研究者の性
食事を待っている間、食堂にいる人たちの様子を眺めているとある共通点に気づいた。
みんな白いローブ姿ではあるが、首元のツタ模様の色が異なるのだ。
ある人は赤色。
ある人は青色。
他にも、黄色、緑色、オレンジ色、金色、黒と様々だ。
何らかのグループ分けがなされているのは確かだが、同じ色だからといって一緒にいるわけではなさそうだ。
それぞれのテーブルにはいろいろな色を持つ人たちが固まって座っている。
専門分野を示すためのものか、もしくはランクのようなもので分けられているのかもしれない。
いつものように一人頭の中で思考を巡らせていると、ふと、クリフォードさんの右手首のツタ模様が目に入った。
注文したときには手首全体に巻きついていたツタ模様が、いつのまにか半分くらいの長さにまで短くなっている。
(え、すごい!)
気づけば自然と手が伸びていて、私は彼の手首にあるツタ模様を指でなぞりながらじっくり観察していた。
パッと見た感じでは長さ以外は特に変わった様子はない。
が、至近距離で見ると、模様から極小の黒い粒が空気中に散っている。
黒い粒はインクのように見えるが、インクなら消えてなくなることはないはずだ。
この粒は一体何で出来ているのだろう……。
しばらく考え込んだあと、私はふと顔を上げた。
すると、何故かクリフォードさんは顔中を真っ赤にして私から目を逸らそうとしている。
私はすぐさま手を離し、慌てて頭を何度も下げる。
彼は少し困ったように笑った。
やってしまった。
魔法が気になるあまり、会って間もない人の手に許可も得ないでベタベタ触るなんて、彼に対してあまりに失礼だ。
それに、元の世界でも親友から散々注意され、改善したはずだったのに……。
***
「環、あんた、いい加減にしとかないとそのうちストーカーされるよ」
呆れ顔で葵が言った。
小学校から大学までずっと同じ学校に通い続けた葵は、お互いに何でも言い合える家族のような存在だ。
私の交友関係は深く狭くが基本。
そのため、友達も少ない。
中でも、気兼ねなく接することができるような友人は葵以外にいなかった。
「うーん、ストーカーしようとするほど私のことを好きになる人なんてそもそもいないと思うけど……」
これは、正しいと自信を持って言える。
私は痴漢にあったこともなければ、言い寄られることもそれほどない。
告白されたことだって人生で数回程度なのだ。
「あんたは気付いてないだけ! いっつも研究のことばっかり考えて、周りなんてまるで見てないじゃない。私が今まであんたに好意を持たれてると勘違いしては特攻しようとする輩をどれだけ止めてきたと思ってるの!?」
「そんなことありえないはずなんだけどなあ……。でも、ごめん、葵。面白そうなこと見つけたら誰彼構わず距離を詰めるのはやめるよう意識する」
「わかってくれればいいのよ。あんた、化粧もほとんどしなければ身だしなみにも気を使わないけど、地はめちゃくちゃいいんだから。いつか変な奴に言い寄られでもして危ない目に合わないか心配なのよ」
「こんな年中同じような格好してる奴のどこがいいのか全くわからないけど、とにかくごめんね、葵。あと、ありがとう」
私が微笑むと、「いいのよ」といいながら葵は向日葵のように笑った。
***
昔のことを思い出してつい懐かしい気持ちになってしまった。
葵は今頃どうしてるのだろうか……。
すると、突然、目の前で男性の大きな手が上下した。
クリフォードさんだ。
そこには、先ほどまで熱心に観察していたツタ模様が見えるが、もう数センチ程度しか残っていなかった。
──その時、模様が霧散した。
目の前に金色の光が現れたかと思うと、次の瞬間にはテーブルの上にボリュームたっぷりの料理があった。
トマトスープ、グラタンのような見た目の洋風料理、パン、そして焦げ茶色のケーキ。
どれも美味しそうだった。
こんなにもきちんとしたご飯は久しぶりだ。
野菜がふんだんに使われているところも良い。
健康には気を付けていたが、食事に気を回す時間の余裕もなく、毎日適当な自炊飯ばかりだったのだ。
早速トマトスープから食べてみる。
細かく切ったお肉とじゃがいも、アスパラ、ブロッコリーが入っていて、具沢山だ。
セロリらしき野菜が独特の風味を出している。
グラタンも一口。
ソースが蕩けてとても美味しい。
よくあるグラタンと違い、表面にはチーズが載っておらず残念だったが、代わりに小麦粉を水と練って作ったような小さな白い塊がたくさん載せられていた。
中にはオレンジと緑のリボン型の可愛らしいマカロニが入っており、野菜が練り込まれているのか、ほんのりとニンジンとほうれん草らしき味がした。
パンは先ほど食べたものと同じだったが、ふんわりバターの香りがしてスープやグラタンとの相性は抜群だ。
私は女らしさを彼方へと追いやり、ガツガツと夢中で食べ進めた。
*
ふーっ、と一息。
ふと、左隣に座るクリフォードさんを見ると、野菜が添えられた分厚いステーキプレートとパンをすでに平らげていた。
(あれ、いつ食べ終わったんだろう? このままだと待たせちゃうな。急ごう!)
口いっぱいにケーキを頬張ると、濃厚なチョコレートの味が口いっぱいに広がった。
(ん、やっぱり甘い物はいいね! 疲れた体に効く!)
慣れない環境で知らず知らずのうちに疲労していたようだ。
久々のチョコにすっかり癒されてしまった。
ついつい頬も緩んでしまう。
なんとも不思議だが、この世界の食材も料理も元の世界のものとほとんど変わりないようだ。
この世界は、元の世界から見てどういう位置づけにあるのだろうか。
同じ時間軸の別の世界なのか、全く別次元に飛ばされてしまったのか……。
考えてもあまり意味のないことはわかるが、気にはなる。
自分の舌に馴染みがあり、なおかつ美味しいここの料理に不満があるわけではないのだが。
(……って、ゆっくり考えてる場合じゃない! クリフォードさんを待たせてるんだった!)
ちらっと彼の様子を盗み見ると、予期せず目が合う。
なぜか優しげな微笑みを浮かべながら私を見ていて、なんだか気恥ずかしい気持ちになった。
***
昼食を終え、部屋までクリフォードさんに送ってもらったあと、とりあえずシャワーを浴びることにした。
森での軽い徒歩だけで、運動不足の私は結構汗をかいてしまっていたのだ。
(……今思えば、私、臭くなかったかな?)
体を洗いながら、ふと恐ろしい考えが浮かぶ。
今まで汗をかいても臭いなどと言われたことはなかったが、クリフォードさんは黙っていてくれただけかもしれない……。
いや、これ以上考えるのはやめよう。
自分がダメージを受けるだけだ。
私はさっさとシャワーを済ませ、部屋へと戻った。
(さて、やることもなければ行くところもないし、勉強でもしますか!)
部屋の隅にこじんまりと置かれていた本棚から、比較的平易な言葉で書かれていそうな本を数冊手に取ってみる。
適当に本をパラパラとめくると、どの本もすべてのページに絵が描かれていた。
文字も少ない。
おそらく、というか確実に、全て絵本だ。
あのときセハリスさんは、私が大陸共通言語を知らないことに驚いていたはずだ。
私がこの国で話されている言葉を知らないことを見越して絵本を準備していたのだとしたら、あの人はどうやってそれを知ったのだろうか。
ともあれ、絵本を用意してくれていたのはありがたい。
私は面白そうな絵本を数冊取り、早速解読を始めることにした。