第10話 失われた塔
数日後。俺たちの体力が十分に戻った頃。
俺たちは揃ってモルディアスの私室に案内された。
ダンが先頭を切ってモルディアスの部屋へと入る。
整然として、まるで書庫のような部屋だ。
壁一面を埋め尽くす本棚には、あらゆる時代の書物が並んでいる。
机の上には古い羊皮紙、詳細な地図、謎の文字が刻まれた石板の写し。
知識の宝庫って感じがして落ち着かない。
「さて」
モルディアスは湯気の立つ紅茶を置き、静かに口を開いた。
「西の遺跡について、お話しましょう」
俺は身を乗り出す。
「領主様は行ったことあんのか?」
「ええ」
男は一枚の巨大な地図を広げた。
大陸の西端。険しい山脈の奥深く。人が立ち入らない未踏の地に、小さな印があった。
「“失われた塔”と呼ばれる遺跡です。遥か昔、魔法が栄えていたとされる時代の祭祀場……あるいは賢者の住居だったと言われています」
モルディアスは言葉を選んで続ける。
「私も調査しましたが、これといって得られるものはありませんでした。ですが、黒の物語に選ばれたあなた方がいけば、呪縛を解く鍵が、みつかるかもしれない」
ダンが、静かに地図を睨んだ。
「……何かあると良いけどな」
俺はちらっと隣を見る。
「お頭は、ここのこと何か知ってる?」
「中に入った事はねえ。……遠くから見ただけだ」
ダンは短く答えたが、それ以上は語らなかった。
「失われた塔があるのは、ここから馬車で半日ほどの距離です」
モルディアスは穏やかに言った。
「私の名義で馬車を出しましょう。食料、水、登山用の装備も最高級のものを用意します」
「……そこまで?」
思わず聞いてしまう。
手配の凍結だけでなく、物資まで。
「当然です」
男は慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
「世界の未来が懸かっていますから。……それに、君たちのような若者が命がけで戦っているのに、大人が財布の紐を締めていては格好がつきません」
◇
「……ライオ君」
話が一段落して、退出準備をしている時だった。モルディアスが、俺に声をかけてきた。
「ん?」
「ダン殿は、君にとって特別な方なのですね」
「……まあな」
俺は扉の方を見た。ダンは先に部屋を出て、ロイズたちと明日のことについて話している。
「赤ん坊の俺を拾ってくれた恩人だし、父親みたいなもんだ」
自然に出た言葉だった。
だけど、モルディアスは何か言いたげに目を細める。
「だからこそ……不思議なのです」
静かな、落ち着いた声。
「大切な子供に」
「なぜ、泥にまみれて罪を犯す『盗賊』の道を選ばせたのか、と」
――ズキッ。
胸の奥、一番柔らかい場所を針で刺されたような痛みが走った。
「……別に」
俺は視線を逸らす。
「俺たちが勝手にやってただけだ。お頭は関係ねえ」
「そうですか。……ですが、もし彼が君を真っ当な人間に育てようとしていれば」
モルディアスは言葉を切る。
「君は今頃、学舎に通い、友と笑い合い、あるいは騎士として大成していたかもしれない」
俺は、言葉に詰まった。
学舎、騎士。
そんなもの、考えたこともなかった。
俺の世界には、最初から「盗むか、奪われるか」の二択しかなかったからだ。
でも、こいつは言うのだ。
お前には「別の道」があったはずだ、と。
「失礼。出過ぎた真似を言いました」
モルディアスはすぐに表情を戻し、優雅に頭を下げた。
「私はただ……子供の未来を奪う大人にはなりたくないと、そう思っているのです」
◇
部屋を出たあと、俺は、誰もいない廊下で立ち止まった。
窓の外、整備された美しい街並みが見える。
身綺麗な子供たちが、笑い声を上げて走っていくのが見えた。
(……あいつらと俺は、違う)
ずっとそう思ってきた。住む世界が違うと。
だけど、もし。
もし、ダンが俺を「普通のガキ」として育てていたら?
俺もあの中に混ざって、馬鹿みたいに笑っていたんだろうか。
「……何考えてんだ」
俺は壁に頭を押し付け、自分で自分に毒づく。
もし盗賊じゃなかったら。もし盗賊をやめられたら。
ここにきてからずっと。想像したこともない「もしも」が、頭にこびりついて離れない。
◇
夜。
与えられた客室の、暖炉の前。
パチパチと燃える火を見つめながら、ダンが言った。
「明日、出るぞ」
「ああ」
「……あの塔に何か手がかりがあればいいがな」
短い言葉。いつも通りの、ぶっきらぼうな親父だ。
俺は炎を見つめたまま、一瞬迷ってから口を開いた。
「……なあ、お頭」
「ん?」
「……俺たち、間違ってねえよな」
ダンは、マントの手入れをする手を止め、少しだけ驚いた顔をした。
それから、いつものように鼻で笑う。
「何だ急に。ここに来て怖気付いてんのか?」
「そんなんじゃねえッ!……俺はお頭に拾われて、盗賊やって、ここまで来た。……それは、間違いじゃなかったよな?」
モルディアスの言葉が頭から離れない。
俺は確認したかった。
この16年間の「盗賊としての生」が、俺たちにとっての唯一の正解だったと。
ダンはしばらく沈黙し、火を見つめた。
どこを見ているのか分からない、遠い目をしているように見えた。
「……正解も間違いもねえよ」
ダンが、ぽつりと呟く。
「生きてりゃそれでいいんだよ。どんな形だろうとな」
なんだよそれ。
生きてりゃ良いって。
それは、俺が生贄にならずに死んだら、世界が滅んじまうからか?
俺が世界を救う『剣』だから。
いつか来る終わりの日に、黒の物語を止めるための「道具」として、ただ死なせないように手元に置いていたって、そう言いたいんだろうか。
……そんな最悪な想像が、頭をよぎってしまった。
◇
翌朝。
俺たちは、モルディアスが用意した大型の馬車に揺られていた。
冷たい風を完全に遮る頑丈な幌。疲労を感じさせないふかふかの座席。足元には、最高級の保存食と水が積まれている。
これまで泥にまみれて歩いてきた旅とは、天と地ほどの差だった。
「すっげ〜! お尻が全然痛くない!」
「これなら半日の旅もあっという間だね」
エルケやミーナがはしゃぐ声が聞こえる。
それに反して、俺の心はずっと晴れないままだった。
ガタゴトと鳴る車輪の音を聞きながら、俺は向かいの席を見た。
ダンは腕を組み、目を閉じて黙り込んでいる。一切の隙を見せず、ただひたすらに目的地を見据える、いつもの戦士の顔だ。
俺は視線を外し、馬車の小さな窓から外を見た。
遠ざかっていくモルディアス領の白い城壁。それが山の稜線に消えた頃、代わりに別の影が視界に入った。
山肌を突き破るようにそびえる、黒い巨大な建物。
「……あれが、失われた塔だ」
ダンの低い声。
俺は窓枠を握りしめた。
あの中に、手掛かりがある。
俺が死なずに済む方法が、あるかもしれない。




