六幕 夜夢への帰路と悪夢からの旅立ち
悪夢を祝うかのような、宴から始まる。
目が光ってる、赤い…血の色に。
目は六つある。
頭が、三つあるから。
そのうちの一つが、猪型の魔物をおどり食いした。バリボリむしゃむしゃと響かせて。
高い位置にあるからよく分からないけど、大きな牙が喰らいつく際、小さく見えた。
魔物であることは見るも明らかで、また自分からも紹介してくれた。
「グヲォォォォォォォォォォォォォォォアッ!!!!!」
「ヴァォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!」
「ヴワァァァァァァァァァァァァァァァヲッ!!!!!」
三つの声が、それぞれ一斉に轟いた。
それに答えるように、アタシ達ふたりも声を出す。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァアッ!!!!!」
「ウワァァァァァァァァァァァァァァァアッ!!!!!」
森中どころか、村中、どころか世界中に響くぐらい、アタシ達は叫んだ。
魔物の三つの頭のうちひとつは、犬のような鳴き声だった。けれどその声の威圧感…怖ろしさはお化けの声でも聴いてるよう。
後の二つは…人間のような声音をしてた。
それでもアタシ達はお化けから逃げるように…一心不乱に、相手に背を向けて走り出した。
誰かを捜して…サファイスさんか、ラグマ兄達か。誰か大人の人を、捜し求めてッ!
けど、こんな大きな魔物が現れたら、草藪からでもすぐに分かるだろう。叫び声も盛大に轟いた。
「ヒスイ、どうしたッ!」
すぐにサファイスさんと合流できた。ラグマ兄達もすぐに駆けつける。
だけど…振り返ると。
それよりすぐに、魔物はもう影も形もなく、消えていた。
サファイスさん達は何があったというふうで、魔物の姿は見ていないようだった。
「おい、どうしたんだよッ!」
コウは、見ていないの? 声は聞こえたはずだ!
「魔物が、大きな魔物がいたッ!」
アタシはそう言った。サファイスさんはそれに返すように…
「魔物の声が複数と、ヒスイ達の声は聞こえたが…魔物はどこへ行った」
魔物は……どこへいったか。それはアタシ達にも分からない。
誰も見ていないの? アタシ達のほかに。
いつ消えたか――――…すぐに消えたのかな。
けど、確かにいた。
「どこへ行ったかは…分からない。必死に走って逃げてたから」
「そうか…なら、聞き違いや見間違いの可能性もあるか」
サファイスさんは言った。そんなことあるわけがない。
「そんな、俺達はっきりと見たぜッ!」
アルトは、はっきりと口に出して反抗した。
「どのみち、もう暗い。これ以上捜したところで徒労に終わる可能性が高いだろう。現れた魔物が大型であれば、近くに来ればすぐに分かる」
自警団の人達も、帰り支度に入った。アルトは納得いかない。
「まだ見つかってねぇよッ! 俺は残る」
「駄目だ。無駄なことだ。第一貴様はひとりでどこへ行っていた」
サファイスさんは鋭い目と声で、アルトを刺す。アルトは負けじと言い返そうとした。
「アルト…今日は帰ろう。また明日探そう」
「…ちくしょう」
確かにこんなに暗いんじゃ、もう見つかるものも見つからない。
それに、あんな魔物を見たあとじゃ…
三つの頭をした巨大なやつはもちろんだけど、あの小さな猪のようなやつだって…怖かった。恐ろしかった。あれが魔物なんだ。
見るなりアタシを襲ってきた…
―――――恐ろしかった、あの猪の魔物の方が? あれが魔物なんだ。
あの巨大な…三頭の魔物は、怖かった。驚いた。ただ、恐ろしくはなかった。どうして?
――――襲ってはこなかった。あいつは。むしろアタシ達を助けてくれた。偶然かもしれないけど。
それに目が…真ん中にいた頭の、血溜まりのように赤黒く光る眼は、あの猪とは違った。ひょっとしたら……あいつは。
「ヒスイ、帰るぞ」
「うん」
コウ達が怒ってる。帰ろう。
家に帰ったら、叱られるだろうなぁ。パパは助けてくれるかな。
結論、パパは助けてくれなかった。
パパの方が怒ってた。
「ヒスイ…パパは怒っているよ」
分かる、怖い。
「魔術士の人達がいる森へ行き…魔術士がいると分かっても進み、魔物がいると分かっても進んだそうじゃないか。嗚呼なんということだ」
家に帰るとパパが帰ってきていて、ママから話を聞いたパパは、アタシを庭の木に、縛り付けた。
そして、火を灯す。
縛りつけられたアタシの目の前には…昼間見た、魔術士の人が放ったような赤く輝く炎が光っている。
「お、おい父さん…マジかよ…!」
「マジだよ、コウ」
コウでさえ、炎に照らされるパパにぎょっとしていた。
ママが止めようとするけれど、パパは止まらない。
「ヒスイ――――…魔術士とは関わってはいけないと、魔術に興味を持ってはいけないと、前に言ったよね?」
…パパは、魔術の本を取り出した。
「……嗚呼ぁ」
アタシの、魔術の本。
あれは一度パパに捨てられたんだ。
魔術を知ってはいけませんと、小さな頃、ただ一度優しく叱られて…
だけど、魔術を知りたくて、魔術への憧れを捨てたくなくて、アタシは捨てられたそれを拾った。それ以来、ずっと隠してた。
忘れてたわけじゃなかった…パパに叱られたこと。けどまさか、こんなに怒ってるなんて思わなかった。
「パパ…ごめんなさい! パパがそんなに怒ってるなんて、知らなかったのッ!」
「ヒスイ…知らなかったということでは、何も許されないだよ、何もね」
――――パパは納屋から、槍を持って来た。そして踊りだす。
「魔術はぁああああああああ〜魔術士はぁあああああ〜無くならなくてはならないぃアィアィアィアィアィアィアィアィア♪」
…あまりの音痴で、不気味だった。これは歌でも踊りでもない!
パパが…おかしくなったんだ。
「パパッ! 魔術士より…今のパパの方がどうかしてるよ! 一体どうしちゃったの!?」
今日出会った、魔術士の人達は嫌なところもあった…嫌な人達もかもしれない。けど、おかしな人達じゃなかった。
「魔術士はぁぁぁヒスイぃぃぃぃ、人を裏切り不幸にするんだ。親しき人が死のうと生きようと関係ない♪」
「そんなことないよ…アタシが今朝会った魔術士の人達はさっきまで、暗くても、魔物がいても…魔術士を嫌う閑静漁村の人達に頼み込んででもはぐれた友達のことを探してたよ! それに外の世界で、きっと魔術で魔物と戦ってくれてる。どうして村の大人達は、魔術士のことを嫌うのッ!」
「魔術士も、魔物もみんないなくなれば〜平和なんだ!」
パパは…もう話にならない。
「もうやめろよ、父さんッ!」
コウがパパを止めようとする。しかしオルク兄は…
「コウ…お前は魔術士を、恨んではいないのか?」
そう言った。重く暗い過去を思い返すかのように…
「…そりゃあ、恨むけど。それをいま思い返しても仕方ないだろ」
コウもまた、思い返していた。
何を!? いったい何を思い返しているのあなた達は!!?
「オルク…お前は、大丈夫なんだろうな。行かなかっだろうな? お前には…前科があるんだ」
暗闇の中…炎で照らされるパパの異様な目が、オルク兄の方を向いた。
「オルク…お前は村の外を知っているんだ。ヒスイに妙なことを教えたのでは、ないか。この本も、与えたのではないか」
パパが静かに、オルク兄に念を押すように言及する。
―――言ってたな。
オルク兄はまだアタシが生まれたばかりの頃、村の外に出て行方不明になったって。
村中総出で探しても見つからなくて…皇都に捜索届けを出したら皇都で見つかったって言ってた。
魔物に攫われたって、オルク兄は言ってたみたいだけど。
コウからこっそり聞いた、そんな話。
もちろんこの話も、我が家では厳禁だった。
でも禁じられた奥に……こんなものがあるなんて思っても見なかった。
「ああ…もうあんなことは、懲り懲りだ」
オルク兄はいつになく、暗く沈んだ…憎むような、恨むような顔で答えた。
やっぱり皆、恨んでる。魔術士や、魔術を。
いや我が家は一層、恨んでる!
「ヒスイ、これが最後通牒だ。今日はそこで寝なさい」
パパは、アタシの魔術士の本を、火に焚べた。
その晩は中々寝つけなかった。当たり前だ。
なのに…頭と体がここから逃げたくて、アタシは夢の世界に逃げるように、意識が遠くなった。
雪山で…死んでしまうかのように。
お話でしか、もちろんそんな死に方は知らない。けどきっと、こんな死に方じゃないかな…
―――――アタシは、この村は平和な村だと思ってた。
今日も変わらない、平和な一日を送るものだと思ってた。
ただこの村に今日、見たこともない魔術士の人達がやってきた。
アルトや、ラグマ兄達とトラブルになって…見たこともない村の大人達の顔を見た。
そして、事件が起きた。
魔術士の人と、アルトの妹…ソフィーちゃんがいなくなって、探しに出たアタシ達の前に人に襲いかかる魔物が現れた。
そして、その魔物を食べるほど大きな…大きな三つ首の魔物も現れた。
それから家に帰ると…パパや、家族の見たこともない顔を見た。
魔術士という、いつもはいない人達が村に現れたから、今日一日でこんなにも色んな事件が起きた。
この村は…本当に平和な村なのかな。
間違ってないよ。
この村は本当に、ぼけてしまうほど平和で、退屈な村だ。
――――――――誰!?
アタシは眠ってる。
アタシは今、夢の中だ!
辺りには何も無く、外のことは何も考えられない。これは夢だ。
ただいつもと、違う。
夢を見ている、不思議な感覚がある。
誰かがアタシに、夢を見させているんだ。
この家族はつまらないだろう? 魔術を疎み、憎み…平和、ただそれだけを求めて死ぬ時まで生きる。まるで家畜のようなやつらだ。早く安らかに死にたいようにさえ思えてくる。
物事の本質を、何も見ようとしない盲目な一家だ。
だからこの家族と、縁を切ることにしたんだ。
――――――――あなたは誰なの。
知っている、知っているということは分かるのに、誰なのかを分からない。頭が働かない。
ただ悪夢にうなされて、何も考えることができない!
この夢からも…抜け出せない。
お前とは分かり合える気がするんだ。一緒に来ないか?
――――――――ふざけないで。
あなたみたいな、訳の分からない人と、どこに行くの!?
それに…
アタシは家族が大好きだよ。あんなことはあったけど…アタシは家族とずっと一緒にいたい!
ずっと一緒にいたい、か。
それこそ夢物語だ。親も子もいつかは別れなければならない。
それが自立だ。
自立ができないのなら…
明日、お前を導いてやろう。
――――――――悪夢は過ぎ去っていく。
ただその真っ黒の、悪夢の使者は何かに乗っていた。同じく真っ黒の…
三頭の、怪物に。
あれは―――――あいつだぁッ!!!!!
こいつは亡霊狂飆。
我が同士で、君を導いてくれる忠犬だよ。
「ヴォアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「ぎゃああああああああああああああッ!!!!!」
………嗚呼ぁ…ぁぁ…あぁ…朝、だ。
三頭の狂犬に、体を食い千切られて目が覚めた。
昨日も散々な一日だったけど、今日は今まで生きてきた中で……最悪な一日の始まりだ。