Episode 9
ナギトが、傭兵少年とエンを相手取っている間。
仰向けに倒れるジャックの側に、ミグラが歩いてきていた。
「随分と情けねぇ姿に仕上がってんな。元殺人マシンさんよぉ」
けらけらと笑い、ゆっくりと剣を鞘から引き抜くミグラ。その剣の鋒を、ジャックの喉元に突きつける。
ジャックは、元主人の「幻影」と闘っていた。相手はこの場にいるわけでも、遠隔で危害を加えてきているわけでもないのに。――ジャックの魂に深く刻みこれてしまった、呪いのようなものだ。
「じゃあな、ジャック」
まるで眠った子どもに語りかけるような声色で、ミグラが呟く。
「王子を守れず、ここで死んでいけ」
傭兵少年の「チャクラの鎧」が、機能していない。ナギトに、『チャクラを乱せ』と催眠術をかけられたからだ。だが実際は、催眠術がなくても、チャクラの恩恵があったとしても、ナギトには一方的に打ち負かされるだけだった。過去の経験がそれを証明している。
「立たないのか?」
倒れ伏す傭兵少年に、ナギトが冷徹な言葉を浴びせる。
明らかに、傭兵少年の動きにいつものキレがない。それは催眠術やダメージのせいではなく、精神力が原因。ナギトに対する傭兵少年の牙は、過去に全てもぎ取られているのだ。
「やっぱり昔と変わらない、か。ならお前に利用価値はない。ここでくたばれ」
嘆息したナギトの手が、ゆっくりと傭兵少年に伸ばされる。鈴の音を伴うそれは、まるで死神の手のようだった。
仰向けに倒れている傭兵少年は、意識はあるにも関わらず、顔をあげようともしない。そんな中で――。
「付き人さん――ヨーヘイさん! 頑張って!!」
ヌゴイの猛攻を紙一重で凌いでいたエンの声が、響き渡った。
「っ!?」
ナギトは咄嗟に伸ばしていた手を引き戻す。おかげで、傭兵少年の大剣は空をないだ。――エンの声に弾かれるように反応した傭兵少年は、一瞬で大剣を手に取り、ナギトの手を斬ろうとしたのだ。
もがれていたはずの牙が、ナギトへ向けられた瞬間だった。
「ほう? ――面白い」
にやりと笑ったナギトは、再び「仙覇」と同じスピードで襲いかかる。
傭兵少年は本当に、ただエンの声を聞いて反射的に身体を動かしただけだったようだ。やはりいつものキレはなく、ナギトの掌底をもろに腹部に受けてしまった。
ぼき。骨が折れる、鈍い音が鳴った。
「ヨーヘイさん――うわっ!?」
エンの方も、傭兵少年のことを気にする余裕があるはずもなく。懐に入ってきたヌゴイの肘打ちを喰らい、地面を転がる。
体格も筋力も速力も違いすぎる。普通で考えて、今のエンが勝てるはずがない相手だ。
「なぁんだ。もう終幕か」
傍観していたミクニが、相変わらず人を見下すような笑みを浮かべながら、一人そう零している。
催眠術で操られたヌゴイは、虚ろな目でエンを捉え、ゆっくりと近づいてくる。
そのとき。鞭のように振るわれた「械の尾」が、ヌゴイの脇腹を打った。一瞬で、ヌゴイがエンの視界から消える。
「えっ」
驚くエンの眼前に、ジャックが降り立った。
「すまない、遅くなった」
自分の不甲斐なさに打ちひしがれるかのように顔を歪めるジャックは、ヌゴイを打ち払った「械の尾」を、倒れるエンの身体に巻きつける。
「あいつは――」
予想外の光景に眉をひそめるミクニは、続いて駆け寄ってきたミグラをぎろりと睨んだ。
「悪ぃな王子さん。仕留め損ねちまったぜぇ」
ミグラはさして反省する色も見せず、へらへらとしている。その態度を見て、ミクニの視線が細く鋭くなるが、ミグラは薄ら笑いのまま肩をすくめるだけだった。
――ジャックの袖の中から、弾丸のように「何か」が撃ち放たれる。背後から自分に撃たれたそれを、ナギトは振り向きざまに全て指で挟んで受け止めてしまった。
「ピンネイルか」
超常の反射神経で受け止めたピンネイルを、ぱらぱらと地面へ落とす。だが続けざまに、ジャックは無数の弾丸をナギトへ撃ち続けた。さすがに受け止めようとはせず、跳躍してその場を離れるナギト。
エンを「械の尾」で抱えたまま、今度は傭兵少年の前にジャックが降り立つ。
「どうした? お前らしくない」
ジャックの問いかけに、傭兵少年は答えない。先ほどのナギトの一撃で、既に意識を無くしてしまったようだ。
「ジャック、姉様とテオルがまだ」
エンが早口でそう言うが、すぐさまジャックは首を横に振った。
「無茶を言うな。この状況じゃ、二人が限界だ」
「――二人すら、無理じゃないのか?」
肌を刺すような威圧感を漂わせ、ナギトが歩み寄ってくる。催眠術の文言を唱えるため、口を開いたそのとき。
「いや、それはさせてもらう」
同じく口を開いたジャックの、その口の中が光り出した。
何かに気づいたナギトは、バックステップでミクニの側へ戻る。
閃光が、周囲一体を包み込み、飲み込んだ。
舌打ちをしたナギトは、両腕で視界から閃光を遮り、視覚以外の全ての感覚を警戒に充てたが――。
『必ず借りは返すぞ』
そんなジャックの言葉が、耳元に聞こえてきたかと思うと。
数秒後。閃光が収まったころには、ジャック、エン、傭兵少年の姿は、そこにはなかった。
「逃げられた、か」
呟いたナギトは、手のひらを見る。傭兵少年の大剣に薄皮一枚斬られ、少し血が出ていた。
「さぁ、どうなるかな」
敵に逃げられたにも関わらず――血の出た手のひらをべろりと舐めたナギトが、そう言って楽しそうに笑っていた。
少しの時間が流れて――。
ミクニ王子たちとの戦闘場所から数キロ離れた岩山で。息を切らせたジャックは、「械の尾」で抱えたエンと傭兵少年を下ろし、自身は膝をついた。
逃げおおせた――とは言っても、完全な敗走だ。セナ、テオルは捕まり、カインは寝返った。
ジャックは瞳を七色に変色させ、遠方を見る。
「追ってきてない。『帰桜』へ戻ったか」
「械の尾」が、ジャックの背中あたりに吸い込まれていく。
「ジャック、姉さまやテオルは、殺されるの?」
エンが、抑揚のない声でジャックに訊いた。
「殺すつもりならあの場でそうしてたはずだ。すぐには殺されないと思うが――あと、カインのあの振る舞いは一体どういうことだ?」
「カインは――わからない。でも、相手と戦ってるときに急に雰囲気が変わって、都市伝説の『殺人鬼ミグラ』を名乗ってた。相手は『多重人格』って」
「ミグラ、多重人格、なるほどな」
エンは、血が出るほど下唇を強く噛んでいた。悔しさと無力感に苛まれているのだろう。
「――げほっ、げほ!」
そのとき、傭兵少年が咳き込みながら立ち上がった。意識を取り戻したのだ。だが咳と同時に、血を吐いてしまっている。
「王子、すみません! 俺が――ごほっ!」
エンを見て頭を下げようとした傭兵少年だったが、咳とともに片膝をついて、また地面に血を吐いた。
「肋骨が折れてる。無理に動くな、死ぬぞ」
片目を七色に光らせ、傭兵少年の身体を分析したジャックが警告する。
俯いたままの傭兵少年は、「情けねぇ」と呟いた。
「ヨーヘイさん、大丈夫?」
「……王子は?」
「僕は平気。でも、姉さまとテオルは捕まっちゃったし、カインは別の人みたいになって、一緒に行っちゃった」
「俺が不甲斐ないせいだ。まるで歯が立たなかった、『あいつ』に」
傭兵少年が、地面の岩盤を掴むように指先に力を入れると、岩盤にびきびきとひび割れが走った。
「あのナギトという男か。あいつは何者だ?」
そう尋ねたジャックの瞳が、今までとは違う光り方をする。小さく、数字や文字のようなものが横切っている。蓄積したデータの解析をしているのだ。
「あいつは俺の兄だ。俺達は『帰桜』の生まれだけど、俺は七歳のとき、あいつから逃げるために『帰桜』を出た。――脅威と恐怖を象徴したような奴だった。今も昔も変わらない、手も足も出ない」
「そんな奴と、よりによって敵として再開するとはな」
――ジャックには、傭兵少年が、「兄」の存在に縛られているように思えた。その様は、自分と重なる。未だ、元主人に縛られている自分と。
『俺も、とある一人にずっと生き方を縛られてた。でもそれはおかしいことだって、今では分かってる』
少し前、森で対話したときの傭兵少年の言葉を思い返す。このとき言っていた「とある一人」が、ナギトのことだったのだろう。
暗い雰囲気が漂うその中で、唯一前を向いている者がいた。
「問題ないよ、ヨーヘイさん」
ふと、エンが俯く傭兵少年の肩に手を置き、語りかける。
エンの声色は先ほどまでとは違い、まるで弾むように力強い。
「僕たちは一人で戦ってるんじゃないんだ。大丈夫。次に勝てばいい」
意気消沈している傭兵少年の負の感情を溶かすように、エンが言葉を続ける。
「今度は、うまくいく方法を考えよう。姉さまもテオルもカインも、『盟』も――何もかも取り戻すよ。皆んなの力でね」
顔を上げた傭兵少年の目に映ったのは、エンの幼くも力強い笑顔だった。
「ここからが、本番だ」
「盟」の城下町、「帰桜」のどこか。
陰鬱で薄暗い洞窟の果てで、少年と少女が身を寄せ合っていた。
少女は、泣いていた。盲目の瞳から涙を流し、すがるように少年の衣服を掴んでいる。
その悲しい気持ちを鎮めようと、少年は、少女の頭をずっと優しく撫でていた。
「大丈夫だよ、リンちゃん。大丈夫、大丈夫だから」
その少年、「盟」の第四王子ロロの優しさが、少女、リンが頼れる唯一の希望だった。
「『狩人』さん――」
少女は呟く。
楽しかった、星空の下での時間を思い出しながら。
二人の周りの薄暗闇では、「何か」がしきりに蠢めく音がしていた。
二人を閉じ込めるかのように。
「テオルとミクニが、潰し合い」
帰桜城――「玉座の間」にて。
ボードゲームの盤上の駒を一人で弄りながら、ある女が呟いている。
「カラクラは、生きてはいるけど、時間の問題。ふふっ」
女の口角が釣り上がる。
何層もの色彩に包まれた着物をめかしこみ、あろうことか王の代わりに玉座へ座る彼女は、元はといえば「外海」の住人。
「あと少し。もうそこまで来ているわ。ねぇ? ケンノウ様」
女の傍に立っているのは、玉座の本来の主であるはずの、「盟」の現王ケンノウその人。
王は、女の問いかけには答えず、その虚ろな目でただ盤上の駒を見つめているだけだった。




