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第三十三話:彼の決断

第三十三話

 俺がこれから一生忘れる事のないだろうエグイ光景を、百々は見せてくれた。

 完全に俺の責任で、彼女に一切の非はなかった。

 一瞬前の光景で、スローモーションの映像が何度も頭の中で再生される。

「百々……百々―っ」

 叫んだ声は夜の闇に消えて行くだけ。倒れて動かなくなった百々の周囲に鮮血が広がっていく。

 元から体温の低かった彼女の身体が今では屋上の手すり並みに冷え切っていた。

 ふと、誰かの気配がしてそちらを見やると下から手が伸びてきて手すりを掴んだ。そして、現れたのは志枝さんだ。

「あっちゃー……遅かった」

「志枝さん。百々がっ」

「撃たれたの?」

「いえ、あの、自分で……」

「自分で?」

 当然の疑問に俺は事情を説明する。

 事情が終わると志枝さんは俺を思いっきりひっぱたいた。

「少年、今のはあたしの分ね。起きたらもう一発、今度は百々の代わりに二発殴るわ」

「……はい」

 俺の頬を張った手も痛かったのか、志枝さんは右手を数度振ってから百々のこめかみを触った。

「あの拳銃に込められていた弾丸は特別製ではないわねぇ」

「何でそう言えるんですか」

「灰になって居ないのが何よりの証拠でしょ?」

 そうだった。

 あの弾丸はかすっただけで吸血鬼を灰にするのだ。

「それに、かすかだけど息もしてる。死にはしないわね、うん。安心していいわ。とりあえず家……じゃ、血がつくか。すぐに連絡して迎えを寄こしてもらうか」

 志枝さんの言葉に俺は尻もちをついて安堵のため息をついてしまう。

「連絡際は病院ですか?」

「ううん、NKKの本部よ。いくら息がかかって居ようと頭を撃ち抜かれているんだから騒ぎになるわね」

 それもそうだ。

 ちょっと考えればわかる事なのにな。気付けば俺も日常とはかけ離れたところで生活してたんだろうか。

「俺も、本部に連れて行ってもらっても大丈夫ですよね」

「無理よ。関係者じゃないから」

「でも、百々の関係者ですよ?」

 一緒に生活をしている。俺の血は、百々にとっては必要な物だ。

「……少年と百々の関係ってどういうもの? 恋人や家族っていうなら連れて行くけどそうじゃないでしょ? ただの同居人。ただの血を提供してくれる人でしょ。そんなのは関係者って言えないのよ」

「え……」

 俺が黙りこむと志枝さんは電話をかけはじめた。それを黙って見つめるしか、やることがなかった。

 百々が居なくなって四日、先生には嘘をついて、千鶴たん達にも嘘をついた。

 彼女は大きな病にかかってしばらく学校にこれなくなったと。

 ここ最近、家に帰っても広く感じてしまう。さして広くもないぼろいアパートなのに帰りたくない。

「……はぁ」

「なぁに? さっきからやたらためいきをつくじゃない」

「あんたは……」

 魅惑的な足を組んで俺に笑いかけてくるのは吸血鬼の由乃であった。あの時とは違い、薄い水色の着物を着ているが露出度が相変わらず凄い。

「何だよ」

「何だよ、とは挨拶ね。百々があんなことになったのはあんたのせいって噂になってるわよ」

「百々は……どうなったんだ」

「さぁ、あのままね。もし、目を覚ましても記憶がおかしくなっているかもね」

 安心していいと志枝さんが言ったのも気休めだったのだろうか?

 命の安全は保証出来るが、意識の回復は……ってことなのか。記憶だって無くしているのかよ……。

「それであんたは……何をするために来たんだ?」

 もしかしてまた俺の血を狙いに来たのだろうか。

 向こうにとっては好都合な事に、邪魔をしてくれる人はいない。今の俺にとってはどうでもいい事だ。

 俺の血を飲んでくれる吸血鬼はもういない。

「そうね。端的に言うなら献体のお願いに来たわ」

 妖艶に光るあどけない笑顔を見ても、俺はぞくりともしない。

 けんたい、という言葉を聞いてそういえば百々とある会話をした事を思い出していた。

「最近冬治さんとは倦怠期ですかね」

「はぁ? 何だよ。俺の血は飽きたって言うのか」

「え? じゃあ、全部飲んでいいんですか?」

「んなわけあるかっ」

 そんな何でもないやり取りが今では懐かしい。

「……無視するとかいい度胸ね。私が吸血鬼だったら今頃血を吸ってたわよ」

「悪い」

「何の突っ込みもなし?」

 これは重傷ねと笑われたが、どうでもよかった。

 脇を抜けようとすると俺の耳にある言葉が入りこんできた。

「百々、助けたいんでしょ?」

「助けられるのかよ」

「ええ、だって私達は日本吸血鬼協会の研究部門担当だからね。断言できるわ」

 男を骨抜きにするような笑みを俺に向けてそんな事を言ってきた。

「本当だなっ? 嘘ついたら、ただじゃおかねぇぞ」

「い、痛いわよっ。放しなさいっ」

 俺は気付けば由乃の両肩をしっかりと掴んで睨んでいた事だろう。

 俺程度の力で吸血鬼が痛がるはずもないので、それほど鬼気迫って居たに違いない。

「あ、ああ……悪い。それで、俺に出来る事はないのか。出来る事なら何でもするぜ」

「ええ、条件があるわよ。あんたの血を、全部抜くのよ。それを全部、あの子にあげるの」

「……本当だろうな?」

「後は知らないわ。別にあたしの言う事を聞かなくてもいいから」

 じゃあね、そう言って帰ろうとする由乃の手を俺はしっかりと押さえて、引っ張ったのだった。

 俺の返事は決まっている。


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