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交換殺人って難しい  作者: 流々
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第二十六話 当夜

 何か夢を見ていたらしい。

 目を閉じたまま意識がだんだんと戻ってくる。首元を触ると汗でTシャツがびっしょりと濡れていた。

 このままだと体が冷えてしまいそうだ。

 着替えようと目を開ける。スマホに手を伸ばすとまだ五時前だった。


 ずいぶんと早く目が覚めてしまった。

 やはり佐々部長のことが気になっていたのかもしれない。

 着替えを終えて、またベッドで横になる。


(ミキは《《やった》》のかな)


 早く知りたい。

 もう一度眠ろうとしたけれど目がさえてしまい、気づいたら外は明るくなっていた。

 朝食のあとは何もする気になれず、テレビのワイドショーで取り上げていたあの通り魔事件のことも聞き流していた。

 時計の針は遅々として進まない。

 会社へ連絡してみようと何度もスマホを取り上げ、そのたびに番号を入力する手を止めた。何も用事がないのに休みの日に電話なんかしたら、後で疑いをもたれるだけなのは分かっている。分かってはいるけれど。


 建築雑誌を見るともなく見ているあいだに十二時を過ぎた。

 昼休みになっても何も連絡がこないということは《《昨日ではなかった》》――そういうことだ。

 肩透かしを食らったような、少しだけほっとしたような何とも言えない気分。

 買い物に行くのさえも面倒くさくなって、テレビを見ながらだらだらと過ごした。



 木曜日に出社すると、いつもと何も変わらない社内の風景がそこにあった。

 うちの会社で扱う事務所物件の調査や折衝を水野は精力的にこなしていた。昼休みになれば金井さんは会議室でお弁当を食べ、小島さんは事務をしながら電話の応対もそつなくこなしている。

 以前と少し違うと言えば、僕の怒られる回数が減ってきた分、心なしか藤崎君が部長席の前で立っていることが増えた気がする。

 そして佐々部長は相変わらず激しい口調で目の前の藤崎君を罵倒していた。


(ごめんよ、藤崎君)


 でも、これもあと数日だけ我慢すればいいんだよ。

 君が知らない、僕とミキとの約束の期限は来週だから。



 火曜の朝は傘が手放せない空模様だった。前夜からの雨は止んだかと思うとまた降り出す。それも昼過ぎにはすっかり上がり、三時頃には冬の訪れを感じさせるすっきりとした青空があらわれた。

 いよいよ今日がミキと約束した最後の火曜日になる。

 休憩のコーヒーを飲みながら窓越しに空を見上げた。


 定時の直前になって佐々部長から呼び出された。

 提出したばかりの資料で言い回しに気に入らない箇所があるらしい。

 さんざん嫌味を言われても、これが最後かと思うと腹も立たなかった。

 部下に残業を命じておきながら自分はさっさと帰り支度をしている。そういう男だ。


 各自の予定が書かれたホワイトボードに目をやると、やはり明日の水曜日は部長も休みになっていた。

 今夜で全てが終わる。そう考えれば急な残業もアリバイにはちょうどいい。

 割り切って作業を進めているうちに、ふと思った。


(これ、指示したとおりに直したって部長がいなくなるんだから意味ないよな)


 なんだか馬鹿らしくなって鼻で笑ったところを水野が見ていたらしい。


「なに思い出し笑いしてるんだよ。気持ち悪いなぁ」

「ひどいなぁ、そんな言い方」


 ちゃかしてきた水野にわざと怒ってみせる。

 あれから一ヶ月以上が経ち、何事もなかったかのように仲の良い同期の関係に戻っていた。少なくとも表面上は。


「まだ残業、終わらないのか」

「もう少しキリのいいところまでやっていく」

「そうか。それじゃお先に」

「ちょっと待って」


 この後のアリバイを作るためには誰かと一緒にいた方が都合が良い。

 それに――あれから水野は僕を飲みに誘うことがなくなっていた。


「あと五分くらいで終わるから待っててよ。飲みに行かない?」




「おつかれさまー」「お疲れー」


 いつもの焼き鳥屋でカウンターに並んで座り、生ビールの中ジョッキで乾杯をした。お通しの切り干し大根は味がよく染みている。

 つまみを数品たのんでからジョッキに手を伸ばした。


「今日は飲み過ぎるなよ」

「分かってるよ」


 水野は何気なく言うけれど、僕は耳が赤くなったのに自分でも気づいた。

 言われなくても、今夜だけは記憶をなくすほど飲むわけにはいかない。

 まだ八時を回ったばかりだ。ミキが行動を起こすのはおそらく深夜。先は長い。


 二人で飲むときは仕事のこと、部長のことがどうしても話題の中心になる。小島さんのことも水野の情報網――まず間違いなく金井さんからだ――によると、やはり部長とはたまに食事に行っているらしい。

 彼女から聞いた話も、僕が直接見たことも彼には黙っておいた。

 こうしていると以前のように気楽な感じで話すことが出来る。でも僕にとって水野の存在って何なのだろう。


 すでに二時間ほど飲んでいい感じに酔いが回ったころ、水野がいきなり切り出した。


「そういえば、最近話題になっている連続通り魔事件ってお前の家の近くだろ?」


 まさか彼の方からこの話題に触れてくるとは思ってもいなかった。


「そうだよ。先週は僕の家から二キロくらい離れた場所で事件があったんだってさ」

「そんなに近くだったのか」

「家へ帰る途中で、パトロールしていたおまわりさんから気をつけるように言われたし」

「マジかよ。もうこんな時間だけど大丈夫か?」


 水野が腕時計をちらと見て心配そうにしている。


「心配なら家まで送ってよ」

「えっ」


 こちらを向いたままの水野が動きを止めた。

 僕は前を向いたままジョッキを手に持ち、傾けた。


「いいのか」


 黙ったままジョッキを置いてうなづいた。




 ホームに降り、跨線橋を渡ると改札越しに見なれたロータリーが目に入る。時刻は十二時になろうとしていた。

 酔ってはいるけれど足取りはしっかりしているつもり。この前みたいに「記憶が……」なんてこともない。


「あの日はよく家までたどり着けたね」

「また他人事ひとごとみたいに。大変だったんだぞ。酔っぱらってまともに歩けないお前を抱きかかえて、どっちに進むのか確かめながらだったから」

「ごめーん」


 水野は変わらず明るい口調で話してくれるから、僕も変に緊張せずに家へと向かった。彼が心配していた通り魔にも遭遇することなどなく、ワンルームマンションのエントランス前に着いた。


「それじゃ」

「帰るの? もう終電に間に合わないかもしれないよ」


 この状況で水野が帰るそぶりを見せるなんて思ってもいなかった。

 見上げる僕の視線を彼が受け止める。

 なぜか怒ったような表情を水野は浮かべ、何も言わずに体の向きを変えて僕より先にマンションへ入っていった。

 部屋に入ると暖房をつけて、ベッドに腰を下ろした。


「明日、水野も休みでしょ」

「なんだ知ってたのか」


 そう、知っていたんだ。

 夕方にホワイトボードを見たときに僕と部長だけじゃなく、水野も明日は休みを取っていたことを。

 だから遅くまで飲んで家に誘えば、泊まってくれるんじゃないかって。

 そうすれば僕のアリバイは完璧になるから。

 でも――きっと、それだけが理由じゃない。


「何か飲む? アイスコーヒーか牛乳しかないけれど」

「コーヒーをもらおうかな」


 テーブルにコップを二つ並べて、冷蔵庫から取り出した紙パックからコーヒーを注ぐ。


「このベッドじゃ、二人で寝るには狭すぎるね」

「その分、寒くないだろ」


 明かりを消したときには、ミキのことなど頭の隅にもなかった。

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他サイトですが「第4回ホラー・ミステリー小説大賞」にて最終選考に残り、奨励賞を受賞しました
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