三幕 この世界の現実
どんな世界にも、現実がある。
抗う事は罪じゃない、しかし背いてはならない現実が。
「で、どうしたのアルト。この傷」
学校へ着くや否や、火傷を負ったアルトは保健室に直行し。ヒスイとルミィは付き添わされた。
白衣を着た、ストレートな長髪なびく、ただ性格はサバサバしてる教師、ではなく医師のフローレンスは尋ねた。
この村では医師が希少な存在であるため、学校で有事の際は彼女が本業とは別に学校を訪れたりもする。
「転んだ」
アルトはそうフローレンスの問いに応える。
「魔術士の人と喧嘩して焼かれました」
ヒスイが訂正した。
「ヒスイ! 変な事言うなよ」
ヒスイは自分達が付き添わされたのも、まあきっとこのためだと理解した。
「転んで火傷する方が変でしょ、じっとしな!」
フローレンスはアルトの火傷を…そっとよく効く染みる薬で撫でて処置を施した。
「ぎゃああやぁぁぁぁんッ!!!」
「はい、お終い」
ホント、同い年の男の子ってどうしてこんなに子供なんだろう。
ベッドに座っていた状態からその上に倒れ、薬に苦しみ悶えるアルトを見て、ヒスイは子供だなとせせら笑った。
兄が三人もいるせいか、ヒスイには同年代の男の子が年下のように見えてならない。
フローレンスもアルトの姿を見つつ、優しい口調ながらも呆れた様子で、苦言を呈した。
「それにしても…魔術士と喧嘩だなんて、あんたは大物ね。アルトの将来が楽しみだわ。…いつか殺されなければだけどね。気をつけなさい」
「あいつらが悪ぃんだよ。魔術が使えるからって威張り散らしやがって」
「―――でもね、アルト。偉いんだよ、魔術士は。魔術を扱えるってのはね、外にいる人を喰らう魔物に対抗できる重要な戦力なんだ。村の外にはね、本当に恐ろしい魔物がいるんだ」
だから魔術士に盾突くなんて、馬鹿な真似はよしなさいと、フローレンスは言いたげだ。ヒスイやアルトは親しみ深い、フローレンスもまた普段と違う様子だと鋭敏に察した。
そもそも、村の大人が魔術士やまして魔物について口に出すのも珍しい。ヒスイはこれも禁句だと感じていたほどだ。
―――急にフローレンスは寂しそうに…遠い誰かを想い出すような顔になる。
その顔に普段の豪快さはなく、繊細な様子。
アルトはただ、不満そうだ。
「先生は、魔術士がどんなやつか知ってるのかよ! 魔術を使えないやつらを猿みたいに…」
「知ってるよ。アタシは閑静漁村の出身じゃない。外から来たんだ。でもねアルト、魔術が使えればアルトのその怪我だって、染みずにすぐ治してやれるの。でもあたしには……それはできない」
ヒスイはフローレンスの俯いた姿に、目をしばたたかせた。
弱々しい。初めて見る、こんなフローレンス先生は…
いつもは明るくて、言うことを聞かない男子なんか拳骨で黙らせる先生なのに。
それだけ魔術士が、偉くて凄い人なのかな…やっぱり。あんな人達でも。
外の世界で…魔物と戦ってるみたいなこと、あの人達も言ってたし。
ヒスイもまた悔しさで俯きそうになる一方で、ルミィはフローレンスの方を見て、まっすぐな想いを伝えた。
「でも先生、薬や病気のこと、凄く詳しくて…ワタシ先生のこと、凄く尊敬してます!」
気の弱いルミィにとって、気丈なフローレンスやヒスイは、憧れの存在だった。
フローレンスは優しい顔でルミィを見つめ返す。
「ルミィ…ありがとう。ここだけの話、先生はね、魔術を扱うことができなかった分、誰よりも勉強したの。だから皆も、自分が本当にやりたいことをしっかりと探して、見つけたら誰にも…自分にも負けないくらい頑張るんだよ!」
―――先生も魔術を、使いたかったんだ。
この村にそんな人がいたんだと、ヒスイはフローレンスを見る目が変わる。
彼女はまた目を細めて、言い続けた。
「この世の中はね…杖を持てない人は剣を持って戦うか、ペンを持って勉強しないといけないの。皆は今、やりたいことはある?」
三人はそれぞれ考える。
やりたいこと、か…
「俺、剣を持って戦う!」
アルトは即決した。
「アルト、それは勉強をしたくないだけなんじゃ…」
「違うぜルミィ! 俺はサファイスさんみたいな最強の軍人になりたいんだ。俺んちにはまだ、ちっちゃい妹もいるしな。長男の俺がゆくゆくは家を守らねぇと!」
「…大変だよ軍人は。でも、誰かがやらないといけないのよね。失った命が無駄になる」
悲しそうな顔をしたまま、フローレンスは微笑んだ。
―――アルトは軍人になりたいのか、アタシは…
アタシはいったいどんな大人になるんだろう?
ヒスイはいまいちピンとこなかった。
「う~ん、アタシはパン屋さんかな」
別にお医者さんとかでもいいけど…なんでもいいのかアタシは?
魔術士には…なれないだろうし。
「そっか! じゃあヒスイはパン屋さんになるために、いっぱい勉強しないとね」
先生は言った。アルトに比べれば随分お手軽な夢だと思う。
軍人になるのなら…アルトはサファイスさんみたいに、皇都へ行かなくちゃいけないのかな。
「―――ワタシは…いつかお兄ちゃんと、一緒に暮らせたらそれでいいな」
―――ルミィ。
ルミィは神様にお祈りするような声で、そう言った。
フローレンスはその様子を見て、体に力を込める。
「ルミィ…サファイスに会ったら、先生がガツンと言ってやるわ! たった一人の妹に、寂しい思いさせてんじゃないわよって。あたしに任せときなッ!」
先生がいきなり声を荒げると、ルミィは戸惑った。
「ええッ!? そんな、いいですよぉ…お兄ちゃんの迷惑になっちゃいます」
「なに言ってんの! 迷惑だなんて抜かしたら、あたしがぶん殴ってやるわ!」
「ええぇ~ッ!!?」
「先生おっかねぇなぁ。サファイスさん相手にそんなことできんのか」
いつものフローレンス先生だ、よかった!
ヒスイは安堵した。
―――それにしても…ルミィはお兄ちゃんと一緒に暮らす事が夢かぁ〜アタシには全然理解できないな。
うちなんて毎日三人のお兄ちゃんと一緒に暮らしてるから、なんなら一人貸してあげようか?
たまには一人になりたい…
ルミィの家にでも泊まりに行こうかな。
なんてことを思いながら、保健室の扉を開き、三人一緒に外へ出た。