孤高のS級冒険者は今日も胃薬が手放せない
夕方。辺境の冒険者ギルドは、人で溢れかえっていた。
討伐依頼を達成して帰ってきた者、採取した素材を売りにきた者、併設されている酒場目当てなどなど、種別、性別、年齢問わず様々な冒険者が屯していた。
彼らの対処に受付嬢や厨房が忙しなく働き、ギルド内にあらゆる声が飛び交っている。
「おーい! ビッグベアの毛皮の査定はまだ時間かかるのかー!」
「今順番でお呼びしているのでお待ちくださーい!」
「ちょっと! どうして報酬を半分も減らされないといけないのよ! ちゃんとラミアを十体討伐したのに!?」
「あなたが爆発魔法を使って依頼主の家を壊したからですよ!? こっちだって苦情がきて大変だったんですから!」
「えー。今日はボム肉のステーキ食べれないの? 楽しみにしてたのにー」
「ごめんなぁ。昼の時点で在庫が切れちまってよぉ。代わりに麦酒一杯奢るから、勘弁してなぁ」
耳が痛くなるような賑やかなやりとりは絶え間なく続いており、当分終わる気配はない。
場の熱量に押された新米冒険者である少年が、素材査定の列に並びながら呟いた。
「うわあ、すげえ人。朝より混んでるじゃん」
独り言のつもりだったが、前にいた冒険者に聞こえたらしい。巨大な斧を背負っている男が振り向き、「なんだ坊主、新人か?」と尋ねてきた。
「ああ。昨日ここに来たばかりなんだ。凄い人混みだな。いつもこんな感じなのか?」
「ガハハ。まあ、そうだな。大体夕方は依頼更新の朝より混雑する。色々と待たされるからオレも普段は時間をずらしているんだがよ、今日は遅くなっちまってな。この通りってことだ。ガハハ」
大口を開けて笑う男に、少年は悪い気がせずそのまま雑談を続けようとしたとき——カラン、とギルドの扉が開かれる音を耳が拾った。
普通ならば喧騒に掻き消される些細な出来事だが、少年は何となく気になってそちらに目をやった。男も釣られて顔を向ける。そして、ギルドに入ってきた人物を見て、二人とも息を飲んだ。
「——お、おい」
「え、嘘……」
彼らと同様、扉付近にいた冒険者達は驚きで言葉を失っていた。異変はすぐに伝播し、人々の視線が扉の前に集まった。
しん、と先ほどの喧騒が嘘のようにギルド内が静かになる。やけに緊張した静寂の中、注目の人物は歩き始めた。
冒険者というには軽装な青年だった。
厚めの布服と長ズボンにロングブーツ、脛ほどの長さのマント。腰には使い古された雑嚢と、同じ形の短剣を二本下げている。また、左手で麻袋を携え、巨大な牙を剥き身で右腕で抱えていた。
そして、何より目を引くのは、彼が着けている仮面だ。
目口鼻の部分がくり抜かれていない真っ黒なそれは、表面に白で目だけが描かれており、青年の顔をすっぽりと覆っていた。不気味な仮面は異様な雰囲気を醸し出し、他者に警戒を持たせるには十分だった。
だが、冒険者達は怪しげな青年を追い払うどころか、カウンターへと向かう彼の邪魔にならないよう道を開けた。
男と少年も横に退き、目の前を通った冒険者の姿を目で追いかける。
「……ヒュドラの毒牙と、こっちは毒腺だ。報告書は明日渡す。……確認だが、要請はこの一件だけで間違いないな?」
青年はカウンターへ牙と麻袋をおくと、ぶっきらぼうな口調で受付嬢へ説明する。
麻袋の口を開けて中身を見せると、受付嬢が慌ててモノクルをし、魔法で素材を鑑定しながら早口で答えた。
「は、はい! 確かに、ヒュドラの毒牙と毒腺、確認いたしました。緊急討伐のご協力、ありがとうございます! カライス様!」
受付嬢の発言を皮切りに、黙っていた冒険者達がざわめき始めた。
「本当にあのカライスなのか?」
「うそ、本物?」
「なんでこんな辺鄙なギルドに……」
「しかもヒュドラの討伐って、まさかルーニア湖のヒュドラのことか?」
「それって、一人であのヒュドラを討伐したってこと!? 複数のA級パーティーが協力しても返り討ちにされたのに!」
「すげぇ……伊達にS級として活動しているわけじゃないんだな」
またもやギルドが騒がしくなる中、大斧を背負った男が、慣れ慣れなしく少年の肩を組んだ。
「おいおい、坊主。ツいてるぜ、お前。まさかあの、噂のS級と出会えるなんてな」
少年は憧れの人物を目の前に、目を輝かせていた。
「あれが……! ソロで有名な『孤高のカライス』!」
少年は見るからに興奮を抑えきれていない様子ではしゃぎ始めた。
無理もない。少年は、彼に憧れて冒険者になったのだ。まさか、冒険者になって早々、その本人に会えると夢にも思わなかったのだろう。少年のキラキラした瞳が、それを物語っていた。
ウォークリア大陸、冒険者ギルド連合の協定で最高位に位置するS級冒険者。
現在は十七人しか認められていない内の一人が、カライスという青年である。
二本の短剣を得物とし、黒い仮面を身につけているのが特徴的で、S級の中で唯一単独で活動している冒険者だ。
どんな困難な依頼でも一人でこなす実力の高さ。常日頃から冒険者の誰とも連まず孤独にいる姿。そして、華々しい功績を鼻にかけないクールな性格から、ついた渾名は「孤高のカライス」。若い冒険者や市井からの人気が高く、冒険者ギルド連合が開催した冒険者人気投票では、カッコイイ部門で第一位を取ったほどだった。
そんな数多な人間が憧れている、カッコイイ冒険者第一位は今——
(ひぃぃ!! 多い!! 人多い!! 失敗した!! ごめんなさいぃ!! 本当にごめんなさいぃぃ!!)
手汗をべっとりと掻きながら、心の中で受付嬢へ平謝りしていた。
(混んでる! すごく混んでる! 一番忙しいときに来ちゃった! 絶対迷惑な奴だこれ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!)
手のひらだけでなく額や背中にもダラダラと冷や汗が浮かび、カライスは声に出さず言い訳をした。
(違うんです違うんです。嫌がらせとかじゃないんです。緊急要請だったから討伐連絡も早い方が良いよなってちょっと寄っただけなんです。こんなに混んでいると思っていなかったんですごめんなさい)
「ただ今他の素材の査定も致しますので、少々お待ちを!」
「ああ、頼む」
(あっ!? あああああ!! やっちゃったあああああ!! 反射で答えちゃった! あとでいいですあとでいいです! こんな混雑している中、僕一人にこんな時間かけなくて結構ですぅぅぅ……!!)
側から見れば平然とした態度を取っているが、本当はすぐさま土下座をしたいほどカライスは罪悪感を覚えていた。
ただでさえ通常の依頼の処理で忙しい受付嬢に負担をかけたこと。列に並んでいる冒険者達の順番に割って入ってしまったこと。
そして、カライスの登場により騒がしくなったギルドの雰囲気に、彼は気まずい思いをしていた。人々の視線を背中に感じながら、カライスは心の中で泣く。
(うぅ……やっぱり、時間ずらせばよかった。すごく悪目立ちしてる。孤高とか的外れな渾名つけられてる。お、お腹痛いぃ……)
カライスは周囲に気付かれないようにそっと腹を押さえた。
彼が混雑を避けたかった理由は、他所のギルドに迷惑をかけたくないという考えもあったが、何より目立ちたくないというのが大きかった。
カライスは小心者で人見知りだ。そして、他者とコミュニケーションを取るのが何より一番苦手だった。
S級の中で唯一単独で活動しているのは、同じS級冒険者達に「カライスは一人でいいでしょ」とハブかれたからだ。
どんな依頼でも一人でこなしているのは、道中で他人と話が合わず気まずい思いをするぐらいなら一人の方がマシなため。
常日頃から誰とも連まないのは、仲の良い知り合いも、華々しい功績を自慢できる話し相手すらいないせいだ。
当然、恋人がいるはずもなく、友人もいない。
孤高やらクールやら人嫌いやら噂されているが、カライスはただ、ぼっちなだけであった。
(辛い。後ろにいた新人ぽい子にキラキラした目を向けられるの辛い。僕、マスターに命令されてこんな性格を演じているだけなのに……騙しているようで心が痛い……辛い……お腹も痛い……)
キリキリと痛む腹をさすりながら、カライスは胃痛の元凶であるギルドマスターを恨んだ。
彼が所属する冒険者ギルド「蒼の炎」のマスター、ヘンメルはカライスに「無口でぶっきらぼうな冒険者を演じろ」と命令していたのだ。
というのも、口下手な上に人付き合いも下手くそ。空気も読めず、ノリも悪い。そして何かあればすぐに謝罪と土下座。
カイラスの人見知り具合は日常生活にも支障が出るほどだ。とてもではないが最高位の冒険者の態度として相応しくない。
「蒼の炎」初のS級冒険者がカライスのような性格では今後のギルドの面子に関わるというもの。そこで、ギルドマスターであるヘンメルは情報操作して彼の性格をある程度捏造した。
その結果、誕生したのが「孤高のカライス」である。
本来のカライスはどこにいったのやら。世間で噂されているカライスは、本人とは離れた人物だった。
人嫌いやクールで群れない性格と噂されるのはまだまともな方で、心に傷を負っているとか仲間に裏切られた過去があるやら実は高貴な身分だから仮面を外せないなど、大半は荒唐無稽なものだ。世間が期待するような悲しい過去も劇的な出自でもないカライスにとって、それらは苦痛以外の何者でもない。
だが、腕っ節の割に気が小さいカライスは、人々の期待を裏切れるほど図太くなかった。むしろ、「夢を壊したら申し訳ないから」と噂通りの性格をできるだけ演じるようになった。
こうしてギルドマスターの思惑通り、カライスは「孤高のS級冒険者」として世間に認知されていったのだ。
(とはいえ、やっぱりじろじろと見られるのは慣れない……。うぅ、居心地が悪い。早く帰りたい……)
S級になってからは同業者に一目置かれるようになり、周囲から尊敬の目で見られるようになった。
しかし同時に、演じている性格のせいで余計に話しかけづらく、距離を取られるようになってしまった。
今だって、必要以上にこのギルドの職員を威圧してしまっている。オドオドと泣きそうな顔をしながら報酬の硬貨を用意している受付嬢に、カライスは罪悪感で胸が痛くなった。
(ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさい。全然ゆっくりで大丈夫です。むしろ後回しにしてください。明日でも構いません取りに来ます。……あ、そうだ。そうすればいいんだ!)
カライスは名案だと思いつき、早速目の前にいる受付嬢に話した。
「どうやら時間がかかりそうだな。他の冒険者も待っていることだし、俺は先に失礼させてもらう」
「えっ!? あ、し、しかし、まだ報酬が——」
「報酬は明日で構わない。忙しい中、悪かった。ギルドマスターによろしく頼む」
(よし!! これなら世間の『カライス』像を壊すことなく、自然にギルドから去れ——)
慌てる受付嬢を後にし、カライスは内心ガッツポーズをしながらギルドから立ち去ろうとした。
だが、扉まであと十歩ほどのところで、彼の進路を遮るように四人の男達が立ち塞がった。
厳つい顔をした大男やあちこちに傷のある少年、にやにやと笑っている者など風貌は様々だが、それぞれ武器を握っている。大剣を持ったリーダー格らしき男が、己より小柄なカライスを見下ろした。
「おいおい、つれねぇな。もうお帰りってか? せっかく天下のS級様がおいでなすってんだ。歓迎させてくれよ」
「俺達、こうみえてA級なんだぜぇ? そろそろS級になってもいいと思うんだが、なかなかギルマスから推薦が貰えなくてさ。あんたから口利きしてくれると嬉しいんだけどなぁ」
「………」
喧嘩腰の男達に周りを囲われ、カライスは立ち止まった。
剣呑な雰囲気に、受付嬢は青い顔して二階へ行き、周囲は息を呑んだ。
男達の言葉は嘘ではなかった。このギルドの中では実力の高い冒険者パーティーであり、ギルドマスターの推薦させあればS級昇格もあり得る実績だった。彼らの奢りは、ここにいる冒険者達にとって鼻で笑い飛ばせるものではない。
止める者が現れないのは、単純に彼らより実力が劣るため。そして、純粋に興味があったからだ。
大陸で十七人しかいないS級冒険者。
その内の——おそらく、単独ならば大陸最強ともいえるカライスの実力がどれほどのものなのか。
皆、固唾を飲んで見守っていた。
「……歓迎してくれるのはありがたいが」
重苦しい空気の中、カライスは静かに口を開いた。
「それよりも——」
頬を撫でる僅かな風と、キンと金属が擦れる音が、カライスを囲っていた男達に確かに届いたとき——
「自分達の武器の手入れが先ではないか?」
彼の言葉と共に、それぞれの武器が一瞬でバラバラに崩れた。
「——は!?」
リーダー格の男は目を見開き、持っている剣の柄と床に散乱した鋼鉄の塊を交互に見た。
彼の武器は剣の刀身部分だけが見事に切断され、断面が鈍く光っている。もともと一本の刃は数個に分解されており、どれもこれもがまるで鋭利な刃物で切られたような切り口であった。
他の仲間も同様だ。見れば、カライスの両手には短剣が握られている。
手首から肘ほどの長さで、分厚い刃だ。目を凝らせば刀身にくぼみがあり、柄の根本から切っ先まで一本の線のように続いていることがわかる。
いつの間に……と、男達だけではなく、見守っていた冒険者達も驚いた。
誰も、カライスが剣を振る動作はおろか、抜く瞬間さえもその目で捉えられなかったのだ。
「本気でS級になりたいなら、そういったところまで気を配ることだな」
カライスは装飾のない無骨なデザインの短剣をくるくると回し、腰に下げていた鞘に戻した。
そして、呆然としているリーダーの男の横を通り過ぎ、扉を開ける。
「……邪魔したな。今日の報酬で皆に酒でも奢ってくれ。ついでに、あいつらの新しい武器もな」
近くにいたギルドの職員にそう声をかけて、カライスは外へ出た。
カラン、と鈴の音が鳴って背後の扉が閉まった瞬間——カライスはどっと大量の汗を掻いた。
(ひぇぇぇぇぇ! こ、怖かった! 絡まれるの怖い。怪我させずに済んで良かった……建物も壊してないし。お、穏便に済ませることできて本当に良かった……)
キリキリと痛む腹を抑えながら、カライスは深くため息を吐いた。
ああいった輩に絡まれることは少なくない。酷い時は相手が気絶するまで戦うこともある。そのような場合、被害が建物や第三者にまで及ぶため、カライスはできるだけ避けたかった。
今回は武器を壊しただけで相手が引き下がって良かったと、にわかに賑やかになったギルドを一瞥して、カライスはトボトボと歩き始めた。
(はぁ……今日は失敗ばっかりだった。やっぱり他所のギルドにお邪魔するのは大変だ。緊張してお腹もずっと痛いし……いつもの胃薬ってあとどれくらい残っていたっけ……)
ガサゴソと雑嚢の中身を確認していると、
「あ、あの! カライスさん! 待ってください!」
(○×△☆♯♭●□▲★※!?)
不意に名前を呼ばれ、口から心臓が飛び出そうになった。
慌ててカライスが振り返れば、そこにはギルドにいた新米冒険者が立っていた。カライスをキラキラした瞳で見てきた、あの少年だ。
「……なんだ」
すぐさま平静を装って返事をすれば、少年はカライスに思い切った様子で話しかけてくる。
「お、俺、あなたに憧れて冒険者になったんです! 今はまだ全然未熟だけど、いつかあなたみたいになりたいんです! どうしたら、そんなに強くなれるんですか? 教えてください!!」
息継ぎ無しで一気に喋った後、少年は彼に向かって頭を下げた。
その初々しい姿に内心「うっ!」と眩しがりつつも、カライスはクールな態度を貫く。
「強く、か……」
カライスはしばし悩んだ後、静かに話した。
「死なないことだ」
予想していなかった言葉に、少年がハッと顔を上げる。
仮面を被っているせいで、カライスの表情はわからない。だが、夕日に照らされた彼は、どこか寂しげな様子だった。
「君は新人だろう? ならば覚えておけ。この世界は、強い奴が生き残ってるのではなく、生き残った奴を強いと言っているだけだ。だから死ぬな。生きてさえいれば、そのうち他人が勝手に評価する。……僕から言えるのは、それくらいだ」
(よし! 結構良いこと言えたぞ! うん、多分カッコ良く決めれたはず!)
心の中で自画自賛して、カライスは背を向けた。
彼の言葉で、少年は改めて冒険者は命をかけるものなのだと認識し、その重さに俯いた。だが、それでも諦めたくない思いがあると自覚し、すぐに顔を上げた。
「あっ、あの! ありがとうございました!」
声を張り、遠くなっていくカライスに感謝を述べる。
彼は何も言わず手だけをあげて答え、夕暮れの街を歩き始めた。
(罪悪感はあれど、ああいう子にはめげずに頑張ってほしいから、できるだけ期待に応えたいもんね。僕も頑張らなくちゃ)
ニコニコと上機嫌で宿へ向かっていたカライスだったが、歩いている途中ふと気づいた。
(あれ、待てよ? もしかしてさっきの答え、ただの精神論になってない……?)
死ななければ強いなど当たり前のことを語っただけで、少年に具体的なアドバイスを与えたわけではない。これでは、彼の期待に応えてはないではないか。
そもそも、と。カライスは今日の己の行動を振り返る。
夕方の忙しい時間に突然やってきて。
まだ査定が終わっていないのに勝手に帰ろうとして。
そこで他所のギルドの冒険者と軽く揉めて騒ぎを起こし。
挙句新人に精神論を押し付けているS級冒険者。
「……フッ」
カライスは小さく笑った。
(もうあのギルド行けない……)
恥ずかしさから仮面の下で涙目になりながら。
同時にキリキリと痛む胃を抑え、カライスは早足で宿へと向かった。
薬屋で胃薬を補充中、報告書を渡さなければならないのを思い出し、後日わざわざ郵送したのはまた別の話。
書きかけファイルに埋まってた小説です。もったいないので短編で投稿してみました。
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