Episode 13
確かに、心臓を突き刺した。
外すなんてヘマはしていない筈。
だが、クヴィナは立ち上がっていた。
振り返ったテオルの目の前で。
ぞ、ぞ、ぞ――ナノマシンが、再び旋回していく。
「何で生きてる?」
テオルの疑問は、そのまま言葉となった。
空間を破壊したり傷を治したりができるセナや、僅かだが未来を視ることができる自分がいるのだ。
心臓を突き刺して死なない存在がいても、おかしくはないかもしれない。
だが、立ち上がったクヴィナが放つ形容し難い非現実感が、今のテオルの心すら怯ませる。
周囲で、ナノマシンの唸りが加速していく。
(量が、増えて――)
黒い霧のようにも見えるナノマシンは、その密度が濃く、範囲が広くなっていっているように思えた。
クヴィナを中心に渦巻くそれは、まるで何処からか補充されているかのようだ。
(あれだ)
テオルは、増加するナノマシンの発生源に気付いた。
「王の闇」が隠されていた、玉座の後ろの垂れ幕の、さらに裏側。
そこには、一つの人形が置いてあった。
真っ黒な装束に身を包んだ、不気味な男の子の人形。
日本人形のようなデザインだが、その顔には見る者の恐怖を引き立てる、悍ましい笑みが張り付いていた。
「仙覇」の特徴でもある異常な嗅覚があっても、テオルは「王の闇」が居ることが分からなかった。その原因が、人形にあった。
人形にこびれついている、咽せ返るような濃い血の臭いが、「王の闇」の匂いを覆い隠していたのだ。
「私はまだ、死なない」
ナノマシンを従えるクヴィナが、胸元のナイフを引き抜きながら、口を開いた。
血が、僅かしか出ていない。
「『盟』も『マギリア』も、この手に収めるまではね!」
人形と同じような、悍ましい笑みを浮かべた彼女は、両の手のひらを、テオルへと向ける。
殺意が――糸が、飛んできた。
テオルは真横に跳躍して躱したが、予想外の追撃が。
すぐさま、次の糸が飛んできたのだ。
(なっ!)
反射で地を蹴って、続け様に回避はできたが――。
またしても、首を狙った、次の糸が。
それも頭を下げて避けはしたが、ギリギリだ。
糸が掠り、テオルのヘッドバンドが斬れた。上げていた前髪が落ちてくる。
(インターバルが消えた!?)
普通ならば、不可視である糸の攻撃を、見切ることなどできない。
ある種のゾーンに入っていたテオルだったからこそ、一発なら何とか避けられていただけだ。
それが連続で放たれるとなれば、結果は変わってくる。
(まずい、これは!)
「さっさとくたばれ! 価値の無ぇガキが!!」
クヴィナの本性が、表面化している。
暴言を叫びながら、彼女は距離を詰めてきていた。
飛来する無数の糸の、テオルへの到達時間が縮まっていく。
(やべぇ、もうこれ以上――)
躱すことができない。
気付けば、糸の合間で、クヴィナはほぼ目の前まで迫ってきていた。
再び怒りに支配されたテオルが、雄叫びながら突っ込んでいくが。
片足の太腿に、糸が掠った。
テオルの体勢が崩れる。
次の一撃を、もう躱せない。
「じゃあな。何も変えられない、無力な王子さま」
蔑みと怒りに満ちたクヴィナの眼が、テオルを見下ろす中で。
非情にも、最後の糸が放たれた。
「ケンノウ様!!」
セナの叫びが、途方もなく広がる虚空へと吸い込まれていく。
ここは、ケンノウの精神世界。
ようやく見つけた世界の主は、輪郭のない真っ白な怪物と相対していた。
怪物の体躯は、三メートル以上はある。目や鼻、耳が無く、大きな口のみが張り付いたその顔は、ケンノウより一メートルほど頭上に位置していた。
「返せ……!」
突き立てられた剣にも全く動じず、怪物は緩慢な動作で、ケンノウの身体を掴み上げる。
そして大きな口を開くと、その頭を食おうとしてしまっていた。
「だめです!!」
伸ばしたセナの手に連動し、ぱん、と軽い衝撃音が鳴り響く。
怪物の顔面に、衝撃波が当たったようだ。僅かに仰け反り、ケンノウの身体を離す。
ケンノウは、どさりと無抵抗に落下した。
そして怪物が、初めてセナの方に顔を向ける。
大きな口からは、先ほどまでの笑みが消えていた。
『ン、ンー?』
首を傾けながら、ケンノウを跨ぎ、怪物がセナに向けて歩み寄ってくる。
短く言葉も発しているが、意思疎通ができない相手であることは明らかだ。
両手を向けたセナが、二度目の力を発動させる。
また衝撃波が、怪物の顔面を打った。
だが、弱い。
「守りたい」という想いが乗っておらず、保身のための「攻撃」だからだ。
怪物はまた、少し仰け反った程度。
その体勢を戻すと同時に――。
『オォアァアアアァッ!!』
耳をつんざく、奇声を発した。
最大限に広げた口からの声量は、まるで衝撃波の意趣返しのよう。
音波が、セナの身体を突き抜ける。
その衝撃や、鼓膜の痛みは二の次。
セナは、自分の中の感情と戦っていた。
(怖い!)
この怪物は、明らかに言葉が通じない。
ウルの細菌兵器の元凶や、バルは、まだコミュニケーションが可能だった。しかし今回は違う。
この一点が、気丈なセナにも今までにない恐怖心を植え付ける。
奇声を止めると、怪物は俯いて、動きも止めていた。
その後、セナが瞬きをした一瞬に、姿がかき消えてしまう。霧を払ったかのように、存在がなくなっていた。
視界には、倒れたケンノウがいるのみ。
(消えた)
『ケ、ケ、ケ』
不気味な笑い声が、セナのすぐ後ろから聞こえてくる。
怪物が、背後に瞬間移動していたのだ。
振り返ったセナの右腕と首が、手のひらに掴まれる。
そして怪物は、巨大な口を開くと――セナに抵抗を許す間もなく、右肩に噛みついてしまった。
「ッ!!」
恐怖からか、悲鳴すら出ない。
そして難儀なことに、この精神世界の中でも、明確な痛みがあった。
みしみしと怪物の歯が食い込み、セナの小さな身体は食いちぎられてしまいそうだ。
(このまま、殺される)
恐怖と痛みに支配されかけた、その時。
接触した怪物から、とある記憶の断片が、セナの頭の中に流れ込んできた。精神世界特有の、非現実的な現象。
(これは、ケンノウ様の記憶……?)
追体験として浮かび上がったのは、ケンノウの視点での、玉座の間のワンシーン。そこは今よりも内装が小綺麗で、朝の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。
すぐ前には、ケンノウと似た和装に近い装束を纏った、華奢な男性が。
『どうしたリジュン。人払いまでして、珍しい』
ケンノウが、目の前の男性――弟であるリジュンへ声をかける。
彼は心なしか、傭兵少年に雰囲気が似ていた。
『兄上、一つ私の願いを聞いてほしい。ナギトについてだ』
――流れ込んできた記憶は、そこで途切れてしまった。
我に帰ったセナは、怪物の歯が肉に食い込む感触に再び見舞われる。
(やはりこの怪物が、ケンノウ様の記憶を蝕んでいたんですね)
予想はしていたが、確信に変わった。
ここへ来る前に目にした、王の弱々しい姿がフラッシュバックする。
想いが復活し、溢れ出した。
「返してください」
ケンノウと同じ台詞を言いながら、左手で、怪物の顔面に触れる。
痛みも恐怖も忘れ、身体は勝手に動き出していた。
セナの身体が、淡く光り出す。
「うぅううああぁあッ!!」
絞り出した叫びと共に、超常の力が、セナの左手に集中する。
怪物を中心にして、周囲の空間が歪んでいった。
『イ、ギ?』
初めて、怪物が焦ったような声を発した直後。
バツンと、大きな破裂音。
怪物の顔面に、不可視の衝撃が破裂した。
噛み付きを剥がされた怪物は、セナを掴んでいた手も離し、後ずさりを余儀なくされる。
衝撃と共に、幾つかの光の粒が辺りに飛び散った。それは、まるで暗闇をたゆたう蛍のようだ。
光の粒の一つが、セナの肩に付着する。
ぽわっと光を発したかと思うと、また、記憶がセナに流れ込んできた。
『私は、子どもが嫌いだ』
それはどこかで、ケンノウ自身が言った台詞。
この光の粒は、奪われた記憶の一欠片のようだ。
セナは、振り返る。
視線の先には、倒れたまま動かないケンノウの姿が。
「ケンノウ様、どうか起きて! あなたが立ち向かわなければ、私じゃこの相手は倒せません!」
セナの言葉に、ゆっくりとケンノウが顔を上げる。
その表情には、生気がない。記憶だけでなく、気力までも吸い取られているかのようだ。
そんな彼の手のひらにも、光の粒が触れた。
――忘れていた記憶の一部が、ケンノウにも流れ込んでいく。
すると、ケンノウの表情に、今まで無かった生気が戻り始めたように見えた。
「ツルキ」
亡くなった王妃の名を呼んでいる。
それは、忘れていた大切な人の名前。
セナの言葉と、王妃の記憶が、この男を「ケンノウ王」へと戻しかけていた。
「私から、どれほどを、奪ったのだ……?」
剣を突き、ケンノウが立ち上がる。
震えるその身体で、歩みを進めていった。
眼光は以前より力強く、怪物を真っ直ぐに見つめていた。
「ケンノウ様」
無意識に、ケンノウへと手を伸ばすセナ。
(うっ!?)
その瞬間、また激しい頭痛が襲ってきた。
だが、そんなことは関係ない。
(あと少しだけ、少しだけ――)
呼応して、ケンノウの握っている剣が、絵物語のように光り輝いていく。
セナの想いが成し得た現象に見えるが、それだけではない。何より、ケンノウ本人の気力が、息を吹き返しかけているからだ。
ふらふらと歩むケンノウが、セナの隣を過ぎ去った時。
『オォアアァアッ!!』
再び、怪物が奇声を響き渡らせた。
あまりの音圧に、ケンノウの身体が後ろによろけてしまう。
またセナが、手を伸ばそうとしたが。
漂っていた光の粒の一つが、ケンノウのすぐ後ろで光り輝いた。
その光の中に、とある人物が立っている。
『兄上。こんな相手にも勝てないのか?』
彼が、倒れるケンノウの背中を支えた。
実の弟である、リジュンだ。
「お前は……」
『思い出せ。皆が歩みを支えてくれる。兄上は、独りじゃない』
とん。背中を押される。
再び、ケンノウは歩き出した。
なおも精一杯の声を張り上げる怪物を、冷酷な瞳が捉えたまま。
怪物のすぐ前まで辿り着いたケンノウは、洗練された動きで、輝く剣を振り上げる。
怪物の奇声は止み、その顔は引き攣っているように思えた。
「返せ」
そして。
それまでの緩慢な動きからは想像できないほど速く、剣が振り下ろされた。
鋭い風切り音と共に、どくんと、この精神世界全体が脈動する。
怪物の顔に、口に、胴体に、剣撃による傷跡が浮かんでいた。
そこから、まばゆい光が漏れ出ている。
『ア、アァ』
光を閉じ込めるように、怪物は両手で顔の傷を押さえる。だが、まるで意味がない。
『それでこそ、我々の王だ。兄上』
光となって消えていったリジュンが、そう呟いた後。
怪物の苦しそうな呻き声が、かつての奇声以上に大きくなっていき――。
『ギャァアァッ!!』
次の瞬間、断末魔と共に、その全身が跡形もなく弾け飛んでしまった。
どくん。もう一度、世界が大きく脈動した。
記憶を奪っていた怪物を、討ち取ったのだ。
閉じ込められていた無数の光の粒が、辺りに散乱していく。
(やった、ケンノウ様――)
耐え難いほどの頭痛が、セナの意識を薄れさせていく。
ついに、活動限界が来てしまった。
朦朧とする意識でセナは、光の粒の一つに手を伸ばす。
ぽうっ。
最後にまた、昔の記憶が流れ込んできた。
それは、若かりしケンノウと、王妃ツルキとの会話だった。
『君を失望させてしまうかもしれない』
『なぜ?』
『私は、子どもが嫌いだ』
『そう、ですか』
『弱く非力な存在を、私は、憎らしいと思ってしまう。ずっと戦場で生きてきた者の性なのだろう』
『そうなのですね』
『君の中にいる、これから産まれてくる大切な命を、私は愛せないかもしれない』
『……』
『すまない』
『そう何度も謝られないでください。大丈夫ですよ』
『大丈夫だと? 何がだ?』
『あなたの愛の大きさは、私が一番知っていますから』
――やがて。
ケンノウとツルキの子どもが、この世に生を譲り受ける。
その子は、テオルと名付けられた。
元気を持て余した、大きな男の子だった。
ゆりかごの中にいる息子テオルを、ケンノウが覗き見る。
(何と非力な存在か)
その小さな身体は立つこともできず、言葉も紡げない。
自分だけでは生きていけないのだ。
伸ばしたケンノウの人差し指を、小さな手がぎゅっと握った。
(憎らしい)
月日が経つとテオルは、はいはいをし始め、自分で立つようにもなった。
ゆっくりと、倒れながらも、ケンノウの後ろを追いかけてくる時もあった。
すぐに、言葉を話し始めた。
「お、と、と」と、ケンノウを見ながら指をさす。
(憎らしい)
ケンノウが目を合わせるたびに、テオルはにっこりと笑った。
この上なく、幸せそうに。
(ああ、こんなにも――)
――憎らしいほど、愛おしい。
クヴィナの斬撃は、ケンノウに当たった。
割って入ったケンノウが、テオルを「糸」から守ったのだ。
血飛沫が、辺りに飛び散る。
「え?」
突然の光景に、テオルの理解が追いついていない。
視界には、かつてはいつも自分の前にあった、大きな背中が広がっていた。
屈強な王の身体は、骨をも断つ糸の攻撃でさえ、貫通させていない。
「ケンノ、うッ!?」
驚くクヴィナの顔面を、ケンノウの大きな手が鷲掴みにした。
糸で致命傷を負いながらも、その意思は死んでいない。身体を突き動かしている。
「私の」
確かな力強さを取り戻した眼が、クヴィナを射抜く。
「息子に」
もう片方の手が、静かに剣を振り上げていた。
「何をしている、小娘」
やがて、銀の軌跡を伴って。
記憶を取り戻した王の剣が、クヴィナを断ち切った。




