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わたしはだれ?

作者: 名無佑馬

 少年は走る。誰もいない、霞みしかない通学路を横切り、学校へ向かう。

 浅い眠りは少年に余裕を与えなかった。いつもなら十分に間に合う時間。しかし、今日は例外である。

「このままサボろうかな。修学旅行なんて面倒くさいだけだし」

 少年は年齢相応、小学六年生では平均的な体力しか持たない。少年はときどき歩きながら進む。

 少年は口で願望を言うが、実行する気はない。旅行と言っても授業の一環であり、実行すれば欠席になる。後々、親や先生に小言を言われるのは少年にとって避けたいことだ。

 少年は後ろめたい過去を持つわけではない。何もなかった、良いことも悪いことも。だから、少年は周りと同じように将来に希望を持たず、周りと同じように公務員が夢と言っておく。それで大人が満足するから。

 少年はうつむいて、ため息をする。億劫な気持ちを隅に置き、歩をまた速める。

 少年の大きく進むはずの体に強い衝撃を受ける。

「なんだよ、もう、誰もいないはずなのに」

 少年が顔を上げると坊主がいる。坊主の顔色は薄く、あまり生気を感じない。少年は坊主を顔から順に目線を下へ動かす。

 目線の終着点にはあるはずの足はない。

「え? 浮いて……」

「君は私が」

 少年の頭から思考が消える。少年は立ち上がり、坊主を背にして走り去る。



 少年はここ三分の記憶がなく、この後、三分の記憶は頭に入りそうにない。

 修学旅行に行く生徒、先生は校庭に集まっている。

「平野君いる?」

 担任の先生の確認に手を上げることで返事する。息が荒く少年の声は出ない。少年の体も畳んでいて、顔も見えない。先生は周りを見渡して少年を探す。

「先生、健一はここにいるよ」

「ありがとう。平野君、大丈夫? 大分息が荒いよ」

 少年、健一はオーケイサインで応える。先生は健一が遅刻ではないにしろ、集合時間ギリギリで来たことに気づいているが、不問としている。

 集合場所は校庭。しばらく待っている間はクラスの境はなく、生徒が好き勝手にしゃべっていた。それを止める理由はないので先生たちは何も言っていない。そのおかげで三分ほどの遅れはないことになる。

 息が整ったので、健一は助けてくれたクラスメイトにお礼を言う。

 しおりに書いてある説明や、役割がよくわからない校長の話が始まる。健一はその話を聞き流す。健一に限ったことではなく、ここにいる生徒は話を聞いているフリをしている。

 ようやく出発のあいさつが終わり、クラスごとにバスへ乗車する。

 重い荷物から解放され、健一は長いため息をはき、自らの置かれた状況を整理してみる。何度も考えるが、結果は、自分がマンガの読み過ぎで幻覚を見た、だ。

「だったら、女の子がよかったな」

 健一は本格的な思春期に入ってないが、異性に歓心を持ち始めている。健一は自らの欲望に準じて、正直な気持ちを小声でつぶやく。

 修学旅行で使われるバスは四列席になっている。基本的にはグループ行動のメンバーが二人ずつ隣り合って座るが、奇数人数で構成されるクラスのため、隣がいない席が出来る。その席が健一の席だ。

 損な役回りが多い健一だが、今回は幸いとした。健一の席は先生たちがひとつ前、クラスメイトはみな後ろにいる位置のため見えづらい。

「わっ、何でいるの?」

 窓際に座る健一の隣に坊主が座っていた。

 驚きに動かされ、健一の体は飛び跳ねる。どこかに健一の頭がぶつかることはなかったが、不自然な座り方になる。

 健一は片足を席に乗せ、左腕は窓を、右手は坊主を押し出す。

 その右手は空を切る。

「えっ? 触れない?」

「私はこの世の者ではありません、現世の人に見えることもないのですが」

 坊主は喋り出す。坊主の年は健一の父親ほどで、健一に対して敬語を使う必要はない。少なくても健一の知る大人たちは子供に対して敬語を使わない。

「あなたにお聞きしたいことがあります」

「ハイ、なんでしょうか?」

 健一は周りを気にして小声で返答する。目の前の坊主が自分に見えるから、他の人も見えるとは限らない。他の人から見れば、健一は意味をなさない独り言をつぶやいているに過ぎないのだ。

「この箱は?」

「箱って? バスのこと?」

 健一は坊主が『箱』と示すものがよくわからないが、上を向いたことから乗っているもの、そのものを表していると思った。

「この箱が人の手も借りず動くことを知っていましたが、名は初めて知りました」

「おじさんはいつから、その、お化けになったの?」

 健一は普段は気にして、大人が思う、年相応の言い方をしている。思考回路が止まっているため、今の健一の言い方は幼くなってしまった。

「いつからでしょうか、仏僧としては恥ずかしながら数百もの季節が過ぎているにもかかわらず未だに成仏出来ていません」

「数百……」

 健一は坊主の状態をどう表すか思いつかず、お化け、と言った。そのことに疑問なく坊主は応答する。

 健一の過ごした年月は十二年程度。健一には三百年は果てなく長い時間である。年をどれだけ重ねても同じかもしれないが。

「すみません、まだいいですか?」

「はい、何でしょうか」

 坊主は健一の顔をうかがいながら話を続ける。

「私は誰ですか?」

 バスはこの世にあらざるものを乗せ、京都へ向かう。



 十分間の休憩をはさみ、健一たちを乗せたバスは三時間半の旅で京都へ着いた。

 修学旅行のスケジュールは初日に京都を回り、二日目に奈良へ行く。一泊二日のため京都も、奈良も満足できるほどには周れない。幼い生徒たちにとって歴史的建築をめぐることは退屈でしかないので、彼らが満足することはないが。


 興味はなくても、知っていない、ということではない。

健一たちは事前に京都、奈良について調べるように授業時間を当てられている。もっともグループで調べているので、健一は調べるフリだけで、していない同然だった。

 その建築物はあまりに目立つから、映像と通称は健一もはっきり覚えていた。

 三階建ての寺。写真では一階も同色だと思っていたが違った。二階、三階は金色の壁で囲まれている。

「金閣寺は見た目からつけられた通称です。実際には鹿苑寺です」

 修学旅行の間、付き添ってくれるバスガイドのお姉さんが説明を始めた。

 ほとんどの生徒は自由におしゃべりをしている。その状況でバスガイドさんは顔色を変えない。

 健一はおしゃべりをしていないが、バスガイドさんの話を聞いているわけではない。否、健一はバスガイドさんの話を聞こうとしているが、聞くことに集中できていない。

「あれが寺ですか?」

 健一の後方に浮く幽霊、と健一は決めた、である坊主が勝手についてきており、金閣寺に対して文句を言い続けている。

 健一はこの坊主としゃべらないようにしていた。そのためこの坊主に対する情報は、健一は持っていない。

 ただし、健一は一つだけ気づいていた、自分は坊主の顔を見たことある、と。

 健一の状況など知らず、バスガイドさんは話を続ける。

「源之義満の遺言に従い、夢窓国師を開山としてこの場所に創建したと言われています。応仁の乱のとき一部消失し、桃山時代で復興して現在の姿になりました」

 軽重にはずむ声は周りの喧騒でほぼないも同然となる。健一の耳にハッキリと届くのは坊主の文句だけ。

「義満の法名、死後の名前が鹿苑であり、あの金ぴかな建物は墓になります」

「権力の象徴ですか」

 バスガイドさんの合いの手かのように続く坊主の文句は、健一のいら立ちを強めていた。

「うるさーい!」

 健一の叫び声がこだまする。その叫びはクラスメイトたちのおしゃべりでにぎわった道を静寂にした。

 健一にとっては憂鬱なだけの修学旅行。余分にかかるストレスは健一のおつむを爆発させるだけのいら立ちへと変換された。

「健一、どうした?」

「あ、いや、これは」

 健一のいら立ちが達した理由は、後ろに浮く坊主が原因である。そのために理由を言ったとしても、誰も健一の言うことを信じないことは明らかだ。

 しどろもどろする健一にバスガイドさんは背と手を伸ばす。

「ごめんね、注意してくれて。みんなもわたしの話を聞いてくれるとうれしいな」

 生徒の「はい」の声にこの空間が満たされる。

 健一のいら立ちは坊主に対してではなく、クラスメイトに対してのものになった。

「みんな、改めて話を続けるよ。金閣寺の一階だけは書院造のため……」

 バスガイドさんの声がさっきより聞きやすくなっていた。


 その後、清水寺へ行き、門が赤門や目隠し門、仁王門と呼ばれる話を健一は聞いた。その間、坊主は何も言わず、ただ健一の後ろで浮いていた。



 修学旅行の夜、部屋分けで男子数人になる。時代が変わっても定番は変わらない。バスの移動時間がほとんどで健一たちはうっぷんがたまっている。

 結果発生したのは先生に叱られるまでのまくら投げだ。ルール無用で、健一たちはクラスメイトにむやみやたらに枕を投げ続ける。

「何やってんだ、ガキども! 夕飯時間はとっくに過ぎてるぞ」

 先生の怒声で宿は満たされる。しばらくの間、健一たちは目玉を食らった。

 健一の同室になったクラスメイトは普段から仲がいいわけでも、明るい性格と言うわけでもない。叱られるまではしゃいだのは、金閣寺で叫んだ健一を気遣っているからだ。そのことをわかっていた健一は大人しくした。


 夜中、同じくいつの時代も修学旅行にて恒例である好きな人探し。夜更かしは当たり前に行われる。健一も話しに交わる。

 そのため、坊主が健一に話しかけたのはほぼ朝と言っていい時間だった。

「私のせいで申し訳ありませんでした」

「別にいいよ」

 健一はもとより坊主を無視し続けるつもりでいた。結果として我慢できずに叫んだが、健一はその非を坊主に押し付けるつもりはない。

 クラスメイトの気づかいで、一緒にはしゃいで落ち着いたのも理由だ。

「朝早いし、少し寝かして」

「では、私も寝させてもらいます」

 健一は「幽霊に睡眠は必要か?」と考えたが、何も言わずに深い眠りについた。


 健一はつぶやく。

「頑張らなくては」

 健一は働く。涙は汗と混ざる。汗をぬぐうことは出来ない。そんなことをすれば、健一は手を止める必要がある。

 汗が目に入ったので健一は目をつぶる。

 つぶった眼を開くと宿の天井が健一の目に入る。

 目覚めた健一の目は涙で満たされていた。



 健一たちを乗せたバスは京都を出発し、奈良へ行く。坊主は宿で眠っている。

 バスではレクリエーションでにぎわう。普段はうるさい場所は苦手な健一だが、席がレクリエーションで前に来たクラスメイトと隣で傍観者の気分で楽しめていた。

 健一の頭の片隅には夢のことがあったのだが。


 奈良での最初の見学は東大寺である。

 回廊に囲まれた建築物たちが健一たちを迎える。木造であることが信じられないほど高い五重塔や、仏の足が垣間見える本堂がある。

 無関心な健一は珍しくも呆然と見惚れた。

「待ってくださーい」

「うるさいのが来た」

 健一は誰にも聞こえないようぼやく、前日の反省から周りには聞こえないようにする。健一の恍惚の気持ちは実態無き坊主にかき消される。

 肩越しに見る、後方にいる坊主の姿に健一は疑問を抱く。

 坊主は体の力を抜いて、周りを見渡す、こころここにあらずと言える。

「やっと、できましたか」

 それだけいい残し、坊主は消えた。

 始まったバスガイドさんの解説は健一の耳に入らなかった。



 後日、健一は少ない情報から坊主が誰だったか調べた。

 似た人物を健一は見つけた、行基である。飢饉や災害などから人々を助けた。聖武天皇に東大寺、大仏の建築についての相談も受けていたと言われる。人手が必要と考えた行基は助けた人々に手伝ってもらうことにした。彼の死は東大寺が完成する前とのことだ。



 青年は走る、大量の資料を手に、夢を手にするため、目的はとうに忘れてしまったが。

『やっと、できましたか』

 どこかで聞いた声に青年は振り向く。青年は「空耳か」とつぶやく。

 青年が久しぶりに思い出す理由、迷惑な霊の正体を知ること。

 健一青年は考古学者を目指す。


END

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