Episode 6
マギリア城内、傭兵区画の中庭。
芝生が植えられた開放的な空間は、血に染まっていた。
辺りに飛び散っているのは、無残にも肉片と化した、城勤めの傭兵たちの亡骸。
地獄絵図の中心には、赤い外套に身を包んだ大男の姿があった。
彼は、襲撃してきた賊の一人、名はセヴン。
フードに隠れていて顔は見えないが、その盛り上がった異常にたくましい筋肉は、着衣の上からも容易に観察できる。
傭兵たちはこの中庭で、セヴンを迎え撃った。
しかし、絶望的なほど歯が立たない。
それは戦闘や殺し合いと呼べるものではなく、一方的な虐殺だった。
傭兵たちの体は、まるで粘土細工のように、次々とセヴンに引き裂かれていった。
それも、素手で。
「クソが、化けモンがよぉ!」
逃げ出すこともせず、最後に中庭に立っていたのは――傭兵少年に敬語を教えてくれた傭兵だ。
唸り声を上げて突っ込んでくる彼に対し、羽虫を見るかのような光ない視線を向けながら。
ゼヴンは、ばきりと指を鳴らした。
王都の外れに広がる平野を、セナたちは駆け抜けていく。
といっても、実際に走っているのは、傭兵少年とゼロだ。
エンとセナはゼロが両脇に抱え、カインはまたも傭兵少年が肩に担いでいる。
そうして十数分ほど走った頃、前方に巨大な「壁」が見えてきた。王都をぐるりと取り囲む、石造りの防壁だ。
王都に出入りするには、防壁の一部に設置された関所を通らなければならない。
傭兵少年一人なら――若しくはダメージのないゼロなら、関所を通らずとも強引に防壁を乗り越えられたかもしれない。
しかし、人という荷を抱えて登るには、この防壁は高すぎる。
「マギリア」と「盟」の国境にも似たような防壁がそびえているが、高度で比較すれば、何故かこの防壁の方が勝っているほどだ。
なのでやむなく、一行は関所を目指していた。
そして、走り詰めの甲斐あって、関所は眼前だ。
「見えてきたな。とにかく王都から出て、村か町に身を隠そう。森の中でもいい」
「わかった」
ゼロの言葉に、傭兵少年が頷く。
――その表情は、どことなく不安げなものだった。
傭兵少年は、得体の知れない「嫌な予感」を抱えていた。
原因は見当もつかない。だが、何かを見落としているような、こびり付くような不安が、心のどこかに引っかかっていた。
以前にも、戦場で何度か経験していた。
残念だが予感が杞憂だったことがない。必ず、何か悪い事が起こるのだ。
(何だってんだ、こんな時に。勘弁してくれ)
今回ばかりは取り越し苦労であってくれ、と願うばかりだ。
「よし、到着だ」
警戒するゼロを先頭にし、一行は関所に足を踏み入れた。
無機質な石造りの内部では、柱の蝋燭が唯一の光源だ。横幅の狭い通路が、向こうの出口まで二十メートルほど続いている。
ゼロは、うーむと首を傾げている。
「衛兵の姿が見えん。まさか、ジョーカーが通った関所と同じとかか」
「衛兵は殺されてるってこと?」
あどけない声色で、とんでもないことを訊くエン。
「そうかもな。何にしても好都合だが。無駄な騒ぎを起こさずに済む」
「行こう」
周りを観察しながら、傭兵少年がゼロの背中を押した。
言い知れぬ不安は、関所に来て強くなっている。
傭兵少年に促され、ゼロが先に進もうとした――その時。
前方の柱の影から、一人の男が姿を現した。
セナ、エン、傭兵少年は、目を疑った。
それは、誰もがここで出会うと予想していなかった人物だったからだ。
「ラピッド――?」
ゼロに担がれたままのエンが、思わず名前を呼ぶ。
柱の影から現れたのは、セナとエンの元付き人、行方不明だったラピッドだった。
いつもと変わらぬ軍人用の青い制服を身にまとい、腰には愛用の黒剣を差している。
演色性の高い蝋燭のおかげで、彼の長いきれいな金髪が映えて見え、相変わらずその両目は閉じられたままだ。
「どうしてここに!?」
またエンが声を上げる。
ゼロは立ち止まっており、その後ろから傭兵少年が訝しげな視線を送る。
「セナ王女、エン王子」
遠慮したように笑いながら、ラピッドはゆっくり、エンとセナを抱えるゼロに近づいていった。
「てめぇ」
反応したゼロが動きかけた、その刹那。
一瞬の、そして、予想外のことだった。
目にも留まらぬ速さで黒剣を抜刀したラピッドは、ゼロを一太刀、躊躇なく斬り裂いた。
その一閃は、速すぎて傭兵少年でも見えなかった。
「く、そぉ」
抱えていたエンとセナを離し、ゼロは崩れ落ちるように膝をつく。
辺りには血と、機械の部品のようなものが舞う。
「セナ王女、エン王子。さあ、城に帰りましょう」
いつものような口調で、ラピッドが話す。
「ジョーカー様が、待っておりますよ」
マギリア城内、特別区画。
襲撃者である赤い外套の五人が、廊下を突き進む。
もはや、傭兵を除くマギリアの兵士たちは戦力として機能していなかった。大抵の者が、突然の強襲に呆然とし突っ立ったままだ。
勇敢にも襲撃者に向かっていった一部の兵士は、ジョーカーの部下、ジャックの凶刃の餌食となっていった。
ジャックは、マギリアの城門でサイモンを刺した男。彼の体もゼロと同じ、サイボーグだ。
いたるところから牙を剥く刃は、歯向かう兵士たちを容赦なく肉片へと変える。
「あれが、玉座の間だな」
先頭を歩くジャックが、通路の突き当たりにあった豪勢な大扉を視認した。
そのまま扉まで歩を進めると、血塗れの両手を押し当てる。
「ガムル王はこの中か。それじゃあ、ごったいめーん!」
観音開きの大扉が、ゆっくりと押し開けられた。
「――来て、しまったか」
扉の先、長い絨毯の先にある玉座に鎮座するは、「マギリア」の王ガムル。自身へと至った襲撃者たちを視認し、諦めに近い声色で呟いている。
王の背後には四人の側近が立ち並んでおり、この部屋にそれ以外の人間はいない。
「さあ、チェックメイトかな?」
先頭のジャックが、ガムルを指差す。
王は黙って、その所作を見つめていた。
「王よ、我が息子よ。久しぶりじゃな」
ジャックの背後から、顔が見えないほどフードを深く被った一人が、前に出てきた。
子どものような小さな体格だが、誰よりも堂々たる雰囲気を纏っている。
「父上――いや、大逆人ジョーカー」
その姿を、亡霊のようなガムルの眼が恨めしそうに睨む。
ジョーカーは、くっくと笑った。
「お前の負けじゃ、腑抜けのガムル王。おとなしく城を譲り渡せ。騒ぎは起こさずな」
目を合わせたまま、沈黙を貫くガムル。
「あぁ、ただでとは言わん。よく聞け。代わりに、お前が最も欲しいものを与えてやる」
「何だと?」
そしてジョーカーは、短く、何事かを呟いた。
その言葉を聞いた途端、ガムルの表情が一変する。諦めと、僅かな怒りが浮かぶ表情から、まるで目の前に救いの神が現れたかのような、縋るような表情に。
「まさか、できるのか、本当に?」
声は、僅かに震えていた。
熱望していた「何か」が、すぐそこにあるかのように。
「できる。わしの仲間たちの力があればな」
後ろの襲撃者たちを親指で指しながら、ジョーカーは迷いなく念押しする。
「まさ、か」
「さあ、どうする息子よ。わしの条件を飲むか、否か」
そして、また沈黙。
俯いたガムルは目をぎゅっと閉じ、これ以上はないというほど歯を食いしばっていた。
体も、小刻みに震えている。目に見えぬ敵と必死に戦っているかのように。
「ガムル王?」
側近の一人が、思わずガムルに声をかけた。
王は、片手を上げてそれを制す。
「私は、もはや、器ではない」
誰にも聞こえないほどの声量で、そう呟くと。
ゆっくりと顔を上げ、ガムルはジョーカーを見つめる。
「ジョーカー。あなたの提案を、飲ませてもらおう」
それは、ジョーカーへの降伏を意味する言葉だった。