帰る意思
「話は終わったのか?」
扉から部屋の中に入ってきたのは、銀色のトレイを持ったクリフォードさんだった。
トレイには黄色のスープに丸パンが2個、それにクッキーが数枚が置かれている。
「ちょうどよかった!この子の腹の虫はもう限界のようですよ」
微笑みながらセハリスさんは言った。
何を言っているかわからないが、何か失礼なことを言われている気がする。私はじとっとセハリスさんを見つめた。
「これだけしか用意できなくてすまない。食堂で朝食の残りを調達してきたんだが……時間が時間で。もう少し待てば昼食の用意ができるそうなんだが……」
そう言うクリフォードさんは、少し申し訳なさそうにしている。
しかし、私のポカンとした様子に、慌ててセハリスさんのほうを向いて言った。
「言葉が通じないことをすっかり忘れていた。すまないが、今言ったことを伝えてくれないか?」
『仕方ないですね……タマキさん。クリフォードが朝食の残りを持ってきたそうです。昼食はもう少し待てば食べに行けるようですが、どうしますか?』
『とりあえず、持ってきていただいた分を今いただきます。すみませんが、クリフォードさんに食事を持ってきていただきありがとうございます、と伝えていただけますか?』
私はセハリスさんにそう伝えたあと、クリフォードさんに軽く会釈をした。
「タマキさんが、食事のお礼をあなたに伝えてほしいとのことです」
セハリスはくるっとクリフォードのほうを向いて言った。
『はあ。なぜ私が伝書鳩のような真似をしなければいけないのだろうか……?』
大げさにため息をつきながら、セハリスさんが言った。
『私とクリフォードさんの考えを橋渡しすることは出来ないのですか?』
『いくら私が大賢者で且つ完璧人間だからといって、出来ることと出来ないことはあります』
『そ、そうですか……』
私は思わず苦笑した。
『とりあえず、ご飯いただきますね』
残りものと言っても、さすが城の食堂で作られた料理。
見るからに美味しそうで、待ちきれない腹の虫がうるさく鳴り続けていた。
**
『さて、今後についてなのですが、タマキさんには元の世界に戻る意思はありますか?』
セハリスさんが、今度こそ真剣な口調で言った。
『うーん……戻りたいといえば戻りたいですが、この世界に残ることになったとしてもかまいません。一応聞きますが、戻れるのですか?』
なんとなく、戻れないような気はしていた。
日本に住んでいる唯一の親友に会えないことは寂しいが、彼女なら元気でやって行くだろう。
残してきた家族がいるわけでもないし、自分がいなくなって本当に困る人などいない。
『……可能性はあるかもしれませんが、確証はありません。別の世界から突然やって来る人についての記述は文献に残っているのですが、その方たちがどのような最期を迎えたのかについては一切記述されていないのです……。ですが、どのような結果になるかはわかりませんが、私のほうでもう少し調べてみます』
『それは助かります。面倒をかけてしまい申し訳ないですが、よろしくお願いします』
ふと思った。
これから住む場所はどうしたら良いのだろう。
『セハリスさん、この世界での滞在場所ですが、もし空き部屋などがあればこの城にしばらくの間居させてもらうことは出来るでしょうか?もちろん、私に出来ることがあれば、雑用でも何でもします』
『あなた用の部屋はすでに用意してありますのでご心配なく。それに、雑用などしていただく必要はありませんよ。異世界の貴重な知識を持つあなたは私の大切な客人です』
微笑むセハリスさんの表情を見て少しだけホッとした。
言語もわからずお金もない状況で放り出されるとさすがに厳しい。
サバイバル知識に乏しい自分なら、3ヶ月で野垂れ死ぬ自信がある。
『もし何かしていたいのであれば、大陸共通言語を学んでみてはいかがですか?』
唐突にセハリスさんが言った。
『こちらの世界の言語ですか? もちろん勉強してみたいです!』
『興味を持っていただけてなりよりです。私が常に傍について回るなんてことは不可能ですからね。なにぶん忙しい身ですので』
そりゃそうだ。
大賢者様に四六時中通訳を頼むなど、おこがましいにも程がある。
『それに、元の世界に戻るにしろ、そうでないにしろ、自立することは大切です。もちろんサポートはしますよ。わからないことだらけだと思いますしね』
『それはもちろんです! ありがとうございます』
『それでは、これから住む場所など、諸々の手配については準備でき次第追ってお知らせします。それまでは城の客室に滞在できるよう話は通してありますので、そこで過ごしてくださいね。クリフォードが案内してくれるでしょう』
セハリスさんがクリフォードさんに目配せする。
彼はその意味を理解したのか、すぐさま席を立ち、扉のほうへ歩いて行った。
私も急いであとを追う。
(あ、部屋を出る前にセハリスさんにもう一度お礼を言っておかなきゃ!)
そう思い、後ろを振り返ったが、個性的すぎる大賢者はすでにその姿を消していた。