優しい世界
『ねぇ、二人とも。おいしい? 今日は新しいレシピに挑戦してみたのよ』
『おいしいも何も最高だよこれ! ねえパパもそう思うでしょ?』
『ああ、もう、ほんっとうまいよ! ママは天才だなぁ』
『ふふふっ、二人とも大げさねぇ』
『あ、今日のお風呂掃除はぼくがやるからね!』
『お、偉いぞー。パパはいつも通り、洗い物担当だな。それから明日はパパが夕飯を作るからな。楽しみにしてるんだぞぉ』
『あらぁ、それじゃ、あたしの料理がおいしくなかったように聞こえてきちゃうかもなー』
『そんなことあるわけないよ! ねえパパ!』
『ああ、当然さ! ママの料理は、いやそれ以外も全てがいつだって最高さ!』
『うふふっ、冗談よ冗談。ふぅ、でも今日はおかずが二品だから、ちょっと節約しないとね』
『そうだな。明日は一品だな。家のローンも大変だからなぁ』
『そうね。もしかしたら払いきれないかもね。でも頑張らないとね。よそのお宅もみんな同じような感じだもの』
『ああ、そうだな。でも会社で働けてパパは幸せだなぁ! つらいときもあるけどな!』
『うふふっ、そうねぇ。私も幸せばっかりじゃないわぁ。おっと、子供の前でこんな話はするべきじゃないかもしれないわね!』
『ううん! 何でも話すべきだよ! それに、ぼくも楽しかったり苦しかったりするよ! でも今日は楽しかった!』
『ほう、今日は幼稚園どうだったんだい?』
『みんなで、ヒーローごっこしたんだ! のけ者はいないよ! 女の子もやりたいって子は一緒に遊んだんだ!
でも男の子でも、ままごとがしたいって子はそっちで遊んでみんな楽しかったんだ!』
『それは素晴らしいなぁ。でもヒーローごっこということは悪者役の子もいたんだろう?』
『ううん! 悪者は自分たちで想像したんだ! いじめになっちゃうからね!』
『なるほど、シャドーボクシングのようなものか!』
『そうだよ! でもその悪者も最後は、みんな仲良くなったんだ』
『素敵ねぇ』
『最高だな! はっはっはっは!』
『あははははは!』
「……なんてつまらないドラマなんだ」
おれは定食屋でひとり、そうボヤいた。その後、周りを見回したが店主の皿を洗う音に掻き消され、他の数人の客には聞こえなかったようだ。
誰もテレビに目を向けていないようなので、おれはテレビに向かって手を伸ばしチャンネルを替えると、お笑い番組がやってたので野菜スープのお供にそれを見ることにした。
『いやー、ほんまにお前はサイコーやな!』
『てれるやーんやんやんやー!』
『顔、オモロ! でもええ顔やわぁ』
『へっ! ところでなぁおれ、この前、道を歩いてたらな、目の前をお年を召したお姉さんが杖ついて歩いててなぁ』
『ほうほう』
『重そうな荷物持ってはってなぁ。んで、ちょっと持ってやろう思ってな』
『おお、ええやん。でも親切の押し売りにならんよう気をつけなあかんなぁ』
『せやね。だからおれ、そのお姉さんに聞いたんや。良かったらお荷物お運びしましょうかぁってな』
『そんでそんで』
『そしたら、お姉さんな、ああ、ありがとうございますぅ、よろしくお願いしますぅって!』
『あかん、涙出てきそうやわ……お前のこと、信頼してくれはったんやなぁ……勿論、お前の顔は内面のその優しさが滲み出とるが、でも荷物持ちます言うて、そのまま持って行かれてしまう可能性もあるわけやん?
おばあ、お姉さん、初対面のお前を信じてくれたんやなぁ。
相方として嬉しいし、断られても仕方ないのに勇気出して声かけたお前がホンマ、誇らしいでぇ……』
『へへっ、サンキュな。でもおれ、お前に褒められたいなぁ思うたから声かけたとこもあるし、お前のお陰でもあるんやなぁ』
『なんやそれ、感動するやん……で、話の続きを是非、訊かせてくれや』
『んでな、おばあさ、ゴホン。お姉さんの荷物を持ってやったんや』
『ホンマ偉いなぁ……重かったろぉ』
『いや、軽かったで』
『おお、なんで?』
『杖を持ってやったからな』
『いや、何してんねんホンマアカンやろうがい!』
『ぬはは! ええやろええやろ』
『よくないわ! いや、ホンマよくないぞ!』
『そのあと荷物も持って、そんでお姉さんをおんぶしてやったんや』
『お前……ほんま最高の相方やな』
「つまらなすぎて反吐が出る……」
と、おれはまたもつい声を漏らし、辺りを見た。客も店主も特には気にしてないようなので、またテレビのチャンネルを替える。
『続いてのニュースです。五つ子のわんちゃん誕生――』
『今日はここ、チューリップ園に遊びに来ました!』
『ほんわかバス旅。この後すぐ――』
『アイドルたちの絆を試すドキドキゲーム――』
優しいドラマ。
優しいバラエティ。
優しいニュース。
どれもこれもつまらなすぎて、おれは無性にイライラするんだ。
「……あ、お客さん、テレビを叩くのは、あ」
「なんだい?」
「ああ、いや……」
おれはふんと鼻を鳴らし、松葉杖の先っぽでスイッチを押し、テレビの電源を消した。
客は誰も何も反応せず、貧相な野菜スープをすすっている。最近はまた物資が乏しくなり、店の壁もだいぶ寂しくなった。
外された手書きのメニュー札のあった場所は、その跡がくっきりと残っており、元々の壁と今の汚れた壁の色の違いをはっきりと示している。
が、いくつかは壁と同化し、帰る場所を失くしたように思えた。
おれはポケットから出した小銭を手のひらの上で数え、代金をカウンターの上に置いた。立ち上がり、ポケットの中に小銭を戻すと小さく音が鳴った。
他の客がちらっとおれを見たがまた目を背け、スープをすすりながらテーブルを見つめる。
「おおっと……」
店の敷居を跨いで外に出る際、杖で躓き膝をついたが、外を歩く通行人も誰もおれに声をかけようとはしなかった。
店の奥から「まいどあり」と声がした。床か壁に向けて言ったのか何にせよ、おれの方は向いていなかったようだ。
おれは片手に荷物、もう片方に松葉杖を持ち、ヨタヨタと道を歩く。すれ違う奴、そのほとんどがおれの荷物に視線を向け、そしておれの顔を見て、フッと笑う。貧乏くさい顔だ。金目のものは持ってないんだろう。そう言っているようだった。
それでもおれは荷物をなるべく自分の身体から離れないよう、いざとなったとき胸と腹で抱え込めるように前の方へ持っていく。だが、そうすると歩きにくく、バランスを崩して転びそうになるのだ。
実際、何度か転びもした。だが誰も声をかけてこない。
優しいドラマ。
優しいバラエティ。
優しいニュース。
どれもこれもテレビの中だけだ。
現実は経済悪化。犯罪率上昇、貧困、増税、カルト宗教団体の乱立、戦争の気配。世情が悪くなるにつれてテレビから毒気が消え、今のような番組ばかりになった。
それはこのつらい現実から目を背けたい、そういう想いなのだろう。
あるいは、苦情を言おうと目を光らせている視聴者がいるせいか。多分、そっちのほうだな。憂さ晴らし晒し見下し。自意識過剰などではない。常に人は人を見ている。嘲笑する対象を探している。おれは知っているんだ。
でも、おれは知らない。あぁ今、「優しい」はどこにあるのだろうか……。