Episode 1
その島は、二つの国に分かれていた。
国土は等分でも、仲は最悪。
片方の国の名は「マギリア」。
富や人材は王都に集中し、他は田舎が広がっている。
科学力、軍事力の水準は異常で、禁忌にまで手が掛かりそう。
もう一つの国は「盟」。
平和な田舎と、未開の地が半々。
未開の地にも住人がおり、彼らは「マギリア」に抗う戦力だ。
両国が対立してから、約半世紀。
今は、平和への努力を続けている時代。
しかし、そう簡単に収束はしない。
息を潜めた戦火も憎悪も、消えた訳では決してないのだ。
一方の国「マギリア」。
王都の城中、王族区画にて。
足音のみがこだまする、人気ない廊下を歩く者がいる。
軍人の青い制服を身にまとい、身長はすらりと高く、長く伸ばした金髪がよく目立つ男だ。
腰には、鞘まで黒い、愛用の黒剣を帯刀している。
そして、盲目なのか両目はずっと閉じられている。
にも関わらず、まるで前が見えているかのように、彼は廊下を直進していた。
やがて、豪勢な観音開きの扉で立ち止まった彼は、手慣れた様子でノックをした。
続いて、ゆっくりと開かれた扉が、ぎぃ、と低い音を鳴らす。
「失礼いたします。王子、朝です」
そう呼び掛け、依然目を閉じたまま、彼は綺麗な所作で入室した。
ここは「マギリア」の第二王子である、エンという少年の自室。
巨大な寝具、衣装棚、毛皮の絨毯などが占領していても、空間が余るほどだだっ広い。
部屋の主である王子は、まだ十歳。
生まれつき白髪で、女の子のような可愛らしい顔をしていた。
男が部屋に入ってくるなり、そんな王子エンがばたばたと駆け寄ってくる。
「ラピッド、遅い! さぁさぁ、今日は堂々と部屋を出てもいいよね?」
エンの口調は弾むようで、興奮を抑えきれないといった様子だ。
寝巻きは絨毯の上へ脱ぎ捨てられており、王族用の普段着へと着替えを済ませていた。
いつもならこの男――ラピッドが部屋を訪れるまで、すやすやと寝ているのだが。
エンは、この広い部屋を牢獄だと勘違いしているきらいがある。自身の自由を縛る牢獄、と。
よく脱走したりもするが、その度にキツいお灸を据えられる。だから、大手を振って脱出できる今日のような日が待ち遠しかったのだろう。
「ええ。……ですが、今から王子がご覧になるのは、傭兵どうしの殺し合いです。少しばかり刺激が強すぎると思われますけどね」
すると、はぁーと深いため息が聞こえた。
「もう飽きたよ、その遠慮は。大丈夫だって!」
びしっとラピッドの顔に人差し指を突きつけ、言葉は続く。
「殺し合いを見物できるくらい胆力がないと、今の時代やっていけないでしょ? それに、今日出てくる『最後の』傭兵さん、僕と同じ歳だって聞いたよ。直に戦う姿が見たいよ」
その台詞から、エンの期待と楽しみが伝わってくる。
同じようにため息を返したラピッドは、観念した様子だった。
「分かりました。まぁ、約束を破りはしませんから。では、準備も終わっておられるなら向かいましょうか」
「わーい!」
年相応な喜び方をしつつ、部屋を出たエン。
足取り軽やかに、ラピッドの後ろを追いかけていく。
――その後、目的地に入ってからも、ラピッドのエスコートは継続する。
「こちらにお掛けください」
「ありがとう!」
金色の装飾が施された椅子に、エンはぴょんと腰掛けた。
この場所は、傭兵区画と王族区画の境界に位置する、コロシアム上層の眺望席。王族と、その関係者のみが入れる特別な空間だ。
防弾ガラス越しではあれど、コロシアム全体をじっくりと見下ろせる。
この「マギリア」のコロシアムは、権威者への催しの披露を目的に造られたもの。
そして、今回ここで行われるは、傭兵同士の力比べ。
単なるスポーツやゲームではない。
それぞれが武器を手にし、相手を死に至らしめる、混じり気なしの殺し合いだ。
同時に、とある出場者の試行実験も兼ねているのだが。
「ラピッドは、噂の彼の戦いを知ってるんだよね」
「はい。試験官として間近で立ち会いました」
「どんな感じだった?」
「そうですね。戦うために生を受けたのかと思うほど、凄まじい圧力を感じましたよ」
「ほぉう」
「詳しくは、ご自身の目で確かめられた方がよろしいでしょう。そろそろ開始の時間ですから」
客席にいる音楽隊が、喇叭を響かせる。
呼応して、コロシアム内の二つの扉のうち、片方が開いた。
薄暗がりの奥から、古傷だらけの逞しい男が二人、入場してきた。
一人は細身の剣を、もう一人は弓矢を持っている。
そして、遅れてもう一人――猛獣のような、巨大で恐ろしい男が、気怠げに続いてきた。
彼は、丸太のように野太いその両腕に、鋼鉄のグローブを装着している。
「彼らは、元々はこの国の傭兵たち。ですが、無用な殺戮を続け、今では死刑囚と相成りました。戦場を勝ち抜いてきたその実力だけは本物です」
目を閉じたままだが、変わらずラピッドは状況を把握している様子だ。
「元傭兵さんか。恐ろしいけど、とっても強そうだ」
三人の死刑囚たちが入場し終わると、喇叭が止む。
その後、もう片方の扉が開いた。
「あっちが、最後の傭兵さん?」
「はい」
扉の奥からは、大きな剣を背負った、エンと同い年ほどの少年が歩いてきた。
黒髪、黒いタンクトップに、同じく黒い長ズボン。
彼は、今朝から他の傭兵たちを騒がせている、噂の傭兵少年だった。
「傭兵という即戦力は、数年前までは頼りになる存在でした。正規の兵士は戦死のおかげで常に人手不足でしたから。しかし近年では、戦火の落ち着きと代替技術の発展により、これ以上の傭兵は必要なくなった――はずでした」
「そこに、アウトローが一人、扉を叩いてきたんだね」
「はい。あの少年は、自分の実力を見せるというシンプルな方法で、廃止されたはずの傭兵枠に突如転がり込んできた。それだけの実力を示したということ。おそらく彼が、この国の最後の傭兵になるでしょう」
話を途中から聞き流しながら、エンは黙って傭兵少年を観察していた。
死刑囚たちは、対峙する少年を視認するや、揃って顔をしかめている。
「なんだこれ、ガキの御守りに出されたのか? 安く見られてんねぇ、相も変わらず」
弓矢の死刑囚は、弦を弄びながら不服そうにボヤいた。
「しかし、『殺せば減刑』という約束を反故にはできまい。まぁ、減刑と言っても端数程度だろうが」
剣の死刑囚は、乾いた笑いを浮かべている。
「アァ、怠いわ。ガキはすぐにペシャンコだ」
巨体の死刑囚が、他二人を押しのけて前に出た。
傭兵少年は、静かに、無表情で、相手を見つめ返している。
「王子、いよいよです」
音楽隊が放った銅鑼の音が、大きく鳴り響く。
それが、開始の合図だった。
直後。
傭兵少年は、背負っていた大剣を手に取り、緩慢な動作で振り上げると。
その大剣を、地面に深く刺してしまった。
「どういうつもりかな?」
剣の死刑囚が問いかける。
「俺は、あんたたちを殺さない」
答えは、すぐに返された。
傭兵少年の声は、歳の割には低いように思えた。
その発言は、巨体の死刑囚の怒りを買うことになる。
「ふざけろよ、ガキが!」
熊のような巨体が、傭兵少年に突撃していく。
「テメェが死ぬだけの話だ!」
勢いを乗せ、鋼鉄のグローブをフルスイング。
少年の身には余りある、オーバーキルの一撃だ。
しかし、その剛腕は空を切った。
屈みつつ巨体の懐に潜り込んだ傭兵少年は、強烈なアッパーカットをお見舞いする。
一瞬の出来事、だった。
白い粒が、飛散している。
巨体の死刑囚の、折れた歯だ。
巨体は僅か宙に浮くと、音を立てて傭兵少年の横に倒れ込んだ。
既に意識はない。
弓矢と剣の死刑囚が、一瞬で流れたあり得ない光景に、思わず息を呑んでいる。
「やべぇぞ、あのガキ」
「分かっている」
――試合を見ていたエンは、思わず感嘆をあげていた。
「すごい、あんなに体格差があったのに」
「少年の身体には秘密があるんです。もう少し見てみましょう」
ラピッドは、笑みを浮かべている。
「――あと二人」
呟いた傭兵少年は、弓矢の死刑囚に目を向けた。
「俺か」
弓矢の死刑囚が、矢を手に取ったのとほぼ同時。
傭兵少年は彼めがけて、一直線に走り出した。とんでもない速力だ。
弓矢の死刑囚は、コンマ一秒もかけず一瞬で矢を射った。
矢は、傭兵少年の額を正確に打ち抜いた――かのように思えた。
だが、金属音を伴って、矢は後方へと弾け飛ぶ。
「なっ――」
動揺しつつも、弓矢の死刑囚は次々に矢を放った。
首、胸、ひざ、肩へと。
だが傭兵少年に確実に当たったはずの全ての矢が、彼の体に弾かれている。
「何でだ!?」
焦る弓矢の死刑囚に接近した傭兵少年は、腹部へと掌底を叩き込んだ。
またしても死刑囚は、その場に崩れ落ちる。
「どういうこと? 矢が全然効いてないよ」
エンは驚愕している。
「どうやらあの少年は、『チャクラ』を全開にできる体質らしいのです」
「チャクラ、って?」
「いわゆる『気』というものです。信じられますか? 普通の人間では本来の一パーセントも使えていないという『気』の力を、彼は最大限に引き出せている。故に、肌は鋼鉄のように硬くなり、鬼のような筋力を発揮します」
「そんなことが――」
「あと一人」
傭兵少年の視線が、剣の死刑囚へと動く。
「良いだろう」
剣を構え、鋒を傭兵少年へ向ける。
「手合わせ願おうか」
踏み込んだ剣の死刑囚は、織り交ぜたフェイントの狭間、空気を裂くかのように鋭い突きを放った。
しかし、傭兵少年は剣の側面を交差させるように手のひらで挟むと、せん断力でへし折ってしまう。
真剣白刃取り――の上をいく、常人の反射神経、腕力の限界をはるかに超えた芸当だ。
「心技体、全てが素晴らしい」
死刑囚が折られた刀を手放し、傭兵少年と目を合わせて笑う。
「どうやら、我々とは格が違うようだ」
どすん、と。
先ほどの再現のように、腹部に重たい音を響かせて、剣の死刑囚も倒れ込んだ。
催しは、傭兵少年の圧勝で幕を閉じた。
「ふむ。文句のつけようはない」
満足そうに唸るラピッド。
どうやら、予想どおりの結果のようだ。
決着の後にエンは、ふいに席を立ち、つかつかと覗き窓に近寄っていった。
「王子?」
不思議そうに声を掛けるラピッド。
構わずエンは、すうっと大きく息を吸い込むと――。
「そこの少年!!」
防弾ガラスが軽く震えるほどの音量で、叫んだ。
大剣を地面から引き抜いていた傭兵少年は、顔を上げてエンを見る。
「名は、なんという!?」
続けて、叫ぶ。
何故だか、エンは笑顔になっていた。
数秒、真っ直ぐ視線を向けるだけの傭兵少年だったが――やがて、応える。
「名は無い!! 勝手に呼べ!!」
無骨な答えだった。
しかし。
それを聞いたエンは、無性に嬉しくなっていた。
「なるほど、なるほどねぇ」
理由はよく分からない。
この時のエンは、嬉しくて嬉しくて、仕方がなかったのだ。