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交換殺人って難しい  作者: 流々
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第二十話 抱擁

 水野の髪が僕の顔に触れている。

 いちど離れた唇がまたそっと重ねられた。

 童話にでてくる眠りを覚ますキスじゃなく、身体の自由を奪うための魔法のように。

 驚きが大きすぎて手さえも動かせない。僕が酔っていたからなんかじゃない。


「おまえ、無防備すぎるんだよ」


 少し体を起こした水野がそうつぶやくと、僕をそっと抱きしめた。

 なんだか暖かい。ヤツの優しさが肌から伝わってくる。今まで意識したことがなかった、《《男》》の匂いが胸を満たしていった。


(でも、ダメだこんなの)


 やっと両腕を動かして、水野の体を下から手のひらで押し上げた。だけど背が高く筋肉質なヤツとの間にほんの少し隙間が出来ただけ。


「いつまでこうしているつもり?」


 すぐ目の前にある顔を見ながらささやかな抗議の声をあげた。


「服、脱がして欲しいのか」

「違うよ! 離れてよ」


 自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。顔が熱い。きっと耳まで赤くなっているだろう。

 水野は僕からゆっくりと離れてベッドに腰を下ろし、顔だけをこちらに向ける。


「俺のこと、嫌いか?」

「そういうことじゃなくって……」


 僕も体を起こしてちょっと離れて隣に座った。

 まだ動揺していて、舌が固まってしまったかのように言葉がうまく出てこない。

 気まずい沈黙を破ったのは水野だった。


「お前のことを見ていると放っておけなくってさ。手を差し伸べて守ってやりたくなるんだよ」


 なんて返せばいいんだろう。

 ほんの十数秒が何時間にも感じてしまう。


「その写真、お前が担当したやつか?」


 今度も先に口を開いたのは水野だった。

 ヤツの視線は僕を通り越して、枕元の壁に貼ってある写真へ注がれていた。

 僕も体を捻って写真をちらと見た。


「そうだよ。今までに僕がかかわって成約した案件だよ」

「こっちは?」

「それは休みの日に趣味で見て回っている建物」

「へぇ。そんなに建築が好きなのか……」


 水野は少し身を乗り出して、僕の方に近づくようにしてコルクボードの写真を眺めた。

 僕は少し重心を右後方にずらして、ヤツとの距離を保つ。


「お前が好きな今の仕事、続けられるといいな」


 写真に目をやったまま、水野がぼそっとつぶやくといきなり立ち上がった。

 ベッドに座って見上げると、ヤツの背中がひときわ高く感じた。


「帰るわ」


 僕には顔を向けずにそのまま玄関へと歩いていく。

 え、電車はまだあるの……と反射的に浮かんでしまった。

 時計を見るとまだ十一時を過ぎたばかりだった。酔って寝てしまっていたせいで、時間も分からないほど記憶がない。


「今日はごめん。悪かったな」

「いや僕の方こそ。酔っぱらって迷惑かけちゃって……。送ってくれてありがとう」


 振り返った水野は困ったような笑みを浮かべて、何も言わずドアを開けて出ていった。


 一人になった僕は冷蔵庫から冷えたコーヒーを取り出し、コップに注いだ。

 立ったまま一気に飲み干して、やっと気持ちが落ち着いてきた。

 あまりに突然のことだったので今もまだどうしていいか分からない。

 ただ一つだけわかったことがある。

 僕が思っていた以上に、水野は僕のことを心配してくれていたんだな。




 お酒が残っている頭ですっきりと起きられるわけもなく、翌朝もスマホのアラーム音で目が覚めた。

 昨日とはまた違った意味で、会社へ行くのがためらわれる。


(水野とどんな顔をして会えばいい?)


 答えもないまま出掛ける支度をつづけた。

 今夜はミキとも会う約束をしている。一昨日の夜のこと、話さなきゃならない。

 長い一日になりそうだ。


 そして、こういうときに限ってと言いたくなるほど、神様は意地悪だ。

 いつもよりも一本早い電車に乗れたと思ったら、出社のときに会うことなどめったにない水野と仙川駅の改札でばったり出くわした。


「あ、おはよう」

「おはよう」


 気まずいのは僕だけではなかったみたいだった。

 どちらからも続く言葉はなく、ただ並んで歩いていく。


「おはようございます」


 そこへ後ろから声を掛けてきた。藤崎君だった。

 小走りで追いかけてきたのか、ただでさえ暑がりな彼は十月も末だというのに大粒の汗を流し、眼鏡を持ち上げてタオルで顔を拭いた。


「まったく。季節感のないやつだなぁ。もう薄手のコートを着ている女性もいるっていうのに」


 水野が藤崎君をイジったおかげで僕たちのぎこちなさがどこかへ消えていった。

 今日ばかりは彼が救いの神に思える。


「ちょっと寝不足なので朝から顔が火照ってる感じなんです」

「それって風邪気味ってことなんじゃないの?」


 太っていることを認めようとしない藤崎君の言い訳に、僕がすぐに突っ込みを入れた。


「いやぁ風邪じゃないと思うんですけどねぇ。熱っぽくはないし」

「火照ってるのとどう違うんだよ」


 今度は水野が突っ込む。

 歩きながらも顔の汗を拭くのが忙しい藤崎君は、話を変えた。


「昨日は夜更かししちゃったんですよ、エゴサしてて。そうしたらすごいものを見つけちゃって」


 そう言うとポケットに手を入れてスマホを取り出した。

 画面をタップして何かを表示させると僕たちの前へ差し出す。


「見て下さいよ、これ。佐々部長のインスタです」


 それって、ミキが言ってたやつか。

 覗き込むとブランド物のスーツで格好つけた佐々部長が、お水系のきれいなお姉さんと一緒に笑顔で自撮りしている写真が映し出されていた。

 スライドしていくとお姉さんと肩を組んだり、ワイングラスを掲げたりしている写真が続いている。

 それにしても、こんな「俺、遊んでます。モテてます」アピールをして、いったい誰がこのインスタを見るのだろう。


「最後の写真。これ、見覚えありませんか?」


 そこにはモノトーンの内装をバックに女性だけが写っていた。両目にハートマークを乗せて顔が分からないようにしてあるけれど、これって――。


「これ美樹ちゃんじゃないの!?」


 やっぱり水野もそう思ったのか。顔の輪郭や髪型、服にも見覚えがある。

 もちろん藤崎君も同じ意見だからこそ、僕たちに見せたんだな。

 それにこの内装、「木のビル」にあるレストランだ。僕が二人を見たときに撮ったものらしい。


「まさか美樹ちゃんがなぁ。食事の誘いも嫌がって断ってるって話だったのに」

「僕もこれを見つけた時はショックでした」


 二人への衝撃は小さくないようだ。僕もあのときはとても驚いたし。

 でも小島さんのしたたかさは黙っておこう。

 これも彼女なりの生きるすべなのだろうから。


「しっかし、よくこんなの見つけてきたなぁ」


 心底から感心したように水野が藤崎君の肩を叩いた。


「エゴサに目覚めてしまったかもしれません」


 額の汗を拭った藤崎君が僕を見てニヤリと笑った。

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他サイトですが「第4回ホラー・ミステリー小説大賞」にて最終選考に残り、奨励賞を受賞しました
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