Episode 2
地下牢でセナと話した後、「オオカミ酒場」の建物裏にある隠し階段で二階へと登ったミクニは、大広間に置いてある玉座へと腰掛けた。
この二階にある部屋は、玉座のある大広間と、ナギト、「狩人」、モウガンのそれぞれの自室に区切られている。ちなみに大広間とはいえ、置いてあるのが玉座くらいなので広く感じるだけで、大した床面積があるわけではない。建物自体がそう大きくはないからだ。
昼には日光が玉座を照らすよう窓が設計されており、まさに今は陽の光に照らされて、ミクニが偉そうに鎮座していた。
「例のお姫さまは、本物だった? ミクニ王子」
同じ大広間にいる女性が、ミクニヘ話しかける。
彼女は「狩人」と呼ばれている、ミクニの部下の一人。名前はなく、獲物を狩るその腕っ節の良さから、二年前ミクニにスカウトされた女性だ。歳は十七、黒の短髪に、肌の露出がほとんどない、動きやすそうな黒装束を身につけている。ナギトと同じく、闇に溶けて消えていってしまいそうな外観だ。
「本物みたいだね。――どう利用しようか。僕が王になった後、対マギリアへのカードとして取っておこうかな。でも、どういう事情でテオル兄と一緒にいたんだろう。またナギトの催眠術で吐かせるか」
途中からはぶつぶつと、独り言のようになったミクニの返事。
「へー、本物のお姫さまだったんだ。言われてみれば品があったし、おまけにキレイな子だったもんねぇ。まるで昔の私みたい」
冗談なのか本気なのか分かりづらいことを言いながら、「狩人」は手の拳銃をくるくると回している。ミクニは「狩人」の話は聞いていない様子で、「あとはナギトに何を吐かせよう」、とまたぶつぶつと呟いていた。
すると、何かに反応するかのように、ミクニの視線が大広間の扉に向いた。
「噂をすれば、戻ってきた」
その数秒後、扉が開き、ナギトが大広間へ入ってきた。
「やっほー」と笑顔で手を小さく振る「狩人」を、ナギトが一瞥する。
「何をしてる? 『狩人』」
玉座に座る王子に歩み寄りながら、ナギトが抑揚のない声で「狩人」に問う。
「言い方、冷たぁ。王子と世間話だよ。あんたは?」
「報告だ」
ミクニの少し前で止まると、言葉通り淡々と報告を始めるナギト。
「『帰桜城』のクヴィナから、実験の失敗作、五百体を貰い受けることになりました。ご指示通り、テオル王子の身柄との交換条件で。――これで当分、あの殺人鬼ミグラの要求にも答えれられるでしょう。実験体は、数十単位で指定の時間に『琅』達に取りに行かせます」
「へえ、五百体も! 随分と吹っ掛けたねぇ。ていうか、それだけの失敗作を生んでるあの女の実験とやらに、寒気がするよ」
ミクニは肩をすくめるが、顔は笑っている。
「ミグラなら今、自室で寝てるみたいだけど、起こしてこようか?」
「狩人」がミグラのいるであろう方向を指差しながら訊く。モウガンの自室だったところが、今はミグラのものとなっている。
「ううん、いいや。また後で、ミグラとはじっくり話をするよ。彼の要求の話も含めてね。――それより」
ミクニの視線が、また扉の方へと向けられていた。
「ねぇナギト。『帰桜城』からの尾行は無かったみたいだけど、『あの子』にまた尾けられてるよ」
苛立たしげに、ミクニの目が細まる。
ミクニは生まれつき耳が聞こえない代わりに、人の気配を異常なまでに感じ取れる特異体質を身につけていた。よって、大広間に入ってこようとしている一人の「少女」の気配にも、いち早く気づいていた。
「害は無いので。そう言えば、いちいち鍵を閉めてはいませんでしたね」
「不用心じゃないか。ナギトらしくもない」
「あなたの感知能力があれば、無駄な用心など不要でしょう、ミクニ王子」
ナギトとミクニがそう言い合っている間に、また大広間の扉が開いた。
大広間の中に滑り込んできたのは、美しい桜色の花束を抱えた少女だった。ミクニと同じ歳くらいだろうか。ボサボサの髪に、布切れのような服。顔立ちは少し野生的で、纏う雰囲気から「琅」の血を引く少女だということが窺える。
「ミクニおーじ!」
「琅」の少女は、ぱあっと無邪気な笑顔を浮かべると、花束を抱えてミクニへと走ってきた。
この少女は、過去にも何度かミクニに接触を試みていたことがある。普段、この建物の二階に繋がる隠し階段には鍵が掛かっており、流石にこの大広間にまでは入ってこれないはずだったのだが、ナギトの後を尾けてきたのだろう。
――ちっ、と、ミクニの舌打ちが聞こえた。
「おーじ、これ!」
少女はミクニの眼前に、花束を差し出した。
「わぁ!」と、「狩人」が嬉しそうな声を上げている。
「おーじ、あなたは、きせきのひと。おとうとおかあに、いばしょ、くれた。かんしゃ、これ!」
たどたどしく言葉を紡ぎながら、無垢な想いで花束を差し出す少女。
ケンノウ王が「琅」と「仙覇」を「盟」の国民と認めないと宣言してから、「琅」の一族は完全にその存在自体を否定されることになってしまった。ミクニが私欲のために設立した「琅」の私設団は、謀らずもそんな「琅」達の居場所となっていたのだ。
少女の両親も、そうやって居場所ができた「琅」だったのだろう。
花束を冷たい目で見つめていたミクニは。
「ふぅん。ねぇ、残念だけど――」
そう言いながら、なんと、花束を片手で払い除けてしまった。
ばさっ、と、花束は少女の手から溢れ、床に落ちる。――少女の顔から、笑顔が消えた。
「僕はね、『強さ』にしか興味がないんだ。わかる? 君に感謝なんてされたって、こんな花束貰ったって、全然嬉しくないんだよ」
「あ、う」
想定外のミクニのリアクションに、「琅」の少女は今度は泣き出しそうになってしまっていた。
ミクニはさらに言葉で追撃をかける。
「調べたけど、君の両親は僕の私設団の中でも『三軍』じゃないか。この前の出撃に使った『一軍』にも、ここの地下にいる『二軍』にも入っていない。いざってときの補充要員として森で野生と化している『三軍』! そもそも、そんな奴らに、僕は感謝されるほどの恩赦を与えてないんだけどな」
ぎしっ。拳銃を握り込む「狩人」の手から、怒りからのとてつもない握力による音が溢れる。
「おい」、と横のナギトが「狩人」を落ち着かせようとするも、「狩人」は聞いていない様子だ。
「出て行ってくれ。そしてもう二度と来ないでくれ」
ミクニは少女の方も見もせずに、冷たくそう言い放った。
少女は俯いて、しばらくその場から動かなかったが――。
「やだもん」
「は?」
やがて、ミクニの予想外の返事をしてきた。
「また、くるもん!」
そう言って涙を拭うと、「琅」特有の身体能力を使って、すごい速さで大広間を出て行った少女。
残されたのは、床に落ちた花束だけだった。
「ほんとに、何なんだ、あいつは」
困惑するミクニは、はぁーと深いため息をついた。
ミクニにとって、少女への言葉は嘘偽りない本心であり、それこそが当たり前な価値観だった。
しかし、そんな価値観をどうしても受け入れられない者が、少なくともこの場に、一人。
「ミクニ王子」
ゆらりと、無表情のままミクニへと近づいてきたのは、「狩人」。
「ん? 何?」
「失礼します」
そう言うと、「狩人」は拳銃のグリップの部分で、ミクニのこめかみを、ごん、と叩いた。
鈍い音が、大広間に響く。
「いっ――!! いっ、は!? 『狩人』!? 何をするんだ!?」
「こっちのセリフよ、バカ王子! あんなに可愛い子が、こんなに可愛いことしてくれたのに、あんたのこの振る舞いは、許される事じゃ――」
『黙れ。動くな』
「うっ!」
感情を爆発させた「狩人」を、ナギトの催眠術が止めてしまう。言葉も動きも制限された「狩人」は、その怒りを遺憾なく表情に表して、まさに「狩り」をする者の眼で、玉座のミクニを睨んだ。
「ひっ……」
流石のミクニも、その「狩人」の迫力に萎縮してしまっていた。ため息をついたナギトは、ミクニから「狩人」を引き剥がす。
「狩人」は時折こうして激情に駆られるときがあり、それが長所にもなり短所にもなる。
しかし今回は、ミクニの振る舞いが間違っていたことは自明だが――。
「ふん。じゃあこのお花は、私の部屋に飾っておこうかな」
「狩人」は、琅の少女が残していった花束を拾い上げる。ミクニが払ったことで散ってしまった花弁も、丁寧に指で摘んで拾っていく。
「――分からないな、本当に。その花に、一体何の価値があるっていうんだ?」
「狩人」に殴られたこめかみを押さえながら、ミクニが不機嫌そうにこぼす。
「いいよ、分からなくても」
ふん、とミクニから顔を背けて、「狩人」は花束を持って大広間を出て行った。自室に戻っていったのだ。
「『狩人』、優秀な駒には違いないけど、感情的になるところが気に入らないな。僕に暴力まで振るうなんて」
親指の爪を噛みながら、ミクニがぶつぶつと呟いている。
側にいるナギトは、感情が全く読み取れない無表情のまま。肯定も否定もしない。
「ん――?」
ふと、玉座に座るミクニの顔が、ある方向へ向けられた。何かの気配を感じ取ったようだ。
「どうされましたか」とナギトが訊く。
「今、誰かが一階の酒場に入ってきた。見知った人じゃない」
今は昼間。ミクニいるこの建物の一階、「オオカミ酒場」は営業時間外であり、客ではないことは確か。かと言って、ミクニ側の人間でもないようである。また、ナギトが「帰桜城」から戻ってきた際に尾けられてきていないことは、ミクニの感知能力が証明していた。
となると、酒場に入ってきたのが、何の目的を持った人物なのかが分からない。
「酒場の店主と話しているな。十、四歳、くらいの男の人? 誰なんだ?」
ミクニは警戒し、感知能力を研ぎ澄ませて動向を見守っていた。
今「オオカミ酒場」では、仮雇いの店主が一人で開店準備をしているところ。その店主と、酒場に入ってきた者が何か言葉を交わしている様子だった。
そこから数十秒、ミクニはじっと集中したままぴくりとも動かなかったが――。
「え!?」
急に、弾かれたかのように玉座から立ち上がった。
「何か?」
全く動じてない、いつもの調子のナギトが問いかけると。驚きと動揺で目を見開いたミクニが、その表情のままゆっくりと答える。
「酒場の店主の、気配が消えた――死んだ!」
そしてさらに、ミクニにとって不測の事態が加速していく。
「地下一階に降りていっている! なんで……なんで隠し階段の場所を知っているんだ!?」
酒場の中には地下へと降りる隠し階段があり、琅の私設団の二軍が待機する地下一階、さらにセナが閉じ込められている地下二階へと繋がっている。名前の通り階段は隠されており、ミクニ側の人間しか存在すら知らない筈だったが。
只事ではないと悟ったミクニは、ナギトへ詰め寄る。
「ナギト! 侵入者を殺しに行け! すぐにだ!」
「落ち着いてください」
息を荒げて激しく上下するミクニの肩に手を置き、ナギトは淡々と言葉を返す。
「地下一階には数十の『琅』の兵士が待機している。目的が何であれ、そこを無事に突破できるとは思えない。そう焦らずとも大丈夫でしょう」
「なんでそんなに冷静なんだお前は! 何かがおかしい! 普通じゃないんだ!」
「おかしい、とは?」
「侵入者の気配がおかしい! 弱々しい気配だけど、別の『何か』を周囲にまとっているような――異質な気配なんだ!」
この建物の地下一階は、便所などを除けば間仕切り壁のない一つの大空間のみであり、その床面積は地上一階よりはるかに広い。ミクニが巨額の資金を使って作らせた空間であり、「琅」たちはここでトレーニング、談笑や飲酒、あるいは取っ組み合いの喧嘩をしたりなど、思い思いの時間を過ごしている。
当然、そんなところに侵入者が訪れれば、ただでは済まない。
十四歳の、まだ少年とも言えるようなあどけなさを残した侵入者を、「琅」の兵士達が取り囲んでいる。その数は、約四十人。
「何の用だ小僧。とっとと出て行かないと、八つ裂きにしちまうぞ」
「いいや、ちょうどいい暇つぶしだ。ゆっくりしていってもらおうぜ」
「美味そうだなぁ。ちょうど腹も減ってたんだ。人間の肉でも、今なら喰えそうな気がするぜ」
は、は、は、と、何層かの低い笑い声が空間に響く。獣のような、ぐるる、と喉を鳴らす音も同時に。
「おめぇ誰だ? 一言も喋らねぇのか? おいこら、死ぬか?」
「琅」の一人が、侵入者の胸ぐらを掴んで、喉を鳴らしながら恫喝まがいの言葉を浴びせる。周囲の低い笑い声が、一層大きくなった。
侵入者は、胸ぐらを掴まれ足が床から離れているのに、腕も何も動かさず微動だにしない。表情すら動かさない。――まるで何かを待っているかのように。
大して寒くもないのに、厚手の灰色の外套を身にまとう侵入者は、ミクニの言う通り異質な雰囲気を醸し出していた。
「おぉい何だ? 気色悪りぃなおめぇ。死んでんじゃねぇのか?」
あまりに無反応なので、胸ぐらを掴んでいる「琅」が顔をしかめる。
すると、ようやく侵入者が口を開いた。
「そうだよ」
信じられないほどか細い声だった。何年かぶりに言葉を発したかのような。
「あ?」
片手を耳に添えて、「琅」が大袈裟に聞き返す。
ぺと。「琅」の骨張った頬に、少年の手のひらが触れた。その手のひらは、ひどく冷たい。
侵入者は言葉を続ける。
「僕は、とっくの昔に、死んでるんだ」
「何を言って――」
そのとき。「琅」が不自然に台詞を切った。話していた口の形をそのままに、一時停止のボタンを押されたかのように静止したかと思うと、数瞬後には身体が震え始めていた。
そして。
「ごぼっ!」
その口から、大量の血を吐き出した。「琅」はそのまま、力なくその場に倒れる。
宙に浮かされていた侵入者は、すとんと床に着地した。その足元に、「琅」が吐いた大量の血が広がっていく。
――絶句。その場にいた他の「琅」全員が、言葉を失い、唖然として倒れた同士を見ていた。
倒れた「琅」は、もうぴくりとも動かない。死んでいる。
「君たちも、僕と同じ場所に、連れて行ってあげる」
「ぐほっ」「がっ!」
侵入者に近いところに立っていた「琅」から順に、同じく血を吐いて、倒れていく。その様は、未知の「何か」が伝染していくかのようだ。
そこから、この空間にいる「琅」の兵士達が「全滅」するまでには、そう時間は掛からなかった。




