第十話 融解
雨宮だりあ担当です。更新遅くて済みませんでした。
うわー……と、優輝は表情に出さないまま退いていた。
左では姉の優子が、まるで監督の如く腕を組み、厳しい眼差しをしている。右には慶と琉星が、ソワソワと成り行きを見守っている。
沙良の姿は、視界にない。
まぁ、撮影現場には関係者――校長と教師数人、矢面に立って交渉役となった優子と、付録という設定の自分たちしか見学を許されていないのだから、当然と言えば当然だ。
「蛇なんて怖いと思って来たんですけど……なんか、子供たちを守るために奥さんを封印した時の辛さとかがリアルに想像できて……泣けてきちゃいます」
「そうだね。マリちゃんは、空気をキャッチする力があるんだ」
右でソワソワしていた慶が、耐え切れずに耳打ちをしてきた。
「なぁ、あれ、芝居なんだろ?」
一旦頷いて、自信がなくなって首を振る。曖昧な返事に、慶も首を傾げて終えた。
「では、詳しい霊視に入りたいと思います」
ゆったりと腕を広げ、目を閉じた中年男性。
撮影クルーもギャラリーも、シンと静まった。
事態がトントン拍子に進みすぎて、むしろ怖いくらいだ。
優子の友人モデルをつてに頼ったテレビ局が、ゴールデンタイムの番組に取り上げてくれる事になった。
FBIで活躍する超能力者や、奇病に打ち勝った人、300キロの巨漢からダイエット成功した人など、かなり雑多な情報バラエティだ。
ワイドショーのワンコーナーならともかく、ここまでの人気番組が来るとなると、さすがに学校も工事計画を一時ストップせざるを得なかった。
ちなみに校長には、民話の特集だとしか話していない。取り壊させないのが主眼と知ったら、きっと撮影許可が下りないからと、優子の根回しは万全だ。
これだけの条件を揃えて、それでも阻止できなかったとしたら、それこそ運命と思うしかない。
なんといっても、目の前で涙を滲ませているのは、カリスマモデルのマリ。
真剣に目を閉じ、お堂に向き合っているのは、やはり旬のスピリチュアルカウンセラーの斎木天道だ。
斎木が本物かどうかは知らないが、マリは台本通りに演技するだけだと聞いている。
芸能界は水モノだと言うものの、ジワリと涙を拭いた彼女が演技だとしたら、テレビ不信を通り越して、女性不信になりそうだ。
「ここは、とても、とても綺麗な状態です。まるで誰かが掃除したばかりのように、邪悪な物は感じられません……」
チラ、と琉星が視線を上げ、彼方の神社に気を遣った。自然と慶も優輝も倣い、ここにいない沙良を思う。
「こういう状態は、ある意味普通じゃないんだよ。このお堂のようなパワースポットがあるのだから、それなりに漂うモノが集まるはず。不思議だね……」
隣の姉を窺ったが、優子も首を捻った。沙良が浄化したなどと、誰にも話していないというアクションだ。
更に斎木は、両手で神社と校舎とを大きく指差した。
「このお堂は、あっちからこっちまで、地域全体を護っている。大きな観点から言ってしまえば、書家がここに奥さんを封印したのは、間違いでも何でもなかったんだね。ちょっと……そこの、責任者の方、校長先生? 来てくれます?」
バーコード頭の校長が数センチ飛び上がり、左右をキョロキョロと見回した。誰も助ける者はなく、斎木も手招きした形のまま動かず、クルーから手で促され……
仕方なしに、フレームインした。
「どうもどうも、済みませんね。どうです校長先生、このお堂は、学校にとって重要な施設でしょう」
斎木は柔らかく力ある素振りで、まるで自分の物を自慢するかのようにお堂を示した。
「ああ……いや……は、困りましたなぁ……」
全国ネットのロケで、ウッカリな事は言い切れない。
校長は額の汗を拭き、苦笑いだ。
「困る事はありません。みんなが花を植えたり、何かお供えしたりするような、そんな空間にしていってください。もっと学校が発展して、地域にも役立つでしょう」
「は……はぁ……」
悔しげな校長を視界に、勝利を確信した。
パッと顔を見合わせた3人と優子。
そこからは思惑通りに進み、しどろもどろの校長と、何もかも承知といった風の斎木と、要所要所でコメントを入れるマリの3人が手を振って、ロケは終了となった。
「くそ……」
低く唸って戻る校長を、斎木が引き止める。
「まあ、そんなに腐らずに」
「カメラがあって言えませんでしたがね、ここは取り壊し予定なんですよ! 監督さん、悪いけどね、これは放送しないでいただきたい!」
ヤバい、風向きが変わったか。
あからさまに取り壊しを阻止するような展開は、逆効果だった。
頭を抱えたくなるが、スパッと斎木が遮った。
「カメラがあって言えませんでしたがね、あなたはもう少し、自分の事を気にしなきゃ。仏は祟らないが、神は祟るよ、校長さん。あんまりコレにだらしないと、身を滅ぼすよ」
小指を立てて、微妙に脅すような声色。
ひ、と小さい悲鳴を上げて、校長は教頭に支えられるように、校舎に戻って行った。
「ね、あの小指ナニ?」
慶が耐え切れず、またもや優輝に耳打ちをした。
「バカ! オンナだよオンナ!」
肘鉄にウッと呻き、琉星に倒れかかる。
「琉ちゃん、知ってた?」
「え、まあ、普通に……」
若者が使う仕草ではないが、ジェスチャーの意味くらいはわかる。
「慶は疎いよな、そういうの」
撮影クルーがザワザワと片付けをし始めたので、お喋りも解禁だ。
「優子、マネージャーさんに挨拶した方がよくないか?」
マリは早くもトートバッグを肩に掛け、スタッフに挨拶しながら帰る段だ。すっかり真顔で、やはり涙は嘘だったらしい。
今回、番組に話を通してくれたマネージャーも、大荷物を抱えて後に付いている。
優子は肩を竦めて見せた。
「多分、相当忙しいわよ。大丈夫、後で電話してみるから」
「時間、気にしてましたからね。次があるんじゃないかな」
相槌の琉星に、慶が得意そうに胸を張った。
「ああいうの、ケツカッチンって言うんだよ」
「小指は知らないのに、ドヤ顔すんなよ」
優輝のツッコミに笑いが起きた頃――
「キミ」
穏やかな独特のトーンを放ち、琉星の肩を叩いたのは斎木だった。
ドキンと振り向くと、彼はパッと笑顔を輝かせた。
「やっぱり。及川琉馬の流れの子だ」
「あ、いえ、僕は――」
「いい、いい。何も言わなくていいよ。いやぁ、久々にいい仕事をしたと思ったけど、違うね。キミがいたからだ」
勝手に納得して、うんうんと頷いている。なんとなく、テレビで見る印象とは違う、砕けたオッサン風の喋り方だ。
「キミ、今まで散々困ってきたね」
「あ……はい……」
幼い頃、海で足を引いてきた手。
夕暮れ時、塾の帰り、踏切で必ず手招きしてきた黒い影。
場所やタイミングによっては、頭が痛くなったり吐き気に襲われたりする事もある。
そして、圧倒的なリアルさで首を絞めてきた、蛇の形をした雑魚の霊たち……
そういう辛さを全部わかってくれているような言葉に、思わず目の奥が痛くなった。
「キミは、マリちゃんとは違う、モノホンの感受性だ。非常にいいモノを持っている。どう? 私の弟子にならない?」
それは無理だ。
ブンブンと首を振ったら、はは、と明るい笑い声。
「だろうね。そういう子じゃないな。うん、まぁ、キミはもう、実害を受ける事はなさそうだから、悩む必要はないよ。凄く、凄く強い加護を持っている」
琉星の握った拳を、斎木は上に向け、ゆったりと解いた。
掌には、何もない。しかし彼は、深く納得したように頷いた。
「ふぅん……どうもこの地は、不思議な事がたくさんあるらしい。面白いよ。
なあキミ。まだ、霊は……自分の能力は、怖い?」
琉星は空っぽのはずの掌を眺め、考えていた。
そこをなぞり、お守りだと言った沙良を。
たとえ微力でも、純粋にお堂を守りたいと思った瞬間の、強い衝動を。
「いいえ」
真っ直ぐに斎木に視線を返した琉星。
もう、負けはしない。
お守りがあるから、気が強くなっているのではない。いや……多少なりとも後押しになってはいるのは事実だが。
怖がるだけだった、昔の自分。
霊の気配が怖いからと、何もない自宅ですらビクビクと過ごす。夜更かしなんてもっての外で、明るい部屋で眠る日々。
「うん、いい瞳だ」
ニコ、と微笑み、斎木はアシスタントに声を掛け、手を振って帰って行った。
「琉ちゃん、弟子になったら一攫千金だったんじゃん?」
「まさか」
短く返す琉星に、もう迷いはなかった。
沙良は、お守りは飽くまでお守りであり、能力が消える訳ではないと話していた。
でも、もう逃げない。
かといって、対峙もしない。
見えたとしても、気にしない強さを身に付けよう。
まずは……
「慶、今夜暇? 10時頃スカイプしていい?」
「おっ、早寝早起きの琉星が、どしたん?」
「別に」
そう。
まずはビクビク怯えるのをやめ、昼も夜も、外も家も、変わらずに楽しもう。
ふと視線を感じて、琉星は図書室の窓を見上げた。
光が反射して中は見えないけれど、彼は笑顔で見上げ、頷いた。
そこに居るのが、この掌にお守りを刻んだ人だと確信して。