長命水
参拝を終えて下山した後、俺たちはすぐ近くの赤レンガ倉庫や旧敦賀港駅舎を再現した資料館を巡り、金ヶ崎緑地を散策した。ここには海沿いに散歩コースが続いており、船首をイメージしたデッキが途中で突き出ている。
その先端に立つと、タイタニックの主人公になった気分で港全体を一望できる。
「わあ、綺麗!」
左手には海上保安庁の巡視船が停泊しており、正面には対岸の三内山の緑と穏やかな青い海面が美しく広がっている。
潮風を肌に感じながら深呼吸し、美佳とのんびりした時間を過ごした。
「気持ちいいですね。来れてよかったです」
「もう体調は良さそう?」
「はい。先程はご心配をおかけしてすみませんでした」
美佳は申し訳なさそうに頭を下げる。
金崎宮への参道での一件以降、美佳は息切れを起こすことなく過ごせている。ずっと冷房のある場所にいたし、あの時は外に出ていた時間もまだ短かったから、熱中症は考えにくかった。
原因はわからないけど、旅先で倒れてしまっては大変だ。ずっと彼女の調子を伺っていたのでなかなか気持ちが落ち着かなかったが、美佳の返事を聞いてとりあえず一安心する。
「氣比神宮はここから歩いて15分くらいかかるみたいだけど、どうする?」
「そうですね。今日は暑いですし、タイミングが合えば近くからバスに乗りたいですね」
乗り換え案内のアプリを使ってバスの時間を調べる。少しでも楽に移動できるに越したことはない。
「おっ、ちょうどいい時間にすぐそこから出るみたい。じゃあ、行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
程なくしてやってきたバスに乗り込み、駅方面に5分ほど戻ったところに氣比神宮があった。街中の大きな交差点の角にそびえ立つ、朱塗りの立派な大鳥居の迫力に圧倒される。
北陸でも有数のパワースポットなのか、大鳥居を出入りする参拝客の数もかなり多い。
「氣比神宮って、奥の細道にゆかりがあったんだ」
国指定名勝の碑を見て関心していると、美佳が反応する。
「そうなんです。松島や山寺のイメージが強いですけど、ここでは月の美しさを俳句にして詠んだみたいです。境内に松尾芭蕉の像もあるので、ついでに見てみましょう」
彼女に連れられて一礼し、大鳥居をくぐる。ここの境内も神聖な空間が広がっており、街の喧騒から切り離されるような感覚がした。
本殿へと続く参道を進むと、手水舎の手前で美佳に肩を叩かれる。
「石和さん、ここに亀さんいますよ」
「えっ、どこに?」
彼女の指差す先には亀の石像があり、その口から湧き出た水が小さな池に注がれていた。その傍には『長命水』と書かれた石碑もあり、この神社の御神水かと思われる。
「なんで長命水っていうんだろう?」
「氣比神宮に祀られてる神様の中に、無病息災や延命長寿の神様もいらっしゃるみたいです。きっと、それに因んでいるのかもしれないですね」
「なるほど。だから亀の石像なのか」
「亀の口から流れるこの水を一口飲むと、その一年は健康に過ごせるともいわれているんですよ。私も飲んでみたいですけど、ダメでしょうか?」
石像の前には柄杓が3つ並んでおり、ここでもお清めができるようになっている。衛生管理はされているが飲むのは自己責任、などという注意書きも石碑の側にあった。
「ひと口くらいなら良さそうかもね」
「やった!早速すくって飲んでみましょう!」
一本ずつ柄杓を持ち、俺たちは腕を伸ばして池の水をすくい、長命水を口に含んだ。
真夏日にも関わらず湧水はとても冷たく、ひと口だけでもサッパリした気分になった。
「あー、生き返るね!」
「スッキリして美味しいですよね!ペットボトルに汲んで持ち帰りたいくらいです!」
「一応、煮沸して飲む分には持ち帰ってもいいみたいだね」
美佳も笑顔で答える。彼女は長命水のご利益に、特別な思い入れがあるのだろうか。
「じゃあ、本殿にお参りしようか。どんな願い事するか考えてた?」
「願い事も悪くないですけど、私は日頃の感謝の気持ちを伝えて、今後の自分の決意表明をしてます。自力でどうしようもできないことは『どうか見守っていてください』とご加護を祈るほうが、うまくいく気がするんです」
マジか。さっき金崎宮で『性格が良くて美人の彼女ができますように』という欲望を思いっきり伝えてきてしまった。
しかし、言われてみれば確かに神頼みで事がすべてうまく進む訳がない。美佳の参拝方法は一理ありそうだ。
「そうだったんだ。知らずに聞いちゃってゴメンね」
「いえいえ、気にしないでください。あと、自分の居場所を神様に知ってもらうために、心の中で住所や名前を伝えるのもいいですよ」
「わかった。心がけてみるね」
美佳に教えられた通りの手順で、本殿でお参りする。さっきのお参りのときより長く時間をかけ、自分の気持ちを神様へ伝えた。