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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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同窓会のお知らせ

作者: 木下みのる

「同窓会のお知らせ」


 その件名を見て(しばら)く黙っていた男は、携帯電話を脇に置くと、夕ご飯のカレーライスを作るために再び動き出した。迷惑メールかと思い削除しようとしたが、見知ったアドレスであったので、脇に置いて悩んでみることにしたのだ。


 男が使う携帯電話は所謂(いわゆる)『ガラケー』というものだった。買い替えようかと思った時期もあったが、これはこれで大事な思いでの詰まったものでもある。この前動かなくなってしまった時計のように、使えなくなれば直してもらえばいいと、男は思っていた。


 男は物持ちの良い人であった。しかしそれはある意味、未練がましい人であったとも言えるだろう。


 鍋に入った水が沸騰し始めたのを確認すると、コンロの火をチチッと調節する。痛くなる膝と腰に年齢を感じて一瞬顔を(しか)めたが、すぐにいつものことだと割り切った。


 男はコンロの様子を見て、自分の青春時代に思いを馳せた。


 きっかけはほんの些細(ささい)な出来事であったのだろう。(まぶた)を閉じれば、その裏で見知らぬ少年が男に笑いかける。似合わないロン毛に、ひょろひょろとした見た目から『もやし』というあだ名を付けられていた少年だ。


 少年は、コンロの火に手をかざしながら、「熱いんかな」と問うた。その質問に、少年時代の男は、「さあ、知らん」と答えたのを明確に覚えている。何故明確に覚えているのかというと、少年がその後、無謀(むぼう)にもコンロの火に手をかざしたからである。調理実習の日であった。


 男はその時のことを思い出して寂しそうに笑った。その日だ。高校生時代の男が恋に落ちたのは。火に手をかざす人を好きになるなんて馬鹿げているだろう。しかし、それが恋というものの不思議なところだ。


 いつ、なんで、どうやって。そんなものがはっきりと分かっていれば、男は苦労しなかった。もしかしたら、あの後の驚いて笑い出す様子が愛おしかったのかもしれない。もしかしたら、気になることを追求するその姿に惚れたのかもしれない。何十年と経った今でさえ分からない。ただ一つだけわかるのは、初恋の相手はその少年だったということだけだ。


 ガタガタッと窓が揺れる音がして、強い風が窓を叩いた。


 その様子を見て、男は窓の向こうに少年がいるような気になった。


 告白したのはこんな風の強い日だった。そう思い出す男の気持ちに呼応するかのように、雨が勢いよく降り出す。


 少年は告白されたとき、まず冗談だろうと笑い飛ばした。そして、(しばら)くして本気だと理解した時、静かに黙り込んだ。あのときも教室の窓の外には雨が降っていた。勢いを増す雨に紛れ込むかのように「ごめん」と言って去る少年。高校生時代の男の耳にその言葉が響いたときの絶望感と羞恥感は(すさ)まじいものだった。


 少年も自分のことが好きだろうと思っていた訳ではない。ただ、そう期待していた自分がいたことを恥じたのだ。今では恥じらう必要のないことなのだと分かっている。だから、思い出して羞恥心に駆られることもない。「あの頃は若かったなあ」と(つぶや)きながら、男は苦笑した。


 その後、少年は告白したことを他の人に言いふらそうとはしなかった。しかし、明らかに男を避け続けていた。その様子に気付いていた高校生時代の男は、いつの間にか少年と口を()かないようになっていた。


 再び会話し始めたのはいつだっただろうか。


 カレールウを砕いて入れる。入れ終わった後、そういえばルウをそのまま食べればどのような味がするのだろうかと疑問に思う男。そうだ、再び会話をし始めたのはその時だったと、思い出す。


 林間学校で担当の係が被ってしまったのだ。仲違(なかたが)いをしているのだと勘違いした、共通の友人の仕業であった。久しぶりの会話のきっかけは単純だ。調理実習の時のように、「これ、うまそうやと思わん?」とルーを持って聞いてきた少年に、「知らんわアホ」と、高校生時代の男が答えたのだ。生憎(あいにく)味が薄くなってしまい、友人には不味いと言われてしまった。しかし、高校生時代の男にはその意味が理解できなかった。不思議と今まで食べたどんなカレーライスよりも美味しく感じられたからだ。少年の笑顔を思い出して、男は幸せそうに笑う。


 雨がパラパラと小降りになる。どうやら通り雨だったようだ。


 林間学校から帰る途中、二人になった頃に「試しに付き合ってみたい」と言われた。高校生時代の男は遊びで言われたのかと思って苛立ちを感じ、断ろうとした。しかし、真剣な少年の顔を見た瞬間、口から「うん」という声がぽろっと(こぼ)れてしまったのだ。


 男は鍋の中をかき混ぜながら、カレーの様子を見る。今はもう無い遊園地、少年の部屋、登下校の道。それ以外に何処(どこ)で恋人として一緒にいたのか、もう男は覚えていない。否、忘れつつあったのだ。別れた日のことを思い出して泣いていた日もあった。それはいつまで続いていたのか。何かを忘れた日のことなど覚えているはずもないのだと、ぐるぐると回る思考に終止符を打つ。


 男は混ぜる手を止めると、皿を取り出して熱々のご飯を入れた。


 そういえば、昔少年だったあいつは、前の同窓会で指輪をしていた。相手が誰なのかは知らないが、幸せであってほしい。そう思うくらいの心残りは許してくれと、男は誰かに願った。


 今度恋人を誘って一緒に指輪でも買いに行こうかと男は思ったが、よくよく考えてみればその前に携帯電話を買い替えなければならない。恋人が『スマートフォン』とやらを持っていた姿を思い出す。


 同窓会に出席の連絡をしてから恋人に連絡をしようと決めた男は、使い古した携帯電話を手に取る。



 しかし、携帯電話を開いても、どのボタンを押しても、その画面は黒いままだった。

2022年2月7日 投稿

2022年2月14日 修正

2022年3月15日 修正

2025年2月8日 修正

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