Episode 7
ばきばきと、石畳の床に亀裂が走る。
ミグラが振り下ろした掌底により、もうモウガンは動かなくなっていた。
「はは」
それを確認したミグラは笑いながら、ゆっくりと緩慢な動作で立ち上がる。
「カイン……?」
背後から、エンが声をかける。
振り返ったミグラの視線からは、「カイン」の面影など全く感じられない。服も身体も顔も、同じままの筈なのに。
目が合ったエンは、それを痛感させられた。
「俺の名はミグラだ。カインじゃねぇよ」
威圧感を纏い、ミグラが近づいてくる。身の危険を感じたエンだったが、何故だか身体が動かない。
ミグラが、エンに手を伸ばす。ただの手のひらが、エンを握り潰すかのような、何十倍も大きなものに見えた。
思わずエンは目をつぶってしまった。
その数瞬後。
「いたっ!」
髪の毛を掴まれ、前へ引き倒されるエン。
「邪魔だぁ」
ミグラはそう言うと――倒れたエンを見もせずに、そのまま緩慢に歩いて、駐屯所を出て行った。
「――はっ、はぁっ」
肩で息をしながらも、傭兵少年は神経を張り詰めさせ、森に潜む残り「二人」の気配を探っていた。
彼の周囲には、敗北した何十人もの「琅」の兵隊が横たわっている。
額から垂れてくる返り血と汗が混ざったものを拭いながら――傭兵少年は強く足を踏み込んで、飛び上がった。
「うっ!?」
今まで「待ち」のカウンター戦法のみだった傭兵少年の突然の奇襲に、狙われた「琅」の一人が戸惑う。森の中を高速で飛び回っていた「琅」の目の前に、突然に傭兵少年が現れたのだ。
咄嗟に鋭利な爪をなぎ払うが、傭兵少年の大剣の到達の方が速かった。顔面に大剣の峰――刃ではない背面部分がめり込み、地面へと叩き落とされる。
(あと一人!)
最後の一人は、既に傭兵少年の背後に迫っていた。
空中で隙を晒していた傭兵少年の背中を、鋭利な爪で切り裂いた、が。
「うあ!!」
その爪は割れ、または剥がれた。声を上げたのは「琅」の方だ。
鋼鉄のような硬さを持つ傭兵少年のチャクラの鎧は、「琅」の爪程度では突破できなかった。
「お前だけだ、俺に触れられたのは」
空中で、傭兵少年が「琅」の腕を掴む。そして、「琅」を下にして、木々の間を落下していった。
どん。
大きな音と共に、着地した瞬間に落とした傭兵少年の踏みつけが、「琅」の胸部を粉砕した。
最後の「琅」の四肢は、力なくぱたりと重力に引かれ、動かなくなった。
風が木々を揺らす音だけが聞こえてきて。辺りは急に静かになった。
「――これで、終わりだ」
傭兵少年は大剣を地面に突き刺し、がくりと崩れ落ちて片膝を付く。
その周囲には、五十人以上の「琅」たちが横たわっている。結局、傭兵少年に自身の爪や牙が効かないことを戦闘中に気づくことができたのは、最後の一人のみだった。
(まだだ。敵がこれだけとは限らない、王子とカインのところへ行かねば)
ダメージこそ負っていないが、一人も逃さない、早く勝負を着ける――この二つを意識するあまり、必要以上に体力を消耗してしまっていた。
ゆっくりと、呼吸を整えていく。
もう十秒もすれば、立ち上がりエン達のところへ向かおうと思っていた矢先に――傭兵少年は弾かれたように、ある方向を見た。
そこから、凄まじい濃度の殺気が迫ってきていた。
(何だ!?)
力を振り絞り立ち上がった傭兵少年は、拳を握る。
――殺気の元凶であるその人物は、重なる葉の陰を切り裂いて、あっという間に傭兵少年の前まで飛び込んできた。彼も、既に拳を握りしめ、振りかぶっている。
相手が誰かを認識する暇もなく、傭兵少年は相手を迎え撃った。
――両者の拳と拳がぶつかり合ったとき、まるで重い銃声のような音が、森の中に響き渡った。
チャクラを全開にしている傭兵少年の突きと、相手の突きの力は、拮抗していた。
「あぁ、お前かぁ」
相手は距離を取って着地すると、傭兵少年を見て笑いながらそう溢した。
――その相手の姿を見て、傭兵少年は目を疑った。
カインだ。
「カイン――?」
思わず口からその名が出たが、傭兵少年の思考がぐちゃぐちゃに乱れる。
(違う、カインじゃないのか? ―― いや、違わない、こいつはやっぱりカインだ。だが、この殺気と力はまるで――)
「お前はいい。――それより、強い奴があっちにいるなぁ」
カイン――いやミグラは、傭兵少年から目を晒すと、目にも留まらぬ速さで駆け出していった。
(どういうことだ、何が――)
「付き人さん!」
混乱する傭兵少年の耳に、エンの声が聞こえてきた。
「そんな――!」
森の外。
セナが、眼前のあまりの光景に、悲鳴を上げぬように口元を手で覆っている。
ジャックとテオルは、横たわったまま動かない。ミクニの部下――青年ナギトと、「もう一つ」の攻撃によってだ。
戦いは、圧倒的だった。
「ミクニ王子。テオルはここで殺しますか?」
ナギトは、横たわるテオルの前に立ち、ミクニへそう訊いた。
「そうだねぇ」と、少し考えていたミクニだったが。
「うん、いいよ」
やがて、そう答えた。
「分かりました」
無機質な声色で呟いたナギトが、ブレスレットの鈴の音を鳴らしながら、ゆっくりとテオルの頭部に手を伸ばしていく。
「械の尾」が、ナギトの腕を掠る。寸前で、テオルに伸ばした腕を引いたため、掠る程度で済んだ。
「意識があったのか」
ナギトが視線を向けた先には、倒れたまま「械の尾」を伸ばすジャックが。その目は、機械的な虹色の光を放ち、ぎろりと鋭くナギトを捉えている。
残り三本の「械の尾」を地面に刺して、ジャックはゆっくりと身体を起き上がらせた。
『何をしている、ジャック』
ずくん。
まるで心臓の傷口が開いたかのように、ジャックの胸の奥に激痛が走る。――それと共に、機械的な波長の「主」の声が、脳裏に響く。
『弱くなったものだ。かつてのお前なら、こうも一方的にやられはしない』
頭を押さえ、ジャックは激痛に悶え苦しむかのように目をぎゅっと閉じ、俯く。
(やめろ、消えろ!)
聞こえるはずのないその声を拒絶するも、声は消えない。
『さあ、殺しなさいジャック。私の為に。それが君の存在意義なのだから」
(やめろ!!)
心の中で、そう叫ぶ。ジャックの身体の動きは完全に止まっていた。
ナギトは、当然その隙を逃しはしなかった。顔面にナギトの回し蹴りが入り、ジャックはまた倒れる。
「うまいものだ、やられたフリが」
そう言って振り返ったナギトの目と鼻の先には、飛びかかってきていたテオルが。
ちりん。
ナギトのブレスレットに付いた鈴の音が鳴る。
『止まれ』
――と共に、ナギトの独特の波長の声がテオルの耳に届く。
(しまった、またかよ!)
その声を聞くや、テオルの体は硬直し、自身の意思で動かすことができなくなってしまった。
これはナギトが持つ特殊な力、催眠術だ。ナギトの仕草、声、そして鈴の音を引き金にして、対象の意識を混濁させ、指示通りに動かす木偶人形に仕立て上げる。
ジャックとテオルが、二人がかりで苦戦を強いられている原因の一つだ。
動けないテオルは、腹部にナギトの掌底を喰らい、吹っ飛ばされた。
「確か、『死んだフリ』は弟の、カラクラ王子の専売特許だったか? 弟の真似事というわけか」
挑発するようなナギトのその言葉に、テオルの飛びかけていた意識が引き戻された。
『俺と同じ【仙覇】の血が流れてるんだから、兄さんならできると思うよ。心臓のあたりをさ、こうギュッと、引き締めるような感じだよ』
幼い時の、カラクラとの会話が脳裏によぎる。
そして同じくらいの時期、ミクニと交わした会話も呼び起こされる。豪華な物で溢れかえっているのに、暗いせいで陰鬱に見える、ミクニの自室での会話だった。
『耳を【とじる】んだ。そうすれば僕と同じ、何も聞こえない静かな世界になる』
倒れたテオルが、ふーっと大きく息を吐き出しながら立ち上がる。
「おかげさまで、いいこと思い出したぜ」
どすん。
土煙が立つほど強く踏み込み、テオルが高速移動でナギトに接近する。
『止まれ』
再びナギトの声と鈴の音が響く。
が、テオルの動きは止まらず――ナギトは寸前でテオルの蹴りをガードした。
「――なるほど、耳の【閉じ方】を教わっていたか」
一瞬で理解したナギトが腕を振るうと、再びテオルが吹っ飛ばされる。
耳を閉じる――幼い時ミクニに教えられた、感覚的に音を遮断する方法である。峠でのジャックとの戦いで、金属音がテオルに効かなかったのはこのため。これによりナギトの催眠術はテオルには効かなくなるが――それでも身体的な戦闘力の差を埋めなければ、どうしようもない。
ナギトは、テオルと反対側で倒れるジャックを横目で見る。意識はあるはずだが、何故か立ち上がろうとはしていない。まるで、目に見えない「何か」と戦っているかのようだった。
ジャックは放置し、再び視線をテオルへと戻す。
「逃げるか、死ぬかだ、テオル第一王子。と言っても、今は聞こえないか」
そのナギトの言葉は聞こえてはいないが、たとえ聞こえていてもテオルは逃げはしない。案の定、またも高速移動でナギトへと突っ込む。
今度は、隠し持っていた暗器を手に忍ばせるが――。
どん。
銃声が鳴り響いた。
高速移動中だったテオルの左足のくるぶしに、鉛玉が撃ち込まれた。
「うあっ!!」
突然の激痛に、テオルは転倒する。
「余計なことをするな、『狩人』」
ナギトがやや声を張り上げ、ここにいない「誰か」へ向けて言う。その視線は、森の方に向けられていた。
――テオルとジャックが苦戦を強いられていた、もう一つの原因がこれだ。どこかに潜む誰かからの、銃による攻撃。狙いは正確。サイボーグと『仙覇』の血を引く者でなければ、一瞬で勝負が付いていただろう。
(最悪だ、耳『閉じる』のに集中しすぎて、感覚が鈍った)
出血するくるぶしを押さえながら、テオルは後悔と痛みに顔を引きつらせる。
今までは、あり得ないほどの動物的「勘」と反射神経で銃を辛くも躱せていたのだが、とうとう当たってしまった。
「『狩人』さん、もういいよ! あとはナギトに任せておいて」
ミクニも、森の方を向いてそう叫んだ。
返事は、帰ってはこないが。
(くっそ、どうする!? もう今までのように速く動けない、どうする!?)
倒れているテオルへと、ゆっくりナギトが歩み寄ってくる。テオルの思考が高速で回るが、どう考えても自分の力ではこの状況を打破できない。
最後の希望は、手に忍ばせた暗器を、近づいてきたナギトに不意打ちでお見舞いするという方法だが、自身と同じ反射速度を待つナギトにそれが通用するとも思えない。
(でも、やるしかねぇ)
ナギトを睨む、テオルのその視界が――塞がれた。
同時に、まだ落ち切っていない、マギリアの王族独特の匂いが香る。
「何の真似だ?」
ナギトがそう問うのも無理はない。武器も何も持ってはいない、丸腰に見える少女が、飛び出してきたのだから。
セナが、テオルに迫るナギトの前に立ち塞がったのだ。誰もが想定していない行動だった。
「おい! よせ! 離れろ!! 頼む!!」
テオルが後ろから必死に呼びかけるが、セナは聞かない。それどころか。
「ここから、立ち去りなさい」
気丈、を装うかのような、やや震えた声で、セナはナギトへそう言い放った。
しかし、ナギトの歩みは止まらない。当然、とでも言うかのように。
「どけ。殺すぞ?」
鈴の音を鳴らしながら手をかざし、ナギトが迫る。
――セナは、両手の拳をぎゅっと握ると、もう一度言葉を繰り返した。
「ここから、立ち去りなさい!」
今度は、先ほどよりも強く、そう言った。
――直後ナギトは、コンマ数秒後に起こるとんでもない現象を肌で感じ取った。
ナギトは咄嗟に横に動き、セナが正対する一直線上の軌道から外れた。
その直後、破裂音と共に、ナギトが数瞬前まで立っていた地面が、いやその周囲の空間が抉り取られていた。
セナの持つ超常の力が、ナギトに牙を剥いたのだ。
「何だこれは」
今までほとんど無表情だったナギトですら、その現象には目を見開いている。
「――また、あの力」
セナの後ろで、倒れたままのテオルが呟く。セナの目の前は、爆弾でも落ちたかのようにずたずたに破壊されていた。
テオルは、セナにこの力を使って欲しくないと思っていた。都合よく使い続けられる力であるとは思えない。どんなリスクが潜んでいるのか見当もつかないからだ。
ちらりと、ナギトが横目でミクニを見る。
ミクニは身体を震わせ、笑みを浮かべながら、欲望を抑えきれないといった様子でぶつぶつと何かを言っていた。
「すごい……! なんだ今の、なんて力だ……なんなんだこれ……ほしい……僕のものにしたい」
それは、ナギトの予想通りのリアクションだった。
ナギトは、視線をセナへと移す。セナは肩で息をしており、鋭くナギトを睨んでいるが、随分と余裕がなさそうにも見えた。
ナギトの目がぎゅっと細まり、セナを数秒見つめる。そのとき、セナは妙な感覚に襲われた。距離こそ離れてはいるが、まるでこのナギトという男に、何もかもを見透かされているような気がしたのだ。
ちりん。ナギトの鈴の音が鳴る。
それと共に――。
『自分は足手まといだと思っているな? 小娘』
独特の波長のナギトの声が、セナの鼓膜を叩く。セナの身体がびくりと跳ねた。
『劣等感を感じているんだろう。周りの足を引っ張って、自分はなぜここにいるのか、どうすればいいのかと。しかも、自分の気持ちを分かってくれる者もいない。孤独で辛い。そうだな?』
鈴の音は鳴り続け、ナギトの声と共にセナの頭の中へ響いてくる。
「う、あ」
セナの身体は何故だか震え出し、自分の意思で動かせなくなってきていた。何かを言おうとしても、意味のない短い言葉が出るばかり。
ナギトの催眠術の、術中に嵌りかけている。
『そうやって仲間の為に戦えば、自己嫌悪はなくなるか? しかし、どうせまた繰り返すぞ。――もう全てを放り出したらどうだ。そうすれば楽になる』
「うぅ!」
セナの周りの空間が、歪みだしているように見えた。とんでもない力が、セナの周りに集まってきている。
「待て! セナ!」
セナの様子がおかしいことに気づき、テオルが手を伸ばすが――。
『そうだ、いいぞ。さあ、全てを放り出してしまえ!』
そのナギトの声が引き金となり、セナの力が無造作に弾けた。
「うあぁ!!」
セナの叫びと破裂音が、響き渡る。彼女を中心として、超常の力が周囲を吹き飛ばしてしまった。
テオルは元駐屯所の外壁に叩きつけられ、ナギトは瞬時にミクニを抱えて距離を取っていた。森の木々もひん曲がっている。
――数秒後には、隕石でも落ちたかのような惨状の真ん中、クレーターのような半球状の穴の中に、セナが倒れていた。もう意識がない。
「やはり、制御できない不安定な力か」
ミクニを降ろしながら、ナギトはふっと小馬鹿にするように鼻を鳴らす。そのナギトの袖を、ミクニが乱暴に掴む。
「ナギト! あの人の力、欲しい! 連れて帰ろう! 僕のものだ!」
「分かりました」
淡々と答えたナギトが、倒れるセナの元に近づこうとしたとき。
ナギトが、反射的に森の方を向いた。
「どうしたの? 早くあの人を――」
「王子、私の後ろへ」
ナギトの視線の先、森の中から、誰かが飛び出してきた。
どん、と、ナギトとミクニの前に着地した彼は、残虐な笑みを浮かべながら、剣を構える。
「お前、強そうだなぁ? 俺と闘りあってくれよぉ」
鋒をナギトへと向けるその男は、カイン――いや、ミグラだった。
「え、うわ、あの人もすごい! 女の人に夢中で気づかなかったけど、かなり大きな『気』だ!」
今度はミクニが、ミグラに対して目を輝かせている。
「――そうか、森でモウ爺を倒したのはこの人だったんだ。ねぇナギト、この人も僕のものにする!」
ミグラを指差し、またミクニがナギトの袖を強く握る。
「分かりました」
またも淡々とそう答え、ナギトはセナの方を見る。その側には、身体を引きずってテオルが近づいていた。
ナギトはミグラへ視線を戻すと、鈴の音を鳴らしながら片腕を前にする。――ミグラを相手にするつもりのようだ。
「死か、服従か。選べるとすれば、どちらにする?」
そのナギトの問いかけに、ミグラの笑みがより深まった。
「服従するさ。闘争心に!」
踏み込んだミグラの片足が、大地にめり込む。
ナギトはミクニを片腕で抱え込み、そのまま臨戦態勢を取った。




