第二話 遭遇
雨宮だりあのターンです♪
「へ~、アレ、とうとう壊すんだ。あそこだけ、なんか薄気味悪いじゃん? 新校舎には似合わないって事かな」
呑気に頭で手を組んだ慶と、顔色が冴えない琉星。
ふと、優輝が顔を上げた。
「いや、でもあそこって、何度も取り壊ししようとして、その度に中止してなかったか?」
う、と琉星が怯む。
逃さない勢いで、慶は彼の腕を掴んだ。
「はっは~、琉ちゃん、そゆこと?」
「う・煩い」
「大丈夫だよ! 夕方、琉星がたった独りで着替えてて、ドアが勝手に開閉して、ヒタヒタ足音がしてもさぁ、きっと聞き違いだから!」
「やめろ」
「ビクッとして振り返るけど、誰もいない。慌てて荷物を纏めて出て行こうとするけど、何故かドアが開かない! 首筋に巻き付く、白くて長いモノ……!」
「慶、黙れっ!」
耳を塞ぐ琉星に抱き付く慶。
「大丈夫だって。俺が守っちゃるから」
きゃあ、と背後から追ってくる女子の悲鳴。
「その辺にしとけ」
優輝がそちらを親指で示し、歩調を速めた。
会話までは聞き取れない距離で、さっきの女子数人が、まだ琉星に注目していたのだ。さっきとは違い非難めいた響きなのは、男でも琉星にくっついて欲しくないという意思表示なのだろう。
「けっ。やだね~女子は。一汗流した感じがいいとか、マジで思ってんのかね。イケメンだって男だもの。汗臭いだけだよなぁ琉ちゃん?」
精神的ダメージを背負った琉星は、女子も慶も無視したまま、更衣室へと足を向けた。
昇降口へ向かう優輝や慶も、自然と一緒に角を曲がる。
「あ、あれ」
優輝が窓の外を指さした。
遠い新校舎建設予定地――お堂の方からこちらへ戻ってくる、一人の女子生徒。
3人のクラスに昨日転入してきた、栗原沙良だ。
肌は透けるように白く、腰までストンと落ちる漆黒の髪。
紺色のジャージで走る運動部員の中、クリーム色の制服を着て歩く彼女だけ、浮き上がるように異質な空気を醸している。
「あの子、美人だよね。学校探検かな」
それにしても、たった一人で向かうような雰囲気の場所ではない。
彼女は渡り廊下から直接校内に入り、優輝たちのいる廊下を歩いてきた。
「栗原さん、どこへ行ってたの?」
オカルト恐怖症の琉星が、表情を取り繕って声を掛けた。
す、と視線を上げる沙良。
「別に」
甘くて高い声ではあるが、返事は拒絶でしかない。
「あっちは古いお堂だけだし、小さい沼や、手入れしてない茂みがあって危ないよ。あまり、近付かない方がいい」
不必要に真剣な口調になってしまい、そこにある怯えを読み取ったのか、沙良はクスッと口元だけで微笑んだ。
「覚えておくわ」
擦れ違いざま、白い道着の襟に軽く触れた。
「何?」
「ゴミ」
「え……ありがとう」
彼女はそのまま、優輝や慶には目もくれずに行ってしまった。
「……ツンデレ属性?」
小さく呟いた慶に、優輝はブッと吹き出した。
「今のどこに、デレがあった?」
「ゴミ、のところ。無いかな」
「ねぇな」
「じゃあ、ツンの方向で」
2人の間で結論が出た頃、更衣室に辿り着いた。
「琉星、俺ら、下駄箱で待ってるから」
「わかった。5分くらいで行く」
「チャオ~」
優輝と慶は手を振り、琉星は手拭いで首を拭きながら更衣室へ入った。
曇りガラスからは茜が差して、秋の長い影を落としている。
ふぅ、と一息吐いて、紺袴を落とす琉星。
薄暗いロッカーの間でバッグを置き、極力手早く帰り支度をする。
一年生は、防具の片付けと道場の掃除をする分、遅くなる。琉星が最後に鍵を返す間に、他の一年生も帰ってしまったようだ。
シンとした空間に、おかしな音や気配がしないか、つい神経質に探してしまう自分。
昔から、幽霊やオカルト話に極端に弱く、仕舞には暗闇や狭い場所まで苦手になった。眠る時は電気を点けたままだし、風呂の時間も最小限だ。
怖がりな人間には、2種類いると思う。
見えないのに、テレビやマンガの影響で幽霊を信じ、想像で怖がる人間。
信じるつもりがないのに、気配を感じてしまうから怖がる人間。
誰にも言わないが、自分は後者だ。
また、見える人間の中にも2種類いる。
平然と「見えるけど、見えるだけだよ」と笑ってスルーできる人間。
見えてしまう自分を受け入れられず、見えたものをマトモに怖がる人間。
これも、自分は後者だ。
むしろハッキリ見える方が、怖がらなくて済むのかもしれない。でも濃密な気配を感じたり、意味もなく不穏な気持ちになったり、サッと通る影を見たりするだけだと、余計に怖いのだから仕方ない。
とりあえず、新校舎の件は大問題だ。これから計画が進んで建築されたとしても、せいぜい1年後には完成してしまう。その時、自分は2年生の後半だ。
お堂の付近は、琉星にとっては鬼門。
敢えて近付かない――否、怖すぎて近寄れない場所だというのに、跡地に建った校舎で1年以上を過ごす? しかも、大事な受験時期に?
絶対、無理。かといって、怖いから転校というのもナンセンス。
さて、どうしたものか……
素早く道着を脱いでベンチに置き、制服のボタンを嵌める。
ガラッ
ロッカーの陰にあるドアが、乱暴に開いた。
「優輝?」
ピシャッ
返事はなく閉じられる。
上履きの足音も、人間の息遣いもしない。ただ、素足が床を這うような、ヒタヒタとした物音が近付いてくる。
ドクン……
心臓がひっくり返り、思わずそこを両手で押さえた。自然と、膝がカタカタと震え出す。
情けないけど、振り返れない。
「け・慶だろ……そういうの、いい加減にしろよ」
この流れ、さっき脅してきたセリフのままだ。
そうだ。きっと慶だ。
足音がロッカーを回り込み、すぐ後ろに迫ってくる。
からかわれているだけだと自身に言い聞かせ、バッと振り返った。
誰も、いない。ロッカーが作った影と、オレンジ色に染められた壁のポスターだけ。
琉星の耳に、自分の鼓動が煩いほどに響く。
頭がガンガンと痛み、足は竦み、手探りだけで道着とバッグを掴み、ドアに走った。
「ひ・開かな――」
焦る手が、鍵をガチャガチャ弄るものの、どんなに引いても動かない。
「ぐっ!」
喉に、何かが掛った。
必死で、首に回る「何か」を掴み、足をバタつかせる。
彼の耳に、チラチラと長いモノが触れ、吐息が掛かる。
目の前が暗くなり、力が抜けそうになる、瞬間――
「おーい琉星っ! 遅いぞ!」
ガンガンとドアを叩く、慶の声。
ガクンと違和感が去り、琉星はその場に倒れ込んだ。
慶の前に倒れている琉星は、肉食女子なら垂涎モノの、無防備な姿だった。
ワイシャツのボタンは半分しか留めておらず、腹チラ状態。ズボンもホックとファスナーはしているものの、ベルトがダラリと垂れたままだ。
几帳面な彼が、畳んでいない道着を握り、蒼白で気を失っている。ロッカー前ならいざ知らず、今にもドアを開ける場所での格好じゃない。
「琉星! わ、どうしよう優輝!」
「琉星、琉星! しっかりしろ!」
二人がかりで上半身を起こし、頬を叩く。
「先生、呼ぶ?」
「待て慶、ただの貧血かも」
血でも流れていれば別だが、もう瞼がピクピクして、今にも意識が戻りそうだ。
「う……」
「琉星、目ぇ覚めた?」
薄く、瞼が開いた。
支えてくれている優輝を最初に認め、オロオロと覗き込んだ慶に視線を移した。
「へ……」
「へ?」
さっきまで普通に話していたのに、酷く声が嗄れている。
「び」
「び? おい琉星、大丈夫か? アタマ、平気?」
うまく起き上がれないまま、琉星は慶の頬を思い切り抓った。
「糞……慶、覚えてろよ」
「いひゃい! りゅうひぇえ!」
痛い、琉星! と訴える慶を無視し、彼は再び目を閉じた。
「蛇……だった」
「蛇?」
「首……絞められた……」
ゲホゲホと噎せる喉には、赤い痕。
3人揃ってゾッとして、慌てて琉星の衣服を直させ、道着をバッグにしまう。
「あれ?」
ひら、と落ちた紙片。
白くて薄い和紙に、神社の鳥居に似た絵が描いてある。
袴が既にバッグに入っていたから、道着に付いていたとしか思えない。
「これ、何だ?」
「わからない、けど……」
しかしとにかく、ここから離れたい。
「早く行こうぜ。暗くなって来たし、チケットの話が終わってないぞ」
「またそれか。お前、勝手にやれって」
「あ、慶」
ガシッと琉星が慶の首を掴み、冷笑を浮かべた。
気力が戻った途端、脅してきた慶への恨みを思い出したらしい。
「さっきの現象が慶の言った通りだとしても、僕はお前を疑わないよ。だけど、言ったよね?」
「何? オレ、何か言ったっけ?」
「うん。守ってくれるって、言ったよね? 僕、信じてるから」
「え・えええぇ~っ?」
日の落ちかけた校舎に、慶の絶叫が響いた。
展望を考えぬまま、投げるだけ投げた第2話。
さあ、吉と出るか凶と出るか!