Episode 1
「面白いことないかなぁ」
王国の第二王子であるエンは、退屈を持て余しているようだった。
机に向かっているものの、足をパタパタさせて、悪態を吐いている。
自室で勉強中なのだが、どうにも性に合っていないらしい。
その不服そうな視線の先には、先生役を買って出た付き人がいた。
「自習したいと仰られたのは、あなたです。エン王子。さあ、続けますよ」
ため息混じりに、王子を諌める。
「ひーん」という子犬のような悲鳴が、豪勢な王子の自室に響き渡った。
まだ十二歳であるこの王子の名は、エンという。
母親譲りの白髪に、まるで女の子のような可愛らしい見た目。しかし、年相応のやんちゃボーイではある。
いや、それどころか、国一番のお騒がせ者である。
対して、すらっと背の高い付き人は、落ち着いた大人の雰囲気を纏っていた。
彼の名は、ラピッド。国の青い軍服に、長い金髪が映えて見える。
長髪と華奢な体格のせいで、シルエットだけだと誤解されがちだが、男性である。
「あっ。ラピッド、そろそろ時間じゃないかなぁ?」
嬉々として、エンが人差し指を立てる。
時計を見やったラピッドも、はたと気づいたようだ。
「はい。王子が、私より先に気づくとは」
「へへん」
「単に、時間ばかり気にしておられたからでしょう?」
「ふえ」
言葉の棘に突かれながらも、教材を閉じたエンは、いそいそと準備を始めた。
待望の、自室からのお出かけの準備だ。
「さあ行こう! ほら、ほら、ほら!」
「はいはい。わかりましたよ」
ここは、王国「マギリア」。
その王都。
見かけ上の平和が続いている現在では、王族に向けた出し物が断続的に開催されている。
それほどの余裕があるということだ。
王族区画と兵士区画の境界には、巨大なコロシアムがある。
その上層には、王族関係者のみが立ち入りを許される、周囲から隔絶された眺望席が。強化ガラス越しではあるが、コロシアム全体をじっくり見下ろせる場所だ。
今日コロシアムで行われるのは、傭兵同士の力比べだ。
実態はというと、力比べという言葉をカムフラージュにした、単なる殺し合いなのだが。
そして今回は、とある出場者の試行実験も兼ねている。
「ラピッドは、『彼』の戦いを見たんだよね」
装飾が目立つ椅子に腰掛けたまま、エンは傍らのラピッドに問いかける。
「ええ。私が試験官の一人でしたから」
「どんな感じの人だったの?」
「そうですね。戦うために生を受けたと思うほど、凄まじい圧力をまとった少年でした」
「ほぉう」
「あとは、ご自身の目でお確かめください。直に始まりますよ」
客席にいる音楽隊が、喇叭の音を響かせる。
コロシアム内の、柵型の扉が引き上がった。
その扉の厳しさたるや、中から猛獣が出てくるのかと思うほどだ。
扉の奥の薄暗がりから、古傷だらけの半裸の男が二名、入場してきた。
一人は、片手に細身の剣。
もう一人は同じく片手に弓を握り、背には矢筒が見える。
そして、遅れてもう一人――それこそ猛獣のような巨漢が、気怠げに続いてきた。
先の二人と同様に半裸で、丸太のように野太い両腕には、ぎらりと光る鋼鉄のグローブを装着している。
「彼らは『マギリア』の傭兵ですが、当時の戦渦に当てられ、無用な暴力を繰り返した犯罪者です。戦場を生き抜いてきただけあり、実力は一級品なのがまた厄介ですね」
実はこのラピッドという付き人、その目をほとんど開いていない。目が見えないのだ。
しかし、状況はきちんと把握できているようである。
「元傭兵さん、か。とっても強そう」
三人の男たちがコロシアムに入ると、喇叭が止む。
直後、対面にあった違う扉が上がっていった。
「あっちが、『最後』の傭兵さんなの?」
「そうですね」
扉の奥から、まだ体の小さな少年が、ゆっくり歩いてきた。エンと同じ歳ほどだろうか。
黒髪、黒いタンクトップに、同じく黒い長ズボン。そして背には、ちゃんと使えるのかと心配になるほどの大きな剣を背負っていた。
この少年、最近になって一部の王族や傭兵を騒がせている、噂の人物だった。
「――即戦力になる傭兵という人材に、この国も頼っていた時期がありました。しかし近頃は、戦火の落ち着きや代替技術により、傭兵はお役御免、という風潮だったのですが――」
「そこに、アウトローが一人、扉を叩いてきたんだね」
ラピッドの解説を聞きながら、エンはじっと少年を見つめていた。
「はい。あの少年は、自身の戦闘力を見せつけるという簡潔な方法で、廃止されていた傭兵枠に転がり込んできた。それほどイレギュラーな力を示したということです。彼が、この国にとって最後の傭兵になるでしょう」
「ふむ」とだけ唸って、相変わらず少年から目を離さないエン。
よほど、彼に関心があるようだ。
さて。
それぞれの武器を携えた三人の男たちは、今回の「力比べ」の相手が少年だと知るや、揃って顔をしかめていた。
「はあ? ガキのお守りのために駆り出されたのか? 安く見られたもんだ」
弓矢の男は、語気を強めながら弓に刻まれた傷をなぞっている。
「まぁしかし、『相手を殺せば減刑』という約束を反故にはするまい。あと何十人を相手取ればいいのかという話ではあるが」
自虐的な物言いをする剣の男は、薄い笑いを浮かべている。
「どきな。俺が、秒でペシャンコにしてやる」
すると、巨体の男が、他二人を押しのけて前に出てきた。
傭兵少年は、無表情で、男たちを見つめ返している。
「いよいよです、王子」
音楽隊が、銅鑼の音を大きく鳴り響かせる。
「力比べ」開始の合図だ。
その直後。
背負っていた大剣を手に取った傭兵少年は、緩慢な動作でそれを振り上げると。
大剣を、深く地面に刺してしまった。
「どういうつもりだい?」
剣の男が、笑みを浮かべたまま問いかける。
「あなたたちを、殺すつもりはない」
傭兵少年の答えは、すぐに返された。
歳の割には低い、落ち着いた声だ。
その言葉に、巨体の男の怒りが露わになる。
「向こう見ずのクソガキが! テメェがくたばるんだ!」
どすどすと地響きすら伴い、巨体が、傭兵少年に突撃していく。
そして、勢いをそのままに、鋼鉄のグローブをフルスイング。
少年の体躯なら彼方まで吹き飛んでしまうであろう、どう考えてもオーバーキルの一撃だ。
しかし。そうはならなかった。
剛腕は、空を切る。
瞬時にしゃがんで、視界から消えていた傭兵少年。
流れるように巨体の懐に潜り込んだ彼は、無防備な顎に向けて、アッパーカットをお見舞いする。
重く、鈍い音が響いた。
白い粒のようなものが、いくつか飛散していた。アッパーカットを食らった男の、折れた歯のようだ。
自身の歯と共に浮遊した巨体の男は、弧を描いて、傭兵少年の隣に落下する。
既に白目を剥いており、動く気配は全くなかった。
巨体の男が仕掛けてから、五秒ほどの間の出来事である。
あり得ない光景を目の当たりにし、弓矢の男と剣の男は、二人して息を呑んでいた。
「おいおい、やべぇじゃねぇか。今回よ」
「そのようだな」
――その「力比べ」を見ていたエンは、思わず感嘆の声をあげている。
「すごい! あんなに体格差があったのに!」
「少年の身体には、秘密があるんです。もう少し見てみてください」
戦況に対して、さもありなんといった様子のラピッドは、冷静にそう言っていた。
「――二人目」
呟いた傭兵少年は、弓矢の男に目を向ける。
「俺かよ」
弓矢の男が、矢を手に取ったと同時。
傭兵少年は、疾風のように駆け出した。とんでもない初速だ。
しかし、相対する弓矢の男とて、百戦錬磨。
動作にコンマ一秒もかけず、一瞬で矢を射る。
解き放たれた矢は、傭兵少年の眉間を、真っ直ぐ正確に打ち抜いた――かのように思えた。
「がきん」と。
金属音を伴い、矢は後方へと弾け飛ぶ。
「なっ――」
確かな手応えと現実とのズレに動揺しつつも、弓矢の男は矢を放ち続けた。
首、胸、ひざ、肩。
だが、傭兵少年に確実に当たったはずの全ての矢が、弾かれて力なく落ちていく。
「どういうこった!?」
焦る弓矢の男に接近した傭兵少年は、腹部へと掌底を叩き込んだ。
またしても、男はその場に崩れ落ちる。
「何で? 矢が効かないなんて」
エンは、今度は驚愕している様子。
「あの少年は、『チャクラ』を全開にできる体質らしいのです」
「チャクラ?」
「はい。いわゆる『気』というものです。常人なら潜在能力の一パーセントも使えていないという『それ』を、彼は最大限に引き出せている。結果、肌は鋼鉄のように硬くなり、鬼のような筋力を発揮できる」
「すごい。そんなこと、あり得るんだ――」
「あと一人」
傭兵少年の視線は、最後に残された、剣の男の方へ。
「ああ、わかったよ」
静かに、鋒を傭兵少年に向ける。
「手合わせを願う!」
踏み込んだ剣の男は、織り交ぜたフェイントの狭間、空気を裂く突きを一閃。
しかし、傭兵少年は剣の側面を交差させるように手のひらで挟むと、せん断力でへし折ってしまう。
真剣白刃取り――どころではない。
人としての限界を超えた芸当だ。
「はっ、純粋な力だけでなく、心技体、全てが最上。我々とは格が違うようだ」
折られた剣を手放した男は、傭兵少年と目を合わせて、笑っていた。
「お褒めに預かり、光栄だ」
剣の男に敬意を示した傭兵少年は、しかし、容赦なく掌底を放つ。
先ほどの再現のように、腹部に衝撃を受けた剣の男も、また倒れ込んだ。
「力比べ」は、傭兵少年の圧勝で幕を閉じた。
「まあ、実力は疑いようがないですね」
満足そうに唸るラピッド。
予想どおり、とでも言わんばかりだ。
その時。
おもむろに、エンは椅子から立ち上がった。
「――ラピッド、邪魔をしないでね」
そう呟いた彼は、強化ガラスの窓の側まで、つかつかと歩いていくと。
「王子?」
声をかけるラピッドに構わず、腹が膨れ上がるほど大きく息を吸い込んで――。
「そこの少年!!!」
強化ガラスが軽く震えるほどの声量で、叫びを放った。
声は、大剣を引き抜いていた傭兵少年に届いているようだ。コロシアムから、エンを見上げている。
「名を、なんという!!?」
続けて、叫んだ。
何故だか、エンは満面の笑みとなっていた。
数秒間、真っ直ぐに視線を返すだけの傭兵少年だったが。
やがて、応える。
「名は無い!! 勝手に呼べ!!」
それは、無骨な答えだった。
しかし。
エンは、無性に嬉しくなっていた。
「なるほどねぇ。面白いなぁ」
理由を、言語化まではできないが。
この時、この場所でのエンは、ただ嬉しくて、仕方がなかったのだった。




