第3話 黒の物語
この世界には、誰もが知っている御伽噺がある。
タイトルは『黒の物語』。
御伽噺にしては物騒すぎる名前だけど、名付けたのは俺じゃないからどうしようもない。
昔々。
世界を滅ぼす邪神『黒の物語』が現れて。
それに立ち向かった三人の勇者がいた。
導く者〈ランプ〉。
守る者〈盾〉。
戦う者〈剣〉。
ランプの男は道を示し。
盾の男は仲間を護り。
そして、剣の女は――最後に。
自分の命と引き換えに、邪神を封じた。
……っていう、どこにでもある英雄譚だ。
盗賊の俺らですら、知ってるレベルの有名な物語。
――そして、俺が一番嫌いな話だ。
自分の命を捨てて世界を救う? バカバカしい。
死んだらそれまでだ。金も使えねえ、酒も飲めねえ。
俺は、そんな英雄には死んでもなりたくない。
◇
パチパチと、焚き火が爆ぜる音がした。
バルガンズの屋敷を離れ、森の中で野営を張って数時間が過ぎていた。
俺たちは、燃え上がる炎を囲んで座り込んでいた。
俺の隣では、道中で名前だけは聞き出した少女――リザリアが、毛布にくるまって泥のように眠っている。
「……で、どうすんだよ。このガキ」
俺は枝で火を突きながら、沈黙を破った。
「世界のために死ね、だァ? ふざけやがって。どこの狂信者だよ」
「……あの言葉」
ロイズがホットワインを啜りながら、ポツリと言う。
「やっぱり、『黒の物語』だよな」
俺の手が止まる。
「……は? まさか」
俺は鼻で笑った。
「御伽噺だろ。あんなの」
「そうよ。子供だましじゃない」
ミーナも呆れたように同意する。
「『剣』だの『盾』だの……実在するわけないじゃない。信じてるのは、頭のおかしい黒典の民くらいよ」
「だよな。現実なわけねえ」
俺たちは、乾いた笑いを浮かべた。
笑い飛ばそうとした。
だってそうだろ?
俺たちは盗賊だ。英雄じゃない。
明日食う飯と、金があればそれでいい。
世界の危機なんて、関係ない場所にいるはずなんだ。
「……本当だ」
低く、重い声が笑い声に割り込んだ。
ダンだった。
全員が振り返る。
ダンは、焚き火の光が届かない闇の中に座り、じっと炎を見つめていた。
「……お頭?」
いつもの豪快な笑いがない。
それどころか、見たこともないほど沈痛な面持ちだった。
ダンは、しばらく黙っていた。
俺たちの視線を受け止め、そして、ゆっくりと息を吐く。
「……いつかは、言わなきゃならねえと思っていた」
重い沈黙が森に落ちた。
「黒の物語は……作り話じゃねえ」
「現実だ」
空気が、凍りついた。
しん、と静まって、ぱちぱちと焚き火の中で燃える枯れ枝の音だけが不自然に響く。
「……おい、お頭。冗談だろ?」
俺は立ち上がりかけたけど、ダンの眼差しに射抜かれて動けなかった。
「千年前」
ダンは、静かに語り出す。
「世界は、一度、終わりかけた」
「その時、悪魔に立ち向かったのが――剣と、盾と、ランプだ」
思わず唾を飲み込んだ。
首元の御守りが、また熱くなった気がした。
「……お頭、急に何言って」
ダンは、炎越しにまっすぐ俺を見た。
「俺は――」
「千年前の“盾”だ」
言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
千年前?
この親父が?
「ま、待ってよ〜お頭!」
エルケが叫ぶ。
「千年前って……まさか人間がそんなに生きられるわけぇ……」
「生きちまうんだよ」
ダンは自嘲気味に笑い、腰から短剣を抜いた。
「おい、何を――」
止める間もなかった。
ダンは迷いなく、切っ先を自らの左腕に突き立て、真横に引いた。
ザシュッ。
鮮血が噴き出す。
筋肉を断ち切り、骨に達するほどの深い傷。こんなの、腕が使い物にならなくなるか、最悪、血を失って死んじまう。
「お頭ッ!?」
俺たちが駆け寄ろうとした、その瞬間。
ブワッ、と傷口が淡く緑色に発光した。
「……え?」
血が止まる。
傷口の奥、裂けた皮膚の下で、何かが蠢いている。
そこにあったのは、肉じゃない。
ダンの腕に彫られた厳ついドラゴンの刺青の下から、ぼんやりとした光の筋が浮かび上がっていた。
「こ、れは……」
俺は息を呑んだ。
見覚えがある。
さっき殺した怪物――バルガンズが、自分の腕に必死に刻んでいた傷跡。
あれとよく似ている気がする。
なんで、バルガンズの腕と同じような模様がダンに?
光が収まると同時に、腕の傷は完全に塞がっていた。
傷跡一つ残っていない。
「“盾”の呪いだ。……死ねねぇ体にされちまった」
言って、ダンは短剣を放り捨てた。
「……ッ」
誰も言葉が出なかった。
いつも見ているダンの異常なタフさ。
俺が赤ん坊の頃から全く変わらない容姿。
そして、今見せつけられた人間とは思えない回復力。
信じるしかなかった。
目の前にいるのは、ただの盗賊の首領じゃない。
千年前の、生きた伝説だ。
「じゃあ……」
俺は、震える声で尋ねた。
「あの話が本当なら……」
「剣の人っていうのは……」
黒の物語。
世界を救うために、命を捧げた英雄。
少女は俺に言った。『世界のために死んでくれる?』と。
「……ライオ」
ダンが立ち上がり、俺の前に立つ。
その巨大な手が、俺の肩に置かれた。
いつもなら頼もしいその手が、今はひどく冷たく感じる。
「お前が持ってるその御守り。それはただの金属片じゃねえ」
「それが、次の『剣』の証だ」
血の気が引いて、指先が冷たくなる感覚。
「……俺が、剣?」
「ああ。お前は選ばれたんだ」
ダンは悲痛な顔で、けれどハッキリと告げた。
「世界のために死ぬ、生贄にな」




