Episode 9
座り込んだ傭兵少年は、着ている黒い外套の袖を破ろうとしている。ふくらはぎの止血に使うつもりのようだ。
「ヨーヘイさん、少しいいでしょうか? ちょっと試してみます」
その横にセナも座ると、傭兵少年の傷口にそっと片手を置いた。
「何を?」
不思議そうに傭兵少年が見ている中、セナは力を発動させる。
(治れ――!)
風が、セナの白髪をなびかせた。同時に、傭兵少年の身体が、淡く光ったように思える。
また、信じられないことが起こった。
傭兵少年のふくらはぎの傷が、塞がったのだ。
出血も痛みも、もう無い。
ついでに、「狩人」に負わされた、こめかみの火傷すら治っていた。
「な……」
傭兵少年は、言葉が見つからないといった様子で、塞がった傷口を見ていた。
「できました!」と、嬉しそうに笑顔を浮かべるセナだったが。
「いや、できましたじゃないです。セナ王女、あなたのその力、一体どうなってるんです?」
「これは……私が誰かを助けたいと思った時、発現できる力のようです。色んな効果をもたらしますけど、強い『想い』がないと発現しないし、それに傷の治療は急場凌ぎです。完全に治ってはいないはず」
傭兵少年は先に立ち上がると、手を取ってセナも立ち上がらせた。
その後、自分の手を握る、開くを繰り返している。
「いえ、充分です。チャクラの流れも正常になった。ありがとうございます。――しかし、その力で、シリウスの意識の中にも潜っていた、と仰いましたよね。あまりにも現実離れした力だ」
階段に向けて早足で進む傭兵少年の後に続きながら、一拍を置いてセナが話し出した。
「ヨーヘイさん、シリウスの意識の中で出会ったゼロが、あなたへの伝言を残していました」
「俺に伝言?」
階段を登る大剣越しの背中に、伝える。
「次に会う時は『敵』になっている。迷わず俺を殺せ、と」
そう伝えても、傭兵少年の返事はすぐには来なかった。
やがて、足音に混じって「そうですか」と、小さな声が聞こえてくる。
(随分と酷な伝言です)
そうして二人は、二階へと登った。
舞い散る桜が描かれた大きな襖が、すぐ目の前を塞いでいる。その左右には、細い廊下が伸びていた。
さらに上階から、どす、どす、と太い足音が聞こえてきている。
まるで、巨人の足音のような――。
「今は、テオルの力になることだけに集中しましょう」
歩き出した傭兵少年のその台詞はまるで、自身へ言い聞かせるかのようだった。
「――おい、ナギト!」
地下洞窟の薄暗い通路を進む、ナギトの背後から、声が聞こえてきた。
傭兵少年に投げられ、同じくこの地下空間に落ちてきた、「狩人」だ。
「お前も落とされたのか」
「まぁね。君の弟くんが強くってさ。油断しちゃった」
「そうか。時折、柄にもなく油断して隙を突かれる。お前の弱点だな」
「うるさいなぁ」
蝋燭に照らされた陰鬱な通路を、二人は歩いている。
「狩人」に顔だけ向けていたナギトだったが、すぐにまた前を向いて歩き出していた。変わらずの無愛想である。
――ナギトがいつも何を考えて行動しているかは、「狩人」にも分からない。
もしかすると今も、襲撃に乗じてリンを助けに行こうとしてくれているかもしれない。「狩人」と同じく。
しかし、それを確認することができない。
何故なら、地下空間も含めたこの建物の至る所には、テルの「目」や「耳」が潜んでいる。
リンを助け出そうなどと、クヴィナ側を裏切るような発言や行動があったと見なされれば、より厄介なことになってしまう。
だから「狩人」は、あくまで敵に投げられて地下に落ちたと見えるよう、わざわざ傭兵少年に頼んだという訳だ。
「――クレイは、やられてたね」
「ああ」
地下空間へ落ちてきた時、すぐ側に、身体中を滅多刺しにされて横たわる無惨なクレイの姿があった。
「やっぱ、あのミグラとかいう殺人鬼がやり手なのかな? ミクニ王子が惚れ込んだヤツだったし」
「そうかもな」
ナギトは背を向けたまま、無愛想な短い返事をするばかり。
その背中を、「狩人」が拳で軽く小突いた。
流石にナギトは足を止め、「何だ?」と振り返る。
「……ミクニ王子を撃った事、私はまだ許してないから」
俯きながら、小声でそう言った「狩人」。
彼女は早足でナギトを抜かすと、そのまま先へと進んでいってしまった。
「狩人」からしても、ミクニを裏切ることは不本意だったのだろう。ましてや、傷付けることなど尚のこと。
――ちりん。
ナギトの手首の鈴が、僅かに鳴る。
「ああ。お前は、それでいい」
そのナギトの呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
地下洞窟の、はるか先。
一本道の通路――その突き当たりにあった観音開きの扉が、勢い良く開かれる。
「盟」の第二王子、カラクラによって。
「ロロ! ここにいるかい!?」
カラクラの元気な大声は、側にいたウルに「うるさい」と咎められた。
この場所は、空間認識力と記憶力に優れたウルが、クヴィナたちから仕入れた断片的な情報を繋ぎ合わせ、ロロが閉じ込められていると推測した一室だ。
一際高い天井に、地下空間には珍しく内装が施されている。床や壁はタイル張りになっており、設置された蝋燭の間隔は通路より短いため、少しだけ明るい。
それでも、空間自体が広いため、薄暗いことには変わりないが。
「……誰!?」
部屋の奥から、そんな小さな男の子の声が聞こえてきた。透き通るようだが、芯の強い響きをした、独特の声だ。
「ロロかい!? 俺はカラクラだ、君を助けに来た!」
急にカラクラが走り出すので、ウルも慌てて追いかける。
部屋の奥――壁に身を寄せるようにして、少年少女が座っていた。
一人は、この国の第四王子、ロロ。
歳は十歳。ふわりとした黒髪に、大きな黒色の瞳。着ている服は、「盟」の一部の王族が着用する、和服に似た青色の衣装だ。しかし、やや薄汚れてしまっていた。
もう一人は、リンという名前の少女。「狩人」の大切な人であり、人質でもある少女だ。
ロロと同い年の十歳で、赤色を帯びた癖っ毛が、四方に伸びている。病衣のような白い服を着ているが、こちらも至るところに汚れが目立つ。
リンは、細菌兵器の影響により目が見えない。縋るように、その身をロロに預けていた。
「うわっ――!」
駆け寄ってくるカラクラの姿を視認したロロは、たじろぎ、そして身構えていた。
裸になった背中には、身体が繋がったアマクラの姿がある。前からはよく見えないが、それでも不自然に突き出た腕は認識できる。
しかも、カラクラは「仙覇」の力の乱用により、実年齢よりも成長してしまっている。ロロが混乱するのも当然なのだが――。
「――いや、ごめんなさい。カラクラ兄様、なんですよね?」
ロロはすぐに、カラクラのことを受け入れた様子だった。
繋がったアマクラの身体と、その成長した姿が、逆にロロを納得させたのだ。
ロロも噂程度に、「アマカラ兄弟」のことを耳にしたことがあった。そして昔、カラクラが「成長が速い」と自身でぼやいていることも知っていた。
それらの情報が今、繋がったようだ。
「おぉ、ロロー! 俺が分かるんだね、良かったぁ! こんなにボロボロになって、心細かったろう!」
片膝を突いて、ロロの頬に触れるカラクラ。
「誰か、来た……?」
盲目のリンが、側で虚空に手を伸ばし、探っている。「この子は?」と、カラクラが訊く。
「この子はリンちゃん。僕と同じく、ここに閉じ込められてるんです。『狩人』っていう人の親友みたいで」
「狩人……んー、知らないなぁ。――まぁとにかく、ロロと会えて良かった。さぁ、急いでここから抜け出そう。また妖怪じじいが追ってくる」
「カラクラ兄様、外は今、どんな状況なんですか? クヴィナは……?」
「聞いて驚くなよ、テオル兄さんが戻ってきてるんだ。今は仲間たちと共に、クヴィナを倒しに向かってるよ」
「えっ」
ロロの表情が、ヒーローを目にした子どものように、驚きと喜びの色に染まっていく。
しかし、その表情はすぐに、不安に苛まれるような曇りを見せた。
「だ、だめです! テオル兄様を止めないと!」
カラクラの片腕を、ロロの両手がぎゅっと掴む。
「大丈夫だよ、テオル兄さんは強いんだよ。俺だって結構強いつもりだけど、多分俺よりも――」
「そうじゃなくて、クヴィナとは、あの人とは戦っちゃだめなんです!」
ロロは、何かを必死に訴えかけようとしている様子だ。
首をひねるカラクラは、その真意を理解できていない。
「何でさ? きっと、兄さんは勝ってくれるよ」
「でも、でもあの人は、もうとっくに――」
そのロロの話を遮るようにして、恐ろしいほどの崩壊音が、扉の方から響いてきた。
扉付近の天井が、大きく崩れてきたのだ。
カラクラ、ウル、ロロの視線が、そちらへと向く。
――崩れた天井からは、瓦礫と共に、一体の巨体が降ってきたようだった。地響きを伴って、着地している。すぐに粉塵に隠れてしまったが、巨大な蛇のような異質な化け物が、僅かに見えた。
「こいつは『王喰らい』。『食人植物』の変種で、わしのお気に入りじゃ」
降り注ぐ瓦礫が作る粉塵から、ゆっくりと一人の男が歩いて出てきた。
深く被ったフードに、丸まった背。
敵の中でも一段と厄介な存在、テルだ。
「テル――! ストーカーも大概にしろよ」
憎しみの波長を込め、カラクラが言い放つ。
瓦礫が降る轟音の狭間で、ほっほ、と老獪な笑い声が響く。同時に、テルの背後で、ずるずると巨体が這う音が聞こえてきた。
「さて、袋小路に追い詰めたぞ。地獄をその身に味わうがええわ」
「――ねぇ、ケンノウ様。私の話を聞いてくれない?」
この本丸御前にあたる建物の、最上階――王が鎮座する筈の一室、「玉座の間」。
その玉座には、クヴィナが腰掛けていた。
独り言のような言葉は、玉座の背後でその身をもたれかけている、ケンノウへと向けられたものだ。
「少し、思い出したわ。私の名を呼ぶ、誰かの声を」
どこか儚げな笑みを浮かべ、クヴィナは言葉を紡ぐ。
「私は、その人に逢いたかった。でも、何故でしょうね。思い出せない、その人の名も、顔も……誰だったのかも」
そして、自分の手のひらを見つめる。
多くの血に染まった、手のひらを。
「不思議でしょう? だからね、私は――」
その時。
「玉座の間」の、豪勢な装飾を施した扉が、蹴り破られた。
一人の少年によって。
がしゃん、と倒れる扉を目にしながら、笑顔を消したクヴィナは大きく嘆息する。
「ここまで不粋なガキだとはね」
ゆっくりと「玉座の間」に足を踏み入れる彼は、黒いヘアバンドでかき上げた金髪がよく似合う、この国の第一王子。
かつてクヴィナを恐れ、そして国の未来を憂いて、逃げるように此処から去ったいった少年。
その時は、何もできない非力な少年だった。
しかし、幾許かの時を経て、ようやく――。
「ようやく、たどり着いた」
その少年、テオルの鋭い瞳は、玉座を占有するクヴィナただ一人を映し出していた。




