Episode 4
それから少しだけ話をした後、傭兵少年はジャックと別れた。
何となく訊いた「好きなものは?」という質問に、ジャックが「甘いもの」と答えたのには面食らった。それが一番印象に残っていたりもする。
「お、ヨーヘイじゃねぇか」
ふいに前から、テオルが陽気に歩いてきているのが見えた。
「お前と話をする気はないぞ」
彼に対して、傭兵少年は冷たく言い放つ。
「え。何でだよ」
「進展がなさそうだ」
「まじかよ」
テオルは少し前で立ち止まったが、傭兵少年は構わず歩き続けていた。
「じゃあ一つだけ確認だ。俺たちを裏切るつもりはないか?」
「ない」
傭兵少年の問いに、テオルは即答する。
二人の会話は、それだけで十分だった。
「ならいい」
早足で、その場を去ろうとする傭兵少年だったが――。
「じゃあ、俺も一つ確認。答えなくていいから」
その後、すれ違いざまにテオルが言ったことに、傭兵少年は驚愕する。
「セナ王女は、貰うからな」
「……は?」
歩みを止めて振り返った傭兵少年だったが、今度はテオルの方が歩き続けて、何も言わずにどこかへと行ってしまった。
それからしばらく移動をすると、森の割と緑が深いところに、セナがいた。
「セナ王女」
傭兵少年が声をかけると、セナは振り返って、微笑んできた。
「付き人さん、私とお話しますか?」
「そうしましょうか」
傭兵少年も、不器用ながらも微笑みを返す。そして先に、気になったことを訊いてみる。
「さっき、テオルに変なことを言われませんでしたか?」
「え? 話してはいましたけど、特に変なことは言われませんでしたよ」
「そう、ですか。奴には気をつけてくださいね」
「大丈夫です。長く話し込んでいましたが、彼に悪意がないことは分かりましたから」
「いえ、そういう意味ではなく、ですね」
「え??」
セナの頭上に、疑問符が浮かんでいるのが見えてきそうだ。「まぁ、いいです」と、傭兵少年は話を打ち切った。
「それよりも、私はあなたのことを何とお呼びすればよろしいですか? 『付き人さん』、では、親しみがないかなと」
セナがそう訊いてきた。そういえば、セナに呼びかけられたことは、ほとんどなかったような気がする。
「それでいいですよ。ていうか何でもいいです。名前ないんで」
「では、テオルが呼んでいるように『ヨーヘイ』さんと呼んでも?」
「それは――あいつの顔がチラつくので、やめてもらうと助かります」
セナは「そうなんですか?」と、口元を手で覆って微笑んでいる。何をするにも、動き一つ一つが上品だ。さすが王族、と、傭兵少年は改めて思う。
ちなみにテオルも王族ではあるが、傭兵少年の中では彼は盗賊の分類なので、対象外だ。
微笑むセナを見て、傭兵少年はふいに目を細めた。
「セナ王女は、強いですね」
「え?」
唐突な投げかけに、セナが軽く戸惑っている。
「俺の勝手なイメージですが、あなた方王族は、もっと打たれ弱いものだと思ってました。王族としての日常が壊れて、外に放り出されたらもっと、その、わがままを言われたり、気が触れたりするんじゃないかと」
頰を掻きながら、遠慮気味にそう言うと、セナは困ったように笑いながら、答える。
「それは……そう、ですね。できれば私だって、そうしたいですよ。いつもみたいに勉強して、読書して、付き人さんと話をして、お風呂に入って、暖かいベッドで寝たい。わがままは言いたいし、時々、ちょっと負けそうにもなります。あの日常に戻りたいと。――幻滅しました?」
傭兵少年は「いえ」と言って、首を横に振る。
「でも、弟のエンもいる。そんな状況で、私が弱音を吐くわけにはいかない。それに、どんなことになっても、自分をしっかり持って、凛として生きていかなければならないというのが、私達の母の教えでしたから」
「母――ユウラ王妃ですか」
「はい」
セナは、懐かしむような、悲しそうなような表情になり、続ける。
「母は厳しい人でした。でもそれ以上に、とてもとても優しい人でした。母のくれた色々な言葉のお陰で、私とエンは自分を保ち続けていられるのかもしれません」
「そうなんですね。ユウラ王妃、最近になって傭兵として王都に入ってきた俺にとっては、見たことすらないお人です」
マギリアの現王ガムルの妻である、王妃ユウラ。才色兼備で優しい彼女は、マギリア国民の間でも自慢の王妃だった。
しかし彼女は、一年半ほど前に病に倒れ、亡くなった。国民達は悲しみ、何より、夫であるガムルの悲しみは計り知れないものだった。――ガムルが人に会おうともせず、次第にやつれていったのは、その頃からだった。
セナは、黙ったまま顔を伏してしまった。傭兵少年はしまったと思ったが、すぐに顔を上げたセナの口からは、まるで予想外の言葉が飛び出てきた。
「付き人さん、あなたには、真実を伝えておきます」
「え?」と顔をしかめる傭兵少年をよそに、セナは続ける。
「母は、生きています」
「――え?」
傭兵少年には、間抜けな返答しかできなかった。
マギリア中では確かに、ユウラ王妃は亡くなったことになっていたはずだ。
だが、不審な点はあった。そういえば葬儀は行われていなかったし、当時の王族はその事について一切触れなかったと聞く。
しかし、生きているというのは――。
「母が、病に倒れたのは確かです。しかし、生きてはいても母は――病によって脳を侵され、いつ目を覚ますかも分からない、植物人間になってしまったんです」
そう言うセナの声は、震えていた。
「そういうこと、だったんですね」
「はい。マギリア中の高名な医者を持ってしても、母を回復させることはできませんでした。このことはマギリア城にいる一部のものしか知らず、皆の間では死んだということにされています。でも母は今も、マギリア城のどこかで、覚めない眠りの中にいるんです」
当時、国民の前に一切現れなくなったユウラ王妃に対し、次第に死亡説が囁かれるようになった。だがガムルを含めマギリアの上層部は、それに対し何の否定のアクションも起こさず、結果としてその説が正式なものとして国民達に認知されるようになってしまったのだ。
植物人間になってしまったのでは、死んでしまったのと同じなのかもしれない――そんなガムルの諦めも、あったのかもしれない。
「あのバルという化け物でさえ、『亡きユウラ王妃』と言っていましたからね。そうか、生きているのか――」
その時、バルの言葉を思い出した傭兵少年は、気になることを思い出した。
『確かに、亡きユウラ王妃の力を受け継ぐセナ王女がいるのでは、私も少々怖いな』
去り際のバルは峠で、そんな事を言っていた。その力というのは、何度か見たセナのあの空気砲にも似た超常の力のことだろう。
言葉を真に受けるならば、ユウラ王妃も――。
傭兵少年がそのことをセナに伝えると、セナは頷き、こう言った。
「そのことについては、今考えれば、少しだけ思い当たることがあります。私のあの力が何なのか、核心については私自身も分かりませんが、そのことはいずれまた、この対話の時間が終わった後、皆んなの前で話します」
傭兵少年は「お願いします」と肯定した。行動を共にする仲間の間で、未知のものや疑問は少ないに越したことはない。
「王女、辛いことを話させてしまって、申し訳ありませんでした」
傭兵少年は、恭しく頭を下げた。
「よ、よしてください。全然構いません。母の意識が戻ってこないでも、母は私達の中に息づいている、そう思ってますから」
セナはそう言うと、眩しいほどに純粋な微笑みを見せた。
やっぱりこの人は強い、傭兵少年は強くそう思わされた。
(これは、お前でもきつい相手なんじゃないか、テオル)
頭を上げた傭兵少年は、心の中で悪友の恋路を心配していた。――セナの呟きを、聞き漏らしながら。
「お父様も、同じ思いだったらいいのですけれど、ね」
三人の子供を授かってなお、ユウラに対するガムルの溺愛ぶりはかなりのものだった。だからこそ、今のガムルの心は、深く闇に蝕まれている。
そんな心の闇に、ジョーカーはつけ込んだ。
マギリア城の襲撃時。ガムルと対面したジョーカーが、降伏の交換条件として提示した言葉、それは――。
『ユウラ王妃を、蘇らせてやろう』
数年前。皆が今よりもっと、小さいとき。
日中のチャンバラ遊びで、どうしてもラピッドに勝てなかったエン。悔しかったエンはラピッドを困らせてやろうと、夜になると部屋を抜け出して、母のユウラの元へと向かったことがあった。
たった一度だけ。
『まぁ、どうしたの』
廊下で泣きじゃくっているエンを見つけたユウラは、ガムル王しか入ることの許されていない寝室の中へと、エンを招き入れた。
エンが事情を説明すると、ユウラは微笑み、エンの頭を優しく撫でた。
『頑張っているんですね、エン。ラピッドとガムル王には私が言っておきますから、今晩はここでゆっくりしていきなさいな』
「その晩、お母様と初めて色々な話ができて、とっても楽しかったよ。お母様はいつもは厳しいけど、ふとしたときにはとっても優しい人なんだ」
エンがそう話している相手は、テオルだ。彼は口元に手を当てて、複雑な表情を浮かべ、話を聞いている。
「そうなのか。ユウラ王妃、か――植物人間から戻してやれる方法は、ないのか?」
ユウラの現状を、エンもテオルに打ち明けていた。
「今のマギリアには、ないよ」
「そうか、残念だな」
「うん。――テオルのお母様は、どんな人なの?」
「俺の母親は、俺が物心着く前にもう死んでる。どんな人だったのかは知らないんだ」
「ごめん」
「いや、全然構わないよ。――しかしまさか、敵国の王子と、こんな話をする日がくるなんてな」
テオルはそう言うと、笑った。ふと、この状況が可笑しくなったのだろう。
「そうだねぇ。僕達が産まれた時にはすでに、マギリアと盟は『敵国』同士だったもんね。この島に最初に二つの国ができた頃には、お互い手を取り合って、平和にしていたみたいだけど」
「らしいな」
エンは少し間を置くと、また話す。
「半世紀前、その平和を崩して、盟へ侵略戦争を仕掛けたのは、僕らのおじい様だ。――ごめん」
エンは、なんと、テオルヘ頭を下げた。
「……エン王子、三つ言いたいことがある。一つ、謝っても何も解決しない。二つ、当事者じゃないあんたが、血の繋がりだけで謝る必要はない。三つ、王子が簡単に頭を下げるな」
「そうだね、全部その通りだ。でも、謝りたかったから」
「そういうクセがつくと、良くない。特に、上の者がそんなんじゃな」
「『上の者』――? それは、王子だから? そんな認識、僕にはないけど。テオルには、あるの?」
エンに首を捻ってそう言われ、テオルは目を見開いた。
「そう、か。そうだな、そんな認識が、俺にはある」
「間違いじゃあ、ないんだろうけどね」
「あぁ、間違えちゃいない。――でも、これからの時代に必要なのは、そんな『王』じゃないかもな」
後半の言葉は、囁くような、小さな声量でのものだった。
「なんて?」
「いや、何でもない。とにかく、これからの時代を作るのは、今を生きる俺たちだ。あんたが過去の残骸であるジョーカーに引っ張られて、謝る必要は全くない」
「ありがとう。敵国の王族だから、ジョーカーの孫だからって、もっと言われるものだと思ってたよ」
「それは――何というか、そういう立場や肩書きに捉われて人を判断するのは良くないって、あんたの姉貴に教えてもらったから」
「え? そうなんだ」
エンはへへっと笑った。
「また、昔みたいにお互いの国が手を取り合って、進んでいける日が、来たらいいのにな」
テオルはエンから目を逸らすと、願うようにそう言った。
「来るよ」
すると、エンはそう答えた。そして、力強い笑顔になって、言葉は続く。
「だって、僕達で作れるじゃないか! いつかきっと、僕達で、作り出そうよ!」
エンは手を差し出す。握手を求めていた。
テオルは一瞬驚いた後、口を開く。
「死ぬほど、困難な道だぞ? どちらかの国を叩き潰すよりも、よっぽど難しい」
「分かってる。でもできる。僕達で、やろう!」
エンに迷いはなかった。
再びテオルは驚くも――その想いに応えるかのように、やがてテオルも、力強い笑顔となった。
「そうだなぁ、いっちょ、俺らでやってやるか!」
そして、差し出されたエンの手を掴むと、テオルはぎゅっと強く、握り締めた。
「こ、こ、こんなものも、いるのか」
カインは、腰を抜かしていた。
その目の前には、巨大な一匹の、熊が。森に生息していた野生のものに、運悪く遭遇してしまったのだ。
辛うじて抜刀しているも、剣先を熊へ向けているだけで、尻餅をついたその体勢からは迎え撃ちようもない。
熊はじっとりとカインを見下しているようだったが、やがて動き出した。
「ひえっ!」
その瞬間、血飛沫が舞った。――カインのものではない。
目をつぶってしまっていたカインが目を開けると、すぐ前では熊が血塗れになって倒れ込んでいっていた。
「大丈夫か?」
横たわり、動かなくなった熊の身体の上に立っていたのは、袖から三日月状の刃を出した――。
「――ジャック」
血に染まったサイボーグと、カインは目を合わせた。




