鼠王
「ここは?知らない天井だ。」
ユウは目を覚ました。
実際は刀を抱えるようにして座り込み、背中を鉄の扉にあずけていたので、天井など見ていなかった。
大学時代の壁ドン中毒の友人が「目を覚ましたらこの言葉を言わなければならぬ」と言っていたのを思い出し呟いてみただけだ。
ひとりでふざけてみたが誰かに反応してもらえるわけもなく、虚しさから苦笑いが漏れる。
「ははは・・・、どうやら無事なようだな。」
立ち上がって体を動かしてみたが、昨日の疲れはなく、それどころか体中から気力が湧きあがってくるようである。
また髪の毛が伸びたようで、束ねた髪がゆるんでわさわさ動くのが気持ち悪い。
一度髪をほどき、もう一度しっかりと結い直した。
「よし!」
両足を肩幅より広めに開いて腰を落とし、四股を踏んで息を吐き出し、肚回りに力を入れて気持ちを切り替える。
まるで生まれ変わったようにすがすがしい気分になっていた。
「ん~ん。後ろの扉と前の扉。進むべきか引くべきか。」
身の回りを確認する。
水筒の中の水の量は心もとないが、食料にはまだ余裕がある。
武器も失っていない。
撤退するとしたら、また何匹ものとネズミを相手にして駆け抜けねばならない。
そうすると再びここまでやってくるのが億劫だ。
前進するとしたら、この洞窟がどこまで続いているのかわからない。
出口まで、これまで以上の距離があるかも知れない。
しかし、もしかしたらこの先が出口になっているかもしれない。
「うん、前進あるのみ!だな」
この先が出口であってほしい。一縷の望みにかけて進むことにした。
扉に手をかけると鉄の冷たさが伝わってくる。
軽く力を入れると簡単に開いていった。
扉の向こうには体育館ほどの広さ、だいたいバスケットボールのコート2つ分くらいの広さの空間があった。
そして遠くには今開けた扉と同じような形状の扉が見える。
恐る恐る足を踏み出すと、急に扉が閉まる。
「え!?ちょっと待って!」
扉に手をかけ開こうとするが、いくら引っ張ってみても開く気配がない。
(なんで?さっきはあんなに簡単に開いたのに・・・)
その時後ろからとてつもない殺気を感じた。
振り向くとそこには大きなネズミがいる。
それも先ほどまでの大きさではない。
体長3メートルほどの巨大なネズミが毛を逆立ててこちらを睨みつけていた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「*****************?」
「え?」
ネズミの口が動き鳴き声が聞こえてきた。
いや鳴き声ではない、まるでユウに話しかけるかのような音であった。
「*********?***********!!!!!」
「何言ってんだよ。わかんねえって!」
明らかにこちらに対して語りかけている。
しかし、ユウはその言語を理解することが出来ない。
その発音は、人間のものではなかった。
ネズミが発達進化を繰り返したらこんな言葉を発するようになるのだろうか。
底冷えするような重低音と、耳をつんざく高音が入り混じったような音であった。
「************!」
ネズミは後ろ脚で立つと右腕をユウの方向に振るった。
対峙したユウとネズミの間にはかなりの距離がある。
その腕はユウには届くはずのない距離である。
しかり、振るわれた右腕がまるで伸びたかのように、その衝撃がユウの体をはじき飛ばし、背中をしたたか扉に打ち付けた。
「ぐあっ」
ユウはとっさに肩甲骨を広げた。
そして背中にかかる圧力が均等に広がるように扉に両腕をあてて受け身をとった。
「ちくしょう!今のは何なんだ。」
ユウは左手を腰の刀の鯉口にあてて、駆け出す。
そして敵の右腕の側の後方、敵の死角になる場所まで駆けて行ったたが、その時、再びネズミの右腕が振るわれて衝撃がユウに届いた。
ユウは再び吹き飛ばされて地面に転がる。
回転する勢いを利用して起き上がると再び駆け出す。
ネズミはユウに向かい直し、再び右腕を振るってくる。
ユウは今度はその腕の延長線を避け、相手の左腕側の死角に移動した。
敵は接近し、左腕をなぎはらうが、ユウはそれを後方に下がって回避した。
(しまった!また衝撃波が来る!)
しかし、振るわれた左腕からは先ほどの衝撃は来ない。
左腕に押し出された空気がユウのほほを軽くなでるだけであった。
(あれは右腕でしかできないのか?それなら!)
ユウは腰を思いきり右側に回転させ、その勢いを加速させるように左の親指で鍔を弾き出す。
そして勢いよく飛び出す刀の柄を振り下ろされたネズミの左ひじのあたり、神経が集まっている場所に向かってぶつけた。
これは対人間の場合、的の神経を破壊して腕の自由を奪う技である。
名前は知らない。
そもそも、ユウは父親の教えてくれた剣術の流派の名前を知らないし、技の名前だって知らない。
父親がユウに対して名を教えることはなかったからである。
技を教えるときには一度だけ型を見せ、それを兄がユウとの組み手で使う。
それによってユウは技の形とその威力をその身をもって知ったのである。
もちろん兄は手加減をしてくれた。
でなければ今ユウが五体満足でいられるはずがない。
「Gyuaaaaaa!」
どうやらこのネズミにもこの技は効果があったようだ。
ネズミは痛みに絶叫をあげ不自由な左手を肩の力のみで振り上げた。
ユウはその隙を見逃さなかった。
左手の下に潜り込むと抜刀をして、腕の付け根のあたりに向かって切り付けた。
骨が硬く刃は途中で止まってしまったが、血管を斬ることができたのだろう、大量の血しぶきが飛び出し、ユウの体を赤く染めた。
ユウは刀を強引にひき抜くと飛び上がり、今度は上段から左腕の付け根を斬りつけた。
途中やはり刃は骨で止まりそうになったが、自身の全体重を使用して押し込み、固い骨は切断された。
ネズミの左腕が宙を舞う。
ユウは着地の勢いをそのままに、前方へと転がって、ネズミの股下をくぐり抜けて背後に回る。起き上がると背中に斬りつける。
刃は途中で止まってしまい、抜けなくなった。
刀を抜こうとした一瞬の隙をついてネズミの右腕が振るわれ、ユウに当たりそうになる。
それをユウはぎりぎりで避けたが、また衝撃に襲われ弾き飛ばされた。
その威力によりユウは刀を放してしまう。
3メートルほど弾かれたユウの体は地面に叩きつけられるが、ユウは体を丸めて回転をし、受け身をとった。
立ち上がろうとするが先ほどの衝撃の余韻が残っており、めまいがする。
不意に膝を地面につける。
ネズミはその隙をついてユウに向かって右腕を振るおうとしてくる。
(くそ!刀が・・・)
ユウは刀を手放したことを後悔したが、すぐに腰の帯に差し込んであったナイフを抜くと、ネズミの顔面に向かって投げつけた。
「Gyuuuuuu!!?」
ナイフはネズミの右目に刺さり、その痛みで右腕の振りが途中で中断された。
ユウはその動作を予期し、ナイフを投げると同時に駈け出していた。
そして腰から鉈を抜くと跳躍し、右腕の肘にむかって叩きつけた。
刀に比べると刃の鋭くない鉈では、右腕を切断することはできなかった。しかし、ちょうど関節の部分にあたり、右腕の肘の皮は破れ、肘から先はかろうじてつながっているだけの状態になった。
その一瞬、時がとまったように感じた。
ぶらぶらと揺れる腕の向こうで光るネズミの眼と視線が合う。
その瞳の中には怯えにより鈍い暗がりがある。
(今ならいける!)
ユウは跳躍すると、ネズミの額に向かって鉈を叩きつけた。
鉈は頭を2つに割りネズミの顎まで達した。
顎の固い骨にはばまれ、鉈は動きを止めた。
鉈は堅く食い込んでしまい、抜くことはできそうにない。
ユウはとっさに距離をとった。
「GYUOOOOO!」
ネズミは悲鳴をあげて暴れ回っていたが、しばらくすると動かなくなり目からは光が消えていった。
そしてネズミの体から青い光の玉が浮上してユウの心臓に向かって飛んでくる。
光は優に吸収されていく。
それに伴い、ネズミの思念がユウに入り込んできた。
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「おいおい、勘弁してくれよ」
「人間よ、お前は一体なにをしに来た?」
「え?」
「貴様は何者だ?我の眷属を虐殺し住処を蹂躙したな!!!!!」
「何言ってんだよ。わかんねえって!」
「人間ふぜいが、死をもって償え!」
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ユウはネズミの言葉を理解した。そしてそれに伴う思念は侮蔑と怒りに満ちていた。それは自身の仲間を殺されたことだけではなく、人間そのものに対する恨みであった。
恨めしい人間、小さく弱い人間、自身が蹂躙するものとして侮っていた人間、自身のエサとして存在する人間、それに殺される恐怖、悔しさ・・・
ユウはしばらく茫然としていたが、ネズミの体から武器を回収することにした。