財産相続
青山ユウは都内のとあるカフェで兄と向き合っていた。
ユウは今年神奈川の大学を卒業し、来月からは都内の小さな会社で働くことが決まっている。兄はユウの一回り年上で、一部上場の貿易会社に勤めるエリートだ。
そんな兄からユウに急な呼び出しがかかった。ユウはなぜ呼び出されたのか理解ができていなかった。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
ブラックコーヒーを一口含んだ後、兄は口を開いた。
「2年ぶり、かな?前に会ったのは父さんの葬式の時だったっけ。」
彼等の両親はすでに亡くなっていた。母親はユウが物心付いた頃にはすでにいなかった。父親はユウが大学2年の時、亡くなった。兄とはその時以来会っていなかった。
「そうか。もう2年もたったか。」
「・・・」
ユウは兄の前ではいつも口数が少なくなる。
別に兄弟の仲が悪いというわけではない。むしろ良好だ。
父親が亡くなった後、ユウの大学の学費を払ってくれたのは兄であったし、就職口が決まり電話したときには、自分のことのように喜んでくれた。
ユウにとっては、兄に対する信愛よりも、兄への敬意が大きく勝っているために、うまく彼と話すことが出来ないだけである。本当に尊敬する人間と対面したとき、うまく会話できないことは人間にとってままあることであろう。
二人の育った環境が特別であったために今のような関係が築かれた。
彼等の父親は中部地方の田舎で剣術の道場を開いていた。道場といっても、過疎化の進んだその田舎には年寄りばかりが住んでいたので、剣術を学ぼうとするような若者はほとんどおらず、父親は農業をしながら生計を立てていた。
そのため、彼等は幼い頃から父親の剣術に対する情熱をすべて浴びせられ、厳しく育てられた。ユウは今でも目を閉じれば、二人との稽古の風景が浮かんでくる。
常に自分を打ち負かす大きな体の兄と、二人が木刀を持って向き合う姿に厳しい視線を向ける父親。
正直それは悪夢以外の何物でもないのだが。
そんな厳しい生活の中で、兄は常に越えられない壁として、また自分の前を歩き続ける先駆者として、ユウの尊敬を集めていた。
「ところで、兄さん。今日は一体どんな用事が?」
「うむ。実は親父の財産のことなんだが・・・。」
「・・・」
財産といっても金銭ではない。小さな道場と少しの田畑、そして見渡す限りに広がる山々である。
「あの場所をお前に継いでもらおうと思っているんだが、どうだ?」
「・・・いや、どうだと言われても。兄さんはあそこに帰るつもりだったんじゃないの?」
「そのつもりだったんだがな。嫁の実家の土地を管理しなければならなくなったんだ。それで、あそこはお前に任そうと思ってな。」
「え?」
兄には妻と二人の子供がいる。彼の妻は中国地方の出身で、とある田舎にある程度の土地をもっていた。
その土地は彼女の弟が継ぐ予定であったが、最近その弟が病気を患い、いつまで生きられるか分からないという。そして両親もかなりの高齢になってしまっていた。
そのため、ユウの兄に財産管理の話が来たという。
「いや、そう言われても困るなあ。だって俺、来月から入社だよ?」
「ああ、そっちは心配ないだろう。最近のデフレ促進のせいで、新卒で会社に入れても、仕事をもらえない社員がたくさんいるからな。お前の会社にいる知り合いに聞いたら、一人二人入社を取りやめても問題ないそうだ。むしろ、減ってくれた方が会社としては助かるだろう。」
「え、マジですか!?」
「ああ、本当だ。」
(うわ~。俺いらない子かよ!こんな話を聞いたら、もうあの会社に顔出せねえじゃん。)
「いや、でも。いくら土地があるからって、生活するには金がいるしさ。」
「それなら、問題ない。ここに親父がお前のために残してくれた金がある。」
そういうと兄は通帳を差し出した。中を見ると300万の預金があった。
「いやいや、でもあんな田舎では車とかないとキツいし。」
「車なら親父が使っていた軽トラがあるだろう。」
(あれ売ってなかったのかあ。10年は乗ってるオンボロだろう・・・。)
「まあ、この金があれば2、3年は不自由なく生活できるだろう。その間に生計を立てる手段を探せ。道場を再興するもよし、農業をやるもよし、向こうで新しい仕事を探したっていい。」
「・・・。いや、でも。」
ユウの額を冷たい汗が流れた。
「なんだ。こっちに女でもいるのか?」
「そんなのはいないけど。」
「なら決まりだな。がんばれ!」
(えええ!?俺に決定権ないのか!?)
こうしてユウは花の都会を離れ、田舎に帰ることになった。