Episode 2
名もなき傭兵少年の試合が終わって、一週間の時が経った頃。
この日のマギリア城は、一つの噂で持ちきりだった。
とある人物が行方不明になったらしい、というものだ。
朝。
エンは、すやすやと気持ちよく寝息を立てていた。
じきに、ラピッドがエンを起こす定時となる。
ど、ど、どん。
扉から、ノックらしからぬノックの音が響いてきた。エンは幸せな夢を見るのに忙しいようで、起きる気配がない。
すると扉は開き、「彼」は迷いなくベットの側へと足を運ぶ。
「おい、起きろ」
無遠慮に体を揺すられ、エンはようやく夢から覚めた。
ああ、もうラピッドが来たのかと思い、目を開ける。
――その時、エンは自分が今どこにいるのか分からなくなった。
いつもの部屋、いつものベッド、と確認をする。
そうだ、いつもの朝だ。
しかし、エンを起こしにきたのは、いつものラピッド――ではなかった。
エンは飛び起きる。
そして、あらためて驚愕した。眼前にいた人物は、記憶にも新しい、大剣を背負ったあの名もなき傭兵少年だった。
頰を抓っても痛いだけで、夢ではないことを物語っている。
「な、何で君が、ここに?」
半ば思考が停止しているエンが、寝ぼけ眼を擦りながら訊いた。
「代理だ」
無表情な傭兵少年は、無骨に答える。
「あんたの付き人のラピッドが、行方不明になった」
――その後、素早く朝の身支度を済ませたエン。
話を聞くため、傭兵少年を椅子に座らせ、向かい合って自分も座る。
「いやぁ、僕はまた会いたいと思ってたけど、まさかこんな形で会えるなんて」
やや混乱状態だが、それでもエンは自然と笑顔になる。
「あんたは、一週間前に見かけたな」
傭兵少年は、観察するようにじっとエンを見ていた。
「うん! それで、僕いまちょっと混乱してるんだけど、詳しく話を聞かせて。何で君が、ラピッドの代理になってるの?」
「それは、わからん」
傭兵少年は頭をかきながら答える。
「昨日の晩、突然異動が起こって、あんたらの付き人に俺が任命された。極秘だが、王さん直々の命だったらしい」
「お父様が? どういうお考えなんだろう。――それで、ラピッドが行方不明って?」
「細かいことは知らんが、昨日から姿を見せなくなったらしい。王都中で捜索してるが、手がかりは一切ないと」
「そうなんだ。どうしたんだろう、ラピッド」
しばらくエンは考え込んだ。
最近のラピッドに、特におかしな気配はなかった。
何か事件に巻き込まれてなければいいが、と心配する。
「ラピッドって人は、たいそう有名な人だったようだな。盲目なのに、この国最強の剣士だったとか。すごかったんだな」
「うん。ちょっと、過去形はよしてよ。死んでるみたいじゃん」
そこでまた、エンは考えを巡らせる。
「しかし、君みたいな傭兵職が代わりに付き人になるって、とっても変な人事だね。僕は君を好きになれそうだから嬉しいけどさ」
「変なはずだ。俺は傭兵としてこの城に入った身なんだ。付き人なんて不慣れで、最初は迷惑をかけるかもしれんが、大目に見てくれ」
「全然いいよ。細かい事は抜きにして、どうせなら仲良くしよう! 僕は嬉しいな。同じ歳の、同じ男の子が付き人になってくれたから」
その言葉を聞いて、傭兵少年は少し首を傾げる。
「あんた、男の子なのか? そういえば、第二『王子』だったな」
「そうだよ。女の子と思ってた? まだ言ってなかったね。僕の名はエン。『マギリア』の第二王子。よろしく」
「エン、ね。よろしく」
「君の名前は、ないんだね」
「ああ。なんと呼んでくれてもいい。――じゃあ、次の仕事を片付けに行く」
ふーと息を吐いて、傭兵少年が立ち上がる。
エンは不思議そうにその姿を眺めていた。
「何をするの?」
「もう一人を起こす」
「え、もしかして姉さまのこと?」
頷く傭兵少年を見て、エンの顔から笑顔が消える。
そう言えばラピッドは、エンと、姉の第一王女のセナ、二人の付き人。
セナを起こすのも、ラピッドの仕事だ。
「君が、姉さまの部屋にも行くの?」
「仕事としては、そう聞いてる」
「うーん、大丈夫かなぁ? ねぇ、どうせ朝食を食べに出るから、僕も一緒について行くよ」
エンも伸びをしながら立ち上がった。
傭兵少年を一人で行かせては――まぁ、色々と不都合が生じるかもしれないと考えたのだ。
「ああ、わかった」
――「マギリア」の国王ガムルには、三人の子どもがいる。
第一王子クルル。十二歳。
第一王女セナ。十一歳。
そして、第二王子エン。十歳。
「セナ姉さまはね、国民の皆からとても人気があるんだ。強く、美しく、優しい人だって。まだ十一なのにな」
エンが、早足で廊下を歩く傭兵少年を追いかけながら話す。
「そうなのか」
「でも姉さまは、実はとっても繊細な人なんだ。なんて言うか、自己評価が低いって言うのかな? その分、普段から気張りすぎていて、ちょっと心配なんだ」
「あんた凄いな。普通は俺たちの歳で、そんな気遣いはしない」
「うーんまぁ、姉さまにはありがた迷惑だろうけどね」
会話を続けているうちに、傭兵少年は豪勢な扉の前で立ち止まった。
ここが、第一王女セナの部屋だ。
「確かここだな」
「姉さまは、もう起きてると思うよ」
「そうか。まぁ仕事だから声はかけていく」
傭兵少年はどどん、と扉をグーで叩いた。ノックのつもりのようだ。
「はーい?」
返事が聞こえてきたので、扉を開けた傭兵少年は躊躇なく中に足を踏み入れた。
「おう。朝になっ――」
「ひぁあ!!」
「あ?」
直後。
傭兵少年は、部屋から飛んできた椅子をまともに喰らった。
廊下の壁まで吹っ飛ばされ、エンの目の前で倒れ込む。
「おい」
倒れたままの格好で、エンを睨む傭兵少年。
「強く、美しく、『優しい』、人だって?」
「国民の皆さんにはね」
もう少し傭兵少年に注意しておくべきだったと、エンは後悔した。
時すでに遅し。
「姉さまー、おはよう」
「エン!?」
ひょっこりとエンが部屋に顔を出すと、セナの困惑した声が返ってきた。
「だ、誰ですか!? その男子は!?」
部屋の中で顔を真っ赤にしていたのは、この国の第一王女、セナだった。
気品のある端整な顔立ちで、肩あたりまで伸びている髪はエンと同じく真っ白だ。
既に王族の衣装に着替えており、首に銀の十字架のネックレスをしている。
そして手には、傭兵少年に追撃を与えんとばかりに振り上げられた、もう一つの椅子を握っていた。
「えっとこの人はね、新しい僕らの付き人なんだ」
「新しい、って……どういうことですか?」
「説明するから、椅子を置いてほしいなぁ」
その後エンは、セナへ諸々の事情を説明した。
行方不明のラピッドと、名もなき傭兵少年のこと。
ちょうど説明し終えたタイミングで、椅子を担いだ傭兵少年が、再入室を試みてきた。
「もう、入って大丈夫か?」
遠慮気味に、セナに声をかける。
「あ、ごめんなさい。私、初めてお会いした方に対してとんでもないことを」
セナは申し訳なさそうに、傭兵少年と目を合わせて謝罪した。
「いや、面識もないのに、いきなり入ってすまなかった」
「こちらこそ……ラピッドが来るとばかり思っていたので、驚いてしまったんです。ごめんなさい、お恥ずかしい」
俯くセナの頬と耳が、かなり赤くなっている。
振り払うように首を横に振った後、セナは顔を上げた。
「あなたが新しい付き人になるのですね。私たちと同じ歳の、それも傭兵職の方を選ばれるなんて、お父様のお考えはよく分かりませんね」
「そうだね。今度お話する機会があったら聞いてみよう。いつになるか、わからないけど」
王ガムルはこの一ヶ月ほど、他者と接点を持つ時間をめっきりと減らしていた。
王子たちのような身内でさえ、例外ではない。
理由は不明だ。
「まぁとりあえず。あんたら、これから朝メシを食いに移動するんだろ? 一緒に行くから仕度してくれ」
椅子を降ろしながらそう言う傭兵少年を、セナがきっと睨みつける。
「先ほどから少し気になっていましたけど、言葉遣いがやや荒っぽいですね。あくまで客観的な意見としてなので気を悪くなさらないでほしいですが、仮にも私たちは王族なので、もう少し言葉に敬意を込める癖をつけた方が良いと思います。私やエンなら構いませんが、王の前でもそんな態度では、着任早々に解任になってしまいます」
セナの口調は厳しめだ。傭兵少年の今後を思っての指摘だろう。
傭兵少年は、それまでの無表情を崩し、困ったような焦ったような顔をしている。
「あ、それは、すまん、いや、すみません、かった。俺はまともな教育を受けてないもんで、その、教養というものがないんだ、いや、ない、の、です。言葉にはこれから、気をつけ、ます」
つっかえつっかえ答える傭兵少年は、まるで別人のようだった。
「ふふ。分かりました、ありがとうございます」
セナがくすりと笑う。
「僕は普通でいいんだけどなぁ。友達と喋れてるみたいで新鮮だから」
「だめですよ。この人のためにならないから」
「まぁ、俺のことはいい、です。とにかく、朝メシを食べに行こう、です」
傭兵少年は、言葉選びを意識するあまりロボットのようになってしまっていた。
「あははは! 変だよそれー!」
楽しそうに、大声で笑うエン。
傭兵少年は、また困った顔をしていた。
――セナ、エン、傭兵少年の三人は扉を開け、大部屋へと入っていった。
そこは、王子たちが揃って食事を摂る食堂だ。
縦長な食卓には真っ白のテーブルクロスが敷かれており、壁にはセナやエンと同じく白髪の女性の絵画が一つ、部屋の隅に置時計があるのみの、簡素な空間。
食卓の上には、既に色とりどりの料理が並べられていた。
「今日は遅かったな」
セナたちが来た時には、もう第一王子ククルが席に着いていた。隣には、彼の付き人が佇んでいる。
十二歳の第一王子ククルは、セナたちとは違い、髪は赤毛、猛禽類のような鋭い目つきをしている。
付き人は、ラピッドと同じく青い制服を着た、黒髪の十七、八ほどの青年。
剣などの武器らしきものは所持していないように思える。
「ごめんなさい兄様」
セナとエンも、それぞれ席に着いた。
儀礼的な言葉を呟いた後、食事が始まる。
食堂の壁際に移動した傭兵少年は、腕を組み黙って立っていた。
自身の朝食は済ませている。
食堂内には食器の音だけが響いており、こういう雰囲気は肩がこって嫌だな、と一人思案していた。
すると、ククルの付き人の青年が、音もなく静かに近づいてきた。
「初めまして。僕の名はユノ」
青年――ユノに、小声で話しかけられた。
「初めまして」
「君が、ラピッドさんの後任だね。噂はかねがね聞いてるよ。君の強さにはビックリだ。まだこんなに幼いのに」
「どうも」
傭兵少年はこの人物から、なんとなくだが不快な気配を感じていた。
――これは、敵意?
「まぁ、同じ王族の付き人同士、仲良くやろう」
笑っているユノだったが、目が笑っていないことを傭兵少年は分かっていた。
「ああ」
――傭兵少年の仕事は、食事の終わったエンたちを部屋に送り届けて、一旦区切られる。
後は、就寝前の二十一時頃に、自室へと消灯しに行く。通常時に本人たちと接触するのは意外とその程度で、他の時間は雑務に専念する。
付き人の仕事は、特別な行事や本人たちからの要望の対応を除けば、毎日これの繰り返しだった。
割と余裕そうだと、傭兵少年は安易に考える。
しかし、それはとんだ勘違いだったと、すぐに思い知るハメになった。
何故なら彼は、王ですら頭を抱える問題児、第二王子エンの付き人なのだ。
その日の陽が沈む頃、マギリア城の城門。
ここには、二人の衛兵が常駐している。
「いやぁそれにしても、かっこよかったなー!」
衛兵の一人が、ひょうきんな声を上げていた。
彼の名前は、カイン。
またの名を「腰抜けカイン」。
本人はそう呼ばれていることを今さら気にしていないが、自分が腰抜けだということは自覚してしまっていた。
歳は二十代前半。衛兵用の緑の制服を着ている。
「またその話か」
そう答えたもう一人の名は、サイモン。
かつて傭兵だったこともあり、カインと違って見た目も中身もしっかりしている。
ちなみに、老けて見えるがカインとは同い年だ。
「ありゃすげぇよ! だって一瞬で、あの怖そうな男たちをのしちまうんだぜ! しかも素手で!」
「へぇへぇ、見てたよ」
カインが嬉々として語っているのは、傭兵少年の試合のこと。
カインは、コロシアムで傭兵少年を見て以来、すっかりその強さのファンになっていた。
自分より一回り小さい傭兵少年の真似をして、カインはポーズを決めている。
「お前って、本当いつまでたってもガキだよな。親御さんが心配になるのもわかるよ」
「あ、そういえばうちの親が、田舎からお土産に饅頭買ってきたんだけど、お前も食う?」
「はぁ、別にいらん。――ん?」
その時。
衛兵二人は、王都の方角から、こちらへと近づいてくる人影に気付いた。
「おや、誰だ?」
西日を背負うその人影に、カインは目を凝らす。
人影は、フードのようなものを深く被っているように見える。そして身なりは、戦場から帰ってきたかのように、ぼろぼろだった。
「なぁなぁサイモン。何かあいつ、様子がおかしいぞ――?」