零幕後編 現世の終演と次世代の幕開け
最後の時間は、行いでは決まらない。
大罪人にはあまりに似つかわしくない安寧に包まれた眠りであっても、たとえそれが世界を変えることだとしても…
すべては神の気まぐれで決まる。
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魔剣…またの名を創世剣銀河は、苦渋の決断をした。
こうするほかない。そうでなければどこの誰の手に落ちるかも分からない。
今しばらく身を潜めて、時期を待とう。
今は皇都に戻る時ではない。今戻れば宿り木にたどり着く前に捕まるのが関の山だろう。
さてどこの誰の元を、仮の宿にするか…
魔剣はそんなことを思いつつ、己の姿を一時、化け物に変えた。
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人里離れた山中の小屋に、たったひとりで死ぬことを選んだ者がいた。緩やかな川の流れも聴こえるほどに…静かにその者は、息を引き取る間際であった。
自分の死ぬ瞬間というのは…分かるものなんだな。
他人が死に…殺され死んでいく瞬間はごまんと見てきたから分かるけれども…
その者の死因は、衰弱…彼女は力を酷使したために、心も身体も壊れていた。
粗末な小屋のベッドに横たわり、見えぬ小川の方を眺めて、女は己の人生を悔いた。
後悔ばかりだったけど、今日まで生きていて良かった。
私達の時代の終わりを知ることができて、もう心残りはない……なぁ、我が宿敵。
そう女は、声は出さずに微笑しつつ、呟いた。
それに、のどかな田舎町で、穏やかなあなたと無邪気な私の息子達と過ごしたなんともない時間が、今になって最上に…尊い幸せを感じる。
黒く染まった私の心を、清めてくれているのかもしれないな…本当の幸せを、ようやく理解できたかもしれない。今更に。
楽しかった最後の時を思い出し、涙を流す。
―――ごめんね家族、突然姿を消して、ひとり人知れず死んで。
彼女は自ら、その楽しかった一時を過ごした家族の元から姿を消し、ここにいた。
私の事を、知られたくなかった。消しきれないくらいに黒く塗り潰された、私の正体を…
本当に、ごめんなさい……あんなことになってしまうなんて。
みんなが天国へ旅立ったとしても、私は会いにいくことはできない。
そう先に死んだであろう、大好きな家族に心から詫びた。
すると…鳥の羽ばたく音が聴こえてきた。
(勝手極まりないな、お前はどこまでいっても)
窓の方から、純黒の大鷲が中へと入ってきた。
―――黒。
久しぶり。私の中からいなくなって、家族と離れて以来だけれど。今になって、私の元へ戻ってくるなんて…
女は大鷲に向かい、口を開かず心で語りかけた。大鷲も窓の桟に立ち、衰弱した女を見下ろしながら、大きなクチバシは開かずに、彼女だけに語りかける。
(戻ってきたのではない。会いに来たんだ。間もなくお前の最後の時だろうと思ってな…黒魔術に体が染まってさえいれば、我はいつでも術者のことは把握できる。お前もそうだろう)
今はもう、見えない。家族が処刑されそうになったのが、黒魔術を通して見えた、最後の光景…
(そうか…お前が捨てた家族なら、皆無事だよ)
そう、よかった…だけど、それじゃあ。
(ああ…黒魔術を使い、あの場を切り抜けた)
……それなら、また繰り返すのか。
(恐らくはな。本人はやる気満々だ。さすがはお前の子供といったところだな…黒死の魔女)
その者、黒死の魔女は肩を落とし、ただ自らのいない将来のことを案じた。
あの子に、あまり手荒な事はしないであげて。
(こちらが訴えたいくらいだ。狂気なほどにわんぱくだ)
お前はまだ、ここに残るのか。私と共にこの世から朽ちることも、可能かもしれない…
(それがこの世にとってはありがたい話なのかもしれないがな、まだここにいるよ。まだやれることは尽くしてない。お前こそ、どうせ死ぬなら公衆の面前で、火あぶりにでもあったほうが世の中の気運もよくなるものだろう。ジャンヌのあとを追うには、おあつらえ向きというか、お前こそ火であぶられるべきだ)
ええ、ただここに一人でいれば、もう誰も傷つける心配がない。
殺戮の力しかない…黒魔術で。
(まるで望まず人を傷つけていたかのような物言いだ。望んで黒魔術を使い、望んで何千何万人殺したか分かったものではないのに。反省したとしても、それは却って身勝手だぞ)
…そうだ。
大鷲は顔をひねり、黒死の魔女は変わらぬ姿勢で、共犯者の言葉を受け止めた。
(しかし…どこか変わったのだな。今更になって)
ええ…後悔しているわ。
家族や、子供ができて始めて、命の尊さを想うようになった。
自分のような悪魔がなぜそのような尊いものを得ようとしたのか、後悔に尽きることはないけれど。
(そうか―――――すまなかったな)
ノア。
今度はあなた自身のために、表舞台に立ってみて。
あなたを呼び覚ましたのは私だから、あなたを舞台から降ろす資格は私にはない。
(ああ…そうするよ。アイン・シエル。咎人よ、さよなら)
純黒の大鷲は、去っていった。
またひとりになった黒死の魔女は、かつて帝国の奇跡と謳われた宿敵、ジャンヌ・シャルルージュのことを最後に想った。
―――なぁジャンヌ、聴いてる?
あなた死んだそうだな、とても無惨に。
私もすぐに、後を追う。地獄で一度、ゆっくり語り合いましょう。
どんな終わり方をしようとも、私達は同じ場所へ向かうだろうからな。似ていた、私達は。
あなたもまた、黒くは無かったけれど、暗く染まっていた。きっと同じ…魔力に支配されていたのだろう。
私は私の中にいた黒魔術に…あなたは、片時もはなさず手に持ってた、あの魔剣に。
杖を持っていた私も、剣をもっていたあなたも、魔物に振り回されていたのはまったくおかしな話だ。
私もあなたも、この世界での役目を終えた…救世主であろうとも、悪役であろうとも。お互いに子供まで遺した。あとは託そう。
私達は…今度は友達にならないか?
似た者同士。上手くいくと思う。
風が気持ちいい。
さようなら…私の愛する家族
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星誕暦700年
「この絵の人、だあれ? とっても上手!」
「魔術で写し出されたものだからね…知り合いだよ、ヒスイの知らないね」
最も古い知人。だけどもう過去の人だ。
「魔術を見たことあるの!?」
ヒスイは、魔術という言葉に大きな関心を示した。
「ヒスイ、魔術を知っているのか? いったいどこで知った」
「本で見たの。アタシも魔術使えるようになりたくて、たくさん読んだんだ!」
無邪気な顔で、ヒスイはそう答えた。
「そうか―――――ヒスイ、あまり魔術のことは人に話すな」
「どうして?」
「皆…魔術も魔術士も、あまり好きじゃないんだ」