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Lostalgear  作者:
人工知能
32/47

 選択ではない。選択肢の一つしかないそれを、選択だなどと呼べるものか。自らの誘いにアネットが頷きを返さない限り、彼は何度も問いかけ続けるだけだ。

 黙りこんだまま、ウォルターの手に目をやる。視線を流して彼の表情へ。瞳を見つめ返しても、まるでレンズの焦点が合わないかのような感覚があった。

 それも当然のことだ。彼は最初から、アネットのことなど見てはいない。二つの目を通し、その向こう側を――手からこぼれ落ちたものを、くり返し透かし見ようとしている。その空虚さを、愚かだとはもう呼べなかった。それでも、とアネットは唇を引き結ぶ。

「機械、だったとしても。もうここに、私がいなかったとしても。作られた思考回路でもいいの。……私の名前を、呼んでくれる人がいるなら」

 パーセルで過ごした日々は、自分にひとりの人間としての生を与えた。市の住人が、学校の友人が、アネットという少女を欲してくれた。今になってそれを疑うことなどしない。素知らぬ顔で帰ったならば、受け入れてくれるだけの場所がある。

 大きく息を吸い込んで、ウォルターの手を払いのける。その眉間にしわが寄るのを、もう恐れはしなかった。

「私はアネット。それ以外の誰でもない。誰にもならない。――私は、私を必要としてくれる人のために生きるんだ!」

 叫び、ふり返りざまにメリッサの襟首を掴んだ。足を払い、体を反転させ、体重を流して放り投げる。反射気味に伸ばされた腕をかわし、歩幅を大きく取って駆けだせば、背中に舌打ちを聞いた。

 当然、事態はすぐに知れ渡るだろう。ともなれば狭い廊下で逃げ切れる保証はない。アネットは手近な扉を掴き、開け放った。途端に風が吹きこんで、熱を帯びた体を撫でていく。

「飛行機……!」

 呟いて、しかしすぐに、望みが叶わないことを悟った。

 陸続きに広がる飛行場には、ウォルターの所有物であろう飛行機が三機、離陸の瞬間を待っている。旅客機ほどの大きさの機体が一機、小型機が二機。すでに点検は済み、積荷を待つだけの状態で監視の目の下に置かれているのだ。その目が一斉に自分に向けられるのを感じ、アネットは咄嗟に身構えた。

 ひとり、ふたり、――目に映るだけでもざっと十を超える男女が、飛行機の管理に携わっている。彼らは互いに顔を見合わせたが、すぐに緊急事態の発生を察したらしい。ひとりの女性が、アネットに向かって警告を飛ばした。

「被験者の立ち入りは禁じられています。速やかに所定の部屋へお戻りください」

「誰があんなところ!」

 同様に声を張り上げて返す。アネットに従うつもりが無いことを確認したのだろう、彼らは取り囲むようにして距離を詰めてくる。アネットは逃げ場を失って扉に張り付いたが、その向こう側にも確かに足音を聞いていた。

 突破は不可能だ。しかし今になって踵を返すこともできない。奥歯を噛みしめたアネットの目が、蒼穹をよぎる影を捕らえたのはその時だった。

 風を切り、高速で落下する鉛色の物体。それに気付いていたのはアネットだけなのだろう。彼女がぽかんとそれを眺める目の前で、ついにその球は地面に衝突する。

 刹那、轟音が鳴りわたった。

「……っ」

 鼓膜を破らんとするほどのそれに、うずくまって体を丸くする。すぐに衝撃が体を打った。金属製の扉に叩きつけられ、体じゅうの骨が軋むような痛みが走る。その余波が収まったとき、アネットは灰に溜めこんだ空気をただ吐き出すことしかできなかった。

 爆撃、だ。空を駆け抜けた飛行機が、爆弾を落としていったのだ。一体誰がと頭をめぐらせようとしても、鳴り響く耳鳴りが思考の邪魔をする。呆然と見開かれた目は、整然と並んでいた三機の飛行機が炎に呑まれる有様をかろうじて視界に捉えていた。その炎に呑まれていく人々の姿も、また。

 寄りかかっていた扉が、突如、後ろへと開かれる。ごろりと転がってしまってから慌てて立ち上がった。距離を取ろうと後ずさったが、扉に手をかけた人物の背丈が思いのほか低いことに目をしばたかせる。

「ウィ、ウィズ?」

「アネット、怪我は!」

 叱りつけるような剣幕に戸惑い、首を振る。

「して、ない……けど、ウィズ、どうして」

 そう、と、ひとまずは息をついて、ウィゼルは飛行場の惨状に顔を向けた。彼にとっても想定外の出来事だったのか、崩れ落ちた飛行機を見据える目は厳しい。

「部屋から出ているときに、地面が揺れて……逃げてきたんだ。窓の外を見たらアネットが座り込んでいたから、何があったのかと思って」

「ひ、飛行機が通り過ぎて、爆弾を落としていったの。この飛行場を狙ったみたい」

 窮地を救われたことは確かだ。だが逃げ道のひとつを奪われたこともまた確かだった。黒煙のくゆる飛行場の彼方を眺めやっても、そこに延々と続いているのは荒れた大地だけだ。徒歩でここを脱出できたとして、見知った地へ辿りつく望みの薄いことを悟る。

 ウィゼルの顔色をうかがえば、彼は考え込むように眉を寄せていた。アネットの視線に気付いて一瞥を返す。

「多分、ここはバームの近くに位置してる」

「……近くって言ったって」

 アネットが口に出すまでもなく、ウィゼルも状況を理解していたのだろう。「まあね」と返して顔を背けた。

 小さなバームの町に比べ、その周囲に広がる荒野は途方もないほどに広い。その中にぽつりと作られたバームを探し出すことができなければ、他に人気のある町は見つからないのだ。アネットは空を睨みつけて、ねえ、と声を掛ける。

「さっきの飛行機に助けてもらえないかな」

「……飛行機? 爆弾を落とした? どこのものかも分からないんだろ」

「最低でも、ウォルターの味方でないことは確かだよ」

 賭けてみる価値はある。了解を求めてウィゼルに視線を投げると、彼は渋い顔で「わかったよ」と頷いた。

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