Episode 3
「すみません」
森の別の場所では、テオルがセナに謝っていた。
原因は、小川で身を清めていたセナに、誤ってテオルが出くわしてしまっていたからだ。今朝ごろの出来事。故意にではないのだが、セナからすれば関係なさそうだ。
「別にもういいですけど――今はあなたとは話したくありません。別のお相手を探していただいても?」
「冷てぇ……。そんなこと言わずに、ちょっと話しくらいしようぜ。あんたとまともに話したことないしな」
「嫌と言ったら?」
セナは頑なにテオルを拒否している。テオルは悲しそうに顔になった。
「ならしょうがねぇ。謝ろうと思ってたのにな」
「ですから、別にもういいと、さっき――」
「じゃなくて、最初に会ったときのこととか、だよ」
テオルが言っている最初に会ったときとは、つまり――セナ、エン、カインの三人が廃村の前で傭兵少年の帰りを待っていたときのことだ。廃村から出てきたのは傭兵少年でなく血まみれのテオルであり、しかも本人は当初セナ達を殺すつもりで近づいてきたと言う。これでは、味方としてテオルが今ここにいる現状に、首を傾げざるを得ない。
「私達を殺すつもりだったけれど、実際に会って考えが変わったというよく分からない言い分の釈明ですか? それにその後には弟を連れ去り、危険な目にも合わせましたね」
「いや……悪かった。でも、決して嘘だけはついちゃいない。約束する。連れ去った――ってのも、このエン王子の試みみたく、一対一で話したかっただけだ。それにあの場所じゃあ、起き上がってきたヨーヘイに奇襲されそうで、どうも怖くてね」
そう言えば傭兵少年が、テオルは約束を破らない、とどこかで言っていた気がする。そんなことを、ふとセナは考えていた。
「――何でもいいですが、私もあなたをまだ信用できていません。申し訳ないですけれどね。とても、ゆっくり話し合う気分にはなれないのですが」
「これは、その信用を育むための時間じゃないのか?」
「あなたが言うと、どうにもそちらに都合良く聞こえてしまいますね」
「おいおい、ホントに随分ツンケンしてんなぁ。今朝に裸を見ちまったからか?」
「やっぱり、見たんですね! あの時は見ていないと言っていたのに!」
「いや、違――そういう見たじゃなくて、そういう事件があったからかって意味で――」
テオルは珍しくあたふたしている。その様が、セナは若干面白く思えた。が、一瞬後にその自分を自覚し、何となく嫌な気持ちになる。
「はぁ。気にしてないって言うわけではないですが、私はそんなことで、態度を急激に変えたりはしません」
「じゃあ、あれかよ。俺が、盟の第一王子だから、かよ」
打って変わって、テオルは真剣な顔つきになってそう言った。そのいきなりの変化に、セナはどきりとする。
テオルのその言葉には、自虐的な響きも感じ取れた。
「そう――ではないですが、まだほとんど知らない人のことを、いきなり仲良く迎え入れるというのは、無茶だとは思いませんか?」
「無茶、確かにそうだな。――俺は、あんた達には恨まれてる前提で接してる。仲良く、ってな感じにプラスにはならなくていいから、せめて、マイナスをゼロにしたいんだ」
「恨まれてる……私が、あなたを、恨んでる? それは、あなたが盟の第一王子だから?」
「そうだ。敵国の王子だぞ。周囲から、少なからず憎むべき対象だと教えられて育ったはずだ。当然だろ」
テオルは、峠でエンと二人で話したとき、お互いが憎いかどうかの問答を交わしていた。その後にする話の手前あの場では茶化したが、敵国の王子であることを意識していないと言えば、実のところ嘘になる。
自分の知ってる人が、会話を交わしていた人が、マギリアの兵士や兵器に殺された。そんなこともあった。おそらく、マギリア側に立っても同じ事があるだろう。相手が敵国の王子であるという事実を、王族が意識していないなんてあり得ない。
テオルはそう、思っていたのだが――。
「恨んでいませんよ。私は、そんな理由で人を判断しません」
セナはテオルの目を真っ直ぐ見返して、そう答えた。
テオルは驚く。嘘や誤魔化しがあるとは思えない雰囲気だったからだ。
「大事なのはその人の立場や肩書きじゃなく、真にその人がどんな人なのか、でしょ? テオルという者が盟の第一王子だろうと、どこの何番目の王子だろうと、関係ありません。あなたもそれが分かっているから、私達に会ってから考えを変えてくれたのでは、ないのですか?」
セナはそう言うと、「マイナスだとは思わないでください。プラスにもなっていませんけどね」と、少し笑いながら続けた。
(そうか――)
テオルは思い返す。
廃村の前で、初めて、エンと、そしてセナに出会ったとき。反射的に、この二人とは味方でいたい、と思わされていたのだ。
(やっぱり、あの時のあの直感は、正しかったみたいだな)
セナにつられて、テオルも笑った。いや、つられてと言うよりは、その人柄に触れて、と言うべきかもしれない。
テオルは何年かぶりに、混じり気なしの笑顔ができたような気がしていた。
同刻、森の別の場所では、エンとカインがいた。
「まだ緊張してるの?」
「まぁ、はい。それはもう」
最初よりは改善されているが、それでもセナ、エンを前にしたカインはぎこちない。
「今の僕は王族の身分を捨てて逃げてきてるんだから、ただの子供として接してほしいな。またいずれ、取り戻すけどね」
カインは「うーん」と唸りながら、苦しそうな顔をする。エンの望むように接するには、まだまだ時間がかかりそうだ。
この二人の対話は、今まであるようでなかった。カインは、セナ、エンのような王族や凄腕の傭兵である傭兵少年とは、どこか一線を引いて接してきていた。年齢的な問題もあるが、それよりも庶民対特別な人間だというカインの自意識が原因だろう。
「カイン、こんな場だから遠慮なく話そうよ。――僕への不満があるんでしょ」
そして、今この場でのカインのぎこちなさには、違う理由もあった。
「王子ご本人への不満ではありません。王子のご判断への不満です。そちらから仰っていただけたから、話は早いですが……」
不貞腐れつつも、カインは話し出した。
カインの持つエンの判断への不満とは、当然。
「ジャックのこと?」
エンが先回りしてそう言うと、カインは静かに頷いた。
「私はまだ認められません。彼は改心するような人間には見えないし、たとえ改心していたとしても、私は彼を側に置いておくべきではないと思います」
「それは、ジャックが危険だから? それとも、カイン自身が許せないから?」
「両方ですよ。――王子、考えてみてください。自分の友人を殺した殺人者が、数日後に味方に引き入れられたとして、何も思いませんか? また、同じように今度は私達に牙を剥くかもしれない。それに、そうです、私の気持ちはどうなるんです。それとも、実力不足で弱いからって、弾き出されるのは私の方でしょうか?」
カインの語気は、次第に荒くなっていった。
エンは、数秒の間、言葉を話さず、カインの目をじっと見ていたが。
「あのね」
やがて、口を開く。
「僕はカインに一緒にいてほしいって思ってる」
「そんなわけ――」
「嘘じゃないよ、誓ってね。関所では、ラピッドから守るように前に立ってくれて頼もしかった。廃村の前では、付き人さんが帰ってこない心細さは、カインがいてくれたお陰で随分とマシになった。峠に来てくれたときも、お姉さまと一緒にカインがいてくれてたと思えたから、ほっとできた。カインは僕達に必要だよ」
エンはずっと、カインの目を真っ直ぐに見つめながら話している。大事なことを話すときは、いつもそうだった。
「だから断言する。弱いからとか下らない理由で、僕達がカインを弾き出すなんてこと、絶対ない」
そう結ぶと、エンはにこりと笑った。
話を聞きながらカインは、これは王子の才能だ、と感心していた。人の心を動かせるのだ。言葉の内容だけではなく、雰囲気や身振り、全てがそれに繋がる。
「でも、あれだよ、カイン。カインがさ、帰りたいって思うんなら、僕達には止める権利はない。もしそうなら、ほんとに遠慮なく、マギリアに戻ってくれてもいいからね! そもそも、カインが僕達のために巻き込まれる必要なんて、一切ないんだから!」
そこまで言うと、エンは堰が切れたかのように、怒涛の勢いで話し始めた。
「そうだよ、そもそも、カインはただ僕らに巻き込まれただけじゃん! 僕らに付き合う必要なんて、ほんとに全然ないじゃん! ごめん、今まで、配慮が全然足りなかった! まず、その話をするべきだったね!」
先ほどまでとは打って変わって、人の心を動かすどころではない、ただの慌てた子供のように、あわあわとしながらカインに迫るエン。
それを見るや、カインは思わず吹き出してしまった。
「え、何でだよ。笑うところじゃなくない?」
理解できない、といった様子で、エンは眉をしかめている。
「ご、ごめんなさい。王子の慌てっぷりが、ちょっと面白くって」
「いや、ごめん。僕、真面目に訴えてたつもりだったんだけど――」
「いいえ、失礼なんですが、何だかとっても、子供っぽくって、安心しました……それと、嬉しかったです、こんな私の心配をしてくれて」
笑いながらカインは、瞳に浮かぶ涙を、指で拭いた。笑い過ぎたから涙が出ているように見えたが、他の原因のものも混じっているのかもしれない。
「安心って……どういうこと?」
エンは首をかしげる。
「エン王子達は、雲の上のような人達です。みんな私よりずっと歳も小さいのに、いつも、私には理解できないような高尚なことを話してて、あぁ、私より頭良いんだって思ってました。峠でも、エン王子もあの化け物とハイレベルな戦いをしていて、あぁ、私よりも強いんだって、思ってました」
カインが拳をぎゅっと握るのを、エンは見ていた。
「廃村の前でだって、エン王子は、私を守り切れるか分からないから、危険になったらいつでも逃げてと仰いましたね。いや、逆だろうと思いましたよ。本来なら私が守る立場なのに、でも、実際、私の方が弱いですもんね」
「カイン、それは――」
「でも、でもね王子!」
エンが何かフォローを入れようとしてくるのを遮り、カインが強引に言葉を続ける。
「私だって、私なりの方法で、あなた達の力になることができると、今は思うことができました! 王子のお陰ですけれどもね! で、ですよ! マギリア衛兵たる私の役目はね、何てったって王子と王女を守ることですよ! こんなに名誉なことはないでしょ! こんな大役を遂行できる衛兵なんて、他にいませんよ! 私は、何があったって投げ出しませんからね! 付き合う必要ないなんて、言わないでください! ――どこまでも、お供しますからね! 私は、自分で、決意したんですから!」
そうやって、怒涛の勢いで話すカインは、先ほどのエンより、よほど子供っぽく見えた。
今度は、エンが吹き出した。
「何で笑うんですか!?」
同じようなことを、カインも尋ねる。
「それは、さっきの自分に聞いて。――分かった、ごめん。もう、帰ってもいいからなんて、言わないよ」
エンは可笑しさでの笑いを止めて、優しさを表すようににっこりと、カインへ笑いかけながらそう言った。
「まぁ、どの道アレですよ。マギリアに帰っていったあの化け物に顔を見られている時点で、もう私は帰ってもブスッとやられちゃうでしょうしね」
「どうかなぁ。カイン影が薄いから、覚えられてない気もするし、帰っても見つからないと思うよ」
「王子……」
無垢なエンの発言は、時にカインを傷つける。廃村の前での、守る発言然りだ。
「ごめん、それより、だね」
エンはぱんっと両手を打つと、真剣な表情へと切り替わった。
「――本題の、ジャックの件だったね」
「――はい」
その姿を見て、カインもまた、気持ちと表情を切り替えていった。
「確かに、ジャックの今までを考えると、善人とは言えないけどね」
エンとカインの対話は続く。
「善人じゃない、なんてもんじゃありません。あいつは、私の友人を殺し、他にも沢山のマギリア兵を殺した。自分でそう言ってたんです」
「そう、なんだ」
普通で考えれば、そんな人間を笑顔で味方に迎え入れられる方がおかしい。だが、エンはやってのけたのだ。カインは、強烈な違和感と不満を隠し切れない。
「エン王子、そのことをご存じなかったのですか?」
「おじい様の部下として、マギリア城の人を手にかけていたってことは予想してたよ。今まで、他にも沢山ひどいことをしてきたとも思う。でも、カインの友人を殺したっていうのは知らなかった。……それなら余計に、ジャックを許すことはできないだろうね」
「……その通りです」
決してエンを責めているわけではないのだろうが、それでもカインは肯定する。
「そんなジャックをなぜ仲間に引き入れたのか、カインは聞きたいんだね」
「はい。――エン王子、あなただったら、私をこの場で言いくるめることなんて、たやすくできると思います。そんなつもりは、無いんだろうと分かってますけど――だから、一つだけ、私の質問に答えてください」
「うん」
「奴を仲間にしたすぐ後に仰ってたように、あなたがそうしようと思った一番の原因は、直感、なんですか?」
カインがそう問うと、エンは目を逸らし、しばらくの間考え込んだ。
そして、答えを返す。
「うん。一番の原因は、直感だね」
「――分かりました」
カインは答えを聞くと、なぜか少しだけ、笑顔になった。言葉を続ける。
「私は、あなたの直感を信じます。そして次は、ジャック本人と話をつけてみます。――ジャックが果たして、あなたと皆に、いいものをもたらす奴なのかどうか、私なりに判断して参ります」
そう言うとカインは、一歩下がって、深々と頭を下げた。
「差し出がましい言葉の数々、許してください! 私なんかと会話していただき、ありがとうございました!」
その言葉と行動に、エンはどこか悲しそうに笑った。
「せっかく、距離が縮まったと思ったのにな」
「私なんかは、距離を縮めるよりも、自分自身が縮こまっているくらいが、ちょうどいいんですよ」
ひょうきんな様子でそう言って、顔を上げたカインは、嬉しそうな、満面の笑みだった。
他方で、傭兵少年とジャックの対話も、未だ続いている。
「もう一度対話を、だと?」
傭兵少年の手で自決しようとしていたジャックだったが、見抜かれ、諭され――苛立ちを覚えていた。相手にしているのが、年端もいかない子供なのだから、尚更だ。
「そう、王子の言ってたように、腹を割って」
「お前に話すことなど、何も無い。俺は、お前にとって敵なんだろう?」
「いや――さっきのあんたの行動で、何か企みがあってここにいる訳じゃないと分かった。あんたは、敵じゃないのかもしれない。だから、腹を割って話そうと言ったんだ」
大剣を手放し丸腰の傭兵少年は、不器用ながらも言葉を選んで、必死に対話をしようと試みていた。
「……お前の言ってることは分かりにくい。整理して話せ」
「つまり、仲良くなろうってことだ」
「本気で言っているのか? 俺はさっきお前に襲いかかったばかりだぞ?」
「自分が死ぬためにだろ? それが、敵じゃない証明になった」
ジャックが黙る。
数秒の沈黙の後、また傭兵少年が切り出した。
「あんた、『ジャック』以外に名前は?」
「……は?」
「あんたの心に影を作ったあの化け物が、『ジャック』と名を付けたんじゃないのか? 自分の思い通りに動くサイボーグの名として」
「なぜ、そう思った?」
「だってあの化け物があんたを呼ぶとき、人の名じゃなく、道具の名を呼ぶようだったからだ」
ジャックは眉根を寄せ、目を伏せた。
「その通りだ。『ジャック』はサイボーグとして付けられた名。――俺に人間としての名はない」
「……名前、ないのか――俺と同じだ」
傭兵少年は、自身の親の顔すら知らない。名前がないのは、当然だ。
「お前は何だ、なぜ王子達と一緒にいる?」
ジャックは問いかけてきた。傭兵少年に、興味を持ち始めたかのように思えた。
「俺は傭兵としてマギリア城に入った身だが、ジョーカー達が襲撃してくる前、消えたラピッドの代わりに何故か、王子達の付き人になった」
「それは知ってる。付き人だからと言って、どこまで王子達と行動を共にする気だ? 日も浅く、そもそも亡命した時点で、付き人もクソもねぇだろう。お前らの立場は、『ごっこ遊び』を楽しむただの子供とは、訳が違うんだぞ」
お前には関係のない戦いじゃないか。ジャックはそれを伝えたいのだろう。だが。
「いいや、これはただの『国盗りごっこ』さ。俺は、その最果てを見たいだけだ。――あの二人の付き人として」
傭兵少年はそう言って、笑った。対して、ジャックの方は苦笑いを返す。
「何だ、お前も狂ってるのか」
「あんたに言われたくない、えーっと――ジャックとは、呼ばない方がいいか?」
「いや、ジャックでいい」
「それは――まだ、あの化け物に心を囚われているから?」
「違うな」
ジャックは、袖から出していた三日月状の刃を、眼前に掲げた。言葉は続く。
「――『サイボーグのジャック』として、俺はバル様に、もう一度会いにいく。俺を捨てたことを、この刃で後悔させるために」
そう言うと、刃は吸い込まれるようにして袖の中に消えていき、代わりにジャックの少し笑んだ顔が見えた。
「それまでは、お前らと行動を共にしてやるよ、ガキ共。……退屈もしなさそうだしな」
謀らずも、傭兵少年が先に腹の内を語ったことで、ジャックも少しだけ本心を打ち明けてくれた。そのことに傭兵少年は、僅かな安堵と喜びを覚えた。そして、話し合いの機会を設けてくれたエン王子に感謝した。
――ジャックが、未だ「バル様」と口にしたことに、引っかかりつつもだが。




