顔を見られるわけにはいかない。
そんなことを知ってか知らずか、イレセア先生はバレリアに笑顔を向ける。
「よく戻って来たバレリア。試験は合格」
「! ありがとうございます、イレセア先生!」
「君がかしこまるとむず痒い。いつものようにしてくれ」
「イレセア先生! 試験の点数は!?」
バレリアが炎の翼をひっこめる。
ドラゴンの炎が消えたのだろう。
ドラゴンの炎で翼を作ったおかげで飛びつきそうになったではないか。
……などというシャウラの悶々とした頭の中のやり取りを二人は気づかず。
イレセア先生は天使のように慈愛に満ちた表情で微笑む。
「四十点」
バレリアはガクリと膝から崩れ落ちた。
そんな大げさな……。そう思うシャウラだが、バレリアの健闘空しく四十点未満不合格と言われていた試験でギリギリの四十点合格。折角試験に合格したはずなのだが、ギリギリ合格では受かったのか落ちたのか分からない。
「せんせぇ~なんでだよぉ~」
上級魔物の一つ、ゴブリンベアーの群れを一瞬で倒した。
なのに、ギリギリ合格なのは納得できないのだろう。
シャウラには理由が分かっていたが。
「あのですね、バレリア。ゴブリンベアーをドラゴンの魔法で倒したのがまずかったんです。ドラゴンの魔法があればゴブリンベアーなんて楽勝なんです」
「ちなみにシャウラは上級魔物も最上級魔物も自分の力だけでバサバサ倒していたよ」
バレリアはガックリとうなだれている。
心なしか背中が煤けているのは気のせいだろうか。
「大丈夫ですか、バレリア!?」
「大丈夫じゃなーい。シャウラはなに倒したんだよぉ~」
「ゴブリンベアーに、ヴァンパイアタイガー。それからスライムです」
最上級魔物、スライム。
数少ない動物の姿をしていない魔物で、派生種はネクロスライムやポイズンスライムなど。
一部の人間でしか倒せない最上級魔物であるスライムは、水で構成された身体を強力な炎で完全に蒸発させるなどの方法でしか倒せない強力な魔物。
生命を持たないためか身体を全て消滅させる以外の方法では決して倒せず、水属性の魔法を常に纏っているようなもので火属性の魔法をかき消してくる。
スライムを対処しようとすれば、強力な炎でないと倒せない。近場に水があるとさらに倒しにくくなる。
どんなに屈強の戦士や歴戦の戦士でもスライムと遭遇したら全力で逃げないといけない。倒すことのできる人間でしか戦ってはいけないのだ。
……そんな強力な魔物をシャウラは倒したと知るや、バレリアは倒れた。
「だ、大丈夫ですか、バレリアぁ!」
「無理」
身体には怪我が見当たらない。
その代わり精神面でゴリゴリ削られている。その採掘音がシャウラにも聞こえてきそうだ。
天才と呼ばれてきたシャウラにとって、最上級魔物を倒すための魔法ならいくつでもある。
本来、身体のどこかにあると言われているゲートを使用して魔法を取り込むと、身体に負担が掛かる。
さらに体内に魔力を溜め込んで魔力を練り上げるため、詠唱魔法は通常魔法とは比べものにならないほど体力を奪われる。
彼女は身体が弱く、体力も人並みよりも少ない。だが、彼女の卓越した魔力のコントロールは身体の負担が極めて小さい。
上級魔物だろうが、最上級魔物が束になって掛かってきたところで彼女の敵ではないのだ。
「二人とも、しゃんとなさい。折角試験に合格したんだ。機関の試験も余裕で合格できるよ」
そう言うイレセア先生だが、肝心のバレリアは復活しない。
もっと調子の良い言葉を言わないといけないのだ。
バレリアが「俺ってば最強!」と言うたびにシャウラが「流石です! バレリア!」と合いの手を入れなければならない。
どこのゴマすりかは知らないが、時にシャウラは心の内で疲れることがある。
「シャウラ、今がチャンスだ」
突然、イレセア先生が耳元でささやく。
その言葉で、顔がまた熱くなっていくのを感じる。
「今の内に告白しなさい。今なら邪魔が入らない」
耳まで真っ赤にするシャウラ。
そうだ。今なら思いの丈を思い人に告げるチャンスだ。
――愛しているバレリアに。
例え相手が難聴を患っていても、例え相手が鈍感鋼鉄男でも、例え自分が告白のチャンスに限って邪魔が入る絶対的不幸の持ち主だったとしても、今なら誰もいない。
それに本人もショックを受けて大人しくしている。
これをチャンスと言わずして何と言う。……想い人は落ち込んでいる最中だが気にしてられるわけがない。
「今なら成功する」
「大丈夫……ですかね?」
「ええ。先生は君を信じているからね」
「わ、分かりました! わたし、告白します!」
ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと息を吐く。
これまで何度告白に挑戦したか分からない。
その度に何かしらの邪魔が入った。
でも今ならきっと絶対大丈夫。
この場にはイレセア先生しかいない。
なら邪魔者が入ってくることは絶対ない。
勇気を出して、バレリアに向かう。
「バレリアっ!」
「ん~?」
当の本人が話を聞ける状態ではなさそうだが、今しかチャンスがない。
「聞いてくださいバレリア! 実はわたし、シャウラはバレリアの事をす――――」
「居たぞッ! 例の美人傭兵だッ!」
き。
最後のその言葉は知らない男の声で掻き消された。
「ああ、今回はそーゆーオチですか……」
がくっと今度はシャウラがうなだれた。
いつもそうだ。告白しようと思ったら邪魔が入る。もう慣れっこだが。
男がぞろぞろと集まって来る。
きっと噂を聞きつけてイレセア先生を探していたのだろう。その顔に釣られて。
真実を知れば絶望しかないのに。
「本当だ! すげぇ! うちの嫁さんよりも綺麗だ……」
「おれ、銀髪の美女なんて初めて見た!」
群がる男たちに困っているイレセア先生。名前は知らないが、男たちはトートル領の人間らしい。
「あの……」
「お、おれ護衛の依頼しようかな……?」
「農業で鍛えた筋肉を自慢していたクセに何言ってやがる!」
「お嬢さん、お名前は?」
「あの……」
「その麗しさ、どこの貴族で?」
無数の男たちに詰め寄られるイレセア先生。
本人は不本意だろう。
意図的ではないが自分の容姿がシャウラの告白の邪魔になってしまったことに。
それに男からの人気があることも。
「あーあ、いつものあれか。なんでイレセア先生って人気者なんだろ?」
いつの間にかバレリアが復活していた。
シャウラのチャンスタイムは終了した。
「すいませんが皆様方。私は既婚者でして――」
「そりゃそうか! こんなに美人じゃぁ引く手数多だもんな!」
「それに今年で三十六なので――」
「大丈夫、うちの娘は今年で十六になるが負けず劣らず美しい! 二十は若いって言われても信じるさ!」
「というよりも男ですし――」
「冗談キツイなぁ!」
何かの順番がおかしい気がする。
そう。イレセア先生は何を隠そう、銀髪美人に見える男なのである。
その容姿と、男性と思えぬ体格。束ねた美しい銀髪のせいで、どこかの令嬢にしか見えないのである。
身体能力もかなり高く得物も大剣なのだが、腕もスラリとしておりどこにそんな力があるのか分からない。
そのせいか、イレセア先生を一目見ようと男たちがいつも群がり、隙あらば告白をしようとする者まで現れる始末。
もう何度男だと言っても信用してもらえない。男と言うのを諦めてしまったと、シャウラは愚痴っていたのを聞いたことがある。それも涙目で。
「イレセア先生、助けようか?」
バレリアが助け舟を出そうとする。
だが、イレセア先生は首を振った。自力で脱出するようだ。
「先生は遂に男だと証明する方法を発見した。問題ないよ」
遠い目をしている。
それはもう、絶望の果てに悟るに悟った結果、全ての心を無にする術を知ったかのような。
シャウラはどこか怖かったが、興味津々のバレリアは何も警戒せずに尋ねる。
「それは?」
「握らせれば――」
「問題だらけですぅううう!」
群がる男たちに当てぬよう精密なコントロールで、なおかつ素早く先生の顔に水魔法をぶつける。
その先を、言わせないために。
「うぐ……やはり天才か」
「バレリアに変なこと教えさせないでください!」
「君がそうやって、情報性限するからいつまでも子供以下なんだ。バレリアのそれ関係の話題は」
情報制限ならぬ、情報性限。
一字変えるだけで嫌な単語に早変わりだ。
「なあ、シャウラ。握るって?」
「駄目です! バレリア! お金です! お金を握らせるんです!」
「ふーん? 賄賂?」
ふぅ……と一仕事終えたかのように汗を拭う。
お金を握らせるのも、何かしらを連想しそうだが、バレリアがそんなこと思い至るハズがない。
「ついでに助けてくれるとありがたい……このままだと先生、妻に会わせる顔がなくなってしまう」