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――夜半 寝室
「……ッ!」
ロシャン姉弟の寝室で寝ていたアタルが飛び起きた。
「今のは……」
半ば寝ぼけたままの意識で、周囲を見回すと額の汗を拭う。
何やら異様な気配を感じたのだ。
彼は、この家に住む傭兵やその友人たちから剣や魔法の手ほどきを受けていた。もともとそういう“もの”を感知する“力”を持ってはいたが、特に最近はその感覚が鋭くなっている。
気がつけば、その額に汗の玉がびっしりと張り付いていた。
(それにしても、ここは……)
自室ではない。
昨晩の記憶を呼び覚まそうと、まだ曖昧な脳で思索する。
「ン……」
と、隣で寝ていたロシャンが微かに声をあげた。
「ろ、ロシャン⁉︎ 何で……おっと、そういえば」
想いを寄せる少女の寝姿に動揺し……意識が急速に覚醒していく。
彼は、そのロシャンの頼みでこの屋敷に泊まっていた事を思い出した。
(ロシャンはこの屋敷に“何か”が出たと言っていたな。ってことは、さっきのアレは……本当にそれが“出た”って訳か)
一つ、汗を拭う。
もし本当に“出た”となれば、初の実戦ということにもなる。
彼はロシャンを起こさぬようにそっとベッドから降りた。
そして、肌着の上に羽織る綿の上着を取ろうと……
「アタル……行っちゃやだよ」
と、その裾を掴まれた。その手の主は……
「え? ……ロシャン⁉︎」
寝ぼけた少女の目がアタルを見……
「ん? あ……アタル? ナンデ⁉︎」
「ちょっ……マズい!」
「ングッ⁉︎」
大声を出しかけた彼女の口を、慌てて塞ぐ。
一瞬抵抗しかけたロシャンであるが、すぐ大人しくなった。
「あ……ゴメン。寝ぼけてたね。オレが頼んだのに」
「いや……起こしてしまってスマン」
そうアタルも応じ……そして腕の中の、思いの外華奢で柔らかな身体の感触に、思わずどぎまぎする。
とはいえ暗い部屋の中だ。幸か不幸か、ロシャンに気取られることはなかった。
「あっと……スマンな」
「いや……」
二人は慌てて離れ……お互いどことなく名残惜しそうな視線を交わした。
「そうだ……ロシャン。もしかしたら、“出た”かもしれん。何か妙な感覚があった」
「そう……なんだ。やっぱり夢じゃなかったのか」
その言に、ロシャンはわずかに肩を震わせた。
「いや……もしかしたら気のせいかもしれないけどな。だが、念のためだ。ちょっと見てくるよ。お前はここに……」
アタルはベッド脇の剣にを手にとった。そして、それを腰に帯びる。
と、その時、
「!」
「ひゃっ⁉︎」
ロシャンがアタルに抱きつく。
庭の方向から、かすかな“音”がしたのだ。
「あっ……あの、音だ」
ロシャンの声は震え、泣き出しそうだ。
「待てよ。大丈夫だって。俺がいるからな」
その背を撫ででやりつつそうは答えはしたたものの、アタル自身も内心怯んでいる。とはいえロシャンの手前、やせ我慢せざるを得ない。
「……とりあえず、行ってみるか?」
内心の怯みを抑え、ロシャンに問う。流石のアタルも、化け物相手に一人では心細い。彼女がついてきてくれると心強いのだが……
「え? でも……」
「俺がついてる」
「……それなら、いいか」
自分が頼んだのだ。アタル一人を行かせるわけにもいくまい。
それに、二人ならば心強い。
ロシャンはそう自分に言い聞かせた。
「……ところで、スィランは?」
と、そこでアタルは彼女の弟のことを思い出した。
「ん〜、もっと頂戴……」
と、そこにスィランの寝言。
「……寝てるな」
「コイツ、大物になるんじゃねぇかな……」
この騒ぎでも起きなかったスィランの姿に、思わず二人は苦笑を浮かべた。
「……じゃあ、行くか」
「そうだな」
二人は部屋を後にした。
――廊下
アタルとロシャンは慎重に歩を進める。
「昨晩出たのはどっちだ?」
「ああ。あそこだ」
ロシャンが震える指で差した先。
中庭の中央にある女神像。その足元にある祭壇付近に“何か”がいた。
「あれは……」
アタルは息を潜めて目を凝らす。
闇の中、浮かび上がるその姿。半レン(訳2m)弱ほどの、歪な人型の“何か”。
「あいつだ……昨晩の!」
ロシャンの震える声。
「アレか……。デカいな」
アタルは一つ額の汗を拭った。
と、隣でロシャンが何かに気がついた様子を見せる。
「ン? あの服……そういえば」
「……服? それがどうかしたのか?」
「ああ。実はさ……」
ロシャンは思い出した。
あれは、この屋敷に盗みに入った日のこと。
彼女は裏庭の納屋から、いくらかの雑貨と一緒に小さな瓶と小袋を盗み出した。
しかしその時、納屋を出たところでこの屋敷の主人に見つかってしまう。
慌てて逃走にかかるも、雑貨を入れた袋は奪い返されてしまった。彼女自身はといえば、壁を飛び越えようとした際に魔法攻撃を受けて跳ね飛ばされ、向かいの家の壁に叩きつけられる羽目になったのだった。
その際に懐に入れておいた小瓶が割れ、中からすさまじい臭気を放つ液体と半固体が漏れてしまったのだ。それは服に染み込んでしまったために、着ていた服は捨てざるを得なかった。
そして……服のポケットに入れていた小袋に入っていたのは、緑ががった奇妙な土。
それも、液体がかかってしまったのか、奇妙な臭いがしていた。
どのみち金にはならないものだ。
彼女はそれも、服と一緒に下水に捨てることにした。
その後彼女は、あの瓶に入っていたのは強烈無比な滋養強壮剤である“ラジュフォンの黒灰汁漬け”、そしてあの土は、この屋敷に出没していた“ゾンビ”の成れの果てであると聞かされた。
つまり……
「ごめん、アタル。あれは……あの“ゾンビ”だったモノだ!」
「へ? 『“ゾンビ”だったモノ』⁉︎ ……一体どういう事だ?」
「あの時オレが盗んだモノ……“ゾンビ”の成分が染み込んだ土と、“黒灰汁漬け”の成分が合わさって、“アレ”が生まれたんだと思う」
「……そういうコトか」
アタルは“ゾンビ”を見て、一つ息を吐く。
「……なるほどな。だとすればアレは本物のゾンビじゃないって訳だ」
「そうなる……のかな?」
「まぁ、だからどうって訳じゃないが、必要以上に恐れる必要はなさそうだな」
「うん、そう……か」
「しかし、どうする? ヤツをあのまま放っておく訳にもいかない。俺たちで仕留めるしかないだろ?」
「えっ? そ、そうかもしれんけど……」
「騒ぎになる前に倒さないと色々マズいだろ? 特にお前が絡んでるとなると……」
「うっ……」
ロシャンは己の首に手をやった。
そこにあるのは、首輪。それは彼女が奴隷である証。
「もしオレのせいってバレたら……収監されちゃのかな?」
泣きそうな顔になるロシャン。
「大丈夫だって! ここで倒せば何も問題ない! そうだろ?」
「そうだね。……何とか倒そう!」
頷き合うと二人は息を潜めて庭を窺う。
と、“ゾンビ”は向きを変え、アタルたちの方へと向かってくる。
そして、“ゾンビ”が掃き出し窓に手をかける。と、鍵がかかっているはずの窓が何の抵抗もなく開いた。