第4話 生きたい
夜は、思った以上に長かった。
焚き火はとっくに燃え尽きて、辺りは死んだように静まり返っている。
少し離れた場所から、ガスの意味不明な寝言と、エルケの豪快ないびきが聞こえてきた。
平和な音だ。いつもなら蹴り飛ばして黙らせるところだけど、今はそれが妙に心地いい。
俺は眠れず、仰向けのまま木々の隙間から星空を見上げていた。
無意識に、首元の御守りを握る。
……また、これだ。
剣の証。
世界に捧げる生贄に着けられた、ただの目印。
(……ふざけるなよ)
奥歯を噛み締める。
俺には、親の顔の記憶がない。
気づいた時には、ダンの腕の中だった。
ダンが言っていた。
雨の降る森の中で、ボロ布にくるまれて泣いていた俺を拾ったと。
そばにあったのは、この薄汚い金属片だけ。
産んだ親ですら要らないと捨てた子供。
世界から拒絶されて、死ぬはずだった俺をダンが拾ってくれた。
血の繋がらない盗賊たちが、不器用に育ててくれた。
ミルクの代わりに安酒を舐めさせられ、玩具の代わりにナイフを握らされ。
そうやって、俺はやっと「生きてていい場所」を手に入れたんだ。
なのに、今度は――世界のために、それを差し出せだと?
ふざけるな。
一度捨てられた命だぞ。
俺を捨てた世界のために、なんで今さら犠牲にならなきゃいけねえんだ。
「……クソが」
吐き捨てた言葉は、夜の闇に吸い込まれて消えた。
◇
「……まだ起きてんのか」
低い声。
足音もなく、背後に気配が立った。
振り返らなくても分かる。ダンだ。
「……寝れるわけねえだろ」
短く答える。
しばらく、重い沈黙が流れた。
俺は身体を起こし、膝を抱える。
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、喉が張り付いたように声が出ない。
それでも、俺は絞り出した。
「……なんでだよ」
声が、情けないほど掠れる。
「なんで……黙ってた」
「俺が拾われた時から、知ってたんだろ」
「俺が……その、『剣』だってこと」
ダンは、すぐには答えなかった。
暗闇の中で拳を強く握りしめ、まるで自分自身に言い聞かせるように、ぽつりと言った。
「……生まれてすぐのガキに話せる事じゃあねえだろ。お前は将来生贄になるなんてよ」
「だが、お前が成長するにつれて益々言い出し辛くなった」
「お前は……平気な顔して、抱え込んじまうと思ったからだ」
俺は顔を上げる。
「怖いだとか、嫌だとか。泣き言も言わずに」
「一人で、壊れるまで我慢して、仲間のために死ぬことを選ぶ」
「お前は、そういう奴だ」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……それが、分かってた」
「だから……言えなかった」
俺は、笑った。
乾いた、引きつった笑いだ。
「……なんだよそれ」
ダンの声は、抑揚が抑えられて、感情がないみたいだ。
「言葉にするのが……怖かったんだ」
怖いだなんて言葉、ダンの口から聞いたのは生まれて初めてだ。
「……お前を失いたくなかった」
月明かりに照らされたその顔は、盗賊団のお頭でも、伝説の『不死身の盾』でもなくて。
ただの、子供を心配する不器用な父親の顔で。
俺は、何も言い返せなかった。
◇
そのまま、俺は森の中を歩いた。
じっとしていられなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、叫び出しそうだった。
「……ねむれないの?」
たどたどしい声。
リザリアだった。
大木の下、自分の背丈より大きなボロボロの毛布を被って立っている。
真っ白な肌が、闇の中でぼんやりと光って見えた。
リザリアは、髪はボサボサで、手も足もガリガリに痩せている。歳は、多分実際の年齢よりは幼く見えているけれど……俺の半分しか生きていないくらいの、小さな子供。
「……ああ」
俺は近くの木の根に腰を下ろす。
リザリアは俺の隣にちょこんと座り、自分の細い腕をさすった。
そこには、腕輪があった。ランプの紋章がついた、俺の御守りとよく似た代物だ。バルガンズの屋敷で見つけた時から、既に巻かれていた
「……あのね」
リザリアが、ぽつりと言った。
「ママとパパね、わたしはいらないって。ごはんばっかりたべるから、いらないって、言ったの」
突然の告白に、俺は息を呑んだ。
「だからね、こわいおじちゃんに、つれてかれたの。……でね、腕輪がピカって光って、ちがうおじちゃんがきたの」
「『キミは選ばれたんだよ』っていってた。それで、あのおうちにつれてかれた」
口減らし。奴隷。
この年端もいかないガキが、親に売られて、どんな地獄に連れて行かれそうになっていたのか。想像するだけで吐き気がした。
リザリアは言葉を区切り、自分の小さな頭を両手でぎゅっと押さえた。
顔が、苦痛に歪む。
「……それからね、ずっと、あたまのなかに、わからない言葉とか、数字がいっぱい、ザーッて入ってくるの。すごく、いたい」
苦しそうに、助けて欲しいと縋るような目で俺を見上げるリザリアに、胸が苦しくなる。
こいつの頭の中に、何が流れ込んでいるっていうんだ。
「あたまのなかでね、女の人のこえがする。わたしは『らんぷ』だから、つるぎを、つれてきてって」
「あなたが死なないと……世界、なくなっちゃうんだって。……世界がなくなるって、どういうこと?」
何も、分かっていなかった。
この小さなガキは、自分が「生贄を処刑台へ案内する道具」にされていることの意味すら、理解できていない。
ただよく分からない声に従って、痛みに耐えながら、俺を死に導こうとしているだけだ。
胸の奥が、冷たくなって、次第に熱が湧き上がる。
……ふざけるな。
親に捨てられて、次は頭の中の痛みに耐えながら「他人の命を犠牲にする案内役」をやらされている。
それを、この小さな頭で、ただ「そういうものだ」と受け入れている。
「まちも、私のパパとママも……ここにいるみんなも」
「あなたが死ななきゃ、なくなっちゃうの……?」
意味がわかっていないからこそ、残酷な問いかけだった。
「……」
俺が死ねば、みんな助かる。
あまりにも単純な仕組みだ。
だからって「はい、そうですか」って死ねるか?
俺は聖人君子じゃねえ。
むしゃくしゃして、目の前の草をむしり取る。
俺だって、親に捨てられて、ダンに拾われただけの、薄汚い盗賊なんだよ。
◇
その夜、俺は一睡もできなかった。
何度も考えた。
世界のために死ぬ? 俺が死ななきゃ、世界が滅ぶ?
正直、ちっとも実感が湧かなかった。
今日明日の飯の心配ばっかりしてきた俺に、「世界」なんて言葉はデカすぎて、悪い冗談にしか聞こえない。死の恐怖なんて、ピンとくるわけがなかった。
とにかく、心底ムカついた。
なに勝手に、選んでんだよ。
理不尽な仕組みにムカついて、木の幹を蹴り飛ばして、それでも怒りは治まらない。
クソ……! クソがっ!!
木を蹴り付けた足がジンジンと痛んで、さらに怒りが募っていく。
なにが生贄だ!!
なにが世界を救う英雄だよ!
俺が欲しいのは名誉じゃない。俺が欲しいのは、…………明日だ。
あいつらと食う不味い飯だ。くだらないバカ話なんだ。
リザリアみてえな小さな子供にまで、わけわかんねえ運命背負わせて、邪神だかなんだかが高みの見物かましてやがるのかと思うと、暴れたって暴れたりない。
死にたくないに決まってんだろ。
誰が好き好んで死んだりなんかする。
でも、そうだ。リザリア……あの、ランプだとかいうガキが言っていた。俺が死ななきゃ、ロイズも、ガスも、ミーナもエルケも、みんな死ぬって。
なら、俺が死んだ方が……いいのかもしれない。
世界のためなんかじゃなく、仲間のために。
それならまだ、受け入れられる。
……ああそうか、ダンが言ってたのはこういうことだ。
俺は仲間のためになら。
みんなが助かるなら、死んでもいいって、思っちまう。
空を見上げる。
夜空に浮かぶ月が、妙に近くに見えた気がした。
もし。
もし、剣に選ばれたのが、もしロイズだったら?
ガスやミーナや、エルケだったら?
俺はどうしただろう。
……決まってる。
俺は絶対に、あいつらを死なせたりしない。
だったら、答えは一つしかないじゃないか。
気がつけば、空が白み始めていた。
冷たい夜の空気が薄れ、木々の隙間から、眩しい朝陽が差し込んでくる。
俺は、大きく息を吐き出して立ち上がった。
◇
身体中の泥を払いながら、仲間の元へ戻る。
ダンが、リザリアが、俺を見る。
ロイズやミーナも、息を潜めてこっちをみている。
「……お頭、みんな」
俺はぐるりと仲間を見回して、深く息を吸い込んだ。
腹の底から、言葉を吐き出す。
「決めた」
「生贄には、ならねえ」
「今更、世界のためになんか死んでたまるかよ」
ざわ、と空気が揺れた気がした。
リザリアが目を見開く。
「……でも、それじゃあ……」
「うるせえ、最後まで聞け」
俺はニヤリと笑って、胸の御守りを握りしめた。
「悪魔だか、神様だか知らねえけどな」
「俺の命と引き換えじゃなきゃ救えねえ世界なんて、欠陥品だろ」
拳に力を込める。
「俺たちはダン盗賊団だ」
「クソみてえな御伽噺から、俺の未来を奪い返す!」
盗賊らしく、貪欲に。
「そんで、お前ら全員、共犯な!」
長い沈黙。
小鳥のさえずりだけが響く。
やがて。
ダンが、肩を震わせた。
「……く、ククッ」
「……ガハハハハハ!!」
いつもの豪快な笑い声が、森に轟いた。
ダンは嬉しそうに、馬鹿力で俺の背中を叩く。
「……いうじゃねえか、クソガキが」
痛てえよ、クソ親父。
でも、今はその痛みのおかげで、自分が生きていると実感できる。
「え? ライオ、一人でどうにかするつもりだったのか?」
ロイズが「呆れた」と溜息をつく。
「水臭いね、共犯も何も、あんたの問題は私らの問題じゃないか」
「クズの犯罪者だって、仲間を見捨てるほど落ちぶれちゃいないよなぁ〜」
ミーナとエルケも笑っている。
「ギヒヒ、俺様の爆弾が火を吹くぜ」
ガスはまあ、相変わらずって感じだ。
「よおし、お前ら。ライオのいう通り、仲間の未来を奪い返しに行こうじゃねえか!」
「「「おう!!」」」
ダンの号令に、全員が声を揃えて応える。
俺は、ポカンとした顔でこっちを見上げている、リザリアの頭に手を乗せた。
「ってわけでリザリア、お前も手伝えよ」
「……え?」
リザリアは眉をしかめて困惑する。
俺は、すぐ横に立っているダンの顔を見た。
俺と目があって、ダンはすぐに察してくれた。
「おうよ、お前も今日から俺のガキだ。ダン盗賊団として、仲間のために働いてもらうぜ」
そう言って、ダンは軽々とリザリアの身体を持ち上げ肩に乗せる。
リザリアは、目を丸くしていた。
ずっと感情を殺していたような、青い大きな瞳から、ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「よろしくな、リザリア」
俺が笑いかけると、ロイズがやれやれと首を振った。
「まったく……あとでまともな着替えを手配してやらないとな」
「服なら私に任せな。最高に可愛いのを選んでやるからね」
ミーナが胸を叩くと、エルケも身を乗り出してくる。
「ヒュ〜! いいねぇ! 髪はオレが綺麗にしてあげるよぉ〜」
「ギヒヒ、俺様の爆弾、見せてやろうか?」
「いや、それは危ねえからしまっとけ!!」
俺のツッコミに、ドッと笑い声が弾ける。
この場にいる全員が、リザリアを受け入れた。家族や世間から拒絶された、はみ出しものの集団。
リザリアは、俺たちの顔をダンの肩の上からじっと見つめ、
「……う、あ……」
初めて、子供らしい表情で、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
今まで我慢していたものを全部吐き出すように、リザリアは大きな声で泣きじゃくった。細い腕で、ダンのスキンヘッドをぎゅっと抱きしめて。
こうして俺たちは。
家族総出で、決められた運命に喧嘩を売ることにした。




