Episode 3
「失礼でございます」
「違う違う。そこは、失礼します、でいい」
「失礼します」
「そう」
夜。
ここは、傭兵区画の休憩所。
王族区画から移動した傭兵少年は、トレーニングをしながら、先輩の傭兵に敬語の練習に付き合ってもらっていた。
仰向けになりながら、隣合って馬鹿でかいバーベルを上げている傭兵少年と先輩の傭兵だったが――そのバーベルの重量は、体格に見合わず傭兵少年の方が二回りほど大きい。
「起きてください。朝におなりにました。――あれ?」
「ははっ。普通に、朝になりました、だ」
「朝になりました」
「そうそう」
もう三十分以上、こんなやり取りを続けていた。
隙間時間に練習に付き合ってくれる、先輩の面倒見の良さに感謝である。
「ふぅ。大分上達した、かな? 稽古つけてくれてありがとう先輩」
バーベルを置いて一区切りをつけ、汗を拭いながら傭兵少年が感謝を口にする。
「おいおい、俺には敬語を使ってくれないのかい?」
「あ、ありがとうございました」
先輩の傭兵もバーベルを置き、傭兵少年をからかうと水分補給をする。
傭兵少年からは、初期のロボットのようなぎこちなさはほとんど抜けていた。
「まぁ気にすんな。――そういやお前さん知ってるか? ついさっき、妙な男が城に訪ねてきたらしいぜ」
「妙な?」
急に知らない話題を振られて、傭兵少年は首を傾げる。
「何でも体中ぼろぼろで、『王に会わせてくれ!』って城門の衛兵に叫んでたらしい」
「へぇ。それで、どうなったんですか?」
「あんまりしつこいから、気でも触れてるじゃないかってことで、留置区画の地下牢送りになったらしい。まぁ、頭のおかしくなった傭兵か何かだろう。昔はよくあった話だ」
「そうなんですか」
「――おっと悪ぃ、無駄話してる間に、もう九時だな。王子さんたちを寝かしにいく時間だろ」
先輩の傭兵は時計に目をやり、そう知らせてくれた。
「はい、そうですね。行ってきます」
「うまくなったな、敬語」
「ありがとうございます」
その後、厳重な警備を通り、傭兵少年は王族区画へと戻る。
早足でエンの自室へ向かうと、定時の少し前に扉に着いてしまった。
ちょっと早すぎたかと思いながらも、練習した敬語で雑談でもできればいいと考え、不器用に扉をノックする。
「失礼します」
傭兵少年は扉を開けて、エンの自室を覗き込んだ。
そして、唖然とする。
部屋の主の姿が、どこにもなかったのだ。
(あれ? 何でだ?)
この時間、他の場所に行く用事はない筈。
姿が消える道理がない。
――第二王子の脱走癖。国を揺るがすトラブルメーカー。
どこかで聞いたそんなワードが、傭兵少年の頭に浮かんでくる。
(おい、まさか)
焦った傭兵少年の足は、セナの自室へと向かっていた。
――その頃の第一王女セナは、自室で寝巻きに着替え、のんびりと読書に耽っていた。
すると何やら廊下から、ばたばたと大きな走行音が聞こえてくる。
何だろうと不思議に思っていると――直後、部屋の扉が派手な勢いで開かれた。
「きゃっ!?」
「セナ王女、大変なんです!」
入ってきたのは、傭兵少年だった。
「あ、あなた! ノックくらいしてよ!」
「王女、エン王子が部屋にいないんです! 何か心当たりはないですか!?」
練習した敬語は使えてはいるものの、傭兵少年はセナの話も聞かず、切羽詰った様子だ。
「あ、え、エンが? またあの子、部屋を勝手に抜け出したんだ!」
セナは状況を理解して立ち上がる。
閉じた本を机に置いて、寝間着を隠すように上着を羽織った。
「やっぱり! いつも、王子はどこに行ってるんですか!?」
「分かりません。あの子は妙なものばかり好きだから」
「妙なもの、妙なものって、まさかアレか――?」
「――ぐっ、やばっ」
マギリア城、城門。
衛兵の「腰抜けカイン」ことカインの顔色は、すこぶる悪かった。
「どうした、真っ青だな」
もう一人の衛兵サイモンが、ため息混じりに眉をひそめる。
心配しているというより、「またトラブルか」と呆れている様子だ。
「いや、実はさ。さっき夕食後に、親からの土産の饅頭食ったんだけどさ、どーも消費期限を大分過ぎてたみたいで、腹が!」
「はー。子が子なら親も親だな。お前も、食う前に確認しとけよ」
「すまん、ちょっと、便所行ってきていいか? すぐ戻ってくるから!」
「行ってきな」
腹を押さえながら、小走りで城の中へ消えていくカイン。
「あいつ、大丈夫か? いろいろと」
その情けない背中を見やりながら、一人になったサイモンはぽつりと呟いた。
――窓から外に出て、外壁を伝って脱出する。
そんなベタだが高度な脱出をかましたエンは、留置区画にいた。
地下に位置する留置区画は、罪人等を一時的に捕らえるためにも使われる。
「本当なの?」
エンと牢屋にいる男が、鉄格子越しに話をしていた。
他の牢屋に、人影はない。
この空間にはエンと男の二人しかいなかった。
噂になっていたこの男に会うため、問題児エンは脱走してしまっていたのだ。
牢屋の中で倒れている男は、ぼろぼろな紫の外套に身を包み、体から僅かに血を流している。全身いたるところに傷を負っている様子だ。背後の窓から差し込む月明かりが、床についた赤い血を鮮明に照らしている。
髪は青みがかった黒で、瞳はまるで人のものではないかのような綺麗なマリンブルーだ。
その男は、自分に会いにきた少年が国の第二王子だと知るや否や、必死にあることを訴え続けていた。
「本当だ」
男の低い声が、静まり返った辺りに反響する。
表情には真に迫る「何か」が見え隠れし、嘘を語っているようには見えない。
男は、言葉を続けた。
「このマギリア城は、今日の夜更けに攻め落とされる」
それを聞いたエンが、顔をしかめて次の質問を考えていると――。
「王子! やはりここにいたのか!」
傭兵少年と、王族用の普段着に着替えたセナが、エン後ろから走ってきた。
夕方に捕まった不審者に、エン王子が会いに行ったかもしれない。傭兵少年が、そんな予感を的中させたのだ。
「ありゃ。よく僕がここにいるって分かったねぇ」
「もう、いつも心配ばかりかけて! いい加減にしなさい!」
セナが、きつめの叱咤をする。
ちぇ、と言いながら目を逸らしているエンを見るに、効き目はあまり無さそうだ。
傭兵少年はそんなエンの態度に呆れながら、牢屋の中にいる無残な男に目をやった。
「王子、何故こんな妙な奴に会いにきたんです?」
「そうです、危険ですよエン。仮にもあなたはこの国の王子――」
「ねぇ二人とも聞いて。この人、妙な奴なんかじゃないよ」
それを聞いた傭兵少年とセナは、疑問符を浮かべるばかり。
「こいつらは?」
牢屋の男が、エンに問いかけた。
エンはそちらへの答えを優先する。
「僕の姉さまと、付き人さん」
「姉って――セナ王女か!」
男は僅かに身をもたげ、セナを見る。
セナは困惑した表情となり、男と目を合わせた。
「あなたは何者なんですか?」
「俺は、つい先日まで、ジョーカーの部下だった」
「えっ」
それを聞いたセナの目の色が変わる。
側の傭兵少年は、何のことか分かっていなかった。セナのリアクションから、只事ではないということは推し量れるが。
「もう時間がない。よく聞いてくれ。あいつは――いやあいつらは、今日の夜更けに、ここに攻め込んでくる」
「な、何を言ってるのですか?」
たちの悪い冗談でも聞いているかのように、セナは苦笑いを浮かべている。
「ジョーカー? 誰だそれは」
「先代の国王。僕らの、おじいさまさ」
傭兵少年の問いに、エンが答える。
「知らない? あの人は三十年ほど前、『マギリア』に圧政をしいて、隣国の『盟』に侵略戦争をしかけた張本人だよ。でも、『マギリア』最悪の国王と呼ばれたおじいさまは、国内の反対勢力に押し倒されて、十年前に失脚した。王都からも追い出されて、もう亡くなったって言われてたんだけど」
「いや、奴は生きてる」
悔しそうに顔を歪めながら、再び男が話し始めた。
「あの男は密かに勢力を蓄え、機を窺ってたんだ。じきにこの城に戻ってくる」
「おじい様が、ここに攻め込んでくるですって? 今日の夜更けに? まさか。現実離れし過ぎてて、信じられません」
「本当のことなんだ、信じてくれ」
男の言葉には、真実だと訴えかけるような力が篭っていた。
その得体の知れない雰囲気と重みに押され、セナはしばらく黙り込んでしまう。
「……じゃあ、私たちにそれを伝えて、どうしろと?」
「逃げろ、ここから。あんたらだけでも」
「えっ?」
「ジョーカーが連れてくるのは四人。だが、どいつもこいつも化け物みたいに強い。おそらく、今の城の兵力ではとても敵わない」
「たった五人に、この城が落とされるとでも?」
「ああ、そうなる。……一ヶ月前、対抗策として俺は、ガムル王に手紙を送ってるんだよ。確実に彼の手に届くようにな。でも、あの王は何もしなかった。すっかり牙を抜かれた彼のことだ、ジョーカーが攻め込んでくるなんて、そもそも信じなかったのかもしれない」
男はまた悔しそうな顔をして俯くと、「俺をこんなとこに閉じ込めたことで、よく分かった」と呟いた。
だがすぐに顔を上げ、セナへと続きを口にする。
「ガムル王は今から説得しても、迎え撃つことも逃げることもしないだろう。だから、あんたらだけでも、ここから逃げろ! あんたらには未来がある。今は逃げのびて、いずれこの国を変えてくれ。もう一度ジョーカーの手に堕ちる、この国を――」
男は、今度は顔を床にこすり付けながら話している。
その姿は、懇願しているようだった。
「こういうことなんだ、セナ姉さま。どうする?」
エンは意見を仰ぐようにセナを見た。
だが、話を聞いたセナの頭は混乱しきっていて、到底まともな答えを見つけ出せる状態ではなかった。
崩壊の足音が、城のすぐ側まで来ているというのに。