不審者と親近感
平原は見渡す限り茜色に染まっている。
ユウとユーリは川にきて水浴びをしていた。
夕刻になるまで二人は稽古を続けた。
ユーリは全身汗で濡れ、転げまわったために泥まみれにもなっていた。
ユウの服はまったく汚れていなかったが、激しい稽古を続けたために、額には汗がにじんでいた。
(やっぱり俺の体力は信じられないくらいに上がっているな。もうこれ人間じゃないだろう)
ネズミを倒して以降、急激に上昇した自身の体力に驚きながらも、自身がどんどん人間離れしていくことにいくばくかの気持ち悪さも覚えていた。
「うはーっ。気持いいですよ。ユウさん。」
水面から顔を上げたユーリが話しかけてきてユウは我に返った。
「おう、そうか。じゃあ俺も汗を流すか」
ユウは帯をといて浴衣を脱ぐと、川に飛び込んだ。
川はさほど深くはなく、両足を川底つけると肩まで水に漬かるほどである。
川の流れはとても緩やかだ。
こんなに緩やかな川は日本ではみたことがなかった。
飛び込んだ勢いで全身を川の中に入れて、頭を洗うように両手でかきむしり、それから顔をあげる。
「ぷはーー。たまらん。」
本当ならば風呂に入りたかったが、この平原は日本の初夏ほどの暑さであり、火照った体を冷ますことができてとても気持ちがよかった。
ある程度体の汗と汚れを流すと、ユウは岸へと上がっていく。
ユーリは川で泳いで遊んでいたが、ユウが岸へ向かうのに倣い、あとを追ってあがろうとした。
「ん?ユウさん。それは一体何ですか?」
「え、どれ?」
ユーリの方に振り向いてみると、彼はユウの背中を指差している。
不思議に思って手の届く限り自身の背中を探ってみたが、特におかしなところはなかった。
「いや、なにもないけど・・・ヒルでも食いついてるか?」
「えっと、そうではなくてですね、ユウさんの背中の模様のことですよ。」
「え?何それ、知らないんだけど。」
立ち止っているユウを追い越してユーリは岸まで上がると、手に枝をとって砂の上に何かを書きだした。
「こんな感じの模様が背中にあるでしょ?」
ユーリが砂に書いたものをのぞきこむ。
(ん?これは・・・なんだろう。鳥の片翼のようにも見えるけど、こんなのしらないぞ)
「いや、俺の背中にはこんなものないと思うんだけど、泥でもついてるのかな。ちょっと流してくるわ。」
そういうと、ユウはもう一度川に入り、背中を念入りに洗い流した。
「とれた?」
ユウは背中をユーリに向けて確認してもらおうとした。
「取れてないですね、やっぱり何か背中に模様が描かれてますよ。」
そういうとユーリは爪を立ててユウの背中に当てて、軽く引っ掻いた。
「うん、やっぱり、汚れじゃない。とれないですもん。」
「え?何それ?気持ち悪いんだけど。」
ユウはまた一つ自分の体に起きた得体のしれない変化に悪寒を覚えた。
その後、二人はユーリの家へ帰り、食事をとることにした。
彼はホルダーと二人暮らしである。
彼の母親はユーリの幼いころに亡くなったそうである。
まだ母親が恋しい時期に母をなくしたユーリは、それ以来、三年前に亡くなったアティカの母親を実の母親のように慕って育った。
彼女も彼を拾の息子のように扱い、アティカ同様に可愛いがってくれた。
現在は男二人所帯であるが、どうにも男だけでは足りない部分があり、そういったところは近所のおばあさんが手伝ってくれているらしい。
主に洗濯や掃除、食事などはすべて彼女任せであるという。
この日はアティカも手伝いに来ていたようで、おばあさんと二人で料理を居間へ運んでくれていた。
準備が整うとおばあさんは帰って行き、三人で囲炉裏を囲むように居間に座った。
「ホルガーさんは?」
ユウがユーリに訪ねると、彼も知らなかったようで首を傾けた。
「あの・・・伯父様は今日は自警団のお仕事で遅くなるそうです。」
「ああ、そうか。ありがとう。アティカさん。」
「いえ・・・。」
教えてくれたことに感謝を述べると、アティカはうつむいてしまった。
どうやら怯えはとれたようだがまだ緊張しているようだ。
年齢の近い異性と話すことにあまり慣れていないのであろう、恥じらうような態度である。
そんなアティカにたいして、ユーリは暖かい視線を送っている。
(やっぱりかわいいな。ユーリがうらやましい。)
「それじゃあ、食事をしてしまいましょう。ユウさん、どうぞ召し上がってください。」
「うん、ありがとう。」
食事は質素なものであったが、腹が減っているユウにとってはとてもうまく感じた。
ぼそぼその固いパンと、何か良く分からない野菜と動物の肉が入った汁物である。
「この肉は何?」
「ああ、それはホーンラビットの肉ですね。このあたりの平原にはよく出るんですよ。結構うまいでしょう?」
ユウの疑問にユーリが答えてくれた。
「うん、なかなかうまい。ところでホーンラビットってどんな動物だい?」
その質問に対してユーリとアティカは顔を見合せて困惑していた。
「・・・あの、ユウさんはホーンラビットをご存じないのでしょうか?このあたりでは、庶民によく食べられているとお祖父様から聞いているのですが・・・。」
アティカがユウに聞いてきた。
「え、そうなの?ごめん、俺の住んでたあたりでは聞いたことがない。」
「そうですか。ホーンラビットは・・・兎はわかりますか?それに角が生えていて、普通の兎よりも大きくて、群れで行動しているんです。ですから、一度の狩りで大量のお肉が手に入るので、このあたりでは重宝されているんです。このホーンラビットは、先日ユーリが狩ってきてくれたものなんです。」
「へえ、ユーリは狩りが上手なんだね。すごいじゃないか。」
「えへへ、一人前の男としてこれぐらいできないと嫁さん貰えませんからね。」
ユーリの表情は謙遜しながらもどこか誇らしそうである。
そして「嫁さん」というときにはその自信に溢れた眼差しをアティカに向けていた。
アティカもは恥ずかしそうにうつむいている。
(へえへえ、もうお腹いっぱいです・・・)
食事が終わり軽い談笑をした後、アティカはディトマールの家に帰るということで、ユーリが送って行った。
しばらく帰ってこなかったので、二人で逢引でもしているのであろうと邪推しながら、ユウは帰りをまった。
ユーリが帰って来るのをまって二人は眠りに落ちた。
その夜は、ホルガーは帰ってこなかった。
翌朝になり、ようやくホルダーが帰ってきた。
彼はとても眠そうで、ほほには白髪の交じった不精ひげが伸びていた。
昼ごろに事件が起きた。
川で洗濯をしていたアティカが、不審な男に追いかけられて逃げてきたという。
(え?どっかで聞いた話だな)
広場でユーリと槍の稽古をしていたユウは、不思議なデジャビュを感じた。
その話を聞いた途端、ユーリは槍を投げ捨てて、村の入り口へと駈け出して行ってしまった。
不承不承にユウもあとに続いた。
ユウが村の入り口に着くと、竹槍をもった村人が一人の若者を取り囲んでいた。
「貴様いったいアティカに何をした!?」
どうやらその集団の中にユーリもいるようである。
ユーリは若者の胸倉をつかんで今にも殴りかかりそうである。
「暴力反対!私は何もしていないさ。だから、落ち着こうじゃないか。」
「ふざけるな!何もしていないならば、どうしてアティカを追い回した!?」
胸倉をつかまれた男は、160センチほどの小柄な男である。
声は高く美しい声であり、女性と見まちがえてもおかしくない整った顔をしていた。
銀色の髪の毛は肩まで伸びて、ゆらゆらとウェーブのかかった癖っ毛であった。
その髪の上につばの大きな帽子をかぶっており、ズボン、コートと合わせた若草色であった。
「いやね、川べを歩いていたら、岸辺に美しい女性が立っていてね、その女性の向こうではきらきらと水面が輝いている。私は思ったのさ。これは何とも素晴らしい光景じゃないか。ぜひ彼女の歌を作りたい。それで、彼女に声をかけた訳さ。お嬢さん、私はあなたのすべてを知りたい、ぜひともこの私めにあなたの愛をお示しくださいってね。そしたら彼女が急に悲鳴をあげて逃げるからさ。追いかけて来たんだよ。」
「なに!おい、貴様。アティカを口説いたのか?ぶんなぐるぞ。」
「そうじゃない。そうじゃない。人の話をちゃんと聞きたまえ。私は歌を作りたかっただけなのさ。」
ユウはしばらくユーリと男のやりとりを聞いていたが、自身も昨日同じような境遇に置かれたものとして、彼に親近感を抱いてしまった。
「まあまあ、ユーリ。とにかく手を放してあげなよ。落ち着いて話を聞こう。」
「ですがユウさん、こいつはアティカを・・・。」
困惑した表情をユーリは向けてきた。
「だから、私はただ歌を作りたいだけなんだってば。」
「嘘をつくな!」
「はあ・・・、君は話ができないのかい?」
ほうっておいても埒が明かないので、ユウが仲裁にはいる。
「まあまあ、とにかく二人とも離れて。ちょっとそこのあなた。こういうときはどうすればいいですか?」
近くで竹槍を構えていた男に訪ねる。
「ええと、とにかく村の部外者が来た時には、一度村長に合わせることになっています。」
「よし、わかった。じゃあ、俺がこの人を村長の家まで連れていくから、みんなは仕事に戻って。ユーリ・・・、君もだ。広場で槍を振っていてくれ。」
「ですが、ユウさん・・・」
「いいから早く移動する。それと悪いけどアティカさん。きっと事情を聞かれると思うから、君も一緒に行こう。」
アティカは頷くと先に家へと帰って行った。
村人たちも解散していく。ユーリはまだ腑に落ちない顔をしていたが、彼はその場に置いておいて、訪問者の男を連れて村長の家へ向かうことにした。