フレイムベント1ー1
ああ、そうか。だから私はまだこちら側なんだ、そう彼女は思った。
頭の上から振るわれる得物を、木刀で受け止める。尚も続く連撃。それをまばたきする間もなく防ぎきる。袈裟懸けに斬る一撃、胴を狙う横払い、喉元への突き、それらを全て確実に受けきってみせた。
相手は思わず一歩後退するが、その微細な動きをミナトは見逃さなかった。
ほんの一瞬である。予備動作も何もなく、後ろ足で跳ねて間合いを詰める。虚をつかれたタクトに手段を選ぶ余裕などない。咄嗟に木刀を振り下ろすところへ、ミナトは蹴りを繰り出し手の得物を弾き飛ばした。
「ああっ、やられる……!」
傍らで見守るリンカ。口を出すまいと我慢していたが思わず言葉に出してしまっていた。
回転し宙を舞う木刀。それを恨めしく見届けるタクト。そんな明確な隙を見逃すはずもない。ミナトの持つ木刀は惑うことなく喉元へと向かう。標的まで拳三個分。捉えた、そう信じて疑わない距離だ。
ここから状況を覆す方法など存在しないはず……だった。
突如として渦巻く魔力。
瞬間、感じ取るも既に遅い。
「……昇天する竜嵐」
タクトが早口でそう呟くと、突如として小さな嵐が現れた。瞬く間にミナトの木刀の切っ先を巻き込み、同時にその身を膨らませて竜巻と化していく。
「う、うわぁぁああーっ!」
タクトの目の前には天を衝くほどに大きくなった竜巻、ミナトはそこへ巻き込まれ、上下左右に体を回転しながら上昇、やがていらなくなったとばかりに放り出され下降、地面へと叩きつけられていた。
「ミナトがやられた!」
「やばいぞ、あれ!」
「組手、魔法禁止にしてなかったっけ?」
身動ぎひとつしなくなったミナトの姿に周囲は一瞬騒然となるが、すぐに彼は起き上がり周りを安心させて見せた。しかしそれも束の間。
「俺は、やられてないッ!」
ハンドスプリングの要領で起きたミナトは、魔法を使いつつも悪びれる様子のないタクトに向けて怒りを露にする。
「タクト! 魔法使うなよ!」
「知らんもん! ミナトが先に反則してきたんじゃん!」
「あーもー! うるさい!」
言うなりミナトの右正拳突きが、避け損ねたタクトの右肩に決まる。「痛いな!」と怒鳴り同じく右正拳を撃つ……と見せかけ左の正拳へ移行、下方から突き上げるように狙った打撃はミナトの鳩尾に見事決まった。うぐっ、という呻き声と共にうずくまるが、すぐに顔をあげる。
「やったな! もう許さない!」
「ミナトだってやってきたくせに!」
「うるさい! だまれ!」
そこからはただの喧嘩だった。腕を力の限りぶんぶん振り回して当てるだけ当てるという武術からは程遠い有り様に、子供たちは「やれやれー!」とやたら煽った。
しかし、リンカだけは止めようと必死に食い下がる。「やめなよ!」「痛いからやめて!」と言いながら二人の間に割って入ろうと試みるが、小さい体はいとも簡単に弾き飛ばされた。
いいぞ、そこだ! やれやれ! そんな無責任な言葉が飛び交う中、ただ一人、静かに感情を燃やす者がいた。
「……あ!」
「あれ、やばくね?」
「あれはまずい」
リンカを除けばただ一人。煽ることもなく止めることもなく、成り行きを見守りつつ頃合いを図っていた。
人が立っている。
雷鳴が轟く、のは幻聴などではない。先程まで雲一つなく晴れ渡っていた空が知らぬ間に暗雲で覆われてしまっているのは幻視などではない。再び雷鳴が轟く。空が光って稲妻が走り、地面へと落ちた。爆裂音がその場にいた全員の耳をつんざく。反射的に耳を覆うも遅い、音速に追い付けるはずもなく既に鼓膜という鼓膜は全て震えてまともに機能しなくなっている。
後に感じるのは恐怖だ。耳の鼓膜は時間が経てば治る。ゆえに恐怖の正体はそこではない。
人がタッテイル。
雷が落ちたにも関わらず、その人物は微動だにしない。それはそうだ。彼女自身が呼び起こした雷雲であり、自身で放った雷撃の魔法なのだから。
憤怒纏いし神雷。詠唱なし、魔力蓄積なしで放ったものの、子供たちを震え上がらせるには十分な威力ではあった。
鬼がタッテイル。
その姿を見て、子供たちは一斉に声を上げた。「モリヤ先生が怒ってる!」まるで示し合わせたように口にするも、当の二人は縮こまったまま動けない。
「あなたたち、何をやっているのかしら」
女は笑っている。威圧する風でもなく、二人を見据えたまま立っている。髪は後ろで束ね、体格は戦士のそれとは程遠い。集団の中にいれば特に目立つ風体でもない。けれど、立った姿からは他を圧倒する闘気を感じ、何者にも揺るがされない強い意思が見て取れた。だからこそ恐れる。ああ、今日も今日とて。
「怒られるぅぅううー!」
と。ミナトとタクトは兄弟よろしく、仲良く並んで同じように両手をあげて歯を喰い縛りながら震え上がる。
じりじりと近寄るモリ先生に、後退りすることすら出来ない。
「ミナトくん、タクトくん。組手するときのお・や・く・そ・く! はい!」
先生がメロディに乗せて話すと、二人は両手のひらを腿の横に当てて直立。その姿勢のまま口だけを動かした。
「死なせない! 魔法しない! のどついたりしない!」
「はい、復唱ッ!」
「死なせない! 魔法しない! のどついたりしない!」
ダン! と手にした杖を地面へとつくモリヤ・ティーチャー。
「……死なせる以外、二つもやっちゃってるんですけど、二つも。どういうことかしら? え?」
形相は平常ではあるが、漂う闘気はもはや鬼のそれである。
「そ、それはタクトが魔法使っただけで……」
「ずるいぞミナト! 先にのど狙ってきたのミナトだぞ!」
「うるさいな! そんなん夢中だったからわかんないよ!」
「なんだよ! ミナトが悪いんじゃんか!」
ダンダン! と今度は二回、杖で地面をつくモリヤ。怒りがグレードアップしている。
手を開いて二人の前につきだして見せる。
「言い訳無用! 二人は学校終わったら時計塔の掃除ね」
「うへぇぇええー……」
うんざりといった風に肩を落とす。ついこの間やったばかりだから、まだキレイだろうし何より勝手を知っているからやりやすいのは救いかもしれないが。
「それと、次の授業までとりあえず町内五周走ってきなさい」
「えー!」
「なんでー!」
露骨に嫌な顔をする兄弟二人。それにカツを入れるでもなく、先生が人差し指を立てると、小さな電撃が螺旋状に走り、直後、彼女のすぐ後ろへ轟音とともに落雷した。
「言うことを聞かない悪い子には……落ちますよ」
首を傾げながらにっこりと笑って見せる。
「ひぃぃいいぃぃー!!」
同時に悲鳴をあげて見事にシンクロすると、土煙をあげながら猛ダッシュで走り去っていった。視界から消える直前、何やら揉めている様子が見えたがすぐに見えなくなったので、もういいかと半ば諦めた様子で溜め息をついた。
釣られて横にいたモリヤも溜め息を漏らす。
「あの子たちはね、戦闘の才能があるのよ」
わかる、リンカは心の中で呟いた。剣技をはじめとした格闘術、相手の動きを読むセンス、そしてそれらのスピード。ミナトの戦闘スキルは群を抜いている。タクトは格闘術においてはミナトに一歩譲るものの、魔法スキルにおいては底が知れない。ハイスピードの詠唱に魔法発動の正確性など目を見張るものがある。
「だからこそ、基礎体力はつけておいて欲しいの。本当は掃除だけで良かったんだけど、先生欲を出しちゃったわ」
舌を出しておどけて見せるモリヤ。次いで頭の後ろで腕を組んで伸びをした。
「さて、次の授業の準備をしますか」
リンカは先生の真似をして腕を頭の後ろで組もうとしたがうまくいかず、諦めてとりあえず伸びだけしておいた。暗雲はきれいさっぱり消えてなくなっていて、どこまでも澄みきった青空が目に入る。今日もフレイムベントの町は快晴だ。