二幕 知らない知人と見知らぬ魔術士
私この人知ってる。
でもこの人のことを、何も知らない。
浮浪者は飄々とした様子で、門の前にあぐらをかき一人たむろす。
ヒスイは年輩に気を使うこともなく気軽にあいさつする。ルミィは初めて合うわけではないが、ヒスイの陰に隠れるようにやや遠ざかった。
ちょくちょく路地裏から現れる、ボサボサな髪に伸び放題の髭を生やした、ボロボロな下着一枚にズボンを着た浮浪者。今日も声をかけてきた。ルミィもいるし、お酒臭いから嫌なんだけど…
ヒスイも明らかに浮浪者な身なりの男に好感触なわけではないが、彼女は割と誰とでもうちとけられた。いつものように二周りは年が離れているであろうおっさんに悪態をつく。
「浮浪者、今日も仕事しないでダラダラしてるの? いい加減働きなよ」
「嬢ちゃんよぉ、おじさんもう何年働いてないと思う? 昨日の今日で仕事始めたりはしねぇよ」
「じゃあずっと働けないじゃん!」
「ナハハッ! それもそうだなぁ。第一どこも雇ってくれねぇよ」
おっさんは明るく、のらくらと返した。ヒスイは呆れる。
まぁ、それもそうか…
ただヒスイは疑問だった。呆れた目をしつつもおっさんの方を眺める。
三年くらい前に引っ越して? この村にきて以来、ちっとも働かずに暮らしてる。どうやって暮らしてるんだろう。
以前、直接本人に訊いた時は、まあなんだかんだ生きてけるのさと返された。そんな馬鹿なと思いつつも、それ以上詮索する気も起こらずとっとと門の内側へ入ろうとすると…おっさんは物乞いでもするかのように、近寄ってきた。
無論子供な上、そこまでお人好しでもないヒスイ達は、感情を高ぶらせないまでも邪険にあしらう。
「ちょっと浮浪者、あんまり近づかないでよ! 汚いし臭いんだからぁ。ほらルミィも嫌がってる!」
「ちょっとヒスイ!? ワタシは別に…」
「とかなんとか言ってちょっとずつ学校に近づいてるじゃない! ほらッ、ルミィからも言ってやって、とっとと働いて、ちゃんとした格好しなさいって!」
「そんなぁ、ひどぉい…」
ルミィは戸惑い、その場でオタオタすると、大のおっさんは両手で顔を覆い、号泣するかのような仰々しい仕草をした。
「本当だよ、ひどいひどぉ~いッ! おじさんのピュアなハートが傷ついちゃったわー。あんまり虐めるとお嬢さん達……悪戯しちゃうぞ?」
ばぁっ!と、顔を開く。
「ひぃッ!」「ひぃぃぃぃ!!!」
悪寒が走り、少女ふたりは逃げるように学校へ向かった。それを見ておっさんは、やれやれと首をふる。
その時、正門の内側から真っ赤な火の手が上がった。
「ぐわああああッ! あぢいぃぃぃぃッ!」
男の悲鳴も聴こえ、ヒスイ達は足を急がせる。
正門の中が騒がしい。がやがやと人の声も聞こえてくる。
叫んでた一人は、多分アルトだ。
「ルミィ、急ごう!」
「ヒスイ、危ない事はしないでよぉ…」
校内への入り口前までふたりが到着すると、火で焼かれた男が倒れていた。
「ちょっとアルト…どうしたの!?」
しかし派手に焼かれたわけではないようで、ヒスイと同年代の男、アルトは驚きもあり倒れていた足を、ふらつかせながら立たせる。
「ちくしょう、こいつら…ここにはお猿が仲良く暮らしてるなんて言って俺達のこと、馬鹿にしやがったんだッ!」
そうがなり立てるアルトの目の前に、学校には…いや村には普段いないローブ姿の人達がいた。ヒスイは目を驚かせた。
男か女かも判らない。彼らは目元まで、ローブで顔を隠してる。ここではまず、こんな人達はいない。
この人達、ひょっとして魔術士なの。
ただヒスイが思っていた魔術士の偶像とはかけ離れた、粗暴な声がローブの内から放たれた。
「たく、痛ぇーなぁおい! はるばる皇都から物見がてらに田舎に来てみれば、お猿が野放しにされて好き勝手暴れてんじゃねーか! 怖ぇなあ田舎は。猿の王国だ」
ギャーギャーと、どっちがお猿だとヒスイは言いそうになるが黙ってる。魔術士みたいな男はアルトと揉み合いになったようで、赤紫のローブが少し乱れていた。
ただそう言いつつも、男は嘲笑ってる。
周りのローブの人達もまた、クスクスと嘲笑う…女の人もいる。
ヒスイ含め多くの生徒が戸惑う中、アルトは立ち上がり、また食って掛かった。
「こいつ、また馬鹿にしやがった! 何だよ、魔術が使えるのがそんなに偉いのかよッ!」
―――やっぱり、この人達は魔術士なんだ。
「偉いよ? 魔術を使える俺達は偉い! なぜなら俺達は将来、皇都で帝国の未来を担う魔術士になる。しかし、お前達お猿は魔術を使えない。だから国の未来を担えない。こんな僻地で猿みたいにのびのび暮らしてるだけだ。だ・か・ら! 俺達の方がえらあぁぁぁぁぁぁい!!!」
この人達が、皇都から魔術士。
女の人みたいな長髪の魔術士はまくし立てると、アルトに唾を吐きつけた。
だがアルトも負けじと、痰唾を吐きつける。
「うぇ、汚ねぇ!」
周りの魔術士達が引いていった。アタシ達も少し引く。
ただアルトは啖呵を切るように前に出た。
「へッ! な・に・が魔術士はえらぁぁぁぁぁい! だよ。お前らが束になったって、魔滅士サファイスさんには手も足も出ないんじゃねぇの?」
ルミィが少し照れた。だけど魔術士の人達は…
「おい…てめぇ!!!」
サファイスさんの名前を聞くと、魔術士の人達は嫌な反応をした。やっぱりサファイスさんは、皇都でも有名な人なんだ。
他のローブの人達も、さっきとは打って変わってアルトを取り囲むように詰め寄る。
「アルト!」
「ヒスイ、危ないよぉ!」
アルトを止めようとするヒスイを、ルミィが止める。
長髪の魔術士が宝石…魔宝石の光る杖を構えた。
「あんまり調子に乗るなよ。俺達は田舎の猿一匹焼き殺したって、報告書一枚で済ませる事が出来るんだぜ?」
髪の長いローブの男が言い吐く。周りはまたクスクスと、笑い声が上がる。
アルトは怯みながらも、後ろには下がらなかった。
「はぁ!? …あり得ねぇ、やれるもんならやってみろよ!」
さらに詰め寄る。
「ちょっとアルト、あんた死んじゃうよ!」
「うるせぇヒスイ! 男の喧嘩に首突っ込んでくんじゃねぇ!」
「はぁ!?」
ヒスイが止めようとするも、アルトは一歩も引き下がらない。魔術士達も、躊躇する様子は微塵もなかった。
「身の程知らずのガキが」
「そりゃあてめぇらもだろ、ガキンチョ共」
だが村の大人達が、割って入った。
―――あ、村の自警団だ。皆、剣や槍を持って武装してる。
村の大人…武装した男達は、まだ大人にしては声音から幼い魔術士に対して、獣や魔物を狩るかのような目を向けた。
「お前ら、魔術が使えるからってあんま調子に乗るなよ。俺たちだって魔物を狩ることはできるんだぜ」
「何、おっさん? キモいよ」
ローブから垂れる長髪の魔術士は、杖を向ける標的をアルトから、率先して魔術士達に食って掛かるヒスイの兄、ラグマへ変えた。
うわぁ…さっそく一触即発だ。
ヒスイは慄く。長髪の魔術士やラグマの他の者達も、この場で杖と武器を合わせることに異論はなかった。
武装した自警団の人達と、見慣れない皇都の魔術士の人達が固まり合い、今にも合戦の火蓋を切る勢いだ。
…戦ったら、どっちが強いのかな。
ヒスイや、ルミィ、他の子供達は後ろへ下がっていくが…アルトだけはこの場に残り、自警団に加わるかのように拳を構える。
―――アルトも、ラグマ兄も、魔術士の人達に今にも掴みかからん、斬りかからんと構えてる。
だけどその拳や刃が…相手に触れることはない。
魔術士が小さな杖を持ったまま、嘲笑うような声を発するだけで、村の男達は虫けらのように払われた。
《《 これが魔術だお猿さん 》》
「「 うわああああああああああッ!!!! 」」
一瞬で辺り一帯を焼き払うような炎ではない。しかし人間がそれをまとえば死んでしまうだろうと思わせる、眩い炎が杖から放たれた。
先頭にいたアルトとラグマは…長髪の魔術士が持つ、紅蓮の魔宝石から放たれた炎がふりかかると、飛び上がるようにして後ろへ倒れた。
ヒスイや、ルミィ達…子供達は、ただ唖然としていた。
いや恐れていた、炎に。
他の大人達は反射的に魔術士へ攻撃しようとするも、長髪の魔術士や他の魔術士の何人かが炎を放つだけで、また反射的に後ろへ飛び退く。文字通り手も足も出なかった。
「くそぉ…うあぁぁぁッ!!!」
アルトはこの期に及んでも立ち上がったが、わずかに火を浴びてしまった。
「ぐあぁぁぁぉッ!!!」
そしてラグマも。
子供もだいの大人も関係なくその場にのたうち回り、土に体をこすりつけて…少しでも炎を減らそうともがく。
その憐れな光景に、魔術士の子供達はおおいに盛り上がった。ただ率先して炎を放っていた長髪の魔術士は、その火力に不服そうだった。
「やっぱ…閑静漁村じゃ、魔宝石を持っててもこの程度の火力しか出ないのか」
ヒスイは次第に、震えてきた。
―――アタシは、ただ…呆然と突っ立っているだけ。どうしてあげることもできない。
周りの自警団達も…炎は人を蝿のように追い払う。
どれだけ相手が憎くても、炎が迫れば人は逃げるよ。
「ち、ち、くしょう…!」
大人達もかけよって、倒れたアルトの火は消えたけど…怒りで、歯噛みしながら震えてる。
震えるのは悔しさと、炎への恐れとで。
―――――ちくしょう。
どうして。
どうして、これが魔術なの。魔術士なの!? …アタシは認めない。
認めるもんかッ!
「いい加減にしてッ!」
ルミィの静止も振り切り、ヒスイは腹の底から叫んで前に出ると、魔術士に怒りを向けた。
「何しにここへ来たの。これ以上やることがないのなら、とっととこの村から消えてッ!」
今度は魔術士の人達が、唖然とする。
「何、お前? 何様のつもりだよ」
長髪の男は、嫌悪感にどこか感情を込めてヒスイに問う。
「消えて…あんた達に、魔術を扱う資格なんてないわッ!」
その言葉に魔術士はこれまでにないほど苛立ったが、長髪の男はあくまであざ笑いなから返した。
「資格? いらねぇよ。必要なのは資質だばーか」
そしてヒスイに…等身大の炎が迫る。
熱い。
目を前を燃やす赤い炎を……
何が起きたのか、そこにいる誰もが目を疑う。
ただ、炎を打ち消したヒスイ以外は。彼女は平然としていた。
いつもやっているかのように、炎を消してのけた。
「………何してるの、早くどっか行ってよ!」
何、黙ったまま突っ立てるの。来るならきなさいよ。
ヒスイの向こう見ずな姿勢に魔術士達は初めて戸惑いを見せたが、長髪の男は解釈するような仕草でヒスイではなく、この空を見ていた。
「魔力が無いからか…魔術が不発したな、クソッ!」
苛立ちを向けて、再度攻撃を放とうとしたが…学校の内にいてはいけない身なりの浮浪者が、茫然としたどさくさに紛れて割って入ってきていた。
「浮浪者ッ!?」
「嫌な悪寒がして来てみたが…嬢ちゃん危ねぇことするなぁ」
ヒスイの身を案じる浮浪者に長髪の魔術士は詰め寄ろうとするが、その気に触れるや、すぐさま後ずさりした。
「何このおやじ…ちょ、臭ぁッ!?」
臭気だ。
魔術士達は臭いゴミを前にしたかのように鼻をつまむ。浮浪者はけしからんと逆に詰め寄った。
「おいおいガキンチョ共よ、おやじは聞き捨てならんな〜。おじさんこう見えても二十代よ、ぎり」
うそぉ! 四十代だと思ってた!
ヒスイはひとり浮浪者の年齢に驚く。伸びた髪とヒゲのせいで見た目では、年齢が分かりづらい。
「臭ぇんだよおやじ、寄るな! ごみくずが」
ヒスイは浮浪者の度胸にも、驚いた。
魔術士の人達はおじさんに魔宝石を向けるけど…おじさんは少しも怖がらない! それに村にはいない魔術士を見ても、少しも驚かない。
村の外から来たんだろうけど…初めて見るわけじゃないのかな。
浮浪者は不敵に笑っていた。
「ふふん♪ おたくら随分お高くとまっていらっしゃるようだけど、まだ学生さんでしょう。落ちぶれておじさんのようになる人も、出てくるんじゃな〜い?」
「おい…おやじてめぇ!」
魔術士の人達の目つきが変わる。
「アハ、やる?」
浮浪者の目つきも変わった。
「あ? いいぜ、他の浮浪者と一緒にごみとして処分してやるよ。どうせ身元もクソもねぇんだろ。報告書もいらねぇ、逆に感謝されるぜ!」
「いやぁは〜ん、怖ぁーい」
いつもの感じに戻った。駄目じゃこりゃ。
ヒスイは浮浪者に対する期待を捨てたが、別の大人がかけつける。
「君達、それ以上粗相を起こすのであれば帝国騎士団に通達するぞッ!」
教師達が駆けつける後ろでは…村長が数人の武装したお供と共に来ていた。
魔術士の…学生達と呼ばれた人達は見るからに慌てて、引き上げようとした。
「じょうだんじゃねぇぞッ! 皇都から遠征で来てるってのに」
この人達は、皇都から来たんだ…
ヒスイは皇都から来た魔術士に関心を寄せる。しかし浮浪者は、知っていたようだった。
「遠征中ならサボりじゃないの。閑静漁村は魔物なんてろくにいねぇんだから。その魔宝石も帝国からの借りもんだろ」
浮浪者は言った、けれど…
「そこの浮浪者も、ついでに皇都の地下牢に送ってもらうからな!」
「冗談じゃねぇぞ!? ワタクシ子供達を救った村の新たな英雄ですぞ」
「ここ数年、あんたによく似た無銭飲食犯や万引きの被害届を何件も受けてんだよ!」
おじさんは慌てふためいて、ネコに見つかったネズミのように路地裏へ逃げていった。やっぱりおじさんは浮浪者だ。
魔術士の子供達は「二度とこねぇぞこんなクソ田舎」と吐き捨てながら、村をあとにする。
しかし…
「二度と来るなはこっちだ、魔術士共ッ!」
「こいつらをこのまま生かして返すのか?」
「あの浮浪者の言うとおり、こいつらは遠征中にここへ立ち寄ったんだろう…ならここで死んでも魔物が殺したってことで処理できるんじゃないか?」
村の大人達…自警団の人達も応援を呼んできていて、魔術士達が出ていこうとするや、しきりに声を荒げ始めた。魔術士の子供達はその村人の様子に怒るや怖がるというより、茫然としている。
「なんだこいつら、ふざけやがって…!」
そう皇都から来た子供達は吐き捨てる。
「俺達が外で死人もいとわず戦ってるってのに、まったくいいご身分だぜ!」
「魔物がいねぇが…魔力がないからろくに文明も進んでない。噂通り魔物も寄り付かない、猿の王国だぜ!」
そうも言った。これまでよりも強い感情を込めて…
そして閑静漁村から逃げるように離れていった。村外れの森の方へと…
ラグマ兄と、アルトは軽傷みたい。ただラグマ兄は一応病院へ連れて行かれる。
アタシ達はついても行かずに…
アタシとアルトは、ルミィ達が心配そうに見守る中、ずっとその場で呆然としていた。アルトは病院へ行くことも平気だと断って…
「ちくしょう…ちくしょう……ちくしょう…!」
やがて、何もできなかったアルトはその場に座り込んだまま、涙を流す。
アタシも、だ。
魔術士が、あんな人達だなんて。
悔しくて、立ち尽くして涙を流す。
アタシにも。
アタシにも、魔術が使えたら…
あんな人達やっつけてやるのに!
だけどそれじゃあ、同じになっちゃうよね…あの魔術士の人達と。
ヒスイは初めて見る魔術士に対して激しい憤りを覚えたが、初めて見る村の大人達の顔にも疑問を隠せなかった。
―――村の大人達は…村長さん達は特に、どうしてあんなに魔術士の子供達に、血相を変えて攻撃しようとしたんだろう。ラグマ兄と違って、普段は喧嘩なんてする人じゃないのに。
魔術士の人達だからかな。
ヒスイはかつて言われた、魔術について自らが初めて人前で関心を示した時のことを思い出していた。
―――――ヒスイ、あまり魔術のことは人に話すな。
どうして?
皆…魔術も魔術士も、あまり好きじゃないんだ。
この村で魔術についてあまり大きく触れてはならないことは、十二歳のヒスイにはもう理解できていた。村の空気を。だからこそそれに関する本も、隠れて読むようにしていた。
それがこの騒動の理由なのだと考えても、ヒスイは腑に落ちなかった。根本の原因は分からないままだ。
さっきの村の大人達は…みんなアタシが知らない顔をしてた。
ただそれだけ、疑問が生まれた。