第六話 予兆
雨宮だりあ担当です。
どこかで、呼び声がする。
遠い、遠い記憶を呼び覚ますような、深く澄んだ声。
うっすらと音楽が掛かり、人の足音や、話し声が続き……
「優輝君」
肩を揺すられ、瞼を開けた優輝。
「あ・れ?」
周囲は既に明るくなり、エンドロールも終わったようだ。
空のポップコーンやジュースを手に、三々五々帰っていく人々。
ヤベ、ここ映画館だ。すっかり寝ちまった。
寝ていたどころの話ではない。完全なる熟睡だ。
大体、映画があんまりに悪い。
頭を捻って考えてみても、思い出すのは最初の5分まで。アイドルは可愛いが、内容が薄くてありきたりで、アクション好きな自分には、ひたすらに面白くなかった。
「ごめん。ちょっと……睡眠不足だったみたいで」
「気持ち良さそうだった」
口元だけ微笑む沙良。
何はともあれ、同行者には申し訳ないことをしたのだろう。
「なんか、悪かったな」
慌てて膝に置いていたジャケットを羽織り、彼女の後を追う。
……俺、ヨダレ垂らしてなかったか? カッコ悪い。
沙良に好意があるかと言えば、特にない。
綺麗な子だとは思うけど、ほとんど喋ったこともないし、普通で言えば映画に来る仲じゃない。
それは向こうも同じはずだ。だからこそ、彼女の言動には意味がある。
「これから、どうする?」
普通ならお茶をして、映画を反芻して盛り上がる処なのだろうが、如何せん、自分は話す内容がゼロ。
沙良は白い薄手のパーカーに、白いコットンのロングスカートを穿いている。
まるで巫女のように、全身が白いイメージだ。
「お堂のことが知りたいなら、お祖母ちゃんに話を聞きに行く?」
「あ・ああ――」
必要な情報を得るためには、もう少し手順を踏まねばならないと身構えていたが、彼女はフワリとスカートを揺らし、住宅街へと足を向けた。
「すげぇ……」
思わず独り言をして、口を押さえる優輝。
線路を挟んで向こう側には、店らしい店もなく、行った事がなかった。
ただ、ここなら見た事がある。
学校の屋上から見える、こんもりと木々が盛り上がる森。
赤い鳥居に出迎えられ、優輝はキョロキョロと辺りを見回した。
「栗原、神社の子なのか」
「ここはお祖母ちゃんの――正確には分家で、叔父さんの神社だから。私は東北の本家の娘よ」
暗に、もっと由緒正しい神社の娘だと言いたそうだ。
「でも、ここは幼い頃によく来ていたから、愛着はある」
初めて声に生々しい感情が籠り、優輝は先を行く沙良を見上げた。
石段を登る後ろ姿は、長い髪をサラサラと流し、濃い緑の風景に溶け込みそうだ。ただし手摺りを握る手は、青筋が浮かぶほど力が込められている。
それは確かに一瞬の事で、振り向いた彼女には、何の表情も見当たらなかった。
「どうして越して来たんだ?」
「……まあね」
返事と呼べない返事を受け、階段を上り詰めた。
ザァ、と風が鳴る。
東京近郊とは思えない、深い緑の匂い。湿気を含んだ空気に、シャツの襟がはためく。
眼前には、敷地の割には小さな社と、大きな鳥居。
「こっち」
沙良は社の脇を通り、優輝を裏手へ案内した。
縁側は開け放たれ、古い日本家屋が日差しを浴びている。
「沙良、帰ったの」
70絡みの女性が顔を出し、優輝に会釈した。
「お祖母ちゃん、ちょっといい?」
そのまま並んで縁側に腰掛け、出された麦茶を飲む。
うっすらと砂糖の甘みが付けられて、懐かしい味がした。
「お堂ねぇ。あそこは因縁がある土地なのよ」
煎餅を間にして、沙良の祖母は話し始めた。
「あの学校はね、元は手習指南所が発祥なの」
「てならい――?」
「上方で言う寺子屋ね。有名な書家の先生が自費を投じて、近隣の子供に読み書き算盤を教えていたのが始まり。そしてお堂は、寺子屋を始めるよりも前から、その敷地にあったのよ」
私立学校で、歴史があるらしいのは知っていたが、そんなに古いとは知らなかった。
「学校にお堂があるんじゃなくて、お堂がある敷地に学校が建てられたって事ですか」
「そういう事になるわねぇ。ただ、書家の先生は不遇な死に方をしたとか」
はぁ、と曖昧に頷き、優輝は次を待った。
「面白おかしく尾ひれが付いて、諸説あるから、ここから先はお伽話として聞いてちょうだい」
祖母は一口お茶を飲み、語り部のように話し始めた。
退屈な昔話なら眠気を誘う場面だが、幸い睡眠チャージ完了の優輝。
次第に、祖母の話に引き込まれていった。
「家族の縁が薄かった書家に、美しいお嫁さんが来たの。けれどそれは、実は白蛇の化身だったそうな。福をもたらす白蛇のお陰で、手習指南所は順調に発展していった。
しかし、とある夜中、書家は目が覚めて、妻の正体を見てしまった。
書家は妻を愛していたから、酷く悩んだ。けれどもし、蛇の狙いが指南所に通う子供たちだったとしたら? そんな疑惑が頭をもたげたら、恐ろしくて恐ろしくて――
陰陽にも造詣が深かった書家は、自らの書に力を込めて、とうとう妻をお堂に封印したそうよ。
毎日毎日、書家はお堂を手入れして花を供えていた。その頃は沼もなかったし、花畑に囲まれた、綺麗な場所だった。
福を呼ぶ妻がいなくなった事で、指南所は徐々に傾き、最後には今の学校の創始者に敷地ごと奪われ――可哀想に、そのまま不遇に亡くなったそうよ。あそこが荒れ始めたのは、その頃からね」
祖母は鬱蒼とした木々を見上げた。
次第に風が強まり、あぁ、そういえば台風が近付いているな……と思い出した。
「荒れ始めたっつっても、別に普通じゃないですか?」
「別に、手入れされていないという意味じゃないわ。普通の人にはわからない問題よ」
「ふぅん……」
優輝の感覚としては、お堂は校庭の奥まった場所にある、ただ変な施設というだけだ。
用事がなければ誰も行かない。そして、あそこに行く用事がある人間はいない。
タオルで隠す首の痕――あれがなければ、琉星の訴えなど「ビビリ」で済ませていたに違いない。
慶じゃあるまいし、フザけて騙すキャラじゃない彼が、数分の間に、誰もいないロッカールームで首を絞められて気絶していた。見たものしか信じない性分を自負する以上、見てしまったものは信じるしかない。
まあ、いいか……
琉星が知りたがっていた昔話とやらは、一応仕入れる事が出来た。
あとは作戦会議でもして、次の一手を考えよう。
幸い、無能力者が2人いる。場合によってはお堂の中まで調べて、原因を探ってもいい――なんて言ったら、能力者チックな沙良や祖母が反対しそうだから、黙っておくけどな……
話を終えて、そこそこに帰ろうとした優輝だが、敷地を案内すると沙良に誘われ、自宅よりも更に奥へと足を伸ばした。
敷地を隔てる生垣があり、小さな潜り戸を抜ける。
そこから先は竹林になっており、全体が生き物のように風でうねっている。
次第に夕闇が迫り、琉星でなくても、この気配には鳥肌が立つ。
「なあ、俺そろそろ――」
「もう少し。いい物を見せてあげるから」
歩き慣れた様子の沙良を追い、ぽっかりと開けた場所に出た。
巨大な庭石のようなものが鎮座し、その周りだけ、雑草1本生えていない。
「それ、不思議な水鏡なの。優輝君にも見えるといいんだけど」
「え?」
促されるまま。腰の辺りまでの高さの石に手を掛けた。
遠目ではわからないが、中はくりぬかれたように穴が空き、透明な水が溜まっている。
「これね、刻三つ――約6時間後が見える鏡。でも、何でも見える訳じゃなくて、大事な人に特別な事があれば見えるって程度ね」
見える程度、と言われても、本当なら凄い話じゃないか?
いや――騙されるなよ。
どう考えたって、フカシだろ。「見えないのは、特別な事がないからだ」で済ませてしまおうって魂胆だ。信じさせて、次は何だ? まさか壺でも売り付けられんのか?
疑いに満ちた優輝だが、瞬間、思考を停止した。
チラ、と何かの影が過ったのだ。
「あ」
「見える?」
沙良は身動きもせず、鏡の中を凝視している。
何の反応もなかったのだから、彼女には見えていないらしい。
黒っぽい物体が徐々に波を成し、凪いだ後――
そこにいたのは、他でもない親友の姿だった。
「琉星!」
「琉星君がいるの?」
「な・なんだよこれ! どうなってんだよ!」
パニックを起こすのも無理はない。
映された琉星は、沼に半身を飲み込まれ、上半身は縛られたかのように両腕を束ねられている格好だったのだ。
今にも底に飲まれ、消えてしまいそうな姿。口は大きく開けられ、必死で救いを求めているようだ。
――ああ、それか沼かもな。琉星がいなくなって数年後……工事で埋め立てが入った泥の中から、白骨化した行方不明の少年発見! なんてな。
数日前に慶をからかった、自分のセリフ。
クソ……させるかよ……!
「大丈夫?」
「これ……確定か? 映ったものは、変えられないのか?」
ニコ、と沙良は微笑んだ。
こんな場合じゃなきゃ、案外魅力的な笑顔だなんて思ってしまいそうだけど……
「変えられない未来なんて、ないと思うけど」
「俺、帰る!」
沙良を残し、優輝は駈け出した。
大粒の雨が降り出し、全身を濡らしても、彼は足を止めなかった。
王道的民話になってしまった……orz