鬼コーチと完成品
5分ほど経ったとき、両手いっぱいに大量のスケッチブックを抱えてリズが戻ってきた。
「タマキさん! これは、私が城で働き始めてから5年間、ずっと書き溜めてきたシルフェル様のスケッチです。髪の毛の先から足の指の先まで、全て詳細に描いてあります。シルフェル様に関わる全ての情報、行動記録を残したノートもここに……」
(待て待て。それはさすがにプライバシーの侵害に当たる。ここにはそんな概念はなかったとしても、私の良心が酷く痛む)
「リズ、ありがとう! スケッチはとても助かるよ。でも、ノートのほうは大丈夫だから! どうか大切なところにしまっておいて」
「そうですか? わかりました」
『これをタマキさんと一番共有したかったのに……』
と、リズはブツブツと呟いていた。
リズに了解を取り、私はスケッチブックを開く。
そして、最初のページを見て驚愕した。
プロの絵師によるものかと思うほどのクオリティだったからだ。
──が、数ページ目で、テーブルにスケッチブックを叩きつけたくなる強い衝動に駆られた。
ラファさんの全てが、信じられないほど詳細に描かれていたのだ。
それこそ、見てはいけない部分まで……。
(これは……いいのか? いや、良くはない。断じて良くはない。でも……詳細を脳に焼き付けておくのは大事な気がする。なにせ、他の人が見間違えるレベルのクオリティの水晶人形を作らなきゃならないし……)
私は、モザイクがかかりそうな部分はなるべく視界に入れないようにしつつ、スケッチブックに一通り目を通した。
*
「よし! これでかなり正確にイメージ出来そう! ラファさんといるときはあんまり見る余裕がなかったから、詳細まで思い出せなかったんだよね。本当に助かったよ。ありがとう、リズ」
「……そんなあああああ!! あんなに近くにいたのに、あの神々しいお姿を目に焼き付けるほどじっくりと観察しなかっただなんて! 勿体ない!」
「リズ……。まさかとは思うけど、私の魔法学の授業のとき、私たちのこと見てた?」
いよいよこの子のことを怖ろしく感じ始めながら、私は聞いた。
「もちろんですよ! シルフェル様のある所に私あり。仕事のないときにはずっとお側にいます。仕事のあるときでも、たまにお休みを取って観察しています。……でも、あのときはお相手がタマキさんとは知りませんでしたけどね。遠かったのでよく見えなかったんです。シルフェル様のお姿はちゃんと目に焼き付けましたけどね」
「……そ、そっか。すごいね。全然わからなかった。よくラファさんにバレないね」
「いえ、シルフェル様は気付いてらっしゃいますよ」
リズはあっけらかんとした顔で言った。
「ええっ!?」
(じゃあ、こんなところやあんなところまで、隈なく観察されているのを知った上でそれを良しとしているってこと!?)
「私は透明化の魔法だけは自慢できるくらいの腕前だと自負しているのですが、私が透明になって観察しているとき、潜入を開始した最初の数秒間、いつも目が合い続けるんです。私がいる場所には何もないはずだし、他の人は誰も気づいていないのに、ですよ?」
「ああ……それはバレているかもね。リズは見ていることを知られているのは構わないの?」
「もちろんですよ! まあ、恥ずかしいのは確かですが、シルフェル様に見られていると思うだけで……ご飯茶碗5杯はいけちゃいます」
「リズ、日頃から5杯近く食べてるじゃない」
リーナが呆れたように言った。
「そうだった! じゃあ、その2倍くらいかな!」
リズは嬉しそうに、にひひ、と笑っている。
「ところで、タマキさん! シルフェル様の人形はいつ作るんですか?」
「今から作ろうと思ってたよ。覚えた絵のイメージを忘れちゃう前にしないといけないしね」
「じゃあ、作るところを見ていてもいいですか!?」
リズの顔は期待で輝いている。
「……リズ、さすがにそれは迷惑ではないでしょうか?」
リーナは困ったように言った。
「あ……そうだよね。じゃあ、出来てから見せてもらうことにする……」
耳の垂れた犬のようだ。
思わず頭を撫でてあげたくなってしまう。
「リーナ、大丈夫だよ。リズ、もし良かったら私の作る人形を見て助言をくれないかな? そうしてくれれば私も助かるしね!」
「本当ですか!? もちろん! 私に出来ることは精一杯します!」
リズは満面の笑みを浮かべて言った。
*
数時間後。
私はリズが部屋に留まるのを了承したことを後悔し始めていた。
リズのスケッチブックのおかげで初回から割と好い線を行き続けているのだが、リズは私の拙い表現が許せないらしい。
何度も水晶を叩き割られそうになっている。
「タマキさん! 私のスケッチの一体何を見ていたんですか!? 鼻の角度が5度足りない! まつ毛が2ミリ短い! このシルフェル様の喉仏には思わず触れたくなるような魅力がない! こんなシルフェル様が存在することは許されないいいい……」
リズはとうとう床に泣き崩れた。
「リズこそ何を見ているんですか? 私はスケッチにすごく忠実に作られていると思いますけど」
リーナがフォローしてくれる。
「ありがとう、リーナ。私も割と上手く出来たと思ったんだけどね……」
──その瞬間、リズがガバッと起き上がった。
「確かに上手です。私のスケッチに忠実であるように努力されているのもわかります。……でも、完璧じゃないんです! 完璧じゃないシルフェル様はシルフェル様ではなくなってしまうんです! わかりますか!?」
全くわからない。
だが、まだまだ(彼女の中で)スケッチに描かれているラファさんには全く及ばないということだけは分かった。
「もっと、水晶であることを忘れさせてくれるようなシルフェル様をください! 見つめられるだけで頭が沸騰してしまうような、その声を聴くだけで脳が蕩けてしまうような……!」
圧がすごい。
私の課題を手伝ってもらっているはずが、いつに間にか私がリズのために等身大人形を作ってあげているような気がしてきた。
だが、もはや逆らうことはできない。
「わ、わかった……。声までは再現出来ないけど、頑張ってみるね」
リズさんの立場になって、言われたことを真剣に考えてみる。
(見つめられるだけで頭が沸騰する、か……。どんな感じだろう?)
目を瞑り、ラファさんと向かい合わせに立っているところを想像してみる。
なぜかそこには、いつもの本心を隠したような笑みではなく、額に手をやりながら心の底から楽しそうに笑うラファさんがいた。
そして、私の頬に手を添え、愛しそうに見つめる。
「タマキ、好きだよ?」
──ぶわっと私の中を何かが駆け巡った。
そして、その気持ちのまま、リズに指摘された点を思い浮かべて水晶にイメージを注ぐ。
水晶は瞬時にその形を変え──
今までで一番の作品となった。
(うんうん、よく出来てる。色気もちゃんと表現されているはずだ。……って、私! なんて想像してたの!?)
無意識に生まれた脳内イメージをあとから思い返し、顔から火が出そうになった。
リズはと言うと、床にへたり込みながら涙を流している。
「……これよ……私が求めていたものは!! タマキさん、素晴らしい出来栄えです! 断言します! これなら私とシルフェル様以外は水晶だと気付くことはないでしょう」
「そ、そっか……。よかったよ……」
よからぬ妄想をしてしまったせいか、魔力を使いすぎてしまったせいか、酷く疲れている。
動揺を落ち着け、私はよろよろとテーブルから立ち上がった。
「リズ、今日は本当にありがとう。おかげで納得のできるものが出来上がったよ。ここまでは私一人じゃ絶対にたどり着けなかった。このお礼は近々させてもらうね」
「いえいえ、お礼を言いたいのはこちらのほうです! 私もシルフェル様のお話をたくさんすることができて、とっても有意義な時間を過ごせましたから」
「うん……また一緒に話そうね、リズ……」
もう限界だ。
「リーナも付き合ってくれて本当にありがとう。すごく助かったよ」
申し訳なさそうにしているリーナの肩を心ここにあらずの状態でポンと叩き、私は二人を見送った。
その直後、私は倒れるようにしてベッドに横になり、そのまま意識を失った。




