四幕 黒い本
今も続く昔ばなし…
午前中最後の授業は、魔術史かぁ…
ヒスイは木でできた机に構えて、魔術の歴史について授業を受けていた。
国からの達しで、こういった授業は行われている。
ヒスイはこの授業が、あまり好きじゃない。
そもそも魔術を使えないアタシが…魔術を使える人がいないこの村の人が、魔術について学ぶ理由ってなんだろう。
――――それはこの世界が、魔術と共に歩んできたからだ。
魔術も初めは、火を起こすこともできなかった。
それが魔力をもつ怪物…魔物との戦いに勝つために発展して、火や水、風、土が生み出せるようになった。そこからさらに発展して砂、氷、毒、雷まで扱えるようになる。
これが魔術の四原則と、四展開。
ただ人だけの力では、物を動かしたり、ほんの少しの風や火を起こすのがやっとだ。
それを魔物と戦えるほどに強化してくれるのが、魔力の結晶である魔宝石。それを使って魔法を生み術として繰り出すのが性質魔術だ。性質魔術には魔術士、その人にあった性質が存在する。
そしてさらに今では、魔術を使って大きな列車を動かしたり、薬を作ったり、食べ物を増やしたり、街の明かりを灯してくれたりもしてくれていて…人間の今があるのも、未来があるのも魔術のおかげだ。
この村に魔術や魔術士がなくとも、魔術によって作られた物は少なからずこの村でも使われている。
――――そう、全部授業で習った。何度も教科書を読んで学んだ。載ってる魔術の基本の術式まで、全部試してみた。
アタシもそんな、人の今や未来を輝かせる魔術士になりたかったから。
魔術史の成績は悪くない、一番いいかもしれない…だけど好きじゃない。
いくら勉強しても、アタシは魔術を使えないから。
学べば学ぶほどに、魔術を使いたくなるから。
アタシが魔術を使えたら、どんな魔術を操るかな。魔宝石は、どの性質が一番合うかな。
そんな想像が膨らむ。
けど…
魔物と戦うのは怖いし、無理だな。
ヒスイは無言で小さく、頭を振った。
だけど、魔物と戦わないと、いけないんだよね。今朝の人達も言ってたように…
やっぱりこんなんじゃ、アタシに魔術を扱う資格はないのかもしれないな。
でも…
この村は平和だ。魔物もいるけど、人を襲わない…
学校にある本で見たような、人を食べる魔物なんていない。
どんな世界なんだろう、魔術士や、そんな魔物のいる外の世界は。
キーン♪ コーン♪ カーン♪ コーン♪
授業が終わった、昼休みだ。
お昼ごはんを食べると、ルミィはヒスイと、クラスメイトのガネットを連れて図書室へ向かった。
ルミィがアタシ達を引っ張っていくなんて珍しいな。
ヒスイはそう疑問に思いながらも、おおよその察しはついていた。
「見てヒスイ、ガネット。これが渦炎蛇竜なの!」
ルミィはリアルな絵で描かれた図鑑のような本を、まるで魔物マニアのような輝く目で熱く語った。
ただ熱く語りたいのは渦炎蛇竜についてじゃない。それを倒したサファイスさんについてだ。まあそうだと思った。
ルミィは喜々として普段は見ないような本の内容を読み上げるが、ヒスイはその必要はなかったため、話半分で聞きつつ、閑散とした図書室の本棚を見回すように眺めていた。
―――――図書室にある、魔術や魔物についての本も全部読んだ。
魔物は別に好きじゃないけど、魔術のことが書かれてるかもしれないから読んだ。
そもそも魔術についての本が少ない…と、思う。魔術が嫌いな人が多いからなのかな、数えるほどしかなかった。まあ、この村に魔術士はいないから仕方ないか。
「ヒスイも、魔術の本は好きだったよね」
「…うん」
隣でやれやれとルミィのことを見ていた、ガネットが言った。結構隠れて読んでたんだけどバレてたな。
村の人に見られるとあんまりよくないかなと思ったけど…よくない本なんてそもそも置いてないか。
「けどもう、ここにある本は全部読んじゃった」
「あの分厚い、黒い本も読んだの?」
相当好きなんだねと、ガネットは言いたげだ。
そんな本あったかな?
「―――――ヒスイ、ガネット?」
まだ話は終わっていませんよと言いたげなルミィをよそに、聞き疲れたガネットとアタシはその分厚い黒い本を手に取った。
…この本は、確かに読んだことがなかった。
分厚く、見るからに難しそうな本で、読んでみたいと思わなかった…それに魔術の本だとは思ってなかったから。
題名は黒い本に金の文字で書かれた…
『黒死の魔女と黒魔女戦争』
たった三十年も昔のお話し。
黒死の魔女と呼ばれた魔術士が、帝国の中心である皇都、帝世街で戦いを起こした。
黒い魔術を用いて…
皇都の人間の、おおよそ五人に一人が死んだ。
人が凶悪な魔物のようになったり、大気の侵された魔力を吸うだけで、人があっという間に死んでいった。
しかし、ジャンヌ・ダルクという人間が、自らがラクシィガと呼ぶ不可思議な、魔術を操る剣を用いて、黒死の魔女をついに討ち果たした。
討ち果たされた黒死の魔女は、皇都から消えた。皇都に平和が戻ったかに思えたが…皇都の様相も変わり、未だ復興と、外敵に備えるのに休みなく働く日々だ。
そしてその後、ジャンヌ・ダルクは功績により皇帝と縁を結び、皇位に列せられた。シャルルージュ姓へと改め、シャトリーニュという名の子供を残す。
〜
「…本当の、話なのかな?」
ヒスイはしんと静かな図書室で、そう誰に向けて尋ねるのではなく呟いた。
…本当のことだとは思えないし、思いたくない。けれどルミィはうなずいた。
「お兄ちゃんから聞いたことがあるよ。皇都で、そんな事件があったって」
皇都は…そんなに大変なことになってたんだ。
魔術士の人達が言っていたように、いや、その思ってたよりもっともっと。
「でも、三十年前なら私達のお父さんやお母さんも、知ってるはずだよね。けど、そんな大きな事件なのに…村ではそんな話、これまで聞いたことなかった」
…ガネットの言うとおりだ。
ただその謎にも、ルミィが答えた。
「今朝の、魔術士の人達が言ってたように…閑静漁村だと魔術がうまく使えないんじゃないかな。だから襲われなかったのかも」
あのとき長髪の魔術士の男は、炎の火力に不満があるようだった。
「そっか…」
三人は、まだ続きがある本を読むのをやめて、本棚に戻した。
これ以上気が進まなかったのと、すべて読もうと思ったら…何日とかかってしまうほど本は分厚かった。
本を借りて、家でひとりで読むのも難しいだろうな…本も大きなものだし。
そう、またいつ読むだろうかという、ヒスイの心境をよそに…体はすぐさま行動に移した。
図書室を出て教室へ向かうルミィとガネットを背に、ヒスイはひとり図書室へ戻る。そして今さっき読んだ黒い本を再び手に取ると、受け付けの元へ歩いた。
「この本を…借りるのかい。ヒスイちゃん」