Episode 7
傭兵少年は、反射で体を動かしていた。
担いでいたカインを落とし、ラピッドに向けて大剣を振り下ろす。
しかし余裕の動作で躱され、彼は通路の奥に立ち塞がった。
「チャクラの少年」
笑って剣を構えたラピッドは、これ以上は進ませないと言っているかのようだ。
「ゼロ! ゼロ大丈夫!?」
膝をつくゼロを、エンが必死にゆする。
「大丈夫だ、離れてろ」
ゼロはエンを押し退けて立ち上がると、よろつきながらも傭兵少年の横に並んだ。
「ラピッド、何をしているのですか?」
理解が及んでいない様子、いや理解を拒んでいる様子で、セナが問いかけている。
ぎゅっと、傭兵少年が大剣を強く握った。
「聞いていたでしょうセナ王女。こいつはさっき、『ジョーカー様が待っている』と言った。敵側の人間なんですよ」
「その通りだ。こいつは身も心もジョーカーに染まっちまってる、どうしようもねぇ奴なんだよ」
傭兵少年とゼロに現実を突きつけられ、セナは言葉を失っている。
「ちょっと待ってよ、本当にラピッドなの?」
今度はエンが問いかける。
顔だけエンに向けたラピッドが、目を閉じたまま優しく笑う。
「はい。お久しぶりですエン王子、そしてセナ王女。お変わりなかったですか?」
ラピッドの言葉からは、いつも通りの温かさや親しみが感じられた。
それが、逆にエンとセナへ言い知れぬ恐怖を与えることになる。
「そうか。あのフヌケ王、何のアクションも起こしてないと思ってたが、一番厄介だったお前を追い払ってくれてたって訳か」
にやりと、挑発するように笑うゼロ。
「あぁ、やはりあなたの入れ知恵でしたか。ガムル王が脈絡なしに私を留置区画送りにしようとするから、焦りましたよ。おかげで城から抜け出て、一人寂しく身を隠す羽目になりました。しかし、これも結果オーライですかね」
黒剣の鋒を、ゼロへと向ける。
「あなたたちを、こうして止めることができるのだから」
エンですら初めて見る真剣を抜刀したラピッドの姿は、驚くほど隙の無いものだった。
「ラピッド」と、彼の名を呼ぶセナの声が、無機質な通路に吸い込まれて消えていく。
ゼロが一歩下がり、傭兵少年へ小声で語りかけた。
「おい。お前さ、相当強いだろ?」
苦い表情を浮かべる、傭兵少年。
「あんたらと比べると、どうだろうな」
「あのラピッドって男は、強い。全快時の俺よりもだ。誰一人サシじゃ勝てねぇが、二人がかりなら何とかなるかもしれねぇ。どうにかして、王女たちが先に行く隙を掠め取ってやるんだ」
「わかった」
両手で、力強く大剣を握る。
一筋の汗が、頬を伝った。
ふふ、と、ラピッドは笑みをこぼしている。
「できるのですか? あなたたちごときに」
そんなラピッドを睨みつけたまま、ゼロは後ろのセナとエンを呼ぶ。
「セナ王女、エン王子、あいつは俺たちが止めるから、その間に向こうに走り抜けろ。振り返らず、走り続けるんだ。いいな?」
エンだけが、小さく「うん」と答えを返した。
「おい、衛兵」
同じく、ラピッドへの警戒を解かずに、傭兵少年がカインに呼びかける。
カインは、尻もちをつきながら呆然と周りを見渡しており、傭兵少年に答えない。
「衛兵!」
傭兵少年が声を張り上げると、ようやくカインはびくっと体を震わせながら「はいぃ」と素っ頓狂な声をあげる。
「悪いけど、王子たちのことを守ってくれ」
「えっ」
「王子たちを守れ! あんたしか、いないんだ!」
「は、は、はい!」
声を裏返らせてそう答えると、立ち上がってセナとエンの側に躙り寄っていった。
「さて」
呟いたのは、ラピッド。
辺りは、蝋燭が揺らめく音すら鮮明に聞こえてくるほど、不気味に静まり返っていた。
「いつでもどうぞ」
その言葉に反応したのか、していないのか。
唐突に、ゼロが突っ込んでいった。
傭兵少年も、それに続く。
あと数歩だけ踏み込めばラピッドに攻撃が届くという間合いで、ゼロの外套の右袖から、金属質の「何か」が顔を出した。
それは、先端に刃の付いた鉄線のようなものだった。まるで意思を持っているかのように、自在に動く。
ゼロ本体より早く、その鉄線の刃がラピッドに直進する。
が、人外のような反射神経で、ラピッドは一撃を跳んで回避した。
――ゼロの、予想どおりの動きだった。
今度は左袖から、三日月状の刃が飛び出す。
刃に埋もれた左腕で、体勢を崩しているラピッドに、弧を描くようにして斬りかかった。
入った、と思った。
確信した次の瞬間、ラピッドが視界から消える。
「な――」
直後ラピッドは、真後ろにいた。
すれ違いざまにゼロの全身を、剣で引き裂いて。
ゼロは短い悲鳴と共に、その場に崩れ落ちる。
続けてラピッドは、傭兵少年に顔を向けた。
もう、ラピッドの攻撃圏内に入ってしまっている。
傭兵少年には、スピードに驚いている時間すらない。
踏み出すと同時に、両手の大剣をラピッド目掛けて振るうが――。
大剣は虚空を薙ぎ、傭兵少年の全身に痛みが走る。チャクラの鎧を貫通して、黒剣は傭兵少年に傷を負わせていた。
傷は浅く、大ダメージには至ってない――が。
(抜けられた!!)
視線だけ背後に向けると、ラピッドは、エンとセナの前に立つカインへと一直線に迫っていた。
焦りと恐怖で身をすくませているカインには、腰の剣を引き抜く余裕もないようだ。
「衛兵!!」
傭兵少年の叫びが響くと同時、無情な剣が、カインに振り下ろされようとしていた――。
「やめて!!」
刹那、カインの後ろで縮こまっていたセナの叫びが轟く。
そして、あり得ないことが起こった。
何にも触れていないはずのラピッドが、大きな衝撃を受けたかのように、後方に突き飛ばされたのだ。
(――何、だ!?)
セナの叫びに呼応して起こった、未知の現象。
この場の全員が――セナ本人でさえ、理解できていない現象だった。
(これはでも、勝機だ!)
突き飛ばされたラピッドの背後から、もう一度傭兵少年が横なぎに斬りかかる。
「ッ!」
体勢を崩しかけていたラピッドだが、垂直にした剣の峰を二の腕で支え、大剣をガードする。
チャクラの重い一撃を全身で受け、鈍い金属音が響き渡った。
ラピッドの黒剣は、並大抵の衝撃では損傷しない。
だが、剣越しに怪力をまともに受けたラピッドの体は宙に浮き、そのまま通路の壁に激突する。――が、すぐに構えを直したラピッドは、追撃を許さない。
傭兵少年が、彼の前に立ち塞がると――。
「王女、王子、衛兵、走れ!」
セナたちに早口で吼える。
その喝が、固まっていたカインを反射的に動かす。震えるカインを先頭にして、三人は通路の奥へと走り出した。
ラピッドに視線を戻した傭兵少年は――戦慄した。
「行かせない」
瞑っていたラピッドの両目が、開いていた。吸い込まれるような灰色をした瞳が、走っていくセナたちを捉えている。
(こいつは、人斬りの目――!)
本能的な恐怖を駆り立てられた傭兵少年が、攻撃を仕掛けようとした――その時。
傭兵少年の服を、後ろからゼロが引っ張った。
「うわっ!」
傭兵少年はそのまま、セナたちの進行方向――関所の通路の奥へと投げ飛ばされた。
「何を――」
振り返った傭兵少年の視界から、ゼロの姿が掻き消える。目の前に、無数の鉄線を張り巡らせた防壁が出現していたのだ。
通路は遮断され、向こうにはラピッドとゼロが。
鉄線は、ゼロの背から発されたものだった。
サイボーグの手持ちの一つだ。
「行け! 走れ!!」
防壁の向こう側から、ゼロの声が聞こえてくる。
「走って、生き延びろ!」
ぎゅっと唇をかみ締めたエンが、カイン、セナ、傭兵少年の体を押す。
「行こう! 逃げよう!」
「王子! ゼロは――」
「今しかチャンスはない! 行こう、早く!」
「――くそ!」
感情を押し殺した傭兵少年は、大剣を背に収め、エンを担いだ。
カインはセナを担ぎ、四人は関所の奥へと無我夢中で走っていった。
無力を呪いながら。
――傭兵少年が、一瞬だけ、後ろを振り返る。
鉄線の防壁の隙間から、僅かに見えたのは――ラピッドに斬られ、鮮血と共に倒れていくゼロの姿だった。
(くそが! すまねぇ、ゼロ!)
そして、傭兵少年たちは、走った。
走って走って、走り続けていった。
――蝋燭の炎が、静寂に揺らめいている。
「本当に、やってくれましたね」
黒剣を鞘に収めながら、呟くラピッド。
傍らには、うつ伏せに倒れたゼロが。
関所の通路に張り巡らされた、ゼロの背中から伸びた鉄線は健在だ。
「俺の任務は果たされた。あとは、あの少年少女たちに賭けるだけ」
倒れながら、ゼロは満足げに笑う。
「まさか、バルの『最高傑作』と謳われたあなたに裏切られるとはね。予測どおりには進まないものだ」
ラピッドは、ゼロの隣に座り込んだ。
「しかし、あなたが未来を託したのは、まだまだ未熟な子どもたち。あの子たちに何ができると言うんです? これは、ごっこ遊びではないんですよ」
すると、ゼロは楽しそうな笑い声を上げた。
「俺が賭けたのは、あいつらの持つ『可能性』だ。――侮るなよ。俺は、あいつらがこの国を変えてくれると信じてるさ」
「大分と、来たな」
傭兵少年たちは、王都を遠く離れ、小さな村の木陰に逃げ込んだ。
「マギリア」は、王都への一極集中化が顕著な国。
「盟」も似たような状況になりつつあるが、「マギリア」ほどではない。一旦王都から離れると、辺りにほとんど何もない荒野が広がるという光景も珍しくない。たまに中小規模の町や村がある程度だ。
今は真夜中。
村に人影は見当たらない。
傭兵少年は、抱えていたエンを降ろす。
「はぁ、はぁ、ひぃ」
カインもあまりの疲労に肩で――というより全身で息をしながら、おんぶをしていたセナをゆっくりと降ろした。
「衛兵、限界か?」
傭兵少年が、カインの肩に手を置く。
カインの体はこれ以上ないほどに熱くなっており、汗だくだ。
傭兵少年の体力は、まだまだあるが――。
「すいませっ、ちょっとっ、休ませてもらってっ、いいですかっ」
カインの方はとっくに限界を超えているようだ。
「まだここも危険だが、少し休憩しようか」
「すん、ませんっ」
どさり、と尻もちを着き、天を仰ぐカイン。
おんぶしてもらっていたセナは「ありがとうございます」とカインに礼を伝えた後、傭兵少年を見た。
「このまま、『盟』まで逃げるのですか?」
傭兵少年は、こくりと頷く。
「ゼロが言ったように、なるべく遠くの方が安全ではあるし……体勢を整えるなら、『盟』はうってつけだと思います」
「なぜ分かるんです?」
「俺は『盟』出身なんです。あそこのことなら、少しは知っています」
「そう、だったのですか」
セナが、傭兵少年をまじまじと見つめた。
同じく目を合わせる傭兵少年は、先ほどの戦闘中に起こった不可解な現象を思い出していた。
セナが叫んだ瞬間にラピッドが吹き飛んだ、あの現象。それは、まるで彼女が意図的に引き起こしたように見えた。
(あれは何だったんだろうか)
考えたところで、答えが分かるはずもない。
ふとエンへと視線を移すと、彼は王都の方角をじっと見つめながら、静かに佇んでいた。
「王子?」
声をかけても、振り向かない。
傭兵少年は、ゆっくりと歩み寄っていった。
「ねぇ、付き人さん」
傭兵少年にだけ聞こえるような、小さな声が聞こえた。
「なんでしょう」
「僕らが城に戻るのは、いつになるかな」
その問いに、傭兵少年はすぐに答えられなかった。
王都の方角を見やり、間を開けて返事をする。
「ずっと先になるかもしれません。ですが、どんなに時間が経っても、いつかあなた方なら――敵の手に落ちたマギリアを救い出せる。俺にはそんな気がします」
エンは、返事をしなかった。
代わりにそっと右腕を上げて、王都へと手のひらを向ける。
「待ってて、お父さま」
その声は、消え入りそうなほど小さくても、力強い響きを含んでいた。
「待ってて、ククルお兄さま。待ってて、ラピッド。……待ってて、おじいさま」
傭兵少年はエンの後ろで、静かにその言葉を聞いていた。
「僕たちは、必ず、戻ってくるから」
そしてエンは、生まれ育ったマギリア城に向けた手のひらを、ぎゅっと握り締めた。