第三十五話:理由
第三十五話
自分の担任の先生と待ち合わせなんて珍しい事かも知れない。
「じゃ、行ってくるよ」
「はい、気をつけてー」
百々にそう告げて俺は四季先生との待ち合わせ場所へと向かうため、アパートのセメントの階段を駆けおりる。
風を避けるものが無くなり、道路に出ると寒さが俺に牙をむいた。
「うー、さぶっ」
四季先生も寒がりっぽいからな。待たせたら大変だろう。
待ち合わせの時間より四十分早く待ち合わせ場所の駅前へとたどり着く。何、外は寒いが駅前って事でお店もあるし、十五分前に店を出れば大丈夫だろう。
「うー、さむっ」
「あれ? 四季先生?」
「あ、冬治君……まだ四十分前だよ?」
目を丸くして俺を見てくる四季先生に対して、俺は口を開けて彼女を見ていた。
「それ、そっくりそのまま先生に返します……それに今日は何だかアダルトな感じですね」
時間はともかく、今日の四季先生は何だろう、女教師?
実際、彼女は女教師ではある。
スーツに中は胸を強調する結構ピッチリ系のシャツ……
「どう? 女教師っぽいよね」
「先生、下着が透けて見えますって」
慌てて前を閉めさせる。
「やったっ。ドキドキしちゃった?」
「させてどうするんですか。ひやひやしてますよ。それに、もし誰かに見られちゃったらどうするんです? この前だって新聞部に勘違いされて大変な目に遭いましたし、大体、四季先生は……」
其処まで言ってはっとなった。
四季先生の目の端に涙が浮かんでいた。
「そ、そこまで言わなくても、いい事だよね」
「すみません……あの、何だか放っておけなくって。それに、この前なんて俺を部屋の中に入れて掃除までさせましたし、このくらいは言っていいかな―って。ほら、今はプライベートな時間ですよね? だから、普段の四季先生とは違って一人の人間として苦言を……」
「じゃあ、小春って呼んでくれない?」
さっき溜まっていた涙は何処かへ飛んで行ってしまったようだ。
「……あの、先生の事を気易く呼び捨てなんて出来ませんよ」
「それなら小春さんはどうだろう? これなら大丈夫だよね?」
「わかりました。小春さん」
「やった」
その場でとび跳ねる四季センセ……ではなく、小春さんを見てため息をつきそうになった。
「じゃ、行こっか」
「あ、はい」
まー、今考えてみればおかしなことを俺も頼んだものだ。小春さんのセーラー服は確かにもう一度見たいけれどそれなら直接家に行けば事足りる。
昨日、電話がかかってきて待ち合わせにしたいと言ってきた。
「どこに連れて行ってくれるんですか?」
「こっちだよー」
これって何も知らない人が見たら完全に、デートだよな……。
「あの子かわいー。お兄さんの腕を引っ張ってる」
「ほんとだ。でも亜美ちゃんの方がもっと可愛いよ?」
「やだっ、時雨君ったら」
カップルの言葉は実に辛辣な物であった。
「……あ、あの、小春さん」
「ん? 何?」
「元気、出してくださいね」
「え? 何の事?」
よかった、聞こえていなかったらしいな。
心の底で安堵し、俺は小春さんについて行った。
「ちょっと休憩しようよ」
「え? もう休憩ですか?」
そもそも、今日何するか聞かされてないし。何だか、誰かに見られている気もする。あまり目立つ事はしないほうがいいだろう。
「そうそう、ここで休憩しよう」
裏路地に入って数十分は歩いた。そこには立派なホテルが……あったわけだが。
「あの、ここって……」
「おねーさんが大人の魅力を教えてあ・げ・る?」
「何で疑問形……」
「いやー、実は初めてで……」
頬を朱に染めて小春さんは後頭部を掻いていた。うん、可愛いなぁ……じゃ、ねぇ。
「小春さん。冗談はやめてくださいよ」
「冗談じゃないよ? 冬治君を男にしてあげる」
「いや、もう男ですって」
「え? 誰かとそういう関係だったりするの?」
「違いますっ!」
天然なのか、わざとなのか、相手にしづらい人だな。
小春さんに引っ張られて行き、ちょっとしたロビーのようなところまで入った。
「……あ、あの、小春さん」
何だか変に緊張してしまう。まさか、担任の先生がこんな形で誘惑してくるとは思わなかった。
「んー、ちょっと違うなぁ。順番が違う……あ、そうか」
手のひらを叩いて小春さんは俺の手を引く。
今度は店の外に出てしまった。
「どうかしたんですか? まさか、あれを準備し忘れたとか?」
「あれ? うーん、そうだね。入れ忘れちゃったよ。冬治君は鋭いなぁ」
「ま、まぁ、まだ必要ですからね」
出来るだけ冷静に答えると小春さんは笑っていた。
「じゃ、とりあえず学園に行こうか」
「え……学園って……」
そこで俺は大いなる勘違いをしていた事に気づき、赤面してしまった。
「どうしたの?」
「あ、いや、何でもないです。でも、学園に人いませんかね」
「大丈夫。今日は休日だし、そんなに人はいないよ」
何でこれから学園に向かうのだろう。
そもそも、俺は私服だ。休日とはいえ、学園は基本的に制服で入るように決められている。
「先生に見つかったらどうするんですか」
「ひどいなー、冬治君。わたしも先生だよ?」
「そうでしたね、四季先生」
「今はプライベートだから小春さんって呼ばなきゃ、駄目だよ?」
「それは理不尽だと思います」
学園について俺の靴箱まで行くと四季先生は鞄から手紙を取り出して入れた。
「ラブレターですか?」
「ん? そうだよ。ラブレター……もう、携帯電話あるんだけどね。わたしは冬治君のアドレスも、電話番号も知らないからこうしないと想いを伝えられないんだ」
此処まで来てしまえば、小春さんがどういうつもりなのかわかってしまう。
「あの、本気ですか」
「そういうの、今聞くのは反則だよ。冬治君はちゃんとラブレターを見て、その場所へ来てくれなきゃ」
「……はい」
ホテルに入るよりも緊張して、俺は下駄箱の扉を開けた。
「じゃ、開けてみて」
「わかりました」
封を解いて中身を確認する。
『問題です。私は、四季小春は何故夢川冬治君の事を好きになったでしょう?』
「解答時間は三十秒!」
「え?」
小春さんと相対し、俺は必死に考える。
考えている間も、当然カウントが止まるわけではない。
「はい、しゅーりょー……答えは?」
当てずっぽうに答えることはできても、それらは全て外れだろう。
一体、四季先生は……小春さんは俺のどこが気に入ったんだ?
「ほらほら、早く答えてほしいな」
「……すみません、わかりません」
罵られる事はないだろうけど、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。情けない事に俺は下を向いてその時を待っていた。
「正解だよっ。ごめんね、冬治君。わたし、よくわからないけど気付いたら冬治君の事、好きになっちゃったみたい」
軽い衝撃が俺の胸に当たり、シャンプーのいい匂いが漂ってきた。
「え?」
「こんなわたしでいいのなら、冬治君の彼女にしてください」
「でも、小春さんは先生……で、俺は、生徒ですよ? 先生の事、好きですけど迷惑……かけます。学園から追放されますって」
「そこは大丈夫。わたしは冬治君よりおねーさんだからね。戦って、勝って見せるよ。だから冬治君は安心してわたしの胸に顔をうずめてもいいんだよ?」
そういって小春さんは俺の胸に顔をうずめるのだった。
「あの……」
「意外と心地よくって……ごめんね?」
「……いいですよ。俺も、気持ちがいいですから」
あっという間に骨抜きにされちまった。恐るべし、女教師の魅力。
「センセ……」
「もう、小春さんって言ってよ」
「あ、すみません。こほん、小春さん」
「……あ、うん。もっと強く抱きしめて?」
「はい」
「へぇ、そうですかー、勝って見せるんですねー」
小春さんを抱きしめたところで、小馬鹿にしたような声が聞こえてきた。
「……誰だっけ。ああ、そうだ。新聞部部長の……」
「雛菊さん?」
そうそう、雛菊……。
「そう、雛菊由乃っ」
「違うっ。雛菊真衣っ。間違える要素なんてないんじゃないのー? それで、四季先生、学園と闘うって本当ですか? これって、やばいことじゃないんですか?」
どうやら雛菊はこりていなかったらしい。今俺達の状況を記事にするつもりだろう。
「あのね、雛菊さん。今回は……やめておいたほうがいいよ」
「それはさすがに無理ですよー。だって、新聞部ですからっ」
そういって走り去った雛菊を小春さんは困った表情で見送ったのだった。
「いいんですか? 今なら追いかけてカメラどうにか出来ますよ?」
「うーん、放っておいても大丈夫だよ。過激な友達がいるからね」
既に雛菊の姿はない。本当に追いかけなくていいんだろうか。
「正義のニート参上っ! 正義の鉄拳を受けてミソ!」
「ぎゃあああああっ」
曲がり角からそんな悲鳴が聞こえてきた。
「……」
「ね? 言ったでしょ? さ、わたしの部屋に行こうよ」
助けに行かなくてよかったんだろうか?」
「とーじくん?」
「あ、はい」
ま、いっか。
今は小春さんの笑顔を見る事だけに集中しよう。
「正義の吸血鬼パンチっ!」
「ああっ、カメラが―っ」
悲惨な声が聞こえているけど、気にしない気にしない。




