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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メランコリーの縁



——メランコリーの縁



「ごめんなさい」



 私は、音を零す。

 母に、父に、私の事を友人だと、嘘でも言ってくれた人達に向けて。

 私という人間は、存在そのものが罪である。

 それは誰もが間違いであるのだと言ってくれるが、私はどうしても、その優しさを信じられない。


 息を吸えば、誰かの酸素を奪うのだ。

 肉を、野菜を喰らえばその者達の命を奪うのだ。

 人が私に優しくすれば、その人は余裕を無くすのだ。


 そんな事は人間であれば、誰だってする事となる。分かっている。仕方が無く、決して罪などではない事は知っている。

「でも——私は、耐えられない」

 他者が罪を成そうと咎める気にはならない。けれど、己が罪に成り得る事をすれば私は私を許せなくなる。

 己に怒りを覚える。すると、連鎖的に新たな怒りが息をする。酸素を奪う。私の命を喰らおうとする。

 私の、心の、余裕を、喪失させる。

 もう、耐えられない。

 だから、私は刃を手にする。

 だから、私は刃を首に当てる。

「————」

 母は死を覚悟して、私を産んだ。

 父は死に物狂いで私の為に働いた。

 私はそれに対する恩を返さない——それどころか、彼らの苦痛による成果、私が生きているという事実を消し去ろうとしている。

 刃が震えている。それは私の手が震えているからだ。

 刃は肌を僅かに凹ませて、それ以上食い込もうとはしない。それは私の手が止められたからだ。

 これは恐怖なのだろうか。

 多分、違うのだろう。

 これはやはり憂鬱——罪悪感なのだろう。

 母と父への罪悪感、それが私を踏みとどまらせる。


 母が帰宅する。

 母は半狂乱になりながらも私を抱き締める。

 その行為はやはり私の心に罪を覚えさせる。

 私が死ねば母も父も友人紛いも皆咽び泣くのだろうか? 私にとって、死すらも罪であるのだろうか?

 やはり——耐えられない。

 罪悪感に耐えられないから、私は死ねない。

 私は死ねないから、罪悪感に苛まれ続ける。

 なら無くしてしまえばいい。

 自害の邪魔をする罪悪感の根源を——



「殺してしまえばいい」



 私の足元には六つのガラクタが転がる。それは、赤い液や物物を吐き出している。

 私の心にはまたも罪が宿る。

 早く、逃れたい。

 だから、歩み出す。

 

 私が殺せば殺された者の母が、父が、友人が嘆くだろう。人によっては私と同じ様に憂鬱を覚える——又は、罪悪感を得るだろう。


 私が罪悪感から逃れれば、誰かが罪悪感に囚われる。

 その連鎖は永遠に続くだろう。


 憂鬱と罪悪感の縁である。

 メランコリーの縁である。

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