第二十五話:百々にとって
第二十五話
吸血鬼由乃が住宅街に沈み、夜空は静寂に包まれた。
しかし、その静寂は安堵をおぼえさせるようなものではない。
「百々?」
「私じゃありませんっ。他にまだ居ますっ」
焦った口調で百々がそう言うと同時に再び乾いた音が轟いた。
「誰かが撃ってきていますっ」
先ほどの焦った口調はもうなく、冷静な声だ。気どうでも見えているのか、それともどこから撃ってくるのかわかるのかステップを踏むように絶えず動き続ける。その間も発砲音が定期的に聞こえてきた。俺を抱きしめ、時には離れるようにして百々と俺は落ちるように学園の校舎屋上へ降り立った。
降り立っても安全ではないようで百々はすぐさま指示を出す。
「冬治さんは中へ入っていてください」
あっさりと扉の鍵を壊し、俺を中へと入れるのだった。百々自身は俺をかばうように屋上へ足をつけたままだ。
「なぁ、百々」
「なんですか」
「さっきの事なんだが」
「後にしてくださいっ」
焦ったような口調でそう言われてしまう。ただ、俺は別に百々が撃ったなんて思っていないと伝えたかっただけだ。
まぁ、百々の言う通り後で言える事でもあるかな。
目の前の危機を何とか回避すれば俺と百々はまた日常に戻る事が出来る。
「さすが違うなぁ」
緊張していた空気がその声で一気に和んだ。
和んだのは一瞬で、俺はその姿を見て驚愕していた。
「え? 百々?」
「違いますっ。もう一度、よく見てください」
よく見てみれば月に照らされた彼女は銀髪だ。百々の髪の毛は金色に輝いている。
「でも、あれは……」
顔は百々だ。髪の毛も同じくらいに伸ばしている。しかし、その雰囲気はどこかほんわかとした感じである。
「妹のアリスです。初めまして」
「……妹?」
「自称、妹ですよ」
真っ赤なワンピースに漆黒のマント……肌は百々と同じで透き通るような白さ。
瞳は月の光を浴びて真っ赤に輝いている。
「あれれ、挨拶したのに返してくれないなんてアリス、寂しいです。怒っちゃいますよ」
「あ、悪い。俺は夢川冬治だ」
百々からじろっと睨まれて俺はつい黙りこんでしまった。アリスよりも、百々の方が怒っているような気がしてならない。
「……由乃はあなたのパートナーでしょう? 何で撃ったの?」
百々の視線は俺からアリスと名乗った少女へ向けられる。びびった俺とは違い、彼女は真正面から受け止めていた。
「ん~? だって、アリスはお姉ちゃんからそうするように言われたんだよ? 小さい頃によく言ってたじゃん。使えないやつは撃っちゃえってさ」
「いいがかりは止して下さい。そもそも、私はあなたのお姉さんではありません」
「あはは、そうかも。アリスがお姉さんで、お姉ちゃんが妹なのかも」
頑なに百々は否定しているけど、俺はこの子の姉が百々である可能性は高いと思う。
だって、金髪なのに名前は百々だし、肌だって常人離れした驚きの白さだしなぁ。
「なぁ、アリスの姉の名前は何なんだ?」
「アーデルハイトですよ、お兄ちゃん」
「冬治さんっ」
「いや、別に俺はアリスの姉の名前を……」
「今はそれどころではないでしょうっ」
「……悪い」
百々に叱られ俺は再び首を引っ込める。
「それで、何しに貴女が出てきたんですか」
「ひどいなぁ。せっかく妹が会いに来たのに……でもね、いいんだー。すぐに機嫌、直してくれると思うから。冬治お兄ちゃんの身体をばらばらにして血を研究すればお姉ちゃん、毎日その血が飲み放題だよ?」
今、ものすごく恐ろしい事を言われた気がした。
「どういう事ですか?」
「だからね、冬治お兄ちゃんの体から全部血を抜くでしょ? そしたらさぁ、その血をアリスが研究して量産するって言ってるんだ。みんなから聞いたよ、アーデルハイトお姉ちゃんはその人の血が好きだから一緒にいるんでしょ? 別に悪い事じゃないと思う。独占するのはさ……だって、吸血鬼だからね。仕方がないよね」
ここで沈黙が生まれた。百々は拳銃を相手に向けていて、向こうもこっちに銃を向けている。
この沈黙の間にアリスという吸血鬼に言われた事を反芻する。そして、俺は改めて百々と自分の立場を考えた。
何だろう。襲うものと、襲われるものかやっぱり。
そうじゃないか。家畜みたいな存在かな、俺。今の関係なら百々は毎回俺を襲う必要がないし、他の吸血鬼に血をとられる事もない。
俺がもし、血を飲ませるのを拒否したら百々はどうするんだろう。腕っ節じゃ絶対に敵わないから力づくで飲みに来るんだろうか。
ぼーっとそんな事を考えているとアリスと目があった。
「俺は……」
「ああ、今すぐ研究対象にはしません……別に敬語使う必要ないよね。今日はいじらないから。大丈夫、安心してねお兄ちゃん。こっちがそれどころじゃないから。由乃ちゃんが来ちゃった」
「アリスっ、こんのっ」
はだけた着物も何のその……鬼の形相で由乃が上空から降ってきた。色気もくそもなく、殆ど前ははだけていて深紅のパンツは確認できるが……ホックがないのでやっぱりブラはしてないようだな。
「じゃあね、アーデルハイトお姉ちゃんとお兄ちゃん。次はないから」
「待ちなさいよっ」
屋上から飛び降りていったアリスに続き、由乃も姿を消してしまった。
今度こそ完全な安堵が訪れたのだ。吸血鬼はいなくなった。
ただ一人を除いては。
「冬治、さん?」
俺を守ってくれた吸血鬼、百々がこっちを振り返る。
彼女の瞳は真っ赤に輝き、アリスや由乃と同じ夜の生き物と同じ目をしていた。
俺はその目を見て思う事がある。
「……なぁ、百々」
「何ですか」
彼女の右腕が本気で俺を叩けばあっさりと貫通するはずだ。
彼女達は拳銃なんて使う必要なんかない。
おそらく、人差し指で頭を突っつくだけで人間なんておしまいなのだろう。
それはスイッチを押すよりもたやすいことだ。
でも……。
「俺は……普通の女の子が好きだ」
俺の言葉を聞いて百々は目を見開いた。続きの言葉を言おうとすると、それより先に百々が大きな声を出した。
「そうですか……そうなんですかっ」
俺の言葉を聞いて、百々は拳銃をいきなりこめかみに向けたのだ。
「も、百々? 何するつもりだ。やめろっ」
「私はっ、冬治さんが好きですっ。私が工場で冬治さんを襲った時の事、覚えてますかっ。吸血鬼に襲われてこの拳銃、九割の人が撃つんですよ……でも冬治さんは撃ってないっ。人の生き血をすするような変態を、撃たなかった。だから私はっ……ああ、この人はすごく優しい人なんだなって……吸血鬼の私とでも家族になってくれるかもしれないって思っていたんですよっ。あの瞬間から好きでした……急きょ住むことになったときだって拒絶せずにいてくれたっ。ホラー物を怖がったときも優しくしてくれましたっ。でも、普通の女の子が……好きなんですよね。そういうの、もう少し早く言ってもらいたかったです。」
俺は百々が勘違いしている事に気がついた。多分、俺のいい方が悪かったのだろう。
「違うんだ。百々っ俺はっお前の事を普通の……」
彼女がトリガーに手を伸ばすのなんて本当に一瞬だった。このままじゃ、間に合わない。俺と違って、百々は躊躇なく撃てるヒトだ。
そして俺の予想通り、トリガーは引かれてしまった。
今回からターニングポイントです。百々はハッピーエンドになってほしいなと思う反面、結構血なまぐさい終わり方でもありかなーと考えたりもします。吸血鬼由乃はこれだけだと何だか咬ませ犬っぽいですね。冬治に対しては圧倒的なのに(そりゃそうか)、拳銃を持っただけの百々にあっさりと負けてますし。しかも、仲間であるアリスに撃たれてますからね。ここで冬治が何か自分の中に秘めたる力を呼び起こしたらよかったのですが話変わっちゃいますね。まぁ、たまには守ってもらうのも悪くはないでしょう。




