客室
慌てて部屋から出た私を、クリフォードさんは廊下で待ってくれていた。
気まずさから少し苦笑いをする。
彼も少しだけ無表情を崩して微笑み、私たちは歩き始めた。
廊下にはセハリスさんの部屋のもの同じ、小さな丸い小窓がついた扉が何個も並んでいる。
前を通り過ぎるたびにこそっと中の様子を伺う。
騒々しい物音を立てながら数人が走り回っている部屋もあれば、誰も中にいないかと思うほど静まりかえっている部屋もあった。
突き当たりの階段を下り、扉から外へ出ると外へ出た。
気を失う前に見たときと同じ、明るい晴天だった。
扉からは石造りの道が続き、その右手には色とりどりの花が咲き誇る庭園が、左手には高さ二メートルほどの白い噴水が見える。
噴水のそばにある二、三人が座れそうな木製のベンチには、白いローブ姿の男性二人が何やら真剣な顔で話し込んでいた。
白いローブには、セハリスさんのローブに描かれていたものと同じようなツタ模様が描かれている。
やはり金色だ。
(セハリスさんと同じようなローブを着ているということは、あの人たちも賢者なのかな?)
クリフォードさんに聞いてみようかと思ったが、言葉が通じないことを思い出し、やめておくことにした。
ふと、何も話すことなく黙々と前を歩き続けるクリフォードさんの後ろ姿を見る。
先ほど部屋にいたときには気づかなかったが、クリフォードさんはかなり筋肉質のようだ。
肩幅は広く、がっしりとしている。
シャツから見える首元は少しだけ日に焼けていた。
日の光に照らされ、薄く透けて煌めく銀色の髪から目を離せずいると――
突然こちらを振り向いた彼と目が合った。
(えっ!?)
ちょんちょん、とクリフォードさんは私の足元を指差している。
目線を移したときには時すでに遅し。
足下の階段につまづいてしまい──
(ヤバい、ぶつかる!)
しかし、いくら待っていても手が地面に着くことはなかった。
それどころか体はふわりと宙に浮いている。
腰にはがっしりとした腕の感触があった。
間一髪のところで、クリフォードさんが抱えてくれたようだ。
「あ、ありがとうございます」
腕に抱えられたまま、私は咄嗟に日本語でお礼を言った。
すると、なぜか心配そうな顔を浮かべたクリフォードさんは、私を下ろすとすぐに自らの手を差し出した。
ぼんやりしていた私を気遣ってくれたのかもしれない。
断るのも失礼なので、そのまま彼の手を軽く掴む。
私は彼に手を引かれながら階段をのぼった。
***
階段をのぼった先にある、渡り廊下の一番手前にある部屋が私の客室だった。
先に扉を開け、中に入ったクリフォードさんに促されながら私は部屋に入った。
一人で暮らすにはちょうど良いサイズの部屋の中だ。
内装は特に派手なわけでもなく、薄ピンク色のシンプルで上品な壁紙で可愛らしい。
クイーンサイズくらいの大きさのベッド、クローゼット、コーヒーテーブルにソファ。
そして、読書机と本が隙間なく並べられた本棚が置かれている。
扉で仕切られた別の部屋には洗面台とトイレがある。
その奥には、ガラス戸で仕切られた空間の中にバスタブが設置されていた。
大体の造りは元の世界のものとそれほど変わらない。
試しに蛇口を捻ってみると、勢いよく水が出た。
問題なく使えそうだ。
バスルームを一通り見終わったあと、ベッドがある部屋に戻る。
クリフォードさんが部屋の入り口で立っているのが見え、彼をずっと待たせていたことに私はようやく気付いた。
(バスルームなんて一人になったときにいくらでも見られるのに、申し訳ないことをしてしまった……!)
私は小走りで彼のもとへ行き、勢いよくを下げた。
クリフォードさんはそれに気づくと、軽く笑みを浮かべながらヒラヒラと手を振った。
ゴーン。
少し離れた場所から、何度も響く深い鐘の音が聞こえる。
すると、クリフォードさんは私の方を見て、突然ごはんを食べるような動作をとった。
(さっきの会話から察するに、昼食が必要か聞いてくれているのかな? とすると、今の鐘の音はお昼の合図?)
私はすぐに頷いた。
それほどお腹が空いているわけではないが、後でまた空腹に苦しむことになると困る。
彼は扉を指差し、私たちは再び渡り廊下に戻った。
*
食堂は意外とすぐ近くにあった。
一階に戻り、最初に来た道をそのまま進んだその先だ。
昼時のせいか、食堂は白いローブ姿の人々でガヤガヤと賑わっている。
料理を注文する場所には列があり、私たちは最後尾にならんだ。
(どうやって注文するんだろう?)
日本の食堂ならお馴染みの券売機などは当然ない。
文字が書かれた張り紙が数枚壁に貼られているだけだ。
おそらく料理名が書かれているのだろうが、私には分からない。
しかも、人々が注文している場所にはレジもなければ、キャッシャーすらもいなかった。
とはいえ、悩んでいても仕方がない。
私は、クリフォードさんの肩をぽんぽんと叩いた。
振り返った彼に、書いてある言葉が分からないということをなんとかジェスチャーで伝える。
彼は理解したように頷いたかと思えば、何故か自分の方を指差し頷いた。
(私の分まで注文してくれる、ということかな?)
私は小さくお辞儀をして感謝の気持ちを伝えると、彼は静かに頷いた。
*
並び始めてから10分は経っただろうか。
とうとう私たちの番が来た。
近くまで行って気付いた。
木製のカウンターの上には、魔法陣のような模様が彫られている。
私がまじまじと観察していると、クリフォードさんはそれに手をかざした。
すると、模様が一瞬金色に光り、彼の右手首の内側に小さい黒のツタ模様が描かれた。
そして、用は済んだ、とばかりにスタスタと空いている座席のほうへ向かう。
(え、これだけ!?)
呆然としている間に終わってしまった。
私は慌てて彼のあとを追いかけた。
クリフォードさんの隣に腰を下ろし、たった今目の前で起こった未知の注文システムについて考えていた。
あれは一体どういう仕組みなのだろう。
魔法がある世界ということを考えると、魔法を使っているのは確かなのだろうが……。
(さて、私には魔力はほとんどないらしいし、これから一人でどうしようか。ご飯を食べに行くたびに誰かについて来てもらうわけにもいかないしなあ……)
料理が来るまでの間、私はウンウンと唸り続けていた。