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――翌朝
小鳥の声が響き、屋敷には優しい朝の光が差し込んでいる。
スィランは一人、屋敷の回廊を掃除をしていた。
彼女は汗を流しつつ、モップで丁寧に床を拭いていく。
特にある一角は、入念に。
そして一通り掃除を終えたところで一つ息を吐き、額の汗を拭った。
「こんなもんかな?」
スィランは綺麗に清掃された床面を見、満足げにうなずく。
そして彼女は中庭へと目をやった。
そこにあるのは、女神の像。そして、足元の祭壇。
それを見た彼女の顔はわずかに引きつる。
思い出す、昨晩の出来事。
『あれは……夢だ。そう。きっと……悪い夢』
彼女はもう一度そう自分に言い聞かせる。
だがそう思うには、あまりにも生々しい記憶。しかもあの出来事の後、彼女はこの場で朝まで気を失っていたのだった。
間違いなくあれは、事実。しかし、信じたくはない。できれば何かの間違いであってほしいと……
「……!」
と、妙な音がした。
昨日のあの音ではない。
それは……彼女の腹のあたり。
「あ……」
彼女は少しばかり恥ずかしそうに腹を抑えた。
「にしても、腹減ったな……そろそろかな?」
ロシャンは照れを隠すようにつぶやくと、少しそわついた様な顔をする。
と、元気な足音が近付いてきた。
「おはよう、姉ちゃん!」
駆け寄って来たのは、彼女の弟のスィラン。
ロシャンはその姿を見、苦笑を浮かべる。
「おはよう、スィラン。ところで……廊下を走るんじゃないって言ったろ」
「はーい。ゴメンよ、姉ちゃん」
姉に叱責され、スィランと呼ばれた少年は首をすくめて見せた。
「で……なんだ?」
苦笑を浮かべると、ロシャンが問う。
その声に滲むのは、期待の色。
「朝ごはんが来たよ!」
「まるで俺がおまけみたいじゃないか」
続いて現れたのは、十代半ばの逞しい少年。
その手には、バスケット。中には朝食が入っているのだ。
彼は、このすぐ近くにある宿屋である“金の鸚鵡亭”の跡取り息子。
この家の主人の依頼で、食事を届けにきているのだ。
「アタル! いつもありがとう」
ロシャンは喜色を浮かべ、駆け寄る。
「さっき走っちゃダメって言ったじゃないか〜」
「あっ、それはだな……」
弟から指摘され、赤面する彼女。
「ハハ……とりあえず、冷める前に食べようよ」
苦笑を浮かべつつ、アタルはバスケットを掲げて見せた。
――朝食後
三人は、茶を飲みつつ談笑していた。
主に、日常の些細な出来事が話題に上る。特にロシャンは楽しげだ。
だが、何かを言いかけてはすぐに口をつぐんでしまう。
「……おっと、そろそろ帰らないとな」
と、アタルはバスケットを持って立ち上がった。
自分の家の手伝いをせねばならないのだ。
それに、ロシャンの様子に少々居づらい気もしたというのもある。
「そっ、そうか……」
残念そうなロシャン。
「また昼に来てくれるからいいじゃないかー」
「ハハ……まぁ、な」
スィランの言。それを見て、アタルは笑った。
ロシャンはまた何かを言いかけ……口を閉じた。が、思い直したように口を開く。
「そっ、そうだな。じゃあ、また後で」
「おう」
アタルは一瞬首を傾げたものの、荷物をまとめて玄関に向かった。
ロシャンもまた、その見送りに出るべく後についていく。
と、玄関先でアタルが足を止め、周囲を見回した。
「何か……妙な臭いがしないか?」
「へ? そっ、そんなハズは……」
慌てて否定しようとした。
が、確かに妙な臭気が漂ってはいる。
「そういえば……何か臭うな」
「なぁ……この臭い、何か分かるか?」
アタルが問う。
「そんなの俺に……」
ロシャンは答えようとし……
「まさか、コレ……」
彼女が知る、“あの”臭いに似ている気がした。
「どうした?」
「い、いや……別に。気のせいかも」
しかし彼女は、慌ててごまかす。
「? そうか。じゃあ、俺はこれで」
アタルはまた首を傾げつつ、屋敷を後にした。
それを見送ると、ロシャンは慌てて自分のニオイをかいだ。
――そして、昼
ロシャン姉弟は、アタルと共に昼食をとっていた。
そして食べ終わるとアタルはバスケットを片付け、帰宅の準備を始めた。
その姿を、何か言いたげにじっと見つめるロシャン。
「ン? どうした? 足りなかったか?」
「あ……いや……」
「それとも、何だ? 今日はちょっと様子がヘンだぞ? 朝からさ」
「そんなコト……」
その視線に気づいたアタルの問い。
彼女は思わずごまかしかける。
が……すぐに思い直した。そして、わずかな沈黙ののち、口を開く。
「な、なぁ……今日は泊まってくれねぇ?」
「え? 泊まってって……」
「あっ、いやっ、そーいうイミじゃなくってな。そのっ……」
「ン? 夜が心細いんじゃないのか? じゃあ、何だ?」
「あっ……」
「へへっ、何でだろうね〜。……痛っ!」
スィランがニヤつき、そこにロシャンが拳を落とした。
「オイオイ……仲良くな〜。とりあえず、泊まれるか聞いておくよ。じゃっ、また夜!」
アタルはそのやりとりに思わず苦笑する。そして、バスケットを持って去っていった。
――夕刻 食堂
三人は、アタルが持参した夕食を囲んでいた。
「なぁ……昼も聞いたけどさ、一体何があったんだ? ロシャン……」
アタルが問う。
「あ……ああ」
ロシャンは一瞬視線を宙に彷徨わせ……
そしてアタルに向き直った。そして意を決した様に口を開く。
「スマン。実はさ……。“出た”みたいなんだよ」
「出たっ? って……まさか!」
「はっきりとは覚えてないけど、中庭から、さ」
「あのゾンビ、か! しかし、こんな時にか……」
この家の主人がいれば、その程度の相手ならば容易く倒してしまうだろう。だが、アタル達だけでは少々荷が重い。
「正直さ、今日はアタルの所に泊まりたいぐらいなんだ。でも、留守番しなきゃいけないだろ?」
「う……む。そういう事か」
アタルの眉間にシワが寄る。
「やっぱり……ダメ、か?」
「いや……泊まるよ。他ならないロシャンの頼みだからな」
「そうか! ありがとう!」
「えっ……ちょっ……」
ロシャンは思わずアタルに抱きつき……
「やー、仲がいいねお二人さん」
両者はスィランに冷やかされて慌てて離れた。