第五話 図書室にて
「ふぁ~! この学校にこんな快適な場所があったとは、知らなかった!」
慶は大きく伸びをすると、机の上に突っ伏す。
「熟睡できそう~」
「静かにしろよ。図書室では私語厳禁」
琉星は慶を横目で睨み、机の上にドッサリと置かれた学校新聞や学校関係の資料を一つ一つ丹念に読み始める。放課後、優輝と琉星と慶は、例の『お堂』について調べようと、学校の図書室にやってきた。気温は程良く、窓を全開にした図書室は心地よい風が吹き抜けていく。静かで居心地の良い室内は、慶でなくてもウトウトしてしまいそうだった。
「昼寝には最高だな。壊してしまうのがもったいないくらい」
優輝も学校の図書室に来るのは初めてだった。
「それに、ここからなら、あの『お堂』がよく見える」
図書室は校舎の一番端の四階にあり、『お堂』周辺の小さな森全体が見渡せた。
「二人ともぼーっとしてないで、さっさと調べろよ。部活抜けてまで図書館に来てるんだからな」
「はいはい、そういや琉星が部活休むなんて珍しいよな~よっぽど『お堂』が気になるんだ」
慶は机に伏したまま、顔だけあげて琉星を見上げる。
「当たり前だ。僕はお前らみたいに流暢なこと言ってられないんだよ」
「だよな。琉星は蛇に首締められたんだもんな」
優輝は琉星の首もとを見つめる。
「まだ傷跡消えないんだ」
彼は首にしっかりとタオルを巻き付けていた。あれから五日経つが、どうやら傷跡は消えないらしい。
「こんなことやってねぇで、ネットで調べた方が早いんじゃない?」
慶はうんざりとした目で、資料の山を見つめる。
「言われなくてもネットではとっくに調べてるよ。この学校の『お堂』なんてどのサイトにもなかったよ」
「あっ、そ。けど、なんか時間の無駄なんだよなぁ」
そう言いつつ、慶は胸元から映画のチケットを取りだしヒラヒラ振ってみる。
「なんだ、お前、チケットいつも持ち歩いてんの?」
優輝は呆れ顔で慶を見る。
「オレにとっちゃお守りみたいなもんだからなぁ。絶対キャサリンさんと観に行くんだ! なんてったって、初デ、デ、デートだもんな」
慶は噛みながら頬を染め、チケットに見入る。慶にとっては、キャサリンと観に行くことを仮予約した大切なチケットだった。
「へぇ、まだ本気にしてんだ……」
優輝は慶に聞こえないよう小声で言う。キャサリンの様子を見る限り、慶との約束などとっくに忘れているように思えた。だが、お守り代わりにチケットを握りしめている慶が不憫で本当の事は言えない。と言うより、もうしばらく傍観して悩める友人の姿を見ていたいと思う。
「あ、その映画、今話題よね」
突然に、まさに、何の予期もせず、無防備な状態で、三人の頭上から澄んだ美声が降ってきた。一瞬、ストップモーションがかかったみたいに、三人の周りの空気が止まった。
「私も観に行こうかと思ってたの」
視線の先には、沙良がいた。いつものように淡々とした口調で、静かな笑みを浮かべて立っている。
「何で……」
まさか、沙良が図書室にいるとは思ってなかった。それより、沙良の足音とか気配とかしただろうか? 優輝は目を丸くして黒髪の美少女を見つめる。こんなに静かで生徒もまばらな図書室で、誰も沙良の存在に気付かなかったなんて……。
「栗原さんが?」
優輝は気を取り直し、軽く咳払いすると平静を装ってニコリと笑った。
「意外だな、栗原さん、こんなアイドルの漫画チックな映画に興味あるなんて」
「そう? 私は好きよ」
沙良も薄い笑みの下の本心を明かさない。何故、沙良は自分達に近づいて来たのだろうか? 沙良の方から何か探りを入れてきたのだろうか? 『お堂』を調べることをやめさせようとしに来たのか? 優輝の頭の中で様々な考えが渦巻く。
それなら、いっそ、こっちからモーションかけてみようか。
優輝は、チケットを握ったまま固まっている慶の手からチケットを奪い取る。
「じゃ、今度の日曜日。俺と一緒に観に行かない?」
瞬きもせず、唖然としている慶と琉星の前で、優輝は沙良に一枚のチケットを差し出した。沙良は一瞬だけ、形の良い眉をピクリと動かしたが、笑顔のままチケットを受け取った。
「良いわ。ありがとう」
「それじゃ、日曜朝十時、現地集合」
声も出せず、口をパクパクさせてもがいている慶を無視し、優輝はもう一枚のチケットを胸ポケットにしまった。
「学校の『お堂』のことを調べているの?」
沙良は、既に映画のことなど忘れてしまったかのように、いつの間にか琉星の直ぐ側に移動していた。
「えっ? あ、あぁ」
不意をつかれて琉星は口ごもる。
「何か分かった?」
「いや、まだ。どこにも『お堂』の記事はないみたいで」
「私のお祖母ちゃん、この近くにずっと住んでいるの。お祖母ちゃんに聞いてみたら何か分かるかもしれないわ」
「栗原さん、お祖母ちゃんと住んでいるの?」
優輝は聞いてみる。転校したばかりの沙良の事は、考えてみると何もしらない。どこに住んでいるのかさえも知らなかった。
「えぇ、私の両親が急に仕事で海外に行くことになって、私だけお祖母ちゃんの家に引っ越して来たの」
「ふーん、そうなんだ」
今度の沙良との映画鑑賞では、色んな事が聞き出せそうだ、と優輝は思った。
「琉星君、首、どうかしたの?」
「えっ?」
不意をつかれ、琉星はビクッとしてタオルに手をやる。沙良の視線が琉星の首に突き刺さる。
「ずっと、タオル巻いてるわね」
「あ、あぁ、ちょっと剣道で怪我して」
「そう」
沙良は笑みをたたえたまま、ふわっと手を伸ばし、タオルごしに琉星の首に触れる。
「ひっ……」
突然電気が走ったかのような衝撃を首に感じ、琉星は思わず沙良の手を払いのけた。
「ごめんなさい。早く治ると良いわね」
沙良はそう言うと、軽く一礼し、そのまま静かに去って行った。
「なんだ、なんだ、なんなんだっ、今の!」
沙良が去った後、慶はバンバンと机を叩く。
「えっ、オレとキャサリンさんの映画デートが何で、優輝と栗原沙良に代わるわけ?」
「良いじゃないか、チケットなんてまた買えばいい。それより、あの子のことを知れるチャンスだ。それに、『お堂』の謎を聞けるかもしれない」
優輝は琉星に目をやる。
「な、ここで資料調べするより手っ取り早い」
「あ、うん」
琉星はまだ、首の衝撃が消えず、首をさすりながらぼんやりとしている。沙良の手が首に触れた瞬間のあの感覚は何だったのだろうか? 何となく首の辺りがモゾモゾして、琉星はタオルを取った。
「今、思ったんだけどさ、栗原さん、何で僕達が『お堂』のことを調べていると分かったんだろう?」
琉星は見ていた資料に目を落とす。
「資料には『お堂』なんて載ってないのに……」
「だよな。ますます怪しい。あれ……?」
優輝はふと、タオルを取った琉星の首に注目する。
「琉星、首の傷治ったのか?」
「え?」
琉星は首を触ってみる。朝はまだくっきり傷跡が残っていたはずだ。
「あっ、本当だ。綺麗に治ってるじゃねぇか」
慶もマジマジと琉星の細長い首を見つめる。その首には、傷跡一つ残っていなかった。






