川上の村
ユウは服を脱ぎ川で泳いで体を清めた。
剃刀で鬚をそると少し血がでてしまったので、それも川で洗い流した。
血と汗を落として岸辺にあがると、気持ちが切り替わってとてもさわやかに感じた。
脱ぎ捨てた服を見る。
これまで動きやすいという理由から着ていた稽古着は、上は汚れが落ちずもう着ることができそうにないのでここに捨てていくことにした。
股下は袴をはいていたので血の汚れはついていなかったが、激しく動いた影響で股の辺りがびりびりに破れてしまっている。
これも捨てていくことにした。
袴は紺色であったため、血の汚れは見た目こそは目立たないが、しみついた血の匂いは多少気になった。
3度ほど洗ってみるとなんとか気にならないくらいになったので、乾かしてリュックにしまった。
念のためにと持ってきていた浴衣をリュックから出し、袖を通す。
これは麻でできた丈夫なもので、薄めの紺色に染められている。
はじめて袖を通したときには硬さがきになり、首回りに衣ずれをおこしたが、何年も来ているうちに柔らかくなり、今ではしっかりとユウの体にフィットしている。
同じ色に染められた帯を取り出してきつめに締めると、脇差と刀を帯にさしこんで落ちないことを確かめた。
そして刀の鯉口に左手を当てて、親指で鍔をおさえると、ぐるぐると刀を回してみた。
そうして腰回りにゆとりを作り、刀が自由に動くようにした。
「これでよしっと。さっきの女の子は川上にむかって逃げていったな。あっちに人が住んでるんだろうな。行ってみるか。」
女性が忘れて行った洗濯もの入りの籠を持ち上げ川上に歩いていくことにした。
しばらく歩くと、数件の家が集まってできた集落が見えてきた。
集落の入り口まで進むと、5人の壮年の男たちがこちらに駈け寄ってきた。
「あの、すみません。・・・ってなにするんですか!?」
村人たちはユウを囲むように陣取ると、手にもった竹槍をユウに向けてきた。
「おい、貴様!この村に何の用があって来た!」
「ちょっと待ってください。別に怪しいものじゃないですから、槍を降ろしてください。」
「ふざけんな!どう見ても怪しいだろうが。」
「いやいや、全然怪しくないですって、ね?落ち着いて話をしましょう。」
「ならばその髪は何だ!どうしてそんな色をしている。」
(え?髪の色?)
ユウはいぶかしがりながら村人たちの髪を見回した。
皆色素が薄く金色から灰色がかった銀色のような色をしている。
黒髪はいない。
「ええっと。このあたりの人は黒い髪の人はいないんでしょうか?」
「このあたりに黒髪の奴なんていない。貴様はどこからやって来た。」
「いや、洞窟を抜けて平原を歩いて来たんです。そしたら、たまたま川で女性にあって。あ・・・、そのちょっとネズミの血で汚れてたんで怖がられてしまって。それで女性の後を追って来たらこの村に辿りついたんです。」
「なに?貴様ネズミと言ったか!?」
「いや・・・はい。ネズミを斬ったんです。」
そこまで言うと男たちはざわめきだし、互いの顔を見回した。
そしてヒソヒソと会話を始めた。
その間も竹槍はユウに向けられたままで、警戒を解くことはなかった。
話がまとまったのか、ユウの目の前にいた男がユウに話しかけてきた。
「詳しく話を聞きたい。俺についてこい。いいか変な気を起すな。」
「ええ、もちろんです。」
その男は40代前半ほどであろうか、いく年もの年月を経て刻まれた深い皺が顔にはあった。
体は引き締まっており、白髪の混じった髪を短く刈り上げている。
(なんか、大工の棟梁って感じの人だな)
「そうか、なら悪いが貴様の腰にさしているものを預からせてくれ。村で暴れられたらかなわん。」
「仕方がないですね。わかりました。」
「ではこれから村長の家へ向かうから、ついてこい。」
ユウは男に案内されるがままについて行った。
村に建てたられた家はみな簡単な小屋のようなもので、窓の部分にはガラスはなく、木の板がはめ込まれている。
ドアの部分は戸はついておらず、筵のようなものを上からつりさげたものであった。
(ずいぶんと昔の生活様式を保っているみたいだ)
村長の家は他の家と比べると倍近くはある大きさであった。入り口には木の板で作った引き戸式の扉がついていた。
家の中へ案内されると、長い髭を生やした白髪の老人がおり、その対面に座らされた。
椅子や机といったものはなく、木の板の床の上に何かの植物であんだ茣蓙のようなものがあり、その上に座る。
「わしがこの村の顔役をやっておるもので、名をディトマールという。若いの、御主の名を聞かせてもらえんかの?」
「はい。私はユウ。ユウ・アオヤマと申します。」
「ふむ、家名持ちか。どこぞの貴族かなにかかの。それとも出身地の名前かの?」
「家名です。一応ご先祖様は武士だったようです。」
「ブシとはなんじゃ?」
「武士というのは、武を持って国に使え、身を立てている階級です。」
「ふむ、騎士のようなものなのかの。」
「はい。違いはありますが、そのようなものだと思います。」
「そうか。それでアオヤマ殿、御主はネズミを着ったと言ったそうじゃな。詳しく話を聞かせてくれんかの。」
「ユウで結構です。わかりました。お話させていただきます。」
ユウはこれまでの話をした。
家の地下に鉄の扉を見つけたこと、そしてその向こうには洞窟があったこと。
洞窟の中には大きなネズミがおり、さらに一際巨大なネズミがいたこと。
それを倒して鉄の扉をくぐると草原に出たこと。
川で女性に合ったこと、その女性を追ってこの村に来たこと。
目を細めて長いヒゲをなでながら話を聞いていたディトマールは、話を聞き終わるとユウを見つめて問いかけてくる。
「その女性とはどうやら、わしの孫娘のようじゃ。先ほど走って家に帰って来たと思ったら、怪しい人間に襲われたと騒いでおった。」
「はあ、そうですか・・・。あの一応言わせていただきますが、俺は彼女を襲ってなどいません。・・・、ああそうだこれ、お返しします。お孫さんの忘れ物です。」
ユウは傍らに置いてあった籠をディトマールに渡した。
「おお、そうか。御主はどうやら女性を襲うような人間ではないようだの。わしの経験がそういっとる。すまんかったの、孫娘が早とちりしたようじゃ。」
「いえ、こちらこそお孫さんを驚かせて申し訳ありませんでした。」
「うむ、確かに孫の持って行った籠じゃ。おい、アティカ。こっちに来なさい。」
ディトマールが呼ぶと、その女性が姿を見せた。どうやらまだユウを警戒しているようで、恐る恐る歩みながら奥の部屋から出てくる。
「アティカさん、先ほどは驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。」
「・・・いえ、こちらこそすみませんでした。」
アティカは籠をディトマールから受け取ると、彼の後ろに隠れるように座った。
座るとき金色の長い髪が揺れた。
ユウは髪を下ろした姿もなかなかのものであると感じた。
「うむ、まだ怯えておる用じゃが・・・。すまんの、すぐに慣れるじゃろう。」
「いえ、かまいません。非は俺にありますから。」
「ところでじゃ、お主が切ったというネズミについてなのじゃが・・・。」
「あれについて何か知っているのですか?」
「うむ、何から話したものか・・・。」
しばらく言葉に詰まっていたディトマールであったが、この集落とネズミの関係について、ぽつりぽつりと話し始めた。