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知らない言語

 目を開けた瞬間、視界に入ってきたのは、まるで本物のような星空が一面に描かれた濃紺の天井だった。



 横になっていたベルベットのソファには、座るものを怠惰にさせるほど心地よく体が沈み込む。

 体の上には──誰かがかけてくれたのか──ふわふわとした感触のベージュのブランケットがあった。


 眩暈も眠気もなく、すこぶる良い調子を考えると、かなり長い間ぐっすり眠っていたようだ。



 私はゆっくりと身を起こし、あたりを見回した。

 部屋には持ち主のものであろう木製の仕事机と、ソファと同色のベルベット生地の肘掛け椅子が二脚。

 そして、部屋の真ん中には同じく木製のローテーブルが配置されていた。

 家具に対する造形が深いわけではないが、一般人の私から見ても、どれも値が張りそうなものばかりだ。


 私が眠っていた場所からちょうど真向かいの位置には、金色の取手がついた扉が見える。

 誰かが入って来る気配はない。




 ぐーきゅるるるる……



 そういえば、昨日の昼から何も食べていない。

 ここがどこなのかはわからないが、これ以上状態が酷くなる前に、何か食べるものを探しに行かなければ……。




 コツコツコツ──。



 こちらへ向かう足音が扉の外から聞こえた。


 ふと、気を失う前に見かけた謎の生き物の姿が脳裏によぎる。


 たとえ死後の世界だとしても、ここがどこなのかも分からない状態で、無計画に動き回って危険はないだろうか。


 もはや、ここが夢ではないことは確実だ。

 あまりに現実感がありすぎる。

 死んだのでなければ──考えたくはないが──誘拐され、幻覚が見える薬を飲まされた、などということはないだろうか。


 だとすると、今まさに扉の前で立ち止まった人はその犯人だという可能性は──




 心の中で続きを言い切る前に、扉がガチャッと大きな音を立てて開いた。


 入って来る人物からは目を離すまい。

 そう強く決意しながらも、私は未だかつてない恐怖と緊張で体が強張るのを感じていた。




 扉が開き、中に入ってきたのは、いかにも女性受けしそうな目鼻立ちの整った容姿の見知らぬ男性だった。


 海外でも若い人には珍しい、地毛だと思われる銀髪は目を奪われそうになるほど美しい。

 騎士のような装いだが、動作の一つ一つには気品が溢れており、一目で教養の高さが窺えた。


 これだけでは判断することはできないが、女性を誘拐するような犯罪者には見えない。

 私は少しだけ緊張を解いた。



 男性は私と目が合って少し驚いた様子を見せたが、さっと感情を隠した。

 そして、少し距離を取った場所で立ち止まると、私の方を向いて話し始めた。



「Ruft has seche ion petr」



「え……?」



 何を言っているかわからない。

 聞いたこともない言語だ。


 試しに日本語と英語で両方で話しかけてみる。


「もしかして、私を保護してくれた方でしょうか?」



 男性は一瞬唖然とした様子だったが、何か確信めいた表情で話し始めた。


「Ish! Ielle komone rutbic artr. Isb ielle drm otr?」


(だめだ。全く通じない)




 ぐーきゅるるるる……



(そして、空気を読まずに鳴るお腹……)


 すると、男性は私に少し微笑みかけ、理解のできない言語で何かを言葉にすると、足早に部屋から出て行ってしまった。



 部屋に取り残された私は一人考えていた。


 ここは日本でも英語圏でもないようだ。

 北米にいたはずなのに、いきなり英語も通じない場所に突然移動することなどありえるのだろうか……。



 しばらく考えを巡らせていると、ふと、机の後ろにある本棚が気になった。

 本を読めば、言語についての手掛かりが掴めるかもしれない。


 私が長年続けている趣味の一つが、語学学習である。

 人とのコミュニケーションが目的ではなく、単純にいろいろな言語の文法を知るのが好きで、時間のあるときには文法書を雑誌のように読み漁っていた。

 話者数の多い言語しか手をつけたことはないが、今まで見たことのある言語と何か共通点があれば、場所の特定も可能かもしれない。



 試しに一冊、比較的新しそうな背表紙の本を手に取ってみる。


 そして、本を開こうと手をかけた瞬間──




『その本は、あなたには理解できませんよ』

 頭の中で誰かの声が響いた。



 バッと扉の方を振り向く。

 そこには、床に擦れるほど長い黒のローブを着た男性と、先ほどの銀髪の男性が立っていた。


 ローブの男性は腰まで目を合わせ続けると軽く目眩を起こしそうになるほど整った容姿をしている。

 腰ほどまである長い黒髪は丁寧に手入れされているのか、彼が動くたび繊細に揺らぐ。

 ローブの首元には金糸でツタ模様が描かれていた。



 本棚に気を取られすぎていたせいか、二人が部屋に近づく足音や気配に全く気づかなかったようだ。


「今、私に話しかけてこられたのはあなたでしょうか」

 黒髪の男性に、とりあえず英語で話しかけてみる。


『私たちにはあなたの言葉は理解できません。伝えたいことを心の中で思ってみていただけますか』



「え……?」


(まさか……この人、念話してるの!?)



『そうですね。私は、そうすることを私自身が望めば、言葉を介さずとも他者の考えを読み取り、自分の意図も伝えることができます』


(なにもかもあまりに現実離れしすぎていて、むしろ夢だと思いたくなってきた……)


『残念ながら夢ではありません』


『……って、勝手に思考を読んで会話しないでください!』


『ああ、すみませんでした。独り言だったのですね』

 そう頭の中に声が響くと同時に、黒髪の男性が微笑んだ。


「……あのさ、話してる最中に邪魔してすまないが、座って話したらどうだ?」

 銀髪の男性が少し呆れた様子で口を挟んだ。

 この男性が発する言葉はやはり私には理解することができない。


「私としたことがうっかり。そうしましょう」

 黒髪の男性が発する言葉は、先ほどまで頭の中で聞いていた彼の声と同じく、凛と響くようだった。


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